昨夕、カンちゃんとおばあちゃんが遊びに来てくれました。家園で食事をしました。四人が皆、七月生まれであることが分かり、誕生祝いの乾杯をしました。8時近くになって夜の街を歩いてみました。秋の川越祭りとは違って一軒一軒お店をゆっくり楽しむことができます。
31日には各商店街の出し物があるようです。若い人たちの和太鼓の競演など見られればいいかな。
●新富町・和太鼓http://creamall.net/event/streetevent/summer2011/index.html
昨夕、カンちゃんとおばあちゃんが遊びに来てくれました。家園で食事をしました。四人が皆、七月生まれであることが分かり、誕生祝いの乾杯をしました。8時近くになって夜の街を歩いてみました。秋の川越祭りとは違って一軒一軒お店をゆっくり楽しむことができます。
31日には各商店街の出し物があるようです。若い人たちの和太鼓の競演など見られればいいかな。
●新富町・和太鼓http://creamall.net/event/streetevent/summer2011/index.html
昨日我が家に変化がありました。映らなくなったTVセットを居間から撤去しました。これで一応庭に面した南側が全面的に開放され、部屋が明るく風通しも良くなりました。食卓に座るとムクゲや木苺がよく見えます。(2m先はコンクリートの塀です)。
居間は妻の仕事部屋でもあります。近頃はくる日もくる日もアイヌ刺繍をやっています。これで居心地もいくらか良くなることでしょう。TVセットはパソコン部屋の僕のベッドの足元に据えられました。気がむいたら古いVTRの上映会が出来ます。
30余年ぶりにTVと縁のない生活が復活し、それが当たり前になってきました。昭和30年代(1950年代)の日本ぐらいがよかったという方がいます。ほんのちょっぴりその時代の生活に近づいたかな。
午後、お使いで街に出てみました。明日から百万灯・夏祭りで商店街の飾り付けが賑やかです。
一番街●「小江戸・宵の舞」http://www.kawagoe.com/ichibangai/natsumatsuri2011/index.html
笛や太鼓の響きに誘われて今日は街に出てみることにするかな。暇のある方はどうぞ遊びに来てください。
「坂戸よさこい」も8月に例年通り行われるようです。
27日(水)にRさんから「きいちご」が届いたというメールがありました。北朝鮮を脱出してきた方です。超多忙な日々を過ごされているにもかかわらず、きちんと返事をくれます。お子さんたちと「きいちご」を読みあった「親と子の夜」が想像されて僕も嬉しくなります。
「お元気ですか。昨日、きいちご(나무딸기)多文化共生基金ニュース
第8号が届きました。家族みんなで読みました。安曇野と松本城の
第12回きいちご移動教室の楽しさを思い出しながら話しました。
美しい風景、きれいな水と空気、皆様の幸せな様子、素晴らしいバス…。
昨日もおかげで、楽しい一晩を過ごしました。ありがとうございます。」
「きいちご」第8号の目次はきいちご基金のHPに出ています。
きいちご多文化共生基金●http://www.geocities.jp/kiichigokikin/kiichigo.html
読んでいただける方がいたら連絡してください。お届けします。
5月の「移動教室」では長野県の安曇野を訪ねました。10代で北朝鮮に渡った韓さんの文章を紹介します。
台風接近が伝えられたころから比較的過ごしやすい日が続いています。一応庭(玄関脇)のオニユリが次々と花を咲かせています。朝顔も弦を順調に伸ばしています。
昨日は西東京市の本願寺ひばりヶ丘墓地に連れていってもらって伊藤卓也くんの墓参りをしました。18年勤めた池袋商業高校で最後にHR担任をした生徒の一人です。卒業後、99年7月30日に病気のため早世しました。今年は13回忌に当たるということです。
久しぶりにあれこれと話をしました。残留孤児2世の生徒たちの仕事探しの相談に乗ってくれたことがありました。笑顔の優しい青年でした。94年交通事故死した章次郎くんの通夜の時に「説教」を求められたのを思い出します。病が篤くなって入院を知りました。もう言葉を発することはできなかったけれど来訪を喜んでくれました。
あれから12年が経ち、同級生は40を過ぎました。墓石に線香代わりに置いたタバコが一本供えられていました。級友だった康三くんあたりが訪ねてきて語り合ったしるしでしょう。
この学年で僕がHR担任をした生徒たちは卒業後、章次郎・仁・卓也と3人もの級友を相次いで喪いました。僕にとってもこんなことは初めて体験することです。親しかった同級生たちにとってはそれこそ生きている限り忘れられない痛恨事でしょう。毎年、墓参りを欠かさないという話を聞きます。
伊藤や盛永や西田たちが生きていてくれたら僕の今ももっと賑やかだっただろう。たまには人生の話を聞かせてくれて夜を明かすこともあったかもしれない。盛永はある事情で今僕がパソコンに向かっている部屋でしばらく過ごしたことがあった。そんな遠い日が懐かしく思い出される。
7月16日(土)晴 立山~有峰湖(冷タ谷遊歩道)~魚津埋没林博物館~Hサンルート
①有峰林道●http://www.pat.hi-ho.ne.jp/rmorita/driving/ryokouki/05arimine/arimine2.htm
飛騨に抜ける道が今朝から通れるようになったという。そうはいってもそうするわけにはいかない。湖畔の散歩道を歩いた。有峰湖は北陸電力の生命線らしい。
②魚津埋没林博物館●http://inoues.net/museum/uozu.html
7月17日(日)晴 魚津~新潟県糸魚川市能生(白山神社)~長野県大町市・大町山荘(東京都教育公務員弘済会)
7月18日(月・祝)晴 大町~小川村~戸隠奥社~大町山荘
①小川村・アルプス展望広場●http://www.vill.ogawa.nagano.jp/kankou/alps.htm
②小川村薬師沢石張水路工●http://kitafam.blog100.fc2.com/blog-entry-1056.html
この村に住む方のブログでその存在を教えてもらったことがある「石張水路工」を訪ねた。今は遊歩道も作られていて地すべり地帯に生きる人々の用水確保のための苦労を知ることができる。
<これは昭和10年頃の石張水路工の写真>
③戸隠奥社参道●http://www.shinshu-tabi.com/photo/autumn032.html
この杉並木はすごい。他にも森の散歩道がいくつもあり消夏にはもってこい。
7月19日(火)曇一時雨 大町~松本~佐久~川越
2011年7月25日(月)
①「川越だより」発刊 「TVよ、さらば」
②朝食 今日からはTVニュースがない。昨日の夕食は「家園」だったが妻と娘は遅くまで秋子さんと話し込んだらしい。テーマは思春期の娘の子育て。
③神宮第二球場。都立大島高校の応援。
④青山通り・表参道を歩いて明治神宮前の「ジョナサン」で昼食。ハンバーグ。店は娘たちで満杯。お人形のような格好の人たちも。
⑤明治神宮を歩く。
言うまでもないことだが祭神は明治天皇と昭憲皇太后だ。僕が授業を担当した高校生で知る人はほとんどいなかった。それでいて正月は大賑わい。今日も若いふたりづれや外国人が多い。僕は正式参拝はしない。社頭で頭を下げる。これは父に倣った。
いつ来ても社叢(しゃそう)の素晴らしさに目を見張る。江戸時代は井伊などの大名屋敷だったという。大正年間の創立時に森林学者たちが文字通り100年の大計を立てて造ったものだと聞いた。この7月30日は明治天皇没後99年に当たるという。人工の森だが完成の域に近づいているのだろう。
「拡大造林計画」なる昭和の学者たちの「計画」は列島の森を「死の森」にしてしまった。なんと無惨なことか。目先の利益に目がくらんだモノたちの「計画」のでたらめさは「原発」も一緒だ。
<創建時と現在の明治神宮南参道の大鳥居付近>
南参めいじじんぐ道の入り口付近。創建時は鳥居よりも背の高い樹木は数えるほどだったが(上)、現在は鳥居を覆い隠すほどに樹木が成長している(下)。 写真:明治神宮(上)、TOMO 南参道の入り口付近。創建時は鳥居よりも背の高い樹木は数えるほどだったが(上)、現在は鳥居を覆い隠すほどに樹木が成長している(下)。 写真:明治神宮(上)、TOMO
出典●「日本人が作った自然の森」 http://nng.nikkeibp.co.jp/nng/article/20110722/278551/index.shtml
⑥夕食 妻が僕の好物の「盛岡レーメン」などを作ってくれた。先日、勝義さんが届けてくれた奥さんお手製の「にんにく酒」をいただく。
70才になったからといって格別の感慨があるわけではない。それでも左肺摘出手術のころにはこの辺まではと思った。これからも一日一日歩いていきたい。
変化と言えば70才になった日の翌月から医療費の自己負担分が3割から1割になるという。これは大いに助かる。「一割」は本年度いっぱいの暫定措置らしい。医療費負担に泣くガン患者が多い。このくらいのことは継続して欲しいものだ。
7月25日(月)晴
爽やかな夏晴れの朝、久しぶりに神宮第二球場へ。大島の応援席には都立紅葉川高校と府中工業高校の野球部が陣取って統制のとれた力強い応援を展開する。その数、百人を超えるか。大島高校の全校生徒数に匹敵するぐらいの大応援団だ。いつものトランペットおじさんの校歌の演奏も健在だ。青学は地元。ブラスバンドの軽やかな演奏が楽しい。高校野球の雰囲気はやはりいいものだ。
試合の方はあっけなかった。投打に力の差があったと言うほかはない。それでも大島の選手諸君はよく頑張った。5回戦まで勝ち進んでファンを喜ばせてくれた。甲子園への夢は破れたがそれはまたの日にとっておこう。
大島高校の高木亀介校長に会うことができた。亀介さんは大島高校の卒業生だ。80年代には池袋商業で同僚だった。野球部の指導もしていた。母校の校長になったとはつい先日まで知らなかった。昔から変わらない穏やかな表情が懐かしかった。
僕がこの学校に世話になったのは1966年から3年間で知る人はもはやいないと思っていた。こういうこともあるのか。70の誕生日に楽しい思いをさせてもらった感謝の気持ちを伝えた。
1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 計 | |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
大島 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 1 | ||||
青山学院 | 5 | 1 | 0 | 1 | 4x | 11 |
5回コールド
|
25日は東東京大会で5回戦の残り4試合があり、修徳、関東一、駒込学園、青山学院がベスト8へ。ここまで快進撃を続けてきた都千歳丘、都大島はともに力尽き、東西両大会で都立勢が姿を消した。熱戦はいよいよ終盤へ。26日は西大会で準々決勝4試合が行われる。
■夏合宿が育んだ友情 都大島の応援席、他校の野球部員100人
(青山学院11―1都大島)
スタンドに、ユニホームが違う丸刈りの高校生たちが集まった。
「次、『夏祭り』(の歌)いきます」。メガホンを持ったのは、都紅葉川の2年、柴山瑞生君。「いくぞ」。都府中工の選手が振り付けに合わせて踊る。さらには京華の選手たちも声を張り上げた。
ここは、都大島の応援席。地元からなかなか応援に来られないなか、他校の野球部員が100人も駆けつけてくれた。
東京の高校の野球部にとって、大島は「夏合宿」の本場の一つだ。竹芝桟橋からフェリーで8時間、高速船なら1時間45分。広々として落ち着いた練習環境を求め、毎年7月末から約1カ月の間、切れ目なく十数校が訪れる。
これに合わせ、都大島の選手は他校の選手たちと一緒に練習に励む。現在の部員は17人。紅白試合もままならないチームにとっては、切磋琢磨(せっさたくま)する絶好の機会だ。そして青春まっただ中の野球少年たちは、たちまち仲良しになっていく。
主将の常川大輝君(3年)が一番仲良くなったのは、都府中工の別所鉄平君(3年)だ。
1年の時、内野ノックで同じ一塁を守った。別所君は体が大きく、威圧感がある。眉毛も整った感じで島にはいないタイプ。「話しかけづらいな」と思っていたら、向こうから声をかけてきた。「しんどいね」。
話すとまじめで、野球も手を抜かない。一緒に練習していると「負けたくない」という気持ちがメラメラ燃えてきた。
とはいっても、グラウンドを離れたら素の高校生同士。波長が合って、合宿後もメールや電話をする仲になった。最後の夏、都府中工はベスト8を目前に逆転負け。試合が終わってすぐ、別所君が「負けちゃった」と電話をくれた時は、自分のことのように悔しかった。
実は、都大島と都府中工との絆は古い。20年以上夏合宿を続けた都府中工の前部長は、勇退する際の引退試合の相手に都大島を選んだ。都府中工の野球部OBには、都大島のノック練習を手伝ってくれる人がいる。
つながっているみんなの思いを胸に――。そんな気持ちで臨んだこの日の試合だったが、好調の相手打線に序盤から大量点を奪われる厳しい展開に。しかし選手たちは、最後まで懸命に食らいついていった。
常川君たち3年生の夏は終わったが、新チームになった都府中工の来月の大島合宿に、別所君たち3年生も一緒に来るという。今度は野球だけじゃなく、普通の友達みたいに海で一緒に遊んでみるのもいいかな、と思っている。(中村真理)=神宮第二 (朝日新聞)
出典●http://www2.asahi.com/koshien/93/etokyo/news/TKY201107250862.html
我が家のTVは映らなくなってしまった。地デジ移行とかにあわせて新しい装置を買わなかったためだ。理由は簡単だ。無駄な出費は避けなければ家計が持たない。我が家では20年近く使ってきた洗濯機の更新の方が先決だ。23日に妻は大金をはたいて近所の電気屋さんに新しい洗濯機を運び入れてもらった。
我が家の住人のうち娘はほとんどTVを見ない。朝夕の食事時にニュース番組をちょっと見るだけである。私たち夫婦はNHKの朝ドラを見る。この数年の習いである。
僕が時々見るのは「新婚さんいらっしゃい」「大喜利」。「大相撲(終わりの30分」。こんなものだが昨年は「龍馬伝」を欠かさず見た。
定年になって以降もう少しTVを見るのかと思ったら全然そうではなかった。みたい番組がほとんどないのだ。食事時にニュース番組を見ると腹が立つ。どの局もお上の情報を垂れ流しているだけだ。
そんなこんなで我が家では「地デジ移行」に協力しようと言う意見はなく、「ムダ」と事業仕分けされた次第だ。
こどもが小さいうちはTVを買わなかった。なるべく外で遊んで欲しかった。TVのある家になったのは1980年近くになってからだ。30年ぶりにおさらばということになったわけだ。
そうはいっても何かの事情でみたい時があるかもしれない。そんな時には近所の中国家庭料理「家園」に行って見せてもらおう。はたと思いついた。それはそれで楽しみが増えるなあ。
僕がTVを初めて見たのは高知の街のどこかの街頭TVだろう。家に備え付けられたTVを初めて見たのは1959年4月10日である。下宿の近所の大原さんという文房具屋さんが招待してくれた。皇太子と美智子さんの結婚式。馬車パレード?だったかな。また、こんな時代にもどるのである。そんなにしてみたい番組はいつ放送されるのだろう。
家に残されたTVセットはどうなるのか。「寅さん」シリーズなど僕が録画しておいたVTRをたまには見ようと思うかな。
これで我が家からは新聞もTVも姿を消した。情報収集は今までどおりパソコンが主力だ。ラジオを聞く機会が増えるのかもしれない。昨日の大相撲の千秋楽の最後の30分は散歩帰りの入間川の土手のベンチでトランジスターラジオで聞いた。日馬富士の全勝優勝は成らなかった。
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7月23日(土)晴れ
①「きいちご」第8号が届いた。
「きいちご」8号が昼前に印刷所から送られてきた。5月の移動教室の感想文が中心だ。安曇野を旅した喜びが13人の手で綴られている。いつもながら勝義さんと精さんの心のこもった丁寧な編集。常念岳を背にした記念写真もひとりひとりの表情が読み取れるよい出来である。あすには参加者に発送できるかな。喜んでもらえるだろう。
②昼過ぎ勝義さんと精さんが訪ねてきてくれた。私たちの誕生日祝だと言ってケーキまで用意してきてくれた。20日が妻(66)、25日が僕(70)の誕生日なのだがちょうど真ん中にあたる日にこんな機会を作ってくれたのだろう。お二人には1975年以来付き合ってもらってきた。「在日韓国・朝鮮人生徒の教育を考える会」創立以来36年と言うことになる。わがままな僕に変わることなく付き合ってくれる数少ない友人である。ありがたい限りだ。
届いたばかりの「きいちご」を読みあった。中国残留孤児・山野文雄さんの詩の中にこんな一篇がある。
賀寿
田中先生志願宏 済世為人種木苺
多元文化交流深 移動教室十二回
往昔七十古来稀 現今依然勝少年
五月十一迎誕辰 九十百歳育新人
移動教室のバスの中で勝義さんの古稀の誕生日を祝った。この詩は人生の先輩である山野さんが勝義さんに贈ったものだ。
「九十百歳育新人」とは?どういう意味だろう。「まだ2・30年は生きて新人を育てよ」かな。大変な激励を受けたものだ。それでも勝義さんは山野さんの贈り物に痛く感激しているふうだった。
中国語の翻訳をしてくれているジエンさんとも交信が出来た。もうすぐ一歳になる大雅くんと沖縄に避難していたが昨日帰京したという。震災から4箇月が経って沖縄に避難している人たちにも様々な課題・困難が生じてきているようだ。
私たちは歳をとってそれぞれに闘病もしているが若い友人たちの協力を得て移動教室はまだしばらくは続けられるだろう。あれこれとこの秋の構想を話し合ったり、身辺の情報を交流しているうちに6時がすぎてしまった。僕とは違ってあすの予定があるお二人をバス停に見送った。
③7時のニュースで日馬富士が白鵬を破って優勝を決めた一番を見た。「凄い」「素晴らしい」。海の向こうから来て相撲の醍醐味を味わわせてくれる二人に心から拍手。
これが我が家でのTV相撲観戦の終り。千秋楽は映らないという。今場所は大記録を残した魁皇の引退もあった。改めて「お疲れ様」「ありがとう」。
7月12日(火)晴れ 川越~霧ヶ峰~八島湿原~浅間温泉(長野県松本市)・みやま荘(公立学校共済組合保養所)
① 霧ヶ峰・車山高原(ニッコウキスゲ)●http://www.kurumayama.com/new/news.htm
②八島湿原●http://nature2.jp/marsh/#weather
7月13日(水)晴れ 松本~野麦峠~高山~亀谷温泉(富山県立山町)・白樺ハイツ(国民宿舎)
①川浦・歴史の里「扇屋」●http://youkoso.city.matsumoto.nagano.jp/special1+index.id+85.htm
40年来の念願であった野麦峠をやっと訪ねることができた。信州側の川浦の「歴史の里」では製糸工女たちを泊めた旅人宿を見学した。ワラビの根っこからわらび粉を作るのは知っていたが根っこがこんなにも長く太いとは‥。藁(わら)のできないこの地方では粉を採ったあとのカスを利用して藁がわりにしたという。縄などを編んだ。これには驚いた。
②野麦峠
「野麦峠」 ●http://www.geocities.jp/tokaigakko/page-74.nomugi.htm
峠から見える乗鞍岳
参考資料「あゝ野麦峠」●http://www6.plala.or.jp/ebisunosato/nomugi.htm
7月14日(木)晴れ 亀谷温泉~館山駅~(ケーブル)美女平~立山・弥陀ヶ原・立山荘(国民宿舎)
チングルマがいたるところに群生している
弥陀ヶ原の花●http://webryalbum.biglobe.ne.jp/myalbum/200530100485e807e8c87265d42ffab118c63f430/189719013149910131
雲海(弥陀ヶ原)
7月15日(金)晴れ 弥陀ヶ原~室堂平~弥陀ヶ原
みくりが池 正面が雄山(右肩)
今、現在の立山のライブ映像は~●http://www.murodou.co.jp/kozan/live.htm
立山は古来信仰の山だった。それも「地獄」と関わりが深い。下北半島の恐山に似ているのかな。こちらはもう少し勉強してレポートします。
7月21日(木)曇のち晴
朝から天候が定まらず肌寒い一日だった。おかげで神宮第二球場で行われた大島高校の試合の応援に行きそびれてしまった。時々パソコンを覗いて試合経過を見た。終盤に逆転してみごとに5回戦に勝ち進んだ。スタンドの喜びの風景が伝わってくるようだった。これでベスト16の一校になった。都立では他に千歳丘が勝ち残った。立派なものである。
5回戦の対戦相手は青山学園高校。25日(月)10時から、明治神宮第2球場。僕にはビッグプレゼントだ。70才の誕生日に大島の応援にいけるなんて!17人の選手諸君に感謝。ひきつづき健闘を期待したい。
大島のナインとスコアは次の通り。
①遊 下村 ②二 鈴木 ③左 谷口 ④一 常川 ⑤捕 佐藤 ⑥投 増山 ⑦三 高田 ⑧右 森川 ⑨中 木村
1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 計 | |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
青稜 | 1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 4 |
大島 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 2 | 2 | x | 5 |
|
(室戸岬・アコウ)
昨日(7月20日)は妻の誕生日でした。先ごろの旅先の新潟県能生(のう・糸魚川市)から直送してもらったズワイガニを食べて祝いました。1945年(昭和20年)、敗戦直前に焼け野原になった東京の慶応病院で生まれたといいます。最悪の食糧事情のなかでよくも育ったものです。若いときは虚弱な一面がありましたが歳をとると共にハチキンおばさんになりました。僕のようなわがままと生きる中で丈夫になる以外に道はなかったのでしょう。66年の人生のうち43年は僕の面倒を見るために費やされたと言っても過言ではありません。ただただ感謝あるのみです。
僕の故郷・室戸岬にもよく通って父母の面倒も見てくれました。今では僕よりは室戸や土佐のことを理解しています。その室戸では今「ジオパーク」を「世界ジオパーク」に認めてもらうための運動が進んでいるようです。ジオパークとは聞き慣れない言葉ですがこんな意味だといいます。
「ジオ(地球)に親しみ、ジオを学ぶ旅、ジオツーリズムを楽しむ場所がジオパークです。山や川をよく見て、その成り立ち としくみに気付き、生態系や人間生活との関わりを考える場所です。足元の地面の下にある岩石から宇宙まで、数十億年の過去から未来まで、山と川と海と大気とそこに住む生物について考える、つまり地球を丸ごと考える場所、それがジオパークです」
出典●日本ジオパークネットワークhttp://www.geopark.jp/about/
1200年前讃岐の一青年が室戸岬の洞窟で修行中、明星が口に飛び込んできて悟りを開いたといいます。目の前に広がるのは空と海だけです。空海と名乗りました。のちの弘法大師です。
室戸はこんな歴史のあるところですから自然と人間の関わりについて学び、体感するにはいいのかもしれません。空海とまではいかなくとも新たな哲学を打ち立てなければ私たちの未来は開けません。それは私たちのひとりひとりに問われていることです。
世界ジオパークに認定されることがどういう画期的な意味があるのか僕には良くはわかりませんがそのような学びの場として室戸岬が知られるようになることは嬉しいことです。
世界ジオパーク(地質遺産公園)の認定に向け、室戸市で現地審査にあたった「世界ジオパークネットワーク」(GGN、事務局・パリ)の審査員2人が14日夜、室戸市役所で記者会見した。12日以降、海岸沿いの奇岩、海洋深層水の施設などをくまなく視察し、審査員は「市民の熱意の大きさに感激した」と、地元の盛り上がりを高く評価した。(田水綾)
審査員2人と日本ジオパーク委員会の研究者らが出席。審査員で北アイルランド地質調査所のパトリック・マッキーバー教授(47)は、地元の小中学生が、海岸で地層や化石について学習している姿が印象に残ったと言う。「将来を担う子どもたちが楽しく学ぶことは、まさしくジオパークが目指すものだ」と強調した。
米国地質学会のウェズリー・ヒル博士(42)は、ガイドを務められるよう地形や地質を徹底的に学んだ「ジオパークマスター」を育てる取り組みや、多彩なパンフレットを作成していることなどを挙げ、「難解な地質学を、住民自身が分かりやすく発信しようと努力している」と評価。地元住民の朗らかな人柄や、地場産品を使った料理を提供する店が多いことにも、好印象を受けたという。
審査員2人はこれまで、新村(しむら)海岸(室戸市元甲)に整備された遊歩道を歩いて看板などを見て回り、認定するにふさわしいか確認。14日は、明治時代に製炭業などで栄え、伝統的な町並みが残る吉良川町や、南海地震で隆起する度に掘り下げてきた市内で最も古い津呂港などを見て回った。2日間で視察した観光地や研究施設などは18か所で、市民約40人が英語を交えて説明した。
早ければ9月中旬にノルウェーで開かれるGGN関連組織の会議で、認定されるかどうかが決まる予定。室戸ジオパーク推進協議会会長で、視察に同行した小松幹侍市長は「様々な角度から室戸を体感してもらい、好印象を持ってもらえたと思う。住民の思いが伝わり、いい結果が出ることを願う」と期待した。
審査員2人は15日、地質や微生物などを研究している、独立行政法人・海洋研究開発機構と高知大学が運営する「高知コアセンター」(南国市)を視察し、4日間の全日程を終える。
台風はどういうわけか室戸には上陸せず紀伊水道に向かったようだ。室戸岬の「うまめの木」のブログで海の様子を見てみた。次々と押し寄せてくる高波に見とれて堤防を離れられなかった少年の日を思い出した。
雨風が伴わない時間の台風の高波の連なりは実に魅力的だ。岩礁に恵まれた室戸岬海岸が最も豪壮な時。家が根こそぎもっていかれるかのような強風の時は怖かった。それでもこんな日には父がいて家のあちこちを補強したりした。家族が揃って過ごしているしっとりとした喜びのようなものがあった。
船の心配をする大人たちのことはよくはわからないので子どもには台風の襲来は結構おもしろかった?のかな。
出典●http://blog.umamenoki.com/?eid=1552450
室戸岬の街(津呂) 向こうに見えるのは行当岬。うまめの木は国道に面した一軒家。僕の生家は港の山側にある。
出典●http://grand-touring-japan.travel.coocan.jp/roadofjapan/chushikoku/muroto/murotoskyline.htm
これくらいの波の日には波乗りをした。芋坪の板の上に腹ばいになって崩れようとする波に乗った。僕らはこれを「こます」といった。今風に言えばサーフィンだが板の上に立てるわけではない。ちなみに徳島県寄りの東洋町生見はサーフィンのメッカとして知られている。今の時代にこましに行くこどもはどこにも居ないのかな。
1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 計 | |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
城北 | 0 | 0 | 1 | 1 | 1 | 0 | 1 | 0 | 0 | 4 |
大島 | 1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 3 | X | 5 |
「東京新聞」2011年7月18日
9回表城北2死二、三塁、投直で仕留め喜ぶ高田選手=神宮球場で |
九回表2死二、三塁。安打を許せば逆転される。相手打者は4番。目いっぱい投げ込んだ速球は、鋭い当たりではじき返されたが、投げ終わった直後のグラブにライナーで吸い込まれた。都大島の今夏2勝目の立役者は、ボールが収まったグラブを突き出し、勝利の雄たけびを上げた。
三塁手として先発出場していたが、4番手投手として八回表からマウンドへ。その裏、カーブに狙いを定め、左前に逆転の2点適時打を放った。気を良くして迎えた最終回のマウンドだったが、四死球を与え、自らピンチを招いた。何とか無失点で切り抜け、「先輩たちに恩返しができてよかった」と胸をなで下ろした。
チームは部員が17人しかいない。絶対的なエースはおらず、一、二年生の投手4人でやりくりする。離島ゆえになかなか練習試合が組めないが、部員全員で冬に郵便局でアルバイトをし、ためたお金で島外に遠征、経験を積んできた。
5年前にチームはベスト8入りし、人口約9000人の島民を沸かせた。テレビで見たその姿に憧れて同校に入った高田選手の目標は「ベスト8を抜くこと」。全員野球で、旋風の再来を目指す。 (佐藤大)
7月19日(火)曇のち雨
朝9時半ごろ大町山荘(長野県大町市)を出発。安曇野を南下して松本に向かう。北アルプスの山々は雲に覆われ始めて昨日までのようには見えない。
大町山荘●http://nitkk.com/sub2.html
松本からは国道254をひたすら走る。佐久をぬけ内山峠から下仁田に下る辺(あたり)は濃霧。吉井で昼食にしたあと本庄児玉から関越に乗る。途中で驟雨があった。帰宅は3時半ごろ。
梅雨あけの好天に恵まれた立山の旅が無事終わって何よりだ。今、台風が室戸岬に近づいているという。川越でも夕方になって驟雨があった。
留守中も多くの方が「川越だより」を覗いてくださってありがとうございます。明日から平常の発行を心がけます。
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