10月20日(木)晴れ
昼過ぎ、高知から中高時代からの親友・功くんが訪ねてくれました。前に来てくれたのは川越駅に近い仙波町だったといいますから40年以上が経っています。病気のはずの僕を見舞ってくれたのですが本人がピンピンしているのでその話はどこかに行ってしまいました。
妻が「原爆の図・丸木美術館」に連れて行ってくれました。旧年末のフジTVのニュース番組で僕がここを案内している様子を見ていたので功くんからオファーがあったのです。
●ニュースJAPAN/がん医療の現場vol.10 『ダブルチェックを疑え 健診の実態』
http://www.youtube.com/watch?v=BG9uiim3u7o&feature=youtube_gdata_player
原爆の図の前に立ってゆっくりと鑑賞されていました。「こんな機会がないと知らないままで終わるところだった」「今度は妻を連れてきたい」こんな言葉をきき、僕もとてもうれしい。
丸木夫妻の原爆の図第一作からはもう60年以上が経っていますが絵から聞こえてくるメッセージは時代を感じさせません。人として精一杯生きたいというひとりひとりの声が聞こえてきそうなのです。
丸木美術館・原爆の図「竹やぶ」●http://www.aya.or.jp/~marukimsn/gen/gen7.htm
美術館の紹介で近くにあるカフェ「天の園」でゆっくりしました。
都幾川を眼下にみる素敵なテラスでコーヒーを飲みながら店主と交流するひとときは思ってもいなかった至福の時となりました。
出典・天の園●thttp://morikomoto.cocolog-nifty.com/blog/2011/06/post-e100.html
店主の室田(女性)さんは白血病のため余命3箇月を宣告された体験を持つ方でした。
ならばと有り金をはたいてここにまさに「天の園」を創り、自然農法の野菜を自作して納得のいく人生の創造に挑戦したのです。抗がん剤治療を拒否して自分の生き方に賭けたのでしょう。沖縄生まれのお母さんは都幾川(竜=琉)に映る太陽(球)を指しながら「あなたは琉球に守られている。絶対に死なない」と励ましてくれたそうです。お母さんの予言通り、癌は消滅していったといいます。
白血病のお医者さんである功先生は一言も発せずこの話に耳を傾けているようでした。
店主は「天の園」のこれからの夢計画を語ったあと室内を案内してくれました。
壁に民俗学者・宮本常一のポスターが貼ってあります。土佐からきた功くんと一緒なので「土佐源氏」の話をすると室田さんがえらく喜んで握手を求められました。
(貼ってあったポスターとは違いますが‥)
宮本は室田さんにとって「愛人」なのだといいます。本はことごとく読み、もちろん生地・周防大島も訪ねたといいます。宮本常一を語るほど僕は勉強しているわけではありませんがともに話題にできる人と出会って室田さんはよっぽど嬉しかったようです。
土佐源氏の舞台は僕らの共通の友人・中川くん(僕の元主治医)の故郷・梼原です。高3の夏に一緒に世話になったところです。土佐源氏の話は「源氏物語」を読む功くんの耳には入っていなかったようで、早速メモをされていました。
夜は仕事を終えた娘も加わって川越市駅前の「メープル」という行きつけの店で10時過ぎまで交流しました。元気に生きているとこんな楽しいひとときもあります。今度は幸子夫人ときっと一緒に来てくれるに違いありません。