川越だより

妻と二人あちこちに出かけであった自然や人々のこと。日々の生活の中で嬉しかったこと・感じたこと。

人民とは富豪のことか  全国人民代表大会

2013-03-15 03:51:09 | 中国

 3月15日(金)

中国の全国人民代表大会(全人代)が始まり、習近平が国家主席になったというが、僕にはこんなニュースが印象に残った。

これでも中国は社会主義の国だと共産党は言い張るのだろうか?

日本の識者はどうか?

僕は「社会帝国主義」(社会主義の看板を掲げた帝国主義)と認識しているが妥当な認識なのか?


 

 

 資産800億円超の大富豪議員が83人、世界一大富豪が多い議会・全人代―英紙

Record China 3月9日(土)22時49分配信

 

2013年3月8日、英紙フィナンシャル・タイムズは記事「中国全国人民代表大会:世界一大富豪が集まる議会」を掲載した。


中国の国会に相当する全国人民代表大会(全人代)が開幕したが、おそらく大富豪議員の数は世界一だろう。両会(全国人民代表大会、全国政治協商会議の総称)代表のうち、資産10億ドル(約803億円)の大富豪は83人を数える。米国の上院、下院には10億ドル以上の資産を持つビリオネアの議員は一人もいない。全人代代表の資産トップは中国飲料メーカー大手・ワハハの創始者・宗慶後(ゾン・チンホウ)氏。総資産額は130億ドル(約1兆400億円)に達している。

中国で格差は極めて敏感な話題であり、習近平(シー・ジンピン)総書記も就任直後から格差是正につながる汚職追放、腐敗撲滅を唱えている。しかしこれこそが大富豪たちを政界に向かわせる動力になっていると中国社会科学院の馮興元(フォン・シンユエン)研究員は指摘する。大富豪たちの上につるされた斧(おの)、それがいつ落ちるかを決めるのは官僚だ。大富豪たちは自分の身を守るため、自ら、あるいは代理人を官僚にしているという。(翻訳・編集/KT)

中国全人代の富豪70人、昨年は純資産急増-貧富の差浮き彫り 

 

  2月27日(ブルームバーグ):中国の国会に相当する全国人民代表大会(全人大)の代表のうち資産家上位70人の純資産は昨年、米国の連邦議員535人全員と大統領、閣僚、それに9人の最高裁判事の純資産を合わせた額よりも大きな伸びを示した。

3月5日開幕の全人代に出席する資産家70人の純資産額は2011年に5658億元(約7兆3000億円)に達し、10年から115億ドル(約9340億円)増えた。中国の富豪を調査している胡潤のリポートがデータをまとめた。米国の司法・立法・行政トップ660人を合わせても純資産額は75億ドルにすぎない。

全人代代表の所得拡大は、中国の経済成長のいびつさを浮き彫りにしている。世界2位の経済大国となった中国だが、10年の国民1人当たりの年間所得は2425ドルとベラルーシより低く、米国の3万7527ドルに遠く及ばない。土地の違法収用や汚職に対する抗議行動が中国国内で頻発する中、こうした格差是正が交代後の新指導部の課題となる。

米ブルッキングズ研究所のジョン・L・ソートン中国センターのディレクター、ケネス・リバソール氏は「富と政治のこれほどの結び付きは異常だ。極端な貧富の差をめぐる不満の広がりをまざまざと感じさせる」と述べた。

原題:China’s Billionaire Lawmakers Make U.S. Peers Look LikePaupers

著名人権活動家、拘束される=全人代で引き締め強化-中国
 

 【北京時事】中国の著名な人権活動家・胡佳氏(39)が14日、北京で派出所に連行され、警察に拘束されたことが分かった。香港にいる胡氏の妻、曽金燕さんや、胡氏の友人で芸術家の艾未未氏らが自身のツイッターで明らかにした。胡氏の携帯電話にかけても連絡が取れなくなっている。
 北京では全国人民代表大会(全人代)が開会中で、14日には習近平総書記を国家主席に選出。人権活動家らへの引き締めが強まっている。(2013/03/14-20:46


国会が始まったからといって「危険分子」を予防拘禁する。こんなおそろしい国家が西隣にあるということを誰もがしっかり認識しておかなければならない。


焼身自殺 チベット

2012-11-13 06:05:49 | 中国

11月12日(月)曇晴

FACEBOOKの若麻績敬史さんの記事でチベットでは焼身自殺が連日のように続いていることを知りました。北京では中国共産党の大会が開かれ習近平への権力移行が行われるとのことですが、チベットの若者の相次ぐ「焼身自殺」が世界に発信するメッセージを黙殺してはならないとおもいます。

僕にはとても正視する勇気のない写真もあります。がんばって読んでいます。

以下は今朝の「チベットNOW」という記事です。ダラムサラに住む中原という方が連日発信されているようです。ダラムサラはインド北部の町でダライラマがここにチベット亡命政府を組織しています。

2012年11月13日

 <速報>今日(12日)2人目の焼身 6日間に9人
148099_374456325974739_625219440_nニンカル・タシの焼身に続き、同じレゴン県ドワ郷の政府庁舎前で現地時間午後7時20分頃、ニンチャク・ブン、18歳が焼身抗議を行い、その場で死亡した。

郷には大勢のチベット人がいたので、遺体は当局に奪われることなく、直ぐにドワ僧院内に運ばれ、法要が営まれた。その後、葬儀場に運ばれ火葬に付された。葬儀には2、3千人のチベット人が集まり、観音菩薩の真言であるオンマニペメフンやダライ・ラマ法王を讃える詩句が唱えられたという。

ニンチャク・ブンはドワ郷ヨラク村(རེབ་གོང་མདོ་བ་ཡུལ་ཚོ། ཡོ་ལག་སྡེ་པ་)の出身、父の名はラチュク(44)、母の名はツェリン・ツォ(38)、3人兄弟の長男。

現在レゴン一帯でネットが切断され、ドワ郷では電話も使えず、電気も止められているという。ドワ郷に向かって大部隊が向かっているという情報もあり、チベット人たちは大規模な弾圧が始まるのではないかと、真っ暗で不安な夜を迎えているという。

内地焼身者74人目、死亡確認60人目。

出典●http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/51769203.html

2012年11月08日

 

<速報>今日、更なる焼身/「十八党大会中、焼身は続くであろう」

395029_164136430399595_197222041_nドルマ広場に横たえられたチイパ・ギャンツォ

昨日に続き、今日(11月8日)再びアムド、レゴン(レプゴン 同仁)で1人の若者が焼身し、その場で死亡した。内地焼身者71人目である。

場所はロンウォ僧院前のドルマ広場。時間は現地時間午後4時半頃。焼身者の名前はケルサン・ジンパ(སྐལ་བཟང་སྤྱིན་པ་ 又はジンパ・ギャンツォསྤྱིན་པ་རྒྱ་མཚོ་ )18歳。彼は焼身しながら「ダライ・ラマ法王のチベット帰還を!」と叫んだという。

A7MJFQECcAIYXby葬儀場で法王の写真の下に安置された遺体

遺体はドルマ広場で僧侶たちに囲まれ、祈りのお経が上げられた。直ちに大勢のチベット人が広場に集まり、その数は4~5000人ほどになったという。人々は「ダライ・ラマ法王に長寿を!」と叫んだ。その後、僧院裏の特別葬儀場であるドンギェルレの丘に運ばれたが、その頃には8~9000人が集まり、法王を讃える歌を歌ったという。

彼は元ロンウォ僧院トゥサムリン学堂の僧侶。出身地はレゴン、ドワ郷の遊牧民地区。昨日焼身したタムディン・ツォと同じ地区の若者である。



2jinpa-gyatso-3052(追加写真)ケルサン・ジンパの火葬

追記:ドワ郷では昨日と今日、同郷の2人が焼身したことを受け、地元の小学校の生徒たちが抗議デモを行ったという。また、生徒たちはデモの後レゴン市内に向かおうとしたので、先生や職員が彼らを学校内に拘束しているという。

この話には別バージョンもある:11~13歳の子供たちが学校に掲げてあった中国国旗を引き下ろし、その後地区の政府庁舎の前に掲げられていた中国国旗も引き下ろした。先生たちは生徒をコントロールできず、父兄たちに生徒を捕まえるよう命令したと。


中国の「反日」とどう向き合うか?

2012-09-19 05:14:37 | 中国

9月18日(火)晴夜雨

午前中に自転車を漕いで狭山に行ってみた。柏原の彼岸花はもう盛りを過ぎたようだ。日ごろの暑さで彼岸花もはやいのか?

えび善でハンバーグなどを買って帰ってきた。体調は戻ってきたようだ。

中国の「反日」はまるで戦争前夜のようだ。「愛国無罪」とばかり狼藉を働く暴徒のやりたい放題。

共産党指導部は戦争をしてでも「釣魚島」を「奪還」するつもりがあるのか。

戦争以外の方法で領土の変更を実現することは不可能に近い。日本の敗戦で南千島はソ連に占領され、竹島は韓国支配下に置かれた。日本がこれらの領土を回復することは不可能に近いと僕は思っている。いい悪いではない。それが「領土問題」というものだ。

中国を甘く見てはならない。95年から始まった「愛国主義教育」はもう17年の蓄積がある。いつでも戦争をやれる態勢が整っているということだ。僕は中国の現状を「遅れてきた帝国主義」と見ている。日本だけでなく周辺の諸国にとって「脅威」そのものだ。

「東アジア共同体」だの「戦略的互恵関係」だのと幻想を振りまくのはやめたほうがいい。戦争を放棄した日本がどうやってこの脅威に対応していけばいいのか?全国民が考えるチャンスにしなければならない。

日本国民の大半は日中戦争をやったことさえ知らない。「侵略戦争」の実態を知る人はほんの一握りだろう。歴史認識は歴史認識できちんと教育した上で(相手がどんな教育を受けているかをよく知った上で)、どうやってこの厄介な隣国と付き合っていくかを考えなくては日本の未来はない。

日本もいつでも戦争ができる態勢を整えよと右派は言っているがそんなことで対応できるだろうか。

共産党の独裁に反対し、民主主義の確立と民族の解放を求めて闘っている中国の人々と力を合わせていく力量をわたしたち自身が身に着けていくことが根本だと僕は考えている。

 

 

 


悔しい思い 中国大使館前の抗議行動 

2012-03-09 10:45:13 | 中国

3月8日(木)☁

地下鉄六本木で降りて中国大使館に向かう。途中で今日の行動の主催者の三浦小太郎さん(北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会)に呼び止められる。三浦さんたちは警備の警察官と協議中だった。

 なんでも大使館前の抗議行動は定員が5名と決められているらしい。5名をすぎる団体の参加者は手前で待機し、5名が帰ってくると次の5名が出かけると言う具合だ。警視庁が勝手に決めたやり方だがルールだから従えと押し付けられる。

最初の5人の一人として昼過ぎに大使館の正門前にたった。ガードレールのある狭い歩道にたって正面に向かって参加者が次々と抗議の声を挙げる。車道を挟んだ正門付近には警察官が屯しているだけで大使館関係者はいない。ハンドマイクも禁止されているのでアピールが大使館に届く訳もない。正面扉の奥に真っ赤な「五星紅旗」が翻っているのが見える。

西岡さん(救う会)・増元さん(拉致被害者家族会)・脱北してきたAさん・小川さん(No Fence の会)・三浦さんらがそれぞれに心のこもった演説をした。参加者が10人に満たないのでぼくはふた組みの行動に参加し、「脱北者の北朝鮮への強制送還反対!」などのシュプレッヒコールに声を合わせた。

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参考写真・出典●http://bizmakoto.jp/makoto/articles/1110/19/news005_4.html

中国大使は尊大不遜である。抗議文を受け取る館員も出てこない。大使館を置く日本国民に対し失礼極まりない対応だということにも気づかないのだろう。

10人足りずの抗議団に警視庁は数十人の警察官を動員した。この国はいったいどうなっているのか。

命からがら脱北してきた人々を捕まえては処刑さえ待つ北朝鮮に送り返す中国政府には文句のひとつも言えないで、その政府の大使館を守る策謀だけはきめ細かい。

金儲けが大事と心得た行動だが結局のところ相手からは馬鹿にされるだけだろう。北朝鮮の民衆はもちろんのことだが世界中の人々の信を失うことは言うまでもない。

僕はこのような現実を「悔しい」と思う。

友人たちの一人でも多くに問題の在処を知ってもらいたい。

 


中国大使館に抗議の声を届けたい

2012-02-28 10:32:30 | 中国

2月28日(火)☼

入院8日目です。今のところ目立った副作用はありません。病院に閉じこもっているので「病人」になりそうです。外に出て散歩したいなあ。

 

韓国政府が国連の人権理事会で中国政府に対し、脱北者の北朝鮮への強制送還を中止するように求めるとのことです。

 出典● http://japanese.joins.com/article/650/148650.html?servcode=500§code=510

このところ韓国政府の腹が座ってきたかなあという印象です。こういう時に立ち向かうことができなければ「大韓民国」は無いも同然です。

日本政府の姿はどこにも見えません。この国は東アジアにおける「自由と民主主義」の旗手のはずではなかったか。狼藉の限りを尽くす中国政府に断固立ち向かってこの世に希望があることを示さなければならない。

ソウルの駐韓中国大使館前では様々な人々が強制送還に反対する抗議行動を続けているようです。チャさんらのメッセージが広く伝わって韓国を揺り動かす力になってくれるといいなあ。

日本でも中国大使館前で抗議行動をしたらどうだろう。僕には行動を呼びかける力はないけれど、出かけていって声を挙げるくらいのことはしたい。

 

チャ・インピョさんら、送還反対訴える

チャ・インピョ、イ・ソンミさんなど約20人、中国大使館前に集結

 ●

脱北者の送還阻止を訴えるチャ・インピョさんら=ソウルの中国大使館前で2012年2月21日、西脇真一撮影 

 

コメディアンのイ・ソンミさんは、在韓中国大使館(ソウル市鍾路区孝子洞)の前で、今月18日に続き21日にも、脱北者の強制送還に反対するシュプレヒコールを上げた。イさんは「親の心をもってここに来た。強制送還される子どもたちが、私の娘、私の家族だと思い、いても立ってもいられなくなった」と、悲しげな声で訴えた。

 

 この日、イさんのそばには、俳優チャ・インピョさんのほか、キム・テヒョンさん、ファン・ボさん、ソイさん、リッキー・キムさん、シム・テユンさんなど、約20人の芸能人たちが立っていた。脱北者の子どもたちを対象としたフリースクール「黎明学校」の児童・生徒たちが、脱北者の強制送還に反対する集会を開いたのに合わせ、これを助けるために集まったのだ。

 

 チャさんがイさんを応援するため、仲間の芸能人たちに声を掛けた。チャさんは2008年、脱北者をテーマにした映画『クロッシング』に出演した際、試写会の席で黎明学校の児童・生徒たちと会って以来、同校に対し定期的に支援活動を行ってきた。同校の子どもたちの間で「おじさん」と呼ばれるチャさんは「水に溺れた人を助けるのに、出身地や思想・信条、政治理念は問題にならない。(脱北者たちを救うのは)政治や外交の問題ではなく、人間の基本的な良心の問題だ」と主張した。

 

 この日、英語でアピール文を朗読したリッキー・キムさんは「中国で逮捕された脱北者31人は、大部分が飢えから逃れるために北朝鮮を脱出したお年寄りや女性、子どもたちだ。今、中国が脱北者たちを強制送還するのは、脱北者だけでなく、その家族までも死に追いやる行為だ」と述べた。

 

 チャさんは「韓国や中国にいる脱北者たちを、大韓民国が救うことができなければ、統一が実現したとき、果たして北朝鮮の住民2500万人を救えるのか」と問い掛けた。また、イさんは「この場に集まった脱北者の子どもたちは、韓国で食べていくことができても、北朝鮮にいる家族のことを考え、すまない気持ちを抱いている。中国に抑留された脱北者たちが解放され、彼らと一緒に温かいご飯を食べられるようになるのが、私たちの願いだ」と訴えた。

 

チョン・ヒョンソク記者
出典●http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2012/02/22/2012022200936.html

「中国は遅れてきた帝国主義国家」

2010-10-22 04:57:44 | 中国
 奄美大島の大雨被害は驚くばかりです。08年2月に訪ねた住用町にあるグループホームの惨状を見ました。亡くなられた方々の冥福を祈ります。

  ●奄美大島http://blog.goo.ne.jp/keisukelap/e/39e524978abbb3199679d9ecd5ddde15 


20日、荒川区の映画会に行くときに珍しく新聞を買って読んだ。そういうときは「東京」か「産経」だ。100円で買えるし、主張もわかりやすい。今回は「産経」だ。

 拓大の渡辺学長の論文が出ていた。

 中国とどうつきあっていくか、頭の痛い大問題だが、まずは中国をどう認識するかが大事だ。僕は今まで中国を「社会帝国主義」(社会主義の看板を掲げた帝国主義)と呼んできたが、僕の中国認識はこの論文と内容においてあまり違わないような気がする。

 読者に紹介する次第だ。皆さんはどう思われるだろうか。国会もちまちました重箱の隅をつつき合う議論ばかりでなく事柄の本質に迫る討論をして欲しいものだ。民主党中枢部に居る人たちの認識も聞いてみたい。やっていることはめちゃくちゃだ。

 

     中国は遅れてきた帝国主義国家   

            拓殖大学学長・渡辺利夫
                        (2010.10.20 03:12 産経)


 ≪相応の戦略と意思持たぬ日本≫

 尖閣諸島漁船衝突事件に際して、中国政府の取った行動はまことに強硬であった。ナショナリズム鬱勃(うつぼつ)たる国力増強期の大国であってみれば、そのような行動は至極当然のことだといわねばならない。中国の対応はあからさまではあったものの、それを「理不尽」だとは私は思わない。興隆期の中国がそうした挙に出ることは十分にありうるシナリオとして、相応の戦略を練り上げ国の守りを固める意思を持たない日本の政権中枢部の方が問題なのである。

 勃興(ぼっこう)期の日本もドイツもアメリカも、植民地化であれ属領化であれ保護国化であれ、他国の領土に侵入してこれを自国の支配下においたことはまぎれもない事実であった。帝国主義の時代、列強として登場したのはそのような行動を取った国のみであり、そうではない国は弱者として安住の地を得られなかったのである。何と古い話を持ち出すのかと思われようが、そうではない。極東アジアの国々はなお国家形成の段階にあって、ナショナリズムは彼らの不可欠の構成要素なのである。中国とは、要するに「遅れてやってきた」帝国主義国家である。

 資本蓄積を強化しつつ実現されたその高成長は、国富を増強する一方、国民の多くを低所得水準のままに置き去りにし、所得分配の不平等が正される見通しは立っていない。チベット、新疆ウイグル、内モンゴルなどの自治区は、およそ自治区の名に値しない、漢族支配区の様相を呈している。

 ≪対外的膨張は歴史の必然≫

 内に厖大(ぼうだい)な貧困層と広大な異民族地域を抱えながら、否(いな)、それゆえにこそ中国は国民的凝集力を求めて「愛国主義」の昂揚(こうよう)を図り、対外的膨張をもってその昂揚に応えんとしている。帝国主義とは、われわれの過去をみても今日の中国においても、そういう内的衝動を抱え持つ時代局面なのである。

 現在の中国の対外的膨張は、もちろん中国固有の相貌(そうぼう)をみせながらも、われわれ自身の古い「自画像」のごときものである。さればこそ、私は中国の東シナ海における行動がいかに強圧的ではあれ、決して理不尽だとは考えない。隣国の行動を理不尽だと捉(とら)えるのであれば、そもそも自国自身の戦略は生まれない。相応の理を想定しなければ、戦略は構想しようがないのである。中国の体内に宿る衝動を怜悧(れいり)に分析し、その分析の上に立って断固たる守りの意思を固めなければ、この隣国とは共存することさえ難しい。

 漁船衝突事件(9月7日)からもう1カ月以上がたつ。この間の日本の政権中枢部の対応は、振り返るのも苦々しいほどに情けないものであった。緊迫の極東アジア地政学をみつめる視線が感じられない。勃興する中国という大国にどう向き合うべきか、日本という国家の意思がまるでみえてこない。一体、日本は主権国家か、という絶望に近い感覚に襲われた国民は少なくないのではないか。

 平成20年10月には中国の4隻の艦船が津軽海峡を通過し、太平洋を南下して日本列島を周回した。同年11月には4隻、平成21年6月には5隻、今年3月には6隻、4月には10隻の中国艦船が、沖縄本島と宮古島との間(宮古海峡)を航行して太平洋に進出した。4月に宮古海峡を通過した艦船は沖ノ鳥島に進出して訓練活動を繰り返し、その活動を監視する海自護衛艦に中国の艦載ヘリコプターを数回にわたり異常接近させるという挙に出た。これに前後して、原子力潜水艦の日本領海内での潜没航行という国際法侵犯がしばしば展開されてきた。

 ≪弱者には「生存空間」なし≫

 これらはいずれも平成22年度の「防衛白書」に記載されている事例である。そして、今回の尖閣諸島沖での漁船衝突事件である。この事件の背後に中国政府の一貫した戦略を直ちに察知できないのであれば、国防意識のまぎれもない麻痺(まひ)である。というより、中国が衝(つ)いてきたのは日本のこの麻痺状態に違いない。衝突した漁船の拿捕(だほ)、船長の逮捕、身柄拘束期間延長をしたものの、中国政府による幾多の恫喝(どうかつ)を受けて、結局のところは船長を処分保留のまま釈放し、あげくは中国から「謝罪と賠償」を突き付けられるという顛末(てんまつ)となった。

 日本は明らかな主権侵犯をやすやすと許してしまい、法治主義をみずから放擲(ほうてき)してしまったのである。日本の主権はこれを侵犯しても何ごとも起こらない。そういう「学習」を中国にさせてしまった以上、かかる事件の頻度は確実に高まるであろう。侵犯の度ごとに尖閣諸島の命運尽きる日が着々と近づく。尖閣諸島はもとよりだが、宮古島以西、石垣島、西表(いりおもて)島、与那国島には日本の部隊はまったく配備されておらず、防衛上の「空白地帯」となっている。

 防衛白書が平然と伝えている事実である。白書は惰弱(だじゃく)なる政権中枢部に向かって抗議しているようにも読める。弱者に「生存空間」はない、というのが帝国主義の構えであり、パワーポリティクスの時空を超えた真実である。(わたなべ としお)

   出典●「中国は遅れてきた帝国主義国家」http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/101020/plc1010200248001-n1.htm

ノーベル平和賞・劉暁波さん 08憲章(全文)

2010-10-09 03:57:35 | 中国
 中国の「08憲章」起草者の劉暁波さんがノーベル平和賞を受賞したと発表されました。

 僕にとっては本当にうれしいニュースです。
 民主化運動、少数民族運動を弾圧して帝国主義的膨張政策をとる共産党独裁政権に対する時宜を得た痛打です。

 しかし、このニュースが中国の監獄に閉じこめられている劉さん自身に届くかさえ、危ぶまれるのが中国の現実です。

 米国のオバマ大統領は声明を発表したと言います。

 ●オバマ米大統領、平和賞・劉氏の即時釈放を中国に要求
http://www.asahi.com/international/update/1009/TKY201010080594.html


 劉さんの受賞を祝い、民主主義と人権の確立のために闘う中国の人々を支持し、支援する

声明を日本の各地から発信しましょう。

 かつて紹介した「08憲章」を再掲します。このような人間として当たり前の声をあげる

人を監獄に閉じこめて恥じないのが中国共産党政権です。

 独裁政権のやりたい放題を事実上是認して「東アジア共同体」の創設などとほざいている

のが民主党政権と日本の「知識人」。なぜ、オバマさんぐらいのことが言えないのでしょ

う。

 ノルウェーのノーベル賞委員会の勇気ある決定に敬意を表し、日本の一市民として劉さん

の即時釈放を求めます。


 ●川越だより「08憲章」http://blog.goo.ne.jp/keisukelap/e/7705c3f8751a381d92e1bce527490263

中国政府に怒りの声を(二)

2009-12-26 07:07:12 | 中国
 「08憲章」の起草をされた劉さんへの弾圧に抗議して昨夜中国大使館に電話をしましたが「時間外」でつながりません。

 今朝、日本政府と民主党に抗議声明を出すように「お願い」しました。

 日本政府の「各府省への政策に関する意見・要望」の送り先はこちらです。

  https://www.e-gov.go.jp/policy/servlet/Propose

 民主党はこちらです。

http://www.dpj.or.jp/header/form/index.html


 民主党へのぼくの「おねがい」文書です。

中国の裁判所が「08憲章」の起草者の劉さんに懲役刑を言い渡しました。治安
維持法下の日本を彷彿とさせます。

 民主主義と人権の確立なしに「友好」も「共同体」もあり得ません。中国首脳
と太い絆で結ばれた小沢幹事長が断乎たる抗議をされるようにお願いします。

 アメリカ政府が抗議声明を直ちに出したのに、日本政府は何をしているのでし
ょうか。私たちが打ち立てた政府です。悲しくなります。

 党としてまた政府として一刻も早く日本国民の思いを中国政府に伝えてくださ
い。
   鈴木啓介(埼玉県川越市民)


 両方とも確かに受け取ったというお知らせメールが直ちに届きました。ちゃんとやってくれるのでしょうか。

 「川越だより」を覗いてくださる皆さんにはどんな知恵がありますか。昨夜も書きましたが提案をお願いします。

 世界中から抗議の声を突き付けて独裁権力を孤立・震撼させなければなりません。中国の国民には何も知らされていないということです。
 
 日頃「日中友好運動」に取り組んできた方たちの出番ではありませんか。友人なら権力者には断乎たる抗議を、人民には真実の情報を伝えるべきです。


中国政府に怒りの声を

2009-12-25 20:22:23 | 中国
 「川越だより」で紹介したことがある「08憲章」の起草者の劉さんに懲役11年の判決が下されたのことです。

 08年の年の暮れに「08憲章」を読んで深く励まされたことを思い起こします。腹の底から怒りがわいてきます。


 米国政府は声明を発して中国政府を非難したとのことです。

 
  米国:中国を非難 反体制作家の実刑判決で
            (毎日新聞 2009年12月25日 19時11分)
 
 米国務省は24日、中国で国家政権転覆扇動罪に問われた著名民主活動家、劉暁波氏が実刑判決を受けたことについて「政治的信条を平和的に表現することを罰するのは、中国も署名した『市民的・政治的権利に関する国際規約』(国際人権B規約)に違反する」との声明を出して中国政府を非難した。

 声明は、劉氏の妻や米大使館員らが公判の傍聴を拒否されたことも批判。中国に劉氏の即時釈放と、すべての市民の言論の自由を認めるよう求めた。(共同)

 

 日本政府はどうするつもりなのでしょう。

「東アジア共同体」を提唱している鳩山さん、心のこもった政府声明を突き付けてください。

 胡錦濤さんのお友達らしい小沢民主党幹事長、友として「おかしいよ」「付き合えないよ」とはっきりした党声明を出してください。


 私たちはどうしたらいいのでしょう。皆さんにはどんな知恵がありますか。教えてください。できることを一緒にやりましょう。

 とりあえず中国大使館に抗議の電話をしようかと思っています。


   【資料】中国、劉暁波氏に懲役11年 「〇八憲章」を起草

             (東京 2009年12月25日 13時48分)

 


 【北京共同=芹田晋一郎】中国共産党の一党独裁体制廃止などを呼び掛けた文書「〇八憲章」を起草したとして、国家政権転覆扇動罪に問われた著名民主活動家、劉暁波氏(53)の判決公判が25日、北京市の第1中級人民法院(地裁)で開かれ、劉氏に懲役11年、政治的権利はく奪2年の実刑判決を言い渡した。

 同罪の最高刑は懲役15年で、異例の重い判決。中国は民主活動家らへの締め付けを強化しており、象徴的存在の劉氏を厳罰に処すことで、共産党批判を決して許さない姿勢を示す狙いがある。だが、こうした中国政府の対応に、欧米各国などから「人権侵害だ」と非難する声がさらに強まりそうだ。

 関係者によると、劉氏は起訴事実について「憲法で言論の自由が保障されており、罪に当たらない」と一貫して否認。しかし検察側は、劉氏が〇八憲章で「民主的な立憲政治の下での中華連邦共和国の建設」を提起したと指摘し、「デマや中傷で、社会主義制度を覆そうとした重大な犯罪行為だ」と断罪した。

 さらに検察側は、劉氏が2005年以降、英BBC放送の中国語電子版などのウェブサイトに、共産党を批判する六つの文書を発表したことも罪に当たるとしていた。

 出典http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2009122501000311.html

 
 08年暮れの「川越だより」 〇八憲章http://blog.goo.ne.jp/keisukelap/e/7705c3f8751a381d92e1bce527490263

モンゴル人ジェノサイド

2009-08-01 06:57:12 | 中国
 内モンゴル出身の友人が出来たのがきっかけになって新聞の縮刷版ほどもある本と出会いました。川越市立図書館に2月頃リクエストしたのですが埼玉県立図書館にあったといって借りられたのは7月18日です。今日が返却期限です。

 『モンゴル人ジェノサイドに関する基礎資料(1)』(風響社 20000円)という本ですが、ぼくが読めるのは編者が書いた最初の64ページと「あとがき」だけです。あとは文化大革命当時の文書類がそのまま収録されています。懐かしいガリ版印刷の「最高指示」もあります。でも中国語が読めないぼくには「猫に小判」です。

 返却前に編者(楊海英・静岡大学教授)の文章の一部を書き写しておきます。

 まずは出版社のHPをご覧下さい。「モンゴル人ジェノサイド」。こんな事実があったことをぼくははじめて知りました。読みにくいかも知れませんが我慢して読んでください。


 『モンゴル人ジェノサイドに関する基礎資料(1)
  滕海清将軍の講話を中心に   (楊海英編)』

http://www.fukyo.co.jp/02-naiyo/ISBN978-4-89489-881-3.html

 <編者の解説文の結語部分の書き写し>(P64)

 コミンテルンの私生児である(原文のまま)中国共産党は、孫文の後継者たる国民党とのちがいを鮮明にするために、建党当初からしばらくの間はモンゴルなど諸民族に自決権を与えて連邦国家の建設を唱えていたのも周知の事実である。
 しかし、近代の産物である国民国家像がより明確にイメージされるようになるにつれ、中国共産党は民族の自決権を謳歌していた当初の約束をいとも簡単に否定して、少数民族には有名無実の「区域自治」しか交付しなくなった。
 このきわめて限定的な「区域自治」を確固たるものにし、モンゴル人を漢人なみの「人民」に改造するためには、過去にあった自決を求める運動を精算しなければならなかった。
 
 内モンゴル自治区の場合は、内モンゴル人民革命党の精算である。共産党員たちは内モンゴル人民革命党の歴史を「中国革命の一部」だと書き換えただけでは決して満足しなかった。モンゴル人の肉体的な消滅が最も望ましかったのである。
 
 かくして、「民族の消滅」という社会主義的な大義名分の下で、民族分裂主義に反対するという形で、社会主義的なイデオロギーと伝統的な漢人対夷狄(いてき)という構造が重なり合って、ジェノサイドは持続的に断行されてきたのである。

 モンゴル人が少しでも自民族の文化や将来について語ったりすると、たちまち「分離独立者」として疑われる。
 
 この点は、現在の中国においても基本的に変わっていない。

 現在の中国政府が公布する各種の少数民族政策に関する公文書内には文化大革命時代と同様な性質を持つものが多い。少数民族に注ぐ中国共産党の視線は以前と比べて何ら変化していない事実に依拠して予測すれば、ジェノサイドが二度と起こらない保証はどこにもない。
 滕海清講話は人類が経験した「虐殺の20世紀」の過ちを反省するのに有用な材料である。また、人権を重視し、平和な21世紀を構築するためには、まず過去のジェノサイドの実態を着実に解明することから始めなければならない。


 <編者による「あとがき」の書き写し>(P911)

近代において、日本人が最初に出会った「蒙古」ことモンゴルは「内蒙古」=うちモンゴルだった。内モンゴルの東の一部分は日本が作った満州国に組み込まれて、大日本帝国の植民地となっていた。大勢のモンゴル人青年たちが日本へ留学するか、あるいは満州国に設置されて大学で学んだ。モンゴル人は日本から多くの近代的な知識を吸収した。
 日本的な近代的教育を受けたモンゴル人達はほとんど例外なく知的で、教養ある行動をとっていた。彼らはモンゴル社会のあたらいい知識階級を成していた。モンゴル人たちは、日本的な教育を受けた青年たちを心から愛し、また尊敬していた。

 いうまでもなく、現代中国は漢人たちが圧倒的多数を占め、政権運営の主導権を握る国家だ。他の弱小民族の運命は全て彼らの掌中にある。残念ながら、責任ある地位についていた漢人共産主義者の多くは教育を受けておらず、無学無知だった。そのため、毛沢東を頂点とする漢人共産主義者たちは知識人を極端に嫌った。何回も知識人たちを粛清し、国民を無学のままにしておいて統治しようとしてきた。愚民政策である。

 モンゴル人が古くから住んできた土地の一部、すなわち「内モンゴル」と俗に呼ばれる地域は大国の無責任な政策によって、独立が頓挫してしまった。内モンゴルは中国の領土に組み込まれたが、知的で教養あるモンゴル人の存在を中国共産党員たちは喜ばなかった。というのも、知的なモンゴル人たちは日本の植民地支配と結びついているからだ。

 しかし、知的なモンゴル人たちを漢人共産主義者たちも認めざるを得ず、「日本刀をぶら下げた紳士」と、半ば皮肉を込めて呼んでいた。皮肉の成分を除けば、知的で近代的な良好な教育を受けたモンゴル人たちは、匪賊あがりで、粗野な漢人共産主義者たちとはまったく異なる社会運営を目指していた。

 本書はモンゴル人ジェノサイドに関する第一次資料の一部を収録しているが、そのようなジェノサイドの対象にされた間接的な一因に、近代日本の投影があるのも事実であろう。日本の方々にはぜひ、その部分を理解していただきたい。


 P12に紹介されているモンゴル人指導者ウラーンフを批判した漫画のウラーンフの腹部には「日の丸」が描かれています。「日本のスパイ」だと示唆されているのです。


 

天安門事件20周年

2009-06-04 09:27:53 | 中国
 6・4天安門事件から20年になります。今朝、こんなニュースを読みました。
  

 中国、民主運動リーダー入国拒否 天安門事件で手配ウアルカイシ氏 

                  (東京新聞 2009年6月3日 23時33分)

 【マカオ3日共同】1989年の天安門事件で民主化運動の主役の一人となり、中国公安省から「反革命宣伝扇動罪」で指名手配されて亡命生活を送っていた元学生運動リーダー、ウアルカイシ氏(41)が3日午後、出頭するため、亡命先の台北から空路で中国特別行政区マカオに到着した。入国管理当局が空港で同氏を連行、一室に閉じ込め、入国を拒否し送還すると通告した。

 同氏は、共同通信の電話取材に対し、送還を拒んでいると語った。

 ウアルカイシ氏は、指名手配リストで王丹氏(40)に次ぎ、2番目に挙げられ、フランスや米国でも亡命生活を送り国際的に名が知られる活動家。中国政府は、拘束に踏み切れば、国際社会から強い批判を浴び、国内でも抗議活動に火が付くことを恐れ、送還する方針を決めたとみられる。

 目撃者によると、ウアルカイシ氏が入国審査の際に旅券を提示すると、直ちに入管職員4、5人が現れ取り囲んだ。職員が何かを告げると、同氏は大きくうなずき、連行されたという。

 同氏はマカオ入りを前に台北で「出頭は罪を認めるのではない。公開裁判で中国共産党の事件の責任を追及する」と今回の行動の狙いを語っていた。また「20年間両親に会えず亡命生活を続けてきた。拘束の長期化を予想しているが、老いてゆく親に一目でも会いたい」と述べ、新疆ウイグル自治区ウルムチに住む両親に会いたいという思いも理由と説明した。

 同氏は2004年、知人の葬儀出席のため香港への訪問を認められ、記者会見で、 中国を「独裁軍事国家」と批判。同氏が香港を離れた後、中国当局者が「指名手配は永遠に有効。帰国すれば捕まえる」と香港紙記者に伝えたという。

   出典http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2009060301000843.html

 
 今も中国本土で活動する弁護士の浦志強さんは共産党独裁政権には合法性がないと主張するとともに、ウアルカイシさんのような海外に亡命した当時の学生運動の指導者たちにも反省を求め、次のように述べています。

 「天安門事件の時期には、多くの学生指導者が自らを救世主と考えた。庶民らは、救ってやる必要があるというわけだ。事件から20年が経過し、そのような考え方は影をひそめた。多くの人にとって、民主と人権の獲得が現実味を帯びてきたと考えてよい。」

   出典 天安門事件:共産党には「懺悔の資格」もなし
http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2009&d=0603&f=politics_0603_004.shtml

 
 今日、東京では民主主義と人権の獲得を目指す在日中国人による集会があるようです。その呼びかけ文にこうあります。 

 「昨年12月に世間に知られました«零八憲章»の作者達の一人である劉曉波氏が、まだ拘束されたままである。」

 08憲章についてはこのブログで紹介したことがあります。

08憲章http://blog.goo.ne.jp/keisukelap/e/7705c3f8751a381d92e1bce527490263
   


 言論をもって新しい中国のあり方を提起する人たちを監獄に閉じこめ続けているのが事実だとしたら中国政府は全世界の民主主義と人権を求める人々の敵です。世界人権宣言に明白に違反しており、国連の安保理事国としても失格です。
 
 日本政府はこの際はっきりと態度を表明すべきです。北朝鮮をはじめ、世界の各地で独裁政権の後ろ盾となっている中国政府は国内でも傲慢きわまりない独裁を続けているという他はありません。民主党政権になったらはっきりとものが言えるようになるのでしょうか。

  出典 六四天安門事件20周年の日本での行動計画
 http://blog.goo.ne.jp/sinpenzakki/e/9da13126f72c6acee64e5db5e6ccd234

天安門事件

2009-03-19 06:33:28 | 中国
 もう去年のことになりますが『時が滲む朝』という本を読んだことがあります。89年の中国天安門事件にかかわった学生たちの今と昔を描いた作品で芥川賞を受けました。運動にかかわった人々の思想的幼さのようなものを感じて民主化の道のはるけきことを思いました。(なぜこの小説が『芥川賞』なのかとも思いました。)

  「時が滲む朝」 http://ameblo.jp/tonton3/entry-10108603184.html


 昨日の新聞記事です。当時鎮圧に派遣された「人民解放軍」元兵士・張さんのインタビューが紹介されています。共産党の一党独裁政権がこの秋には満60年を迎えます。愛国のキャンペーンが全中国を覆い、民主主義の確立を願う人々は孤立を強いられているに違いありません。これに呼応して日本でも「友好人士」たちの手によって浅はかな「中国革命万歳」の運動が繰り広げられることでしょう。
 私たちに求められているのは民主主義と人権の確立を目指す人民と人民の友誼です。小説を読んだ時よりは遙かに力強いものを感じました。
 

『天安門鎮圧 今も罪悪感』 元解放軍兵士が告白

2009年3月18日 『東京新聞』朝刊


【滕州市(中国山東省)=平岩勇司】一九八九年の天安門事件で民主化運動鎮圧に加わった元人民解放軍兵士、張世軍氏(38)が十六日夜、本紙の取材に応じた。元兵士が二十年前の天安門事件の体験を語るのは異例。張氏は今月上旬、報道の自由や普通選挙の実施を求める公開書簡を胡錦濤国家主席に送っており、事件について「今も強い罪悪感がある」と語った。

 「白い鉢巻きを頭に巻いた学生が血の中で倒れているのを見て、私の心は砕かれた」

 張氏は山東省の自宅で、慎重に言葉を選びながら口を開いた。

 当時十八歳だった張氏は河南省に駐屯する五十四軍で広報活動を担当。四月下旬、民主化運動が高まる北京へ向かった。「首都の秩序回復が目的と聞いていた。当初は武力鎮圧の命令はなく、実弾も配備されなかった」

 六月三日夜、武力鎮圧を決意した共産党指導部から部隊に天安門広場南部へ向かうよう命令が下った。軍用機が低空飛行で弾薬を投下。広場への途中、市民から何度も抵抗を受けた。

 「私も顔面に投石を受けて血を流したが、部隊は上空への警告射撃にとどめ、人民に発砲しなかった」

 天安門事件をめぐる数々の証言や研究では、南部部隊は水平射撃を行わず、西部の三十八軍などが水平射撃に踏み切ったとされる。張氏は四日未明、広場に着くまでに多くの死傷者を目撃する。

 「後日、通信封鎖が解除され(民衆を虐殺した)軍の行為を知った。『人民は父母のごとし、学生は弟妹のごとし』が軍のスローガンで、大半の兵士は発砲に反対だった」

 罪悪感にさいなまれた張氏は退役を申請。すると「任務拒否」として軍を除名された。政治体制に疑問を感じ、山東省で中国革命の祖、孫文の勉強会を始めたが、九二年に「反党反社会主義罪」で逮捕。裁判を経ずに懲役三年の刑を受けた。

 張氏は出所後、名誉回復を求めたが党中央から回答はなかった。今月六日、インターネット上で「共産党は天安門事件の悲劇の代価として、民主化を実現してほしい」と訴える書簡を公開。同時に事件の体験を語る決意をした。

 書簡発表で当局に拘束される危険もあるが、十三歳の娘を持つ張氏は「私の血が流れることで、子どもの世代が自由になればいい」と語る。

 <天安門事件> 1989年4月、改革派の胡耀邦・元総書記の死去をきっかけに民主化を求める学生デモが北京で発生、100万人規模に膨らんだ。当局は「反革命暴乱」と断定し、戒厳令を布告。6月3日夜から4日朝にかけて軍を投入し、武力で鎮圧した。当局が公表した犠牲者数は319人だが、実際にはそれを上回るとみられる。 (中国総局)           

   出典http://www.tokyo-np.co.jp/article/world/news/CK2009031802000087.html

08憲章

2008-12-28 06:19:48 | 中国
12月10日の世界人権宣言記念日に中国の知識人が発表した「08憲章」の日本語訳をやっと読むことが出来ました。「おもいつくまま」というブログに掲載されています。宣言の起草者の一人とみられる劉暁波さんは8日以来拘留されたままです。日本でもペンクラブが彼の釈放を求める声明を出したようですが肝腎の憲章をマスコミが黙殺しているため読むことが困難です。「おもいつくまま」にはリンクフリーとありますので勝手に紹介させて貰います。少し長い文章ですが年末年始の暇なときに声に出して読んでみませんか。

 中国の知識人が一党独裁の内側から民主主義と人権の確立を求める明確な声を挙げたことは同じような願いを持つ世界中のひとびとに対する励ましでもあります。この憲章を読んでいると日本国憲法を思い起こします。そしてその憲法の素晴らしい言葉が色あせていることに気づきます。現実にこの国を支配しているのは憲法ではなく東大OBの霞ヶ関官僚やトヨタやキャノンの経営者たちであることを知っているからです。彼らのやりたい放題をこれ以上許すわけには行きません。
 中国の知識人の闘いにぼくは深い敬意を抱いています。私たちもまた、勇気を奮い起こして民主主義と人権をこの地上に実現するために学びを深め、力を尽くしましょう。そのことなしに東アジアの平和も「共同体」もあり得ません。年の瀬に力強いメッセージを受け取りました。
 




 08憲章=中華連邦共和国憲法要綱

一、まえがき

 今年は中国立憲百年、「世界人権宣言」公布60周年、「民主の壁」誕生30周年であり、また中国政府が「市民的及び政治的権利に関する国際規約」に署名して10周年である。長い間の人権災害と困難かつ曲折に満ちた闘いの歴史の後に、目覚めた中国国民は、自由・平等・人権が人類共同の普遍的価値であり、民主・共和・憲政が現代政治の基本的制度枠組みであることを日増しにはっきりと認識しつつある。こうした普遍的価値と基本的政治制度枠組みを取り除いた「現代化」は、人の権利をはく奪し、人間性を腐らせ、人の尊厳を踏みにじる災難である。21世紀の中国がどこに向かうのか。この種の権威主義的統治下の「現代化」か? それとも普遍的価値を認め、主流文明に溶け込み、民主政体を樹立するのか? それは避けることのできない選択である。

 19世紀中葉の歴史の激変は、中国の伝統的専制制度の腐敗を暴露し、中華大地の「数千年間なかった大変動」の序幕を開いた。洋務運動はうつわ面での改良を追求し、甲午戦争(日清戦争1894年)の敗戦は再び体制の時代遅れを暴露した。戊戌変法(1898年)は制度面での革新に触れたために、守旧派の残酷な鎮圧にあって失敗した。辛亥革命(1911年)は表面的には2000年余り続いた皇帝制度を埋葬し、アジアで最初の共和国を建国した。しかし、当時の内憂外患の歴史的条件に阻害され、共和政体はごく短命に終わり、専制主義が捲土重来した。うつわの模倣と制度更新の失敗は、先人に文化的病根に対する反省を促し、ついに「科学と民主」を旗印とする「五四」新文化運動がおこったが、内戦の頻発と外敵の侵入により、中国政治の民主化過程は中断された。抗日戦争勝利後の中国は再び憲政をスタートさせたが、国共内戦の結果は中国を現代版全体主義の深淵に陥れた。1949年に建国した「新中国」は、名義上は「人民共和国」だが、実際は「党の天下」であった。政権党はすべての政治・経済・社会資源を独占し、反右派闘争、大躍進、文革、六四、民間宗教および人権擁護活動弾圧など一連の人権災害を引き起こし、数千万人の命を奪い、国民と国家は甚だしい代価を支払わされた。

 20世紀後期の「改革開放」で、中国は毛沢東時代の普遍的貧困と絶対的全体主義から抜け出し、民間の富と民衆の生活水準は大幅に向上し、個人の経済的自由と社会的権利は部分的に回復し、市民社会が育ち始め、民間の人権と政治的自由への要求は日増しに高まっている。統治者も市場化と私有化の経済改革を進めると同時に、人権の拒絶から徐々に人権を認める方向に変わっている。中国政府は、1997年、1998年にそれぞれ二つの重要な国際人権規約に署名し、全国人民代表大会は2004年の憲法改正で「人権の尊重と保障」を憲法に書き込んだ。今年はまた「国家人権行動計画」を制定し、実行することを約束した。しかし、こうした政治的進歩はいままでのところほとんど紙の上にとどまっている。法律があっても法治がなく、憲法があっても憲政がなく、依然として誰もが知っている政治的現実がある。統治集団は引き続き権威主義統治を維持し、政治改革を拒絶している。そのため官僚は腐敗し、法治は実現せず、人権は色あせ、道徳は滅び、社会は二極分化し、経済は奇形的発展をし、自然環境と人文環境は二重に破壊され、国民の自由・財産・幸福追求の権利は制度的保障を得られず、各種の社会矛盾が蓄積し続け、不満は高まり続けている。とりわけ官民対立の激化と、騒乱事件の激増はまさに破滅的な制御不能に向かっており、現行体制の時代遅れは直ちに改めざるをえない状態に立ち至っている。

二、我々の基本理念

 中国の将来の運命を決めるこの歴史の岐路に立って、百年来の近代化の歴史を顧みたとき、下記の基本理念を再び述べる必要がある。

自由:自由は普遍的価値の核心である。言論・出版・信仰・集会・結社・移動・ストライキ・デモ行進などの権利は自由の具体的表現である。自由が盛んでなければ、現代文明とはいえない。

人権:人権は国家が賜与するものではなく、すべての人が生まれながらに有する権利である。人権保障は、政府の主な目標であり、公権力の合法性の基礎であり、また「人をもって本とす」(最近の中共のスローガン「以人為本」)の内在的要求である。中国のこれまでの毎回の政治災害はいずれも統治当局が人権を無視したことと密接に関係する。人は国家の主体であり、国家は人民に奉仕し、政府は人民のために存在するのである。

 平等:ひとりひとりの人は、社会的地位・職業・性別・経済状況・人種・肌の色・宗教・政治的信条にかかわらず、その人格・尊厳・自由はみな平等である。法の下でのすべての人の平等の原則は必ず実現されなければならず、国民の社会的・経済的・文化的・政治的権利の平等の原則が実現されなければならない。

 共和:共和とはすなわち「皆がともに治め、平和的に共存する」ことである。それは権力分立によるチェック・アンド・バランスと利益均衡であり、多くの利益要素・さまざまな社会集団・多元的な文化と信条を追求する集団が、平等な参加・公平な競争・共同の政治対話の基礎の上に、平和的方法で公共の事務を処理することである。

 民主:もっとも基本的な意味は主権在民と民選政府である。民主には以下の基本的特徴がある。(1)政府の合法性は人民に由来し、政治権力の源は人民である。(2)政治的統治は人民の選択を経てなされる。(3)国民は真正の選挙権を享有し、各級政府の主要政務官吏は必ず定期的な選挙によって選ばれなければならない。(4)多数者の決定を尊重し、同時に少数者の基本的人権を尊重する。一言でいえば、民主は政府を「民有、民治、民享」の現代的公器にする。

 憲政:憲政は法律と法に基づく統治により憲法が定めた国民の基本的自由と権利を保障する原則である。それは、政府の権力と行為の限界を線引きし、あわせて対応する制度的措置を提供する。

 中国では、帝国皇帝の権力の時代はすでに過去のものとなった。世界的にも、権威主義体制はすでに黄昏が近い。国民は本当の国家の主人になるべきである。「明君」、「清官」に依存する臣民意識を払いのけ、権利を基本とし参加を責任とする市民意識を広め、自由を実践し、民主を自ら行い、法の支配を順守することこそが中国の根本的な活路である。

三、我々の基本的主張

 そのために、我々は責任をもって、また建設的な市民的精神によって国家政治制度と市民的権利および社会発展の諸問題について以下の具体的な主張をする。

1、憲法改正:前述の価値理念に基づいて憲法を改正し、現行憲法の中の主権在民原則にそぐわない条文を削除し、憲法を本当に人権の保証書および公権力への許可証にし、いかなる個人・団体・党派も違反してはならない実施可能な最高法規とし、中国の民主化の法的な基礎を固める。

2、権力分立:権力分立の現代的政府を作り、立法・司法・行政三権分立を保証する。法に基づく行政と責任政府の原則を確立し、行政権力の過剰な拡張を防止する。政府は納税者に対して責任を持たなければならない。中央と地方の間に権力分立とチェック・アンド・バランスの制度を確立し、中央権力は必ず憲法で授権の範囲を定められなければならず、地方は充分な自治を実施する。

3、立法民主:各級立法機関は直接選挙により選出され、立法は公平正義の原則を堅持し、立法民主を行う。

4、司法の独立:司法は党派を超越し、いかなる干渉も受けず、司法の独立を行い、司法の公正を保障する。憲法裁判所を設立し、違憲審査制度をつくり、憲法の権威を守る。可及的速やかに国の法治を深刻に脅かす共産党の各級政法委員会を解散させ、公器の私用を防ぐ。

5、公器公用:軍隊の国家化を実現する。軍人は憲法に忠誠を誓い、国家に忠誠を誓わなければならない。政党組織は軍隊から退出しなければならない。軍隊の職業化レベルを高める。警察を含むすべての公務員は政治的中立を守らなければならない。公務員任用における党派差別を撤廃し、党派にかかわらず平等に任用する。

6、人権保障:人権を確実に保障し、人間の尊厳を守る。最高民意機関(国会に当たる機関)に対し責任を負う人権委員会を設立し、政府が公権力を乱用して人権を侵害することを防ぐ。とりわけ国民の人身の自由は保障されねばならず、何人も不法な逮捕・拘禁・召喚・尋問・処罰を受けない。労働教養制度(行政罰としての懲役)を廃止する。

7、公職選挙:全面的に民主選挙制度を実施し、一人一票の平等選挙を実現する。各級行政首長の直接選挙は制度化され段階的に実施されなければならない。定期的な自由競争選挙と法定の公職への国民の選挙参加は奪うことのできない基本的人権である。

8、都市と農村の平等:現行の都市と農村二元戸籍制度を廃止し、国民一律平等の憲法上の権利を実現し、国民の移動の自由の権利を保障する。

9、結社の自由:国民の結社の自由権を保障し、現行の社団登記許可制を届出制に改める。結党の禁止を撤廃し、憲法と法律により政党の行為を定め、一党独占の統治特権を廃止し、政党活動の自由と公平競争の原則を確立し、政党政治の正常化と法制化を実現する。

10、集会の自由:平和的集会・デモ・示威行動など表現の自由は、憲法の定める国民の基本的自由であり、政権党と政府は不法な干渉や違憲の制限を加えてはならない。

11、言論の自由:言論の自由・出版の自由・学術研究の自由を実現し、国民の知る権利と監督権を保障する。「新聞法」と「出版法」を制定し、報道の規制を撤廃し、現行「刑法」中の「国家政権転覆扇動罪」条項を廃止し、言論の処罰を根絶する。

12、宗教の自由:宗教の自由と信仰の自由を保障する。政教分離を実施し、宗教活動が政府の干渉を受けないようにする。国民の宗教的自由を制限する行政法規・行政規則・地方法規を審査し撤廃する。行政が立法により宗教活動を管理することを禁止する。宗教団体(宗教活動場所を含む)は登記されて初めて合法的地位を獲得するという事前許可制を撤廃し、これに代えていかなる審査も必要としない届出制とする。

13、国民教育:一党統治への奉仕やイデオロギー的色彩の濃厚な政治教育と政治試験を廃止し、普遍的価値と市民的権利を基本とする国民教育を推進し、国民意識を確立し、社会に奉仕する国民の美徳を提唱する。

14、財産の保護:私有財産権を確立し保護する。自由で開かれた市場経済制度を行い、創業の自由を保障し、行政による独占を排除する。最高民意機関に対し責任を負う国有資産管理委員会を設立し、合法的に秩序立って財産権改革を進め、財産権の帰属と責任者を明確にする。新土地運動を展開し、土地の私有化を推進し、国民とりわけ農民の土地所有権を確実に保障する。

15、財税改革:財政民主主義を確立し納税者の権利を保障する。権限と責任の明確な公共財政制度の枠組みと運営メカニズムを構築し、各級政府の合理的な財政分権体系を構築する。税制の大改革を行い、税率を低減し、税制を簡素化し、税負担を公平化する。公共選択(住民投票)や民意機関(議会)の決議を経ずに、行政部門は増税・新規課税を行ってはならない。財産権改革を通じて、多元的市場主体と競争メカニズムを導入し、金融参入の敷居を下げ、民間金融の発展に条件を提供し、金融システムの活力を充分に発揮させる。

16、社会保障:全国民をカバーする社会保障制度を構築し、国民の教育・医療・養老・就職などの面でだれもが最も基本的な保障を得られるようにする。

17、環境保護:生態環境を保護し、持続可能な開発を提唱し、子孫と全人類に責任を果たす。国家と各級官吏は必ずそのために相応の責任を負わなければならないことを明確にする。民間組織の環境保護における参加と監督作用を発揮させる。

18、連邦共和:平等・公正の態度で(中国周辺)地域の平和と発展の維持に参加し、責任ある大国のイメージを作る。香港・マカオの自由制度を維持する。自由民主の前提のもとに、平等な協議と相互協力により海峡両岸の和解案を追求する。大きな知恵で各民族の共同の繁栄が可能な道と制度設計を探求し、立憲民主制の枠組みの下で中華連邦共和国を樹立する。

19、正義の転換:これまでの度重なる政治運動で政治的迫害を受けた人々とその家族の名誉を回復し、国家賠償を行う。すべての政治犯と良心の囚人を釈放する。すべての信仰により罪に問われた人々を釈放する。真相調査委員会を設立し歴史的事件の真相を解明し、責任を明らかにし、正義を鼓舞する。それを基礎として社会の和解を追求する。

四、結語

 中国は世界の大国として、国連安全保障理事会の5つの常任理事国の一つとして、また人権理事会のメンバーとして、人類の平和事業と人権の進歩のために貢献すべきである。しかし遺憾なことに、今日の世界のすべての大国の中で、ただ中国だけがいまだに権威主義の政治の中にいる。またそのために絶え間なく人権災害と社会危機が発生しており、中華民族の発展を縛り、人類文明の進歩を制約している。このような局面は絶対に改めねばならない! 政治の民主改革はもう後には延ばせない。

 そこで、我々は実行の勇気という市民的精神に基づき、「08憲章」を発表する。我々はすべての危機感・責任感・使命感を共有する中国国民が、朝野の別なく、身分にかかわらず、小異を残して大同につき、積極的に市民運動に参加し、共に中国社会の偉大な変革を推進し、できるだけ早く自由・民主・憲政の国家を作り上げ、先人が百年以上の間根気よく追求し続けてきた夢を共に実現することを希望する。

括弧内は訳注。

 出典http://blog.goo.ne.jp/sinpenzakki/e/597ba5ce0aa3d216cfc15f464f68cfd2

東京新聞「中国の核実験被害」報道

2008-11-28 09:55:35 | 中国
 『東京新聞』に中国の核実験被害にかかわる記事があったことを知りました。このことについては8月に「川越だより」に何回か書きました。

 中国の核実験(4)ロブノル                       http://blog.goo.ne.jp/keisukelap/e/739ee96ad1c34c5e3989ed8372a94239
 

 日本のマスコミは中国政府の報復を怖れてタブーにしてきました。
 『東京新聞』は比較的マイナーな新聞ですがときどきおかしいことにおかしいという記事を掲載します。一部100円ですので電車に乗るときに買って読みます。私たちがいかに恐ろしい情報操作のもとに生きているか、思い知らされます。高田純さんの地道な研究がさらに多くの人に知られていくことを願います。


 東京新聞 11/21朝刊 【特報】

   中国核実験 96年まで46回実施か 
   住民19万人が死亡と推定 隣国カザフの調査 

     日本人科学者が分析 (2008年11月21日)

 東アジアでは北朝鮮の核兵器開発が国際社会から問題視されているが、中国は既に一九五〇年代半ばから核兵器開発にまい進してきた。

 少数民族が居住する新疆ウイグル自治区で行った核実験は四十回以上に及ぶ。
しかし中国政府は実験データはもちろん、実施の事実すら公表していない。核汚染や周辺住民への被害はこれまで闇の中だったが、その実態が日本人科学者の手によって初めて明らかになりつつある。  (外報部・浅井正智)




「旧ソ連時代、中国の核実験による放射線の影響は、(新疆ウイグル自治区の)ロプノル核実験場から北西に約千キロ離れた隣国カザフスタンで監視されていた。そのデータを2001年に入手したことは、中国の核実験の実態を追跡する上で大きな意味があった」

 原発事故のチェルノブイリや臨界事故の東海村をはじめ、世界各地の放射線被害の現地調査を手掛けてきた高田純・札幌医科大学教授(放射線防護学)は、札幌市内の研究室でこう語りはじめた。

 中国は実験現場を公開していないが、どう調査したのか。用いたのは、旧ソ連が監視していた中国の核実験威力や爆発温度、風向き、さらに風下のカザフスタン東部マカンチに実験直後に降り積もった核分裂生成物の分析から、新疆ウイグル自治区の被害を推定するという手法。

 現地調査をせずに核汚染を科学的に分析するこの方法を適用することで、中国が隠し続けてきた核実験災害の実施時期に突破口をひらいた

 中国が同自治区で行った核実験は、1964年か96年までに延べ46回とみられ、「これらの実験のために致死レベルの放射線を浴び、死亡した住民は19万人と推定される」と高田教授は具体的な数字を挙げた。

 劣悪な医療環境などから、その4倍の75万人が死亡したとする説もあるという。
死に至らなくとも、白血病やその他のがんの発生、胎児への影響が高まる地域には129万人がいたとみられる。核実験はもう10年以上行われてはいないものの、「住民の健康被害は続いており、まさに現代の問題」にほかならない。

 実験地点は シルクロードの要衝として栄え、日本人が好んで観光に訪れる楼蘭に近い。「地下核実験で地下水が汚染されている恐れがあり、飲むのは避けるべきだ」と警告する。

 46回の実験のうちメガトン級の地表核爆発は67年、73年、76年の三回。核爆発は爆発点により、空中、地表、地下に分類されるが、地表爆発は核汚染された土壌の粉じんを巻き上げ、周辺および風下に大きな放射線災害をもたらす。

 高田教授によると、メガトン級の地表核爆発は米国も旧ソ連も内陸では行っていない。中国はそれを三回強行した。
 インターネットの動画サイト「ユーチューブ」では中国の核実験の映像が見られるが、防護服などを着ていない人々が巨大なきのこ雲に向って万歳する姿が映し出されており、安全面の対策を講じないまま実験を行った可能性が極めて高い。

 ただ中国当局は一つの重要な「配慮」をしたとみられる。67年と73年のメガトン級地表核爆発は同じ6月に行われ、当時の気象記録からカザフスタン方向に風が吹いていたことが分かっている。「毛沢東ら共産党指導者のいる北京に゛核の砂゛が飛んでいかない季節を選ぶという最大級の配慮をしたはずだ」と高田教授は皮肉を込めた。

 残る一回のメガトン級爆発時(76年11月)の気象データは、今のところ判明していない。11月という季節から、核の砂は北風によって南に隣接するチベット自治区に運ばれた可能性が考えられるが、解明は今後の研究に委ねられている。

 高田教授は研究成果をまとめ、北京五輪に合わせて今年、著書「中国の核実験」(医療科学社)を出版した。先月下旬、アルゼンチンで開かれた国際放射線防護学会でも「中国の核実験災害と線量評価」と題し報告を行った。

 これまで謎に包まれていた中国の核実験の実態から見えてくるものは、「主にウイグル人が居住している場所で、安全面の対策も立てず、国家によって犯罪的実験を行った。」(高田教授)というおぞましい現実だ。
 三回のメガトン級爆発は、すべて文化大革命(66~76年)という未曽有の大混乱の間に行われている。中国共産党は81年、新中国成立以来の歴史を総括する「歴史決議」でその文革を「過ち」と公式に認めた。

「ならば」と高田教授は強調する。

「文革の熱狂の中で行われた危険な核実験の過ちも認め、データを開示し、被災者の補償をすべきだ。それをしない限り、中国は決して国際社会から信頼される国家にはなれない」


◆通常兵力後回し、「核」に重点


 中国の核兵器開発のスタートは1955年ごろにさかのぼる。54年に日本で自衛隊が発足したのとほぼ同時期、当時の中国指導者、毛沢東は早くも核武装を決意していたことになる。国民経済は疲弊していたが「毛沢東は核兵器が米国と渡りあうために必要な政治兵器だと明確に認識していた」と中国軍事専門家、平松茂雄氏は話す。

 最初の核実験は64年。約十年で核兵器開発を成し遂げた。80年には米国に到達する大陸間弾道ミサイル(ICBM)の発射実験にも成功し、対米核抑止力を初めて獲得する。 米英仏などが通常戦力を整備した上で核兵器開発に移行したのとは異なり、中国は通常兵器を後回しにし、いきなり核兵器に重点を移したところに特徴がある。

 中国が核武装する究極的な目的は「台湾有事の際に米軍の介入を思いとどませることに 置かれている」(平松氏)

 中国は近年、軍事技術と密接にかかわる宇宙開発を精力的に進めており、ミサイル技術も着々と進化しているとみられる。中国の核弾道ミサイル数十発は日本に照準をあわしているとされ、「北朝鮮より中国の核兵器の方が日本の安全保障にとってはるかに脅威だ」と 平松氏は指摘している。


 <デスクメモ>

 実態以上に中国を汚染国に仕立て上げ、日本は安全、だから国産をえらびましょうーとの゛布教゛には疑いの念をもって接したい。偽装を生む土壌が増えるばかりだから。でも、チベット問題といい、核実験といい、「臭いものにはふた」の姿勢は大問題。 人の犠牲の上に築いた大国の地位に価値はあるのか (剛)






「金門島砲撃」

2008-08-25 10:06:09 | 中国
異常低温に体がついていけないため、昨日(24日)は一日中寝ていました。こういう日は呼吸が少し苦しくなります。今日、午後癌研有明病院に再入院、5回目の抗ガン剤治療を受けます。順調にいけば週末には退院できるはずです。それまでしばらく「川越だより」はお休みです。

 北京オリンピックが終わりました。開会式の「口ぱく少女事件」がこの大会を象徴しているように思います。ひとりひとりの人間をまるで機械か、道具としか見ない、権力者の人間観が透いて見えてくる演出です。中国では「普通のこと」らしいが、「声」と「姿」を別々に供出させられた二人の少女の心がどれだけ傷つき歪められたことだろうかと思いやられます。まさに、人間の精神に対する暴力としか思えません。あのような人間の尊厳を冒涜する行為に対し、国際オリンピック委員会を始め、大会関係者が目立った抗議をすることもなかったようです。彼らもまた同じような人間観の持ち主なのでしょう。いまもって大会参加選手からも観客からも抗議の声は届きません。

 駐北京アメリカ大使がオリンピック期間中に逮捕、拘留されたままの8人の同国人の釈放を求めたということです。「フリー・チベット」という横断幕をどこかに掲げようとした米国人がこの始末です。なんの後ろ盾も持たない中国の人々がどんな目に遭わされているか、想像力というものがあるひとにはわかります。
 IOCの会長は「デモ公認公園」でのデモが一件も認められなかったことに遺憾の意を表したとのことですがこれも茶番です。本当に世界の人に訴えたい人が、あとで弾圧を受けることがわかっているデモ申請をするものでしょうか。軍警民一体となった弾圧体制によって中国全土で人々の口は封じ込められていると考えられます。

 こんなニュースがあります。真偽のほどがきちんと伝えられることを願います。

  「チベットで中国軍発砲、140人死亡か」ダライ・ラマ発言
   出典http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20080821-OYT1T00722.htm 
 一党独裁国家の独裁者たちが国策としてやりたい通りのオリンピックをやりました。IOCや世界中の国家や報道機関がこれに協力しました。このツケはどのように廻ってくるのでしょうか。

 23日が金門島砲撃から50年に当たり、24日台湾政府主催の式典が金門島で行われたそうです。中国大陸の目の前に浮かぶ小島ですが国共内戦以来ずうっと台湾政府の管轄下にあります。中国軍の砲撃はぼくが高校生の時のことで、今回、鳥居民という方の評論を読んで、そういうことだったのかとはじめて理解したところです。
 一党独裁下の共産党の指導者の人間観は昔(毛沢東)も今も変わらないようです。人々は自分の理想や国策達成のための機械か道具です。民主主義と人権の確立を目指して闘う人々の声に耳を澄まし、恥じることのない生き方をしたいものです。

 「産経」は読まないという方がおられるようです。「川越だより」に転載しますので目を通してみてください。そして、いろいろ教えてください。
 このブログに書いたように「大躍進」や「人民公社」についてさえ、ぼくの勉強ははじまったばかりです。何が真実だったのか究明することはやさしいことではありません。今もその独裁権力が続いているからなおさらのことです。ぼくの学びの過程で書いたブログを4つ再掲します。暇を見て読んでみてください。 
 

 ◎ 「 三年自然災害」という人災 http://blog.goo.ne.jp/keisukelap/d/20080122 

 ◎ 恐ろしいこと http://blog.goo.ne.jp/keisukelap/d/20080123

 ◎ 共産主義・人民公社(1) http://blog.goo.ne.jp/keisukelap/d/20080316
 
 ◎ (2)http://blog.goo.ne.jp/keisukelap/d/20080322



 金門砲撃50年と北京首脳の狙い  鳥居民(「産経」・8月21日)
     

 ≪大躍進さなかの大騒ぎ≫

 8月23日の午後6時半、金門島を囲む大陸沿岸に据えられた500門の大砲が一斉に火を噴いた。1958年のことだ。その夕刻から8月の末まで、中国は金門の10万の将兵を兵糧攻めにするのか、上陸作戦に打って出るのか、アメリカはどう対応するのかと全世界はかたずを呑んで見守ることになった。

 同時に中国側は脅迫と挑発の戦いもつづけた。だが、砲撃はやがて1日おきとなり、散発となり、いつかやんだ。

 その砲撃開始の日から50年になる。中国専門家はその砲撃戦を説明して、毛沢東は金門を奪取するつもりだったのだが、それに失敗したのだと説いてきている。

 ところで、1958年の中国は、金門砲撃の騒ぎとはべつに、大変な年だった。とてつもない年だったと言うべきだろう。

 毛は大躍進を号令した。省党書記はこぞって大豊作を報告し、その年の末には食糧と綿花は前年生産量の倍となった。鋼塊は増産目標の達成数字を何回も訂正して、年末にはこれまた前年の生産量の倍となった。

 大躍進の激動のさなか、さらに毛は全国の党書記に命じて、人民公社を創設させた。この共同体のなかに、農、工、商、学、兵のすべてを一体化させてしまうのだと毛は説き、軍事組織をそのまま労働組織にするのだと主張し、16歳から50歳までの男女を集め、民兵隊をつくらせた。

 ≪「まことにおもしろい」≫

 そこで毛沢東がやらせた金門砲撃が、かれが同じときに命じた大躍進と人民公社の建設と繋(つな)がりがあったにちがいないとだれもが考えよう。

 だが、その証拠がないことから、はじめに記したとおり、毛は金門を奪取しようとして、それに失敗したのだと語るだけのことになっている。

 なぜ砲撃したのか、じつは毛本人が明らかにしている。

 15年前、1993年12月26日は毛沢東生誕100周年だった。その2日前の「人民日報」に金門の戦いを指揮した葉飛(ようひ)という高級軍人の回想が掲載されている。

 そのなかで毛沢東が部下の国防部長、彭徳懐と中央軍事委員会秘書長の黄克誠に宛てた手紙を載せている。つぎのような内容である。「徳懐、克誠同志、眠れないままに考えてみた。金門を砲撃する。しばらくして適当なときに撃つのをやめて様子を探る」という書き出しだ。

 「…しばらくのあいだ砲撃しないで、時機を見て、また砲撃する。もしも相手が●州、汕頭(スワトウ)、福州、杭州などを攻撃してくればまことに面白い。こういう考えを君たちはどう思うか」

 毛はこの前年から金門攻撃のための兵站(へいたん)用の鉄道を敷かせ、金門島をぐるりと包囲する沿岸に大砲陣地をつくらせていた。そしていよいよ砲撃開始の直前になって、毛は彭徳懐、黄克誠に自分の考えを明かしたのである。

 ≪毛と江の本当の思惑は≫

 金門を砲撃する。アメリカ側がそれに対抗して、汕頭、福州、杭州を砲撃してきたら、「まことに面白い」と毛は自分の本心を明かした。

 毛のロマンチックな地上の楽園の建設は、かれが頭脳の平衡を失い、不可能な夢を追っていただけのことであったといまになれば、研究者も、伝記作家も遠慮会釈なくこきおろしている。

 だが、毛はそのときも抜け目なく計算していた。大衆が本当は嫌っていること、望んでいないことをやらせるためには、かれらをどのような状況に置いたらよいのかを承知していた。

 福州が砲撃された、杭州が砲撃された、アメリカ軍が攻めてくる、蒋介石を助け、地主のために土地を奪い返しにやって来ると国内向けに大々的に宣伝する。われわれの土地を守り抜くのだと「全民武装」を説き、編成した民兵隊を人民公社の大黒柱にする。

 毛沢東の金門攻撃はこんな狙いを隠していた。あとになって口惜しがり、アイゼンハワーの肝っ玉がもう少し大きければ、杭州や福州を砲撃させることになって、大躍進と人民公社はあんな結末とはならなかったのにと毛は負け惜しみを言ったのであろうか。

 つまらぬ蛇足を加えた。もうひとつ蛇足を記そう。前に本欄で述べたことの繰り返しになる。1996年3月、台湾の総統選挙戦のさなか、江沢民が台湾の基隆と高雄の沖合にミサイルを着弾させたことがある。李登輝を落選させようとしたのだとだれもが解釈した。台湾に戒厳令を復活させ、総統選挙を断念させようとしたのが、江沢民の本当の狙いだった。独裁国民党の李登輝が総統をつづけて一向に構わなかった。

 民主的な国が隣に誕生することが、北京の指導者は恐ろしかった。いまもそれは同じだ。(とりい たみ=評論家)

●=さんずいに章