妻の母・柳子さんは12月1日が誕生日です。1918年(大正7年)、東京・京橋の生まれです。92歳になります。
近所に住むようになって20余年、連れ合いを喪って15年になりますがどこといって悪いところはなく、100までは生きるだろうと本人も言っています。それでも近年はデイ・ケアーに通うようになり、お稽古ごとのサークルはどれも辞めたようです。
月曜日は娘の休日なので、昨日、早めの誕生祝い(昼食会)をしました。なかなかの健啖家で今でも食欲は僕よりはありそうです。100まで生きた僕の父もそうでしたが長生きする人はしっかり食べるものですね。
11月になって「喪中」を知らせるはがきをあちこちの友人から受け取りました。心を痛めたのは配偶者を喪った若い友人からの知らせです。
小百合さん。大島高校69年3月卒業。お連れ合いの勝さん(62)を急病で喪ったばかりではなく、1ヶ月後に義母も看取ることになったと言います。
いつの年であったか、式根島への途次、小百合さんの嫁ぎ先の利島を訪ねて一晩世話になったことがあります。勝さんとどんな話をしたのかは記憶に残っていませんが、心豊かな会話の弾んだ一夜でした。
日曜日の朝、やっと電話が通じて小百合さんの声を聞くことが出来ました。長く苦しい日々が続いたが前の日に娘さんたちと会食して、元気を取り戻すことが出来たとうれしい報告をしてくれました。
娘さんが帰ってきてくれてよっぽど心強いのでしょう。「先生は奥さんが居てくれるから大丈夫。奥さんを大事にしなければダメですよ」と諭されました。
もうすぐ60になるといいます。亡き夫に代わって建設会社の社長さんです。大変だとは思うけれど頑張ってくれることでしょう。いざとなれば女性は強い。
周一くん。池袋商業高校75年3月卒業。お連れ合いの智恵美さんを長い闘病の末になくしました。53歳という若さです。
昨日電話で話すことが出来ました。本人は「生まれは昭和だが頭は明治」で大事にしてやれなかったと言いますが、銀行を辞めてお連れ合いの闘病を支えたのだと僕は推測しています。
お二人の結婚式に招待を受けたのに欠席したので智恵美さんとの出会いはなかったように思います。周一くんの3年次のHR担任だったのですが、そのころ僕は生徒だった人だけではなく、およそ「結婚式」には出ないことにしていたのです。
周一くんの伴侶とついにお会いすることもなく、今となれば残念です。ご冥福を祈ります。
周一くんは今、タクシー運転手をしているそうです。将来、個人タクシーをやるつもりです。こちらは50代の半ばです。僕だったら途方に暮れるばかりだったでしょう。
元気な声を聞いて一安心。仕事明けに川越まで足をのばしてくれるといいな。
近所に住むようになって20余年、連れ合いを喪って15年になりますがどこといって悪いところはなく、100までは生きるだろうと本人も言っています。それでも近年はデイ・ケアーに通うようになり、お稽古ごとのサークルはどれも辞めたようです。
月曜日は娘の休日なので、昨日、早めの誕生祝い(昼食会)をしました。なかなかの健啖家で今でも食欲は僕よりはありそうです。100まで生きた僕の父もそうでしたが長生きする人はしっかり食べるものですね。
11月になって「喪中」を知らせるはがきをあちこちの友人から受け取りました。心を痛めたのは配偶者を喪った若い友人からの知らせです。
小百合さん。大島高校69年3月卒業。お連れ合いの勝さん(62)を急病で喪ったばかりではなく、1ヶ月後に義母も看取ることになったと言います。
いつの年であったか、式根島への途次、小百合さんの嫁ぎ先の利島を訪ねて一晩世話になったことがあります。勝さんとどんな話をしたのかは記憶に残っていませんが、心豊かな会話の弾んだ一夜でした。
日曜日の朝、やっと電話が通じて小百合さんの声を聞くことが出来ました。長く苦しい日々が続いたが前の日に娘さんたちと会食して、元気を取り戻すことが出来たとうれしい報告をしてくれました。
娘さんが帰ってきてくれてよっぽど心強いのでしょう。「先生は奥さんが居てくれるから大丈夫。奥さんを大事にしなければダメですよ」と諭されました。
もうすぐ60になるといいます。亡き夫に代わって建設会社の社長さんです。大変だとは思うけれど頑張ってくれることでしょう。いざとなれば女性は強い。
周一くん。池袋商業高校75年3月卒業。お連れ合いの智恵美さんを長い闘病の末になくしました。53歳という若さです。
昨日電話で話すことが出来ました。本人は「生まれは昭和だが頭は明治」で大事にしてやれなかったと言いますが、銀行を辞めてお連れ合いの闘病を支えたのだと僕は推測しています。
お二人の結婚式に招待を受けたのに欠席したので智恵美さんとの出会いはなかったように思います。周一くんの3年次のHR担任だったのですが、そのころ僕は生徒だった人だけではなく、およそ「結婚式」には出ないことにしていたのです。
周一くんの伴侶とついにお会いすることもなく、今となれば残念です。ご冥福を祈ります。
周一くんは今、タクシー運転手をしているそうです。将来、個人タクシーをやるつもりです。こちらは50代の半ばです。僕だったら途方に暮れるばかりだったでしょう。
元気な声を聞いて一安心。仕事明けに川越まで足をのばしてくれるといいな。