川越だより

妻と二人あちこちに出かけであった自然や人々のこと。日々の生活の中で嬉しかったこと・感じたこと。

頑張る、配偶者を喪った友人たち

2010-11-30 11:12:08 | 友人たち
 妻の母・柳子さんは12月1日が誕生日です。1918年(大正7年)、東京・京橋の生まれです。92歳になります。
 
 近所に住むようになって20余年、連れ合いを喪って15年になりますがどこといって悪いところはなく、100までは生きるだろうと本人も言っています。それでも近年はデイ・ケアーに通うようになり、お稽古ごとのサークルはどれも辞めたようです。

 月曜日は娘の休日なので、昨日、早めの誕生祝い(昼食会)をしました。なかなかの健啖家で今でも食欲は僕よりはありそうです。100まで生きた僕の父もそうでしたが長生きする人はしっかり食べるものですね。

 11月になって「喪中」を知らせるはがきをあちこちの友人から受け取りました。心を痛めたのは配偶者を喪った若い友人からの知らせです。

 小百合さん。大島高校69年3月卒業。お連れ合いの勝さん(62)を急病で喪ったばかりではなく、1ヶ月後に義母も看取ることになったと言います。

 いつの年であったか、式根島への途次、小百合さんの嫁ぎ先の利島を訪ねて一晩世話になったことがあります。勝さんとどんな話をしたのかは記憶に残っていませんが、心豊かな会話の弾んだ一夜でした。

 日曜日の朝、やっと電話が通じて小百合さんの声を聞くことが出来ました。長く苦しい日々が続いたが前の日に娘さんたちと会食して、元気を取り戻すことが出来たとうれしい報告をしてくれました。

 娘さんが帰ってきてくれてよっぽど心強いのでしょう。「先生は奥さんが居てくれるから大丈夫。奥さんを大事にしなければダメですよ」と諭されました。

 もうすぐ60になるといいます。亡き夫に代わって建設会社の社長さんです。大変だとは思うけれど頑張ってくれることでしょう。いざとなれば女性は強い。


 周一くん。池袋商業高校75年3月卒業。お連れ合いの智恵美さんを長い闘病の末になくしました。53歳という若さです。

 昨日電話で話すことが出来ました。本人は「生まれは昭和だが頭は明治」で大事にしてやれなかったと言いますが、銀行を辞めてお連れ合いの闘病を支えたのだと僕は推測しています。

 お二人の結婚式に招待を受けたのに欠席したので智恵美さんとの出会いはなかったように思います。周一くんの3年次のHR担任だったのですが、そのころ僕は生徒だった人だけではなく、およそ「結婚式」には出ないことにしていたのです。
 周一くんの伴侶とついにお会いすることもなく、今となれば残念です。ご冥福を祈ります。

 周一くんは今、タクシー運転手をしているそうです。将来、個人タクシーをやるつもりです。こちらは50代の半ばです。僕だったら途方に暮れるばかりだったでしょう。

 元気な声を聞いて一安心。仕事明けに川越まで足をのばしてくれるといいな。

 


「龍馬伝」終結。

2010-11-29 17:48:41 | ふるさと 土佐・室戸
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 「龍馬伝」が終わりました。初回から飽きることなく見させてもらいました。ただ一度、どうしても見られない回があり、残念でした。昔、「大地の子」を欠かさず見たことがありますが、大河ドラマでは初めての体験ではないかと思います。制作に当たった人々に心から「ありがとう」を言いたいです。

 「福山・龍馬」に魅了され、勇気づけられ、元気づけられた一年だったわけですが、福山雅治さんも龍馬に学ぶ一年だったようです。

  
 <ある意味無知とは強さだと思う>

 自分も大人になって思いますが、これだけいろいろな情報が手に入りやすくなると、情報を集めることだけに終始し自分で決断をしなくなるなと思います。決断することを恐れるようになるのではないでしょうか?
 きっと龍馬さんは、田舎者で、子どもで、世の中のことを何も知らなかったからこそ、「このままじゃいかん、日本を変えるんだ」と思えたのだと思います。いろいろな情報を知っていたら、「変えられない、そんな大変なことはできるはずない」と考えたのではないでしょうか?
 自分自身も18歳で長崎から「ミュージシャンになりたい」と東京に出て来ました。運よく事務所のオーディションに受かって、「ぼくは音楽をやりたい」と言ったら、「どんな音楽をしたいのか知りたいから曲を持って来て」と言われたんです。そのときに、初めて気づきました。「曲、ない!そう言えばおれ、曲持ってない!」って(笑)。
 振り返ると、ばかだったなと自分のことを思いますが、逆にそれくらいじゃないとダメなのかもしれない。

 音楽をやるなら、音大に行って音楽的知識や教養も身につけ譜面も書け、理論的なことを知っていたほうがいい、そうぼくが考えていたら、きっと曲は作れなかったと思う。
 まずその理論に縛られてしまって、理論を超えることは出来ない。もちろん理論を壊したり、突き破ったり、それを超えている人はいますが、ぼくは知らないところからスタートしたから、いろいろなことを知ることができたと思っています。
 それは、龍馬さんや当時の勤王党の志士たちも同じではないでしょうか?いろいろな情報を知り過ぎなかった、だからこそ強い気持ちを持てたと思います。「人間、知り過ぎるとダメだな」と今回改めて思いました。

 <龍馬さんからは、行動することの大切さを学んだ>

 もう1つ龍馬さんから教えてもらったことは、“まず行動ありき”ということ。
人は賢過ぎると、よくない側面もあると思います。頭で考え、ロジックを組み立て過ぎると、時代の速さに負けてタイミングやチャンスを逃してしまう。知らないことは人に聞けばいい、恥ずかしがったり、怖がったりせずに、“まず行動ありき”。打ち破るべきは、自分の殻である。行動力の大切さを龍馬さんに教えてもらいました。

 <自ら動いて、恥をかき、痛みを伴うことをやり続ける>

『龍馬伝』では、40歳になってもこれだけ新しい発見があるのかと驚くぐらい、いろいろなことを吸収することができました。
 
 この1年で学んだことをこれからどういうカタチでアウトプットしていくかは、まだ先のことなのでわかりませんが、まず自ら行動することを大切にしていこうと思っています。

 自分から動いて、恥をかいたり、痛みを伴ったりしないと生まれてこないものもあるので、これまで書かなかったようなフレーズや、やってなかったようなことにもトライしようと思います。

 ●出典「福山雅治ラストメッセージ」http://www9.nhk.or.jp/ryomaden/topics/30_interview/index.html

 福山さんが学んだことは「ほんとうにそうだ」ということばかりです。僕は「自分から動いて、恥をかいたり、痛みを伴ったりしないと生まれてこない」というフレーズにことに共感します。自分にとって切実な関わりを持ってものごとを認識するとはそういうことでしょう。僕のような凡人にとっては持続する行動はそこからしか生まれません。

 しかし、世の中には龍馬のことを「独創性にまったく乏しい男」で「むしろ周囲の影響を受けやすい人物」で朝鮮侵略思想の尻馬に乗ったと酷評する人もいるようです。

 ●民団新聞「坂本龍馬と朝鮮」http://www.mindan.org/front/newsDetail.php?category=0&newsid=13471 

 本当にそうなのでしょうか。こんなことを言われると本当の龍馬をそれほど研究したわけではないので、むかっとするばかりで、きちんと反論は出来ません。

 龍馬をよく研究してきた人に意見を聞かせてもらいたいものです。








 




嵐山渓谷

2010-11-28 08:48:08 | 川越・近郊
 11月27日(土)晴れ

 ボランティア活動で行く妻の車に同乗して原爆の図・丸木美術館へ。僕は事務局長さんの自転車を借りて嵐山渓谷を訪ねる。

 紅葉の盛りの土曜日とて歩く人が多い。塩沢冠水橋を渡って対岸を歩く。この辺り一帯が「トラスト3号地」になっていて景勝が保全されている。楓の紅葉が鮮やかだ。 

 ●嵐山渓谷http://blog.livedoor.jp/rekisibukai/archives/cat_0911.html

 大平山の麓の道をさらに進むと与謝野晶子の歌碑があった。

  槻の川 赤柄の傘を さす松の 立ち並びたる 山のしののめ

 ススキの原が美しいこのあたりで引き返す。

 午後は再び自転車で遠山の村里に向かう。嵐山渓谷の少し上流の都幾川町田黒あたりは人影もなく紅葉を独り占め。

 小川町遠山では遠山寺を訪ねた。人気がなく森閑としている。無住になったかと思うほど落ち葉が降り積もり、蜘蛛の巣もあちこちに。紅葉の美しさは言うまでもないが寂しすぎる心地がした。

 ●遠山寺http://blog.livedoor.jp/rekisibukai/archives/1001531.html 

 今日(28日)は杜くん夫妻が昼食会を開いてくれるというのでこれから池袋に行きます。
 嵐山渓谷の紅葉は12月に入ってからがいいのかもしれません。暇がある方はお出かけになって下さい。いつでもお供しますよ。

この検察官を逮捕せよ

2010-11-27 09:54:50 | 政治・社会
 検察庁はどうなっているのか。こんなでっち上げ専門組織は一日も早く解体して欲しい。心の内からわき起こる怒りをどうしようもない。

 昨夜、こんなニュースがありました。

 

 知的障害男性、公訴取り消し=弁護人「無理やり自白」―大阪地検支部

                 (時事通信 11月26日(金)20時17分配信)

 大阪地検堺支部は26日、現住建造物等放火罪などで起訴した無職男性(29)について、有罪立証が著しく困難として公訴を取り消した。男性に対し「長期間拘束して申し訳ない」と謝罪、釈放した。弁護人は、男性に知的障害があり無理やり自白させられたとしている。
 
 大島忠郁同地検次席検事は記者会見し、「男性の責任能力に問題はないが、補充捜査で自分の体験事実を的確に表現できているか疑問が生じた」と説明。「真摯(しんし)に反省し、同じことを繰り返さないよう捜査徹底を指示した」と述べた。
 同罪は裁判員裁判の対象。男性は、金品を盗む目的で大阪府貝塚市内の空き部屋に侵入、ライターで放火して窓枠を焼損したとして、1月に起訴された。直接証拠は捜査段階の自白だけで、男性は公判前整理手続き中に否認に転じていた。
 弁護人の高見秀一弁護士は「男性はまったく無関係。冤罪(えんざい)事件だ」と批判している。 

 ●出典http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20101126-00000146-jij-soci

 日本国憲法・第三十八条 

 何人も、自己に不利益な供述を強要されない。
 
 強制、拷問若しくは脅迫による自白又は不当に長く抑留若しくは拘禁された後の自白は、 これを証拠とすることができない。

 何人も、自己に不利益な唯一の証拠が本人の自白である場合には、有罪とされ、又は刑罰 を科せられない。

 
 検事がどのようにして自白を得たのかは定かではないが、自白をほとんど唯一の証拠にして起訴したことは確かだろう。

 検察のやりたい放題に対する昨今の世間の批判がなかったらこの事件だってどうなっていたか分かったものではない。

 300日間も知的障害を持つ人を逮捕監禁したあげく刑事被告人にまで仕立て上げて、「真摯(しんし)に反省し、同じことを繰り返さないよう捜査徹底を指示した」などとほざいて済むことなのか。

 大阪府警は直ちに特別公務員職権濫用罪でこの検察官を逮捕して取り調べるべきだ。何度も同じことを繰り返す大阪地検検事正は懲戒免職処分とせよ。

 相次ぐ検察の犯罪を座視しているわけにはいかない。しかし、法務大臣に就任した仙石官房長官は国会で問責され当事者能力を欠いている始末だ。検察を監督する責任者が居ないと一緒だ。

 心ある国民は声を上げて検察のやりたい放題にNO!を突きつけていこう。
 


「肉体労働」も出来るぞ。

2010-11-26 21:28:53 | 父・家族・自分
 今日は午前中から働きました。近所に住む妻の母の家に行って板塀を取り壊し、玄関脇に車をとめられるようにしたのです。15年ほど前に亡くなった義父がつくった板塀はもう古くなっているのでそれほどの難行ではありません。壊した塀の板を整理して釘を残らず抜くのに時間がかかりました。

 難航したのは玄関脇に植えてあった紫陽花の撤去です。スコップで花の周囲を掘りに掘って根っこを切りまくってみたのですがいくら掘っても掘り出せそうにありません。休み休み意地になってやってみました。

 小一時間もやったはずですがとうとうギブアップ。掘り出すことは結局諦めてしまいました。掘った穴をそのままにしておく訳にもいかず、妻が鉈で紫陽花の地上部分をたたき壊して埋め戻してくれました。是でともかく一件落着です。

 一人住む義母の様子を見に来てくれるホームヘルパーさんの車の駐車場が何とか確保できたのです。

 それにしてもたった一株の紫陽花なのにその根の張りようたるやなかなかのものがあります。義父が植えて20年は経ったのかな。片肺のおじいさんの手に負えるものではなかったのです。

 それでも僕に敗北感はありません。やる気になれば穴のひとつくらいは掘れるんだ、という思いになったのです。これはいい体験でした。

 近所の「がってん寿司」で妻が慰労をしてくれ、昼寝のあとゆず湯に入りました。

 自転車を漕いだり、散歩したりで下半身はそれなりに使うのですが力仕事をすることは諦めていた気がします。息が切れてすぐ疲れるから、と。抗ガン剤投与から2年余、体力もかなり回復しているのでしょう。

 さて、何か、僕に出来る「肉体労働」はあるのかな。

 

新河岸川秋景 

2010-11-25 20:36:14 | 川越・近郊
 11月21日(日)
 「一応庭」の「巨木」コリンゴを剪定する。隣の駐車場に張り出していた枝を切り落として実を収穫。是がなかなかの仕事で数時間かかり、疲れ果てる。それでも切った枝を整えてゴミ回収に出せるようにした。

 コリンゴの木は僕のベッドのすぐ脇に植わっており、夏の陽を遮る役割を果たしてくれた。今はいろいろな鳥がやってきて堅い実をつついている。収穫した実はいずれ妻が焼酎漬けにしてくれるだろう。

 23日(祝)

 昼頃から晴れてきたので自転車で新河岸川の土手を下って志木の「いろは親水公園」を訪ねる。

 ①蓮光寺(川越市渋井) 楓の紅葉が見事なので境内をゆっくり散策。あちこちで絵を描く人々。ここはいつ来ても静かで風光もすばらしい。

 ●http://www.yumehori.com/post_46.html 

 ②コスモスの道 志木の市役所近くになると土手の両側が昔ながらのコスモスの花盛り。

http://blog.goo.ne.jp/mizukawa-tomo/e/8515f1f6ed3152c29b82252a8497b721 

③いろは樋 いろは橋の袂に在る模型や遺物で「いろは」の由来を知った。

 ●いろは樋http://kappa-no.net/tudura/syuun/iroha/iroha-doi.html

 ④いろは親水公園 新河岸川の斜面林や川跡の池を生かしたこじんまりとした公園。こんな風景のいいところに老人福祉施設が建っているのには感心する。

 ●こもれびの道http://ponkoponko.blog.so-net.ne.jp/2008-06-29

 ⑤志木富士 こもれびの道のもうひとつ上の道も歩いてみた。敷島神社の庭におおきな富士塚があった。登ってみたかったが「立ち入り禁止」。神社では「新嘗祭」の神事があったのか稚児さんの格好をした子どもたちがいた。

 ●富士塚http://ameame.com/kamihotoke/2010/01/post-127.html

●新嘗祭(にいなめさい)http://www.ffortune.net/calen/maturi/11/niiname.htm 

 ⑥新河岸川の正面に見える武甲山・両神山  帰りは同じ道をさかのぼった。どのあたりであったか、川の正面遙か遠くに、屹立する武甲の姿があった。その右後方に見えるのは両神山ではないか。西北の空だけがくっきりと晴れてやけにはっきりと見えた。

 紹介させてもらう写真はかなり上流でこのあたりでは両神は見えない。それでも夕日に映える雲や里の風景はなかなかのものである。

 この土手の風景を楽しんでいる人はどのくらい居るだろう。歩く人、走る人はけっこう居たような気がするが、サイクリングする人には往復とも一人も出会わなかった。

 ●新河岸川・武甲山http://picasaweb.google.com/nari.nishi21/OVljqB#5404735882494626386

「砲撃」で「朝高無償化」も吹っ飛ぶか?

2010-11-24 22:17:04 | 韓国・北朝鮮
 北の独裁政権の韓国・延坪島砲撃という蛮行は許し難いものです。しかし、菅政権の慌てぶりと来たら度し難いものを感じます。

 先日、決めたかと思っていた朝鮮学校授業料無償化措置の手続きを今日は「停止」すると言い始めたのです。

 二つの記事を紹介します。 


 ①北朝鮮砲撃:官房長官、朝鮮学校の無償化手続き停止も 

       文科相、申請不受理示唆

                    (毎日新聞 2010年11月24日 東京夕刊)


 仙谷由人官房長官は24日午前の記者会見で、北朝鮮による砲撃事件を受け、朝鮮学校への授業料無償化制度適用について「現在進めているプロセスをいったん停止する方向に動くと考えている」と述べ、事態の沈静化まで適用に向けた手続きを凍結する考えを示した。仙谷氏は同日午前の閣議でも「朝鮮半島が緊張してくる中で、現時点では手続きを停止することが望ましい」と発言したことを明かした。

 高木義明文部科学相は24日の閣議後会見で、「砲撃は平和を脅かす極めて遺憾な行為で、朝鮮学校の授業料無償化制度適用についての影響は極めて大きい」と述べ、朝鮮学校からの無償化申請を受理しない可能性を示唆した。

 朝鮮学校については今月5日、高木文科相が日本の専修学校と同等の基準で無償化制度適用の審査をすることを決め、30日を期限に申請の受け付けが始まっていた。

 高木文科相はこれまで一貫して「政治と教育の問題を混同してはならない」との態度を取っていたが、この日の会見では「それを踏まえた上で、重大な判断が迫られる可能性がある」と述べた。

 文科省によると、無償化制度の対象になる朝鮮学校は全国に10校あり、現段階で7校が文科省に申請の意思を伝え、準備を進めている。朝鮮学校の生徒は全国に約1800人おり、申請が受理されれば年間11万8800~23万7600円の支援金を受け取れることになっている。

 朝鮮学校関係者の一人は「同じ民族同士で戦うことは非常に悲しい。ただ、この問題と高校無償化とは関係がない。私たちは今、最後の詰めをしているところだ。ずっと結論を先延ばしにし、ようやくという段階になってこのような発言は非常に残念」と話している。


 ② 手続き停止「私が指示」=朝鮮学校の無償化-首相 

                   
 菅直人首相は24日夜、朝鮮学校の高校授業料無償化に向けた手続きに関し、首相官邸で記者団に「私の方から(高木義明)文部科学相に、こういう状況なのでプロセスを停止してほしいと指示した」ことを明らかにした。手続き停止については、仙谷由人官房長官が同日午前、「いったん停止する方向に動く」と表明。高木文科相も無償化見直しの可能性に言及していた。
          (時事通信2010/11/24-20:08)



 「停止」と聞いて僕はともかく良かったと思ってはいるのですが、この調子じゃ、いつまたひっくり返るか分かったものじゃありません。

 「北朝鮮」「朝鮮総連」「朝鮮学校」に対する基本的認識を欠き、独裁と闘う戦略も戦術も持たない菅政権の行き当たりばったり施策の典型を見せつけられているようです。

 こんな政権では拉致被害者を取り返すことも、日本人妻の帰国を実現することも到底無理です。本当にどうしたらいいのでしょう。

 昨日のTVの番組で菅首相とは長年のつきあいだという田中秀征さんが菅さんはおよそ総理の器ではない、即刻退陣がいいと言っていたことを思い出します。


朝鮮高級学校の授業料無償化措置問題の行方

2010-11-23 10:39:53 | 韓国・北朝鮮
 友人から11月20日の『産経』の記事を教えてもらったので紹介します。この記事が正確であるかどうかはまもなく分かるはずです。北の独裁政権のやりそうなことだと僕は思っています。

 朝鮮学校の教育の実態を知らない役人や学者、民主党の文部科学大臣が「民族差別!」などという恫喝に屈して、今回は一件落着に向かうのかと思いきや、北の独裁政権はこの問題でさらに日本の政権を揺さぶろうとしているのでしょう。

 「人権」を口にして揺さぶれば政権のみならず、あまたの人権団体や進歩的文化人、日教組などが「そうだ、差別だ」と唱和するだろうと見ているのです。

 今の朝鮮総連が北の指令に造反して在日コリアンの権利擁護の立場に立つことはあり得ません。北の指示に従って教育内容を含む学校経営に日本政府の一指だにふれさせないと粋がってみせるのでしょう。

 在日コリアン大衆がやらなければならないことは先人たちが血と汗で創った朝鮮学校の経営権を朝鮮総連から奪い返し、多文化共生を目指す学校に作り変えることであるはずです。一時期、父母の「民主化」の声がありましたが近頃は聞きません。

 朝鮮総連は様々な形で北の独裁政権に人質を取られて北の「財布」とされてきた組織です。ここは日本ですからこの組織から脱出することは出来ても「民主化」は難しいことは僕にも想像できます。

 しかし、どんな困難な状況の中でも「こんな学校はおかしい」と見抜いて苦闘している青年が居ます。教員も居ると思われます。

 僕らに求められているのは世界中を見渡してもそうはないと思われる金王朝の「完璧な」独裁体制に組み込まれている人々への想像力と、共に独裁と闘う意志です。

 金王朝の朝鮮学校支配に日本国のお墨付きを与える「授業料無償化措置」は独裁との闘いをさらに困難に追い込むものです。

 民主主義と人権の確立を願うものの一人としてなんとしても阻止しなければと思っています。



 朝鮮学校無償化 総連「条件付き」拒否 本国指令、教科書改善に反発

                  (産経新聞 11月20日(土)7時58分配信)

 朝鮮学校への高校授業料無償化問題で、朝鮮総連(在日本朝鮮人総連合会)が19日までに、無償化に伴って文部科学省が求めている教科書内容改訂と経理透明化という条件を「断固拒否する」方針を固めたことが分かった。複数の総連関係者が明らかにした。朝鮮労働党225局(旧対外連絡部)の指令を受けたものという。総連が全国の地方本部委員長や朝鮮学校校長を集めて開く23日の「民族教育強化の年」会議で、この方針を発表する見通しだ。

 「断固拒否」の理由は、文部科学省が5日に発表した朝鮮学校への無償化適用を判断する基準規定の内容にある。この規定では、無償化適用に伴って朝鮮学校に支給される就学支援金がきちんと生徒の授業料に充てられていることを証明する書類の提出などを条件としているほか、教育内容に懸念があれば自主的改善を促すという「留意事項」が付されている。

 高木義明文科相は11日、拉致被害者家族会に対し、日本人拉致問題に関する教科書記述について、一方的な北朝鮮の主張があれば改めさせる方針を明言している。このため、文科省が教科書記述の是正を指導する可能性がある。今月末が今年度の無償化の申請期限で、総連関係者は「条件付き無償化は『民族差別』として『断固、再闘争の方針』だ」としている。北朝鮮本国からの指示が明らかになったことで、本国-朝鮮総連-朝鮮学校が指示命令系統で一本に結ばれていることが裏付けられた。教科書改訂がないまま無償化申請が通れば、日本政府が北朝鮮の圧力に屈したことになる。

 一方、別の総連関係者は今回の「断固拒否」の背景に、金正恩氏への世襲問題があると指摘した。「朝鮮学校で後継体制への忠誠心教育を行う時期に教育内容への日本側の干渉は容認できない」ためだという。また、教育内容をめぐり、全国の都道府県など自治体が行っている朝鮮学校への補助金(約7億7千万円)を見直す動きがあり、無償化によって逆に補助金をカットされることへの懸念も広がっているという。

 総連関係者によると、父母などからは依然、無償化を求める声も高く、「断固拒否」が決定される場合、総連内部が混乱する可能性もあるという。

●出典http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20101120-00000053-san-soci

12月14日 新潟港岸壁で歌う 田月仙さん  

2010-11-22 15:39:43 | 韓国・北朝鮮
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 昨日、第2回 「あの日を忘れない」新潟港追悼集会の概要を紹介しました。今年の企画の中にはオペラ歌手の田月仙(チョン・ウォルソン)さんの歌唱があります。おや?と思われた方もいるかもしれません。

 あの高名なオペラ歌手がなぜ、北朝鮮帰国第一船が新潟を出てから51年目の日に岸壁に立って歌うのか?

 そのヒントが彼女の半生記『海峡のアリア』(小学館)に書かれています。僕はこの本を読み、熱唱を何度か聴きました。まだ、読んでおられない方にはおすすめします。

 新潟港での歌唱は他のどんな場所にもまして私たちを揺り動かす熱唱となることでしょう。

 
 『海峡のアリア』の紹介記事を転載させてもらいます。


 


   海峡越えた歌姫が明かす「北への怒り」
 
   在日2世の声楽家・田月仙さんが自伝で

                  『アエラ(AERA)』(2006・12)



 2004年正月、母はもはや話ができる状態ではなかった。
母の最後の言葉を聞きたい。記憶を取り戻す言葉は一つだけ。
「北朝鮮……」と耳元で伝えた。
「悔しい……」
母は確かにそう言った。そして二度と口聞くことなく翌年2月、帰らぬ人に。78歳……。         
 母の話になると田月仙(チョンウォルソン)さん(49)の声が震えた。目が潤んだ。


 田さんは在日2世のオペラ歌手。1985年に訪朝して金日成(キムイルソン)主席の前で歌い、94年には韓国でオペラ公演の主役を演じた。
02年のサッカーw杯閉幕時に行われた小泉首相(当時)主催の韓国大統領歓迎公演で独唱。「海峡を越えた歌姫」とテレビの長編ドキュメンタリーにも取り上げられた。

       「別荘」、実は収容所

 その彼女が自伝「海峡のアリア」を書いた(12月13日発売)。北朝鮮支持の在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連)系の学校で育ち、日本の音大を経て音楽家となった彼女が「北」と「南」で歌うことになった経緯と、歴史に埋もれた朝鮮半島の音楽家たちを訪ね歩いた旅などが描かれている。
が、華やかな活動の裏にはきれい事ではない事実が秘められていた。


 田さんには帰国事業で59~60年に日本から北朝鮮に渡った4人の兄がいた。4人は母と前夫の間の子で、帰国時は2歳ほどの田さんには見覚えがなかった。
「小学校の頃、兄たちの写真を見つけた私が尋ねても、母は『遠くにいる親戚だ』と言うだけ。兄だと知ったのは高校生の時。驚くというより、私や姉、弟たちを思いやり、話さなかった母には、いろんな苦労があったんだなと」
母のもとに71年、帰国した友人から手紙が届いた。「あなたの子供たちは府中の別荘にいる」。
 友人は北朝鮮当局の検閲に悟られないよう強制収容所のことを「別荘」と書いたのだった。

 80年、北朝鮮を初めて訪ねた母はやせ細った息子たちと再会した。
4人はスパイ容疑で69年から78年まで咸鏡南道の耀徳収容所に入れられた。次男は収容所で死亡。まだ24歳だった。
この時期。数多くの帰国者が一晩のうちに逮捕、収容所に送られている。帰国者の子供で耀徳収容所を体験、韓国亡命後に新聞記者となった人権活動家の姜哲煥(カンチョルファン)氏は収容所で4人をよく知っていた。

      「怒りと絶望の人生」

「罪があるなら、美術仲間同士の席でミケランジェロを尊敬すると言ったことしか思い当たらない」と、2度目に訪れた母に彫刻家志望で帰国した長男はつぶやいた。
「その後の母の人生は、わが子の人生を無残に奪った北朝鮮政権に対し、決して許せないと言う怒りと、絶望の交錯する激しい思いに埋め尽くされた」(著書から)
母は知り合いや朝鮮総連関係者に帰国者の惨状を訴え始め、北朝鮮の惨状を告発する市民団体にも参加するようになった。

 田さん自身が兄たちと会ったのは85年4月朝鮮総連の誘いで金日成主席の誕生日祝賀行事で歌うため初訪朝したときだった。僻地に追いやられた兄たちと、ひのき舞台で歌った妹。ただ一度の出会いだった。
「その後も訪朝のオファーは来ましたが断りました。兄たちの受けた現実を知りながら、あの国の体制を賛美する歌は軟えない」90年と01年に2人の兄が病死。残った兄も音信が途絶えた。

 「母の死で、どうしても自分の言葉で書かなければならないと思った。在日には『北朝鮮の実情を語っても日本人の物笑いの種になるだけだ』との思いがある。私の中にもあります。でも、もっと強いものがあった。母と兄の思いを形として残したい気持ちが」
                           編集部  小北清人

 ●出典http://www.wolson.com/books/wolson-Aria-media.html









第2回 「あの日を忘れない」新潟港追悼集会

2010-11-21 09:59:35 | 韓国・北朝鮮
 今年も12月14日に新潟港で「追悼集会」を行うとの知らせがありました。北朝鮮への「帰国」第一船が出てから51年になります。

 「北」を命がけで脱出してきた人々と交流するようになって「北」に閉じこめられて居る人々のことがいっそう切実に感じられるようになりました。

 友人たちが企画した心のこもった集会です。

 妻と娘と3人で今年も参加させてもらいます。

 ご都合のつく方がおられたら連絡してください。ご一緒しましょう。

 

  第2回「あの日を忘れない」新潟港追悼集会

●主催 移民政策研究所人道移民支援センター(代表・坂中英徳)

  協力 平和を願う僧侶の会(代表・善光寺住職 若麻績敬史)

     ソプラノ歌手  田月仙(チョン ウオルソン)

    ミュージシャン  朴保(パク ポー)

● 日時 2010年12月14日(火) 13:30~14:30

● 場所 新潟市新潟港 中央埠頭

● 式次第

 1 追悼式
  (1) 開会 追悼の辞 13:30
  (2) 遺族代表あいさつ 13:35
  (3) 追悼法要 13:40 献花
  (4) 追悼の歌 14:00
     
      田月仙さん
 
      朴保さん

 2 日本政府への要請文の発表 14:20

●参加申し込み

  参加費(東京⇔新潟往復新幹線代昼食付き お一人様13,900円)
 
 参加ご希望の方は、別添の申込書に必要事項をご記入の上、メールまたは

 FAXにてお申し込みください。改めて、旅行代金の振込先をお知らせいたします。

 ※参加申込締め切り日 2010年12月9日(木)

■ 問い合わせ先
一般社団法人移民政策研究所 TEL 03-3453-5901(土日祝を除く午前10時-午後5時)
E-MAIL office@jipi.or.jp   担当 事務局 小牧美和



 【趣旨】

 新潟港から975人の在日朝鮮人と、その日本人妻らを乗せた帰国第一船が『地上の楽園―北朝鮮』に向けて出港した日から51年目を迎えようとしています。

 希望に燃えて北朝鮮に移住した人々は、彼の地で計り知れない苦難と悲劇に翻弄され続けています。彼ら帰国者たちは資本主義思想を持ち込む者として北朝鮮政府から最下層の身分に指定され、想像を絶する迫害を受けています。

 しかし、その後1984年まで帰国事業は続き、新潟港から9万人以上の人々が北朝鮮へ渡って行ったのです。強制収容所で亡くなった人、行方不明になった人、処刑された人など日本への望郷の念を抱きながら無念の死を遂げた人は1万人をはるかに超えると推定されています。

 日本人妻たち(1831人)は、今なお里帰りさえ許されず、ほとんどが70代となり、死んだらせめて遺体を「日本に向けて埋葬してほしい」と言っているそうです。

 あの日、熱狂の中、帰国者を2000人のマンセーの掛け声とドラの音で見送った新潟港にて北朝鮮で犠牲となった人々の霊を慰める追悼法要を営みます。

 そして帰国運動の惨禍を風化させることのないよう、今も北朝鮮に軟禁されている帰国者全員の解放をめざしてつとめることを霊前に誓いましょう。

 
 ●川越だより「新潟港2009年12月14日」http://blog.goo.ne.jp/keisukelap/d/20091215

紅葉と富士

2010-11-20 21:20:55 | 出会いの旅
今夕5時、ほぼ予定通りの日程で無事帰ってきました。紅葉と富士山を堪能した日々でした。昨日は快晴無風で達磨山(西伊豆・戸田)からの富士山と南アルプスの展望がすばらしかった。そのアルプスの谷間を訪ねたわけですがいずれゆっくり報告します。

 達磨山ではありませんが近くのカメラがとらえた富士山をご覧下さい。

 ●達磨山高原ライブカメラhttp://daruma.city.izu.shizuoka.jp/

 留守中も「川越だより」を覗いてくださってありがとうございます。明日から定期刊行?に戻ります。

南アルプスの麓から奥大井へ

2010-11-15 05:27:09 | 出会いの旅
【川越だより】のアクセス・ランキング

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 今日はこれから山梨県早川町に向かいます。南アルプスの麓の村です。ここの雨畑というところで一泊した後、明日、山伏峠を越えて奥大井に下ります。大井川の源流部です。昔から一度は訪ねたかったところです。今のところ井川雨畑林道も通れるようです。

 ●山梨県早川町早川http://www.sanson-net.com/higasidata/hayakawa/hayakawa.html

●井川雨畑林道http://www.pref.yamanashi.jp/rindoujyouhou/kisei.php?id=90

 奥大井の川根本町「もりのくに」で一泊した後、伊豆高原の保養所で過ごしてきます。「川根だより」を出せるでしょうか?「川越だより」は勝手ながらお休みです。

 ●静岡県川根本町http://www.town.kawanehon.shizuoka.jp/kanko/default.asp

 2010・石橋農園収穫祭

2010-11-14 21:35:31 | 友人たち
 昨日午後、狭山の石橋農園の畑で恒例の収穫祭がありました。今年は快適な天候だったので自転車で出かけました。

 ●昨年の収穫祭http://blog.goo.ne.jp/keisukelap/d/20091108
 


 西武線の脇の畑に集まった今年のメンバーは9名です。岡野さん、諏訪さん、教亢さん、明子さん、石橋さん、渡辺さん、間山さん、武彦さん、啓介。

 僕を除く先輩方は1956年から59年にかけて東京教育大学に入学し新聞会で活躍した方々ですから「60年安保」世代ということになります。年々、多少メンバーは替わりますが何時間もかけて狭山の石橋農園に駆けつけるのは何か絆のようなものがあるからでしょう。

 石橋さんと明子さんが作ってくれたバーベキューをほおばりながら4時間近い語らいが続きました。

 神戸に住む大谷さんから近況を知らせる便りと活動記録が届いていました。兵庫県の山村で有機農業をしながら新しい村を作るNPO活動をされているようです。活動記録にある集合写真に大谷さんが写っているはずですがどれがご本人なのか誰にも分かりません。僕は40年近く前、神戸で泊めて貰って以来です。50年も会っていない方もおられます。



「限界集落」に若者を NPOと住民連携 宍粟 (神戸新聞)

農山村の活性化に取り組むNPO法人「ひょうご農業クラブ」(相生市)のメンバーと都市住民らが、人口減が進む宍粟市一宮町千町(せんちょう)の住民と共同で、休耕田の再生を軸にした地域おこしに乗り出す。耕作放棄地で野菜を栽培したり、農産物を加工したりして雇用を創出。メンバーは「限界集落の再生のモデルとなる活動にし、日本の農業の再生につなげたい」と意気込む。(井垣和子)


 千町は、標高約600メートルの山あい集落。40年ほど前は約40世帯だったが、高齢化と人口減で21世帯・51人に減少。人口の50%以上が65歳以上で、社会的共同生活の維持が困難な「限界集落」となり、耕作地(8ヘクタール)の7割が休耕田や耕作放棄地だ。

 同クラブの計画では、50アールの休耕田と放棄地を借りて大豆や大根、キャベツ、トウモロコシなどを栽培。地区内の農産物直売所を加工場に改装して、みそ、漬物、切り干し大根などを生産。神戸・六甲アイランドで同クラブが運営する販売所で扱う。大学の研究者とも手を結び、さらに商品開発を進めるという。

 千町との交流は、同クラブの理事長、増田大成さん(73)が、集落再生を支援する県認定のアドバイザーになり、2009年3月に訪れたことがきっかけ。増田さんが仲間に呼び掛け、同クラブのメンバーや地元住民で地域おこしグループ「あこがれ千町の会」を結成し、神戸など県内各地から30~80歳代の約20人が集まった。

 神戸からは車で片道約3時間かかるため、地元に宿泊施設も整備する予定。増田さんは「農業で生活ができる地域にするのが目標。地域に仕事をつくり、若者が定住できる地域を目指す」。

 千町自治会長の藤原拓美さん(59)は「地域の存続のために何とかしたい思いはあったが、手だてがなかった。これからは都市部の住民と力を合わせて村を元気にしたい」と話している。 (2010/03/22 13:35)

  出典●「あこがれ千町の会」http://www.kobe-np.co.jp/news/keizai/0002803040.shtml 

 教亢さんが「農」を中心に据えた国造りこそ今、問われていると語り始めました。珍しく力の入った言葉です。武彦さんが是に呼応します。夕刊紙や出版社の幹部としての役割を果たしてきた方々です。

 僕はこれらの方々の本領の一端を見た気がしてきちんとした議論を聞きたいものだと思いました。TPPとかという言葉を聞く昨今です。世界に冠たる良質の農産物を生み出す日本の農業ですがこのままでは未来がないことははっきりしています。

 来年の収穫祭には大谷さんにもやってきてもらって50年余ぶりに「教育大学新聞」の主張討論をやってもらいたいものです。

 夕暮れが近づいて解散となりました。石橋さんが里芋や大根を持たせてくれました。また来年、元気にお会いしたいものです。

 追記 大谷成章さんにこんな著作があることを知りました。●http://www.iwanami.co.jp/hensyu/sin/sin_kkn/kkn0412/sin_k206.html

穗谷 一祥 さん

2010-11-13 10:16:52 | 出会いの旅
 10月24日に和歌山から京都に駆けつけて私たちを案内してくれた穂谷一祥(ほたにかずよし)さんを紹介します。

 僕には耳慣れなかった「民間救急」という分野の先駆けとなった方です。自ら設立した「和歌山福祉救急移送株式会社」の社長さんで現在日本中を飛び回りながら「民間救急」のネットワーク造りに取り組んでおられます。

 HPに写真も載っています。20年もバスの運転をしておられた穂谷さんが「民間救急」を立ち上げた動機はお父さんの急逝にあったようです。

 「私がこの世界に飛び込んだのは、父親が数年前に自宅で心筋梗塞を起こし、救急車が到着する前に亡くなってしまったと言う経験から、消防署の救急車に緊急性のある患者様を少しでも早く病院へ搬送し、救える命を救っていただきたいが為です。
近年の傾向として、軽症患者様が救急車を呼ばれる率が高く、緊急性のある患者様の搬送に遅れが生じていることです。
少子高齢化社会により今までのように家族様が入退院時に搬送する様な機会が今後少なくなってくるであろうと考え、少しでもお役に立てればと言った考えのもと立ち上げた次第です。
地方にも若者が必要なんです。今後故郷和歌山でのUターンの雇用にもお役に立てればと考えています。」

 ●和歌山民間救急 穂谷社長http://www6.ocn.ne.jp/~waminkyu/gaiyou.htm

 ダウンタウンの田雅功さんと高校が同期だといいますから40代後半の働き盛りです。帽子を取った姿は精悍そのものでエネルギッシュです。

 車両での移送だけではなく飛行機で国内はもとより外国にもお客さんを運ぶのだといいます。体に不具合が生じた方を病院や自宅など遠くまで搬送するのですから並大抵の仕事ではないはずです。

 緊急性の高い、そんな仕事をしている方がはるばる和歌山から見ず知らずの私たちに会いに来てくれ京都見物をさせてくれたのです。息子夫婦は言うに及ばず、私たちも「びっくり」するのは当然ですね。

 穂谷さんは僕の主治医・西尾先生のイトコだったのです。それもただ血がつながっているというだけではなく兄弟のように育ったといいます。

 働き盛りになった今も二人は時々いっぱいやっているようです。お話を聞いていると「西尾先生」がぐっと身近に感じられるようになります。

 何かの必要があってイトコの関連事項を検索しているうちに「川越だより」の記事に出会ったということです。この記事かな。

 ●「愁眉を開く」川越だよりhttp://blog.goo.ne.jp/keisukelap/e/f4f2c93d67e20e77175125328548d481

 それにしても何というありがたい心づくしでしょう。僕は癌研で西尾先生の世話になった御陰で京都でこんな考えられない穂谷さんのもてなしを受けたのです。

 お礼のメールに返信がありました。

早々にありがとうございます。
楽しい1日になり
私がリフレッシュさせていただきました!
機会があれば横浜・川越に行かせていただきます
その時は、よろしくお願いいたします。
追伸:ぬいぐるみ(手作り)大事にします
   事務所のデスク前に居ます

 
 妻が作った猫のぬいぐるみを仕事机に置いてくれているとか。横浜の息子夫婦の店か、川越の我が家か、いずれきっと寄ってくれることでしょう。今から楽しみにしています。先生も来てくれるといいなあ。

 ●Bar招福堂http://r.gnavi.co.jp/a181700/
 

日蓮宗徒の唱題行脚

2010-11-12 19:56:41 | 川越・近郊
 銀行への使い帰りに大きな音がするので商店街に出てみた。「南無妙法蓮華経」の幟を先頭に40名あまりの僧の一団が団扇太鼓を敲きながら行進している。

 時々聞こえるアナウンスによるとこの一団は立正大学仏教学部の学生で「唱題行脚」ということをやっているのだという。堀之内学寮などという文字も見えるので杉並区の堀之内に日蓮宗の学寮が在るのだろう。

 今日は行伝寺の「お会式」でそれに先だって川越市内を行進して日蓮の教えを教宣しているらしい。

 「世界ぜんたいが幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」という宮沢賢治の言葉を紹介しながら世界平和と幸福について考えようと訴えている。

 道行く人は立ち止まって眺めている。白人の青年がしきりにカメラを向けていた。僕は行列の後ろについてしばらく歩いてみた。

 これから僧侶になろうという青年(男ばかり)が街に出て行脚する風景を見るのは初めてだ。団扇太鼓を敲きながら統制のとれた行進をする。なかなかにいいものだなあ、と思った。

 世界がまさに崩れ落ちようとするときである。人倫は地に墜ちて久しい。僧たらんとする人たちにはどんな思いがあるのだろう。人々の中に入って積極的に社会参加する坊さんになってくれるのかなあ。

 パソコンをひらいてみたら去年の記事があった。

●唱題行脚http://news.nichiren-shu.jp/01_news/2008/080110/sub_0001.htm#

●日蓮宗堀之内学寮http://www.nichiren.or.jp/syumonnews/news20080422.html

「お会式」とは日蓮宗では日蓮の命日を中心に行う法要のことだという。池上本門寺のお会式は盛大で有名らしい。