川越だより

妻と二人あちこちに出かけであった自然や人々のこと。日々の生活の中で嬉しかったこと・感じたこと。

大阪府教育委員の見解

2011-10-28 05:25:26 | こどもたち 学校 教育

大阪府の橋下(はしもと)知事が主導する「維新の会」が府議会に提出した「大阪府教育基本条例」の内容は「バカらしい」「凄まじい」としか言いようがない。こんなものが府議会の絶対多数派から提出され、可決されかねないという事実に黙っていてはならないと思う。

 みなさんも暇を作って目を通してみてください。

    「大阪府教育基本条例案」●http://osakanet.web.fc2.com/kyoikujorei.html

 大阪では11月の末に府知事選挙と大阪市長選挙が行われる。「大阪都構想」とこの「教育基本条例案」が争点だ。

東京では「条例」を制定することなく教育委員会の「通達」を乱発して大阪の「案」と似たような教育行政が既に行われている。教育委員会が石原知事の走狗に成り果てており、公開の議論さえ行われていない。

 それに比べれば橋下知事は議会・選挙と「堂々と」問題提起して議論を巻き起こしている。こちらの方が民主主義のルールに則っていると言えなくはない。

 25日大阪府の教育委員のうち教育長を除く5人の委員が「白紙撤回」を求める「見解」を発表したという。可決されるなら「総辞職」するという決意も表明した。

 学校や教育行政が社会の批判にさらされなければならないのは当然である。しかし、知事が市民の選挙で選ばれたからといって学校がその支配下に置かれてはたまったものではない。

 教育委員の「見解」表明をきっかけに大阪府民・東京都民をはじめ多くの市民が議論に参加するなら橋下知事が引き起こしたこの騒動も多少の意味を持つことになるだろう。日本の民主主義の成熟度がいずれにしても明らかになる。

 

 

教育基本条例案に対する教育委員の見解

 今回の教育基本条例案が提起されて以来、私たち教育委員は困惑と苦悩の中で、大阪の教育の発展の道筋を求め、さまざまな議論を行ってきた。教育制度の構築には、本来もっと多くの時間をかけ、各界の広範な意見を集め、しかるべき手続きを経るべきと考える。しかし、教育基本条例案が選挙の争点となるという切迫した状況下、私たちは教育委員の責任として、一つの見解を出さざるを得ない。私たちの見解は次の通りである。
 「教育基本条例案は白紙撤回されるべきであり、修正の有無は関係なく、これが可決されれば、私たち教育委員は総辞職する。」
 以下、その理由を記する。


 1.私たちは、憲法・教育基本法を柱とする現行教育法令を尊重する。
 私たちは、現行法令のもとで知事ともよく話し合い、学力向上や教育機器の整備、学校給食制度づくり、府立高校の特色づくりなど様々な成果を上げてきた。もちろん、まだ残された課題も多い。例えば、学校運営への住民参加などもある。しかし、それらについては国のガイドラインがあり、これらを無視し勝手な制度設計をすることは、現行法令の考え方に反する危険性がある。その他、条例案で提起された問題についても、現行法令またはそこに示された理念に即して、教育委員会が更なる改善を進めることが可能であり、今後も力を尽くして解決に当たるべきと考える。

 2.私たちは、教育という全ての子どもたちにかかわる根本的な重要課題を、短期間の審議や選挙で決めるべきではないと考える。
 私たちは府立高校の特色化を進め、それぞれの子どもたちが自分に適した力を伸ばし、たくましく生きる方策を学ぶように図ってきた。しかし、今回の条例案は、大阪府の教育の責任者である私たちの一切知らないところで準備され、その理念の根底には「競争主義・管理主義」が貫かれている。競争・管理を一面的に追及することによって教育の質が向上しないことは英米の教育改革等で既に立証されている。したがって、この条例案の現場に与えた衝撃はすさまじく、校長や教師に激しい動揺が起きているのも当然である。
 また、選挙は多様な政策によって民意が問われるものであり、比較1位を争う首長選挙で、政策の一部である条例案の評価を決定するのは無茶としか言いようがない。

 3.私たちは、今回の条例が生み出す教育委員会の無力化、教育と政治の一体化を認めるわけにはいかない。
 今回の条例案の議論では、個々の条文に対するものが多いが、もっとも問題なのはこれら条文をつなぐ骨組みにある。修正の有無にかかわらず総辞職するという理由は、まさにそこにあるのであり、以下、条例案に沿ってその骨組みを呈示する。
 条例案においては、「府立学校が実現すべき目標は知事が設定する」(第6条第2項)とされ、その目標を前提として校長が公募される(第14条第1項)。校長は教師でなくてもよく、教育活動に支障がなければ民間人で別の職業を持っていていい。任用期間も短く、学校関係者でない「外部有識者」の考えで選ばれる。教職員は、校長の指示に忠実に従い競い合うように働かなければならない。なぜなら、分限対象者になるかもしれない相対評価があるからである(第19条第1項)。こうして、全ての府立学校を知事の意のままに動かすことも出来るようになる。
 さらに、このシステムを強固にする仕組みを読み取ることもできる。例えば、知事は学校環境を整える一般的権限があり(第6条第1項)、自分の考えで自由に決めることも可能である。したがって、意にそぐわない校長の学校に予算をつけない場合も生じると考えねばならない。
 また、学校協議会に関しては、保護者や教育関係者の意見を反映するのはいいが、その委員は校長が決める(第11条第1項)ことになっており、校長の支持者となりやすく、特定の住民の代表になりやすい。
 加えて、校長の権限強化は教職員人事で完結する。校長の意に沿えない人事を教育委員会がした場合には議会への報告が義務づけられている(第18条第3項)。権力の源泉は、予算と人事権と言われるが、この条例案により、教育委員会はこれらを失い、まさに知事の補助機関となる。
 それは現行法制下の教育委員会が壊滅することであり、教育は政治そのものの一部となりかねない。そして条例制定後は、選挙ごとに教育方針が変わる。学校関係者は知事の意向や選挙の動向を絶えず気にしなければならず、政治の流れに敏感となり、校長に近い外部団体の影響が強まったりする状況が生じうると懸念される。

 上記のとおり、本条例案はその内容のみならず、枠組みそのものが政治の介入を厳格に戒めようとする教育基本法や諸法規の精神に反するものである。そして、この条例案は、教育の条例と言うより日本の統治原則の変更を迫る意向を含むといえる。したがって私たちは、本条例を決して是とすることができない。

 強く大阪府民のご賢察を願う次第である。

  平成23年10月25日


大阪府教育委員会
教育委員長 生野 照子
教育委員 小河 勝
教育委員 川村 群太郎
教育委員 陰山 英男
教育委員 中尾 直史

 

 

心春ちゃん

2011-09-30 07:13:06 | こどもたち 学校 教育

9月29日(木)晴れ

 2歳半になる心春(こはる)ちゃんの運動会だと聞いたので東松山のからこ保育園に連れていってもらいました。10時過ぎ、ちょうど心春ちゃんたちの出番です。お父さんかお母さんとひと組みになって競技?をするのですが泣き出す子もいます。まだ2歳なのですから無理なのかもしれません。心春ちゃんは4月8日生まれで一番の?お姉さんですから、やっぱりしっかりしています。しばらく会わないうちに目覚しい成長を遂げていました。

 僕には孫がいないせいか、どの子もかわいい大切な子に見えます。

 長年、高校生と生活するのが仕事でした。よくもまあ生きてこられたものだと絶句するような子供時代を過ごした人もいます。

 苦労は買ってでもせよといいますがそれはそれなりの年になってからのこと。乳幼児や少年を「良い環境」で育てるのは両親をはじめとする社会の責任です。どの子もまっすぐに成長してくれるようにと祈るような気持ちで会場を後にしました。

 「きいちご移動教室」の下見をかねてときがわ町大附のみかん園に行ってみました。

  

 はるかに東京のビル群が見える大附園。1っ箇月後はちょうどいい収穫期だといいます。晴れていればここでのんびり過ごせるでしょう。

13回目になる移動教室ですが今のところ参加希望者が20名あまりです。定員(45)にははるかに及びません。一泊2日で奥武蔵を楽しむという贅沢な企画です。10月29日~30日。参加費5300円。よろしかったらどうぞ。

   大附園●http://blog.goo.ne.jp/s-brook/e/515a611fe59883ddda45b874b46a2007


都立大島高校、よく頑張った!

2011-07-26 05:24:57 | こどもたち 学校 教育

7月25日(月)晴

 爽やかな夏晴れの朝、久しぶりに神宮第二球場へ。大島の応援席には都立紅葉川高校と府中工業高校の野球部が陣取って統制のとれた力強い応援を展開する。その数、百人を超えるか。大島高校の全校生徒数に匹敵するぐらいの大応援団だ。いつものトランペットおじさんの校歌の演奏も健在だ。青学は地元。ブラスバンドの軽やかな演奏が楽しい。高校野球の雰囲気はやはりいいものだ。

 試合の方はあっけなかった。投打に力の差があったと言うほかはない。それでも大島の選手諸君はよく頑張った。5回戦まで勝ち進んでファンを喜ばせてくれた。甲子園への夢は破れたがそれはまたの日にとっておこう。

 大島高校の高木亀介校長に会うことができた。亀介さんは大島高校の卒業生だ。80年代には池袋商業で同僚だった。野球部の指導もしていた。母校の校長になったとはつい先日まで知らなかった。昔から変わらない穏やかな表情が懐かしかった。

 僕がこの学校に世話になったのは1966年から3年間で知る人はもはやいないと思っていた。こういうこともあるのか。70の誕生日に楽しい思いをさせてもらった感謝の気持ちを伝えた。

 

 93全国高校野球選手権東東京大会

5回戦

青山学院 11―1 大島

 

2011年7月25日 神宮第二球場
 123456789
大島 0 0 1 0 0         1
青山学院 5 1 0 1 4x         11

5回コールド

 

【投手】
大島:増山→木村→鈴木
青山学院:阿部

都立勢、姿消す 都千歳丘・都大島力尽きる 東東京

2011年7月26日0時52分

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写真:都大島―青山学院 3回表都大島1死一、三塁、常川の右犠飛で下村が生還。捕手桐井=神宮第二、吉本美奈子撮影拡大都大島―青山学院 3回表都大島1死一、三塁、常川の右犠飛で下村が生還。捕手桐井=神宮第二、吉本美奈子撮影

写真:都大島のスタンドで声を張り上げる都府中工と都紅葉川の選手たち=神宮第二拡大都大島のスタンドで声を張り上げる都府中工と都紅葉川の選手たち=神宮第二

 25日は東東京大会で5回戦の残り4試合があり、修徳、関東一、駒込学園、青山学院がベスト8へ。ここまで快進撃を続けてきた都千歳丘、都大島はともに力尽き、東西両大会で都立勢が姿を消した。熱戦はいよいよ終盤へ。26日は西大会で準々決勝4試合が行われる。

■夏合宿が育んだ友情 都大島の応援席、他校の野球部員100人

(青山学院11―1都大島)

 スタンドに、ユニホームが違う丸刈りの高校生たちが集まった。

 「次、『夏祭り』(の歌)いきます」。メガホンを持ったのは、都紅葉川の2年、柴山瑞生君。「いくぞ」。都府中工の選手が振り付けに合わせて踊る。さらには京華の選手たちも声を張り上げた。

 ここは、都大島の応援席。地元からなかなか応援に来られないなか、他校の野球部員が100人も駆けつけてくれた。

 東京の高校の野球部にとって、大島は「夏合宿」の本場の一つだ。竹芝桟橋からフェリーで8時間、高速船なら1時間45分。広々として落ち着いた練習環境を求め、毎年7月末から約1カ月の間、切れ目なく十数校が訪れる。

 これに合わせ、都大島の選手は他校の選手たちと一緒に練習に励む。現在の部員は17人。紅白試合もままならないチームにとっては、切磋琢磨(せっさたくま)する絶好の機会だ。そして青春まっただ中の野球少年たちは、たちまち仲良しになっていく。

 主将の常川大輝君(3年)が一番仲良くなったのは、都府中工の別所鉄平君(3年)だ。

 1年の時、内野ノックで同じ一塁を守った。別所君は体が大きく、威圧感がある。眉毛も整った感じで島にはいないタイプ。「話しかけづらいな」と思っていたら、向こうから声をかけてきた。「しんどいね」。

 話すとまじめで、野球も手を抜かない。一緒に練習していると「負けたくない」という気持ちがメラメラ燃えてきた。

 とはいっても、グラウンドを離れたら素の高校生同士。波長が合って、合宿後もメールや電話をする仲になった。最後の夏、都府中工はベスト8を目前に逆転負け。試合が終わってすぐ、別所君が「負けちゃった」と電話をくれた時は、自分のことのように悔しかった。

 実は、都大島と都府中工との絆は古い。20年以上夏合宿を続けた都府中工の前部長は、勇退する際の引退試合の相手に都大島を選んだ。都府中工の野球部OBには、都大島のノック練習を手伝ってくれる人がいる。

 つながっているみんなの思いを胸に――。そんな気持ちで臨んだこの日の試合だったが、好調の相手打線に序盤から大量点を奪われる厳しい展開に。しかし選手たちは、最後まで懸命に食らいついていった。

 常川君たち3年生の夏は終わったが、新チームになった都府中工の来月の大島合宿に、別所君たち3年生も一緒に来るという。今度は野球だけじゃなく、普通の友達みたいに海で一緒に遊んでみるのもいいかな、と思っている。(中村真理)=神宮第二 (朝日新聞)

 出典●http://www2.asahi.com/koshien/93/etokyo/news/TKY201107250862.html


大島高校の快進撃つづく

2011-07-22 06:29:30 | こどもたち 学校 教育

 

7月21日(木)曇のち晴

 朝から天候が定まらず肌寒い一日だった。おかげで神宮第二球場で行われた大島高校の試合の応援に行きそびれてしまった。時々パソコンを覗いて試合経過を見た。終盤に逆転してみごとに5回戦に勝ち進んだ。スタンドの喜びの風景が伝わってくるようだった。これでベスト16の一校になった。都立では他に千歳丘が勝ち残った。立派なものである。

 5回戦の対戦相手は青山学園高校。25日(月)10時から、明治神宮第2球場。僕にはビッグプレゼントだ。70才の誕生日に大島の応援にいけるなんて!17人の選手諸君に感謝。ひきつづき健闘を期待したい。

 大島のナインとスコアは次の通り。

 ①遊 下村 ②二 鈴木 ③左 谷口 ④一 常川 ⑤捕 佐藤  ⑥投 増山  ⑦三 高田 ⑧右 森川 ⑨中 木村

4回戦

大島 5―4 青稜

 

2011年7月21日 神宮第二球場
 123456789
青稜 1 1 0 0 0 0 0 0 2 4
大島 0 0 1 0 0 0 2 2 x 5
【投手】
青稜:久保田
大島:増山→木村→鈴木→高田



 


大島高校勝ち進む

2011-07-19 21:24:08 | こどもたち 学校 教育

17日に行われた高校野球・東東京大会で都立大島高校は城北に逆転勝ち、4回戦に進んだとのことです。今日(19日)、その4回戦が雨のため中止になったようです。これで今年も大島高校の応援にいけそうです。
 次の試合は神宮第二球場で朝10時から。対戦相手は青稜高校(私学)です。21日には開催できるかな。
http://www2.asahi.com/koshien/93/etokyo/http://www2.asahi.com/koshien/93/etoky
 123456789
城北 0 0 1 1 1 0 1 0 0 4
大島 1 1 0 0 0 0 0 3 X 5

<ヒーロー>投打に活躍 離島旋風再来を 都大島1年高田凌選手

「東京新聞」2011年7月18日

 

9回表城北2死二、三塁、投直で仕留め喜ぶ高田選手=神宮球場で

写真

 九回表2死二、三塁。安打を許せば逆転される。相手打者は4番。目いっぱい投げ込んだ速球は、鋭い当たりではじき返されたが、投げ終わった直後のグラブにライナーで吸い込まれた。都大島の今夏2勝目の立役者は、ボールが収まったグラブを突き出し、勝利の雄たけびを上げた。

 三塁手として先発出場していたが、4番手投手として八回表からマウンドへ。その裏、カーブに狙いを定め、左前に逆転の2点適時打を放った。気を良くして迎えた最終回のマウンドだったが、四死球を与え、自らピンチを招いた。何とか無失点で切り抜け、「先輩たちに恩返しができてよかった」と胸をなで下ろした。

 チームは部員が17人しかいない。絶対的なエースはおらず、一、二年生の投手4人でやりくりする。離島ゆえになかなか練習試合が組めないが、部員全員で冬に郵便局でアルバイトをし、ためたお金で島外に遠征、経験を積んできた。

 5年前にチームはベスト8入りし、人口約9000人の島民を沸かせた。テレビで見たその姿に憧れて同校に入った高田選手の目標は「ベスト8を抜くこと」。全員野球で、旋風の再来を目指す。 (佐藤大)

 

 


川越南高大敗を喫す

2011-07-11 07:01:16 | こどもたち 学校 教育

7月10日(日)快晴

 10時に家を出て新河岸川の土手の上の道をゆく。川越・ふじみの・富士見・志木・朝霞と自転車をこいで朝霞市営球場についたのは12時20分頃。一塁側の川越南高の応援席に座った頃には試合はもう始まっていた。前の試合が早めに終わったのだろう。

 コンビニで買ってきたパンと牛乳で昼食を取りながら一回の攻防を見る。ギラギラと照りつける炎天下の観戦だが高校野球の雰囲気はいいなあ。

南稜 10―0 川越南

 

2011年7月10日 朝霞市営球場
 123456789
南稜 0 0 3 3 0 1 3     10
川越南 0 0 0 0 0 0 0     0

7回コールド

 

【投手】
南稜:本間→清水→武藤→大野
川越南:小林大→小林翔
 
記録
 打数安打打点二塁打三塁打本塁打三振四死球犠打残塁失策
南稜 32 12 9       1 9 3 13  
川越南 19 3 0       2 2 2 2  

試合結果は思わぬ大敗。投手力と内外野の守備力に差が出てしまった。川越南に反撃のチャンスはついにないままゲームセット。

 相手チームがどこにある学校かは分からずじまい。パソコンで調べてみると県南の戸田市にある県立高校だと分かった。練習を積み重ねた応援も印象に残った。

 心が高ぶるということがないまま球場を後にした。こんなこともあるさ。捲土重来!最後の試合となった3年生諸君のこれからの人生にエールを送る。

 岡の城址公園の石のベンチに仰向けに寝て疲れをとった。その内に夢心地。目覚めたのは4時過ぎ。元来た道を一路川越へ向かう。もう敗戦の痛手からは立ち直っていた。

 志木の市役所を過ぎた辺から真っ青な空に白雲が作り出す芸術作品が見事。往復50kmくらいか。今年も良い体験をさせてもらった。

川越初雁高、川越総合高はそれぞれ緒戦を勝ち抜いたようだ。

 


最高裁は冤罪(えんざい)製造所だ

2011-07-08 09:47:18 | こどもたち 学校 教育

最高裁判所第一小法廷は昨日、都立板橋高校卒業式事件の被告・藤田勝久さんに上告棄却・有罪の判決を言い渡した。5月末から続く「君が代」強制違憲訴訟に対する上告棄却判決と軌を一にするもので「君が代」に刃向かうものは断じて許さないという彼らの決意を示したと言える。最高裁は人権の砦などではなく支配秩序維持のための装置であることを改めて印象づけたのである。

 藤田さんの事件について特に注意を払わなければならないのは「威力業務妨害罪」を構成する事実そのものが存在したかどうかという点である。僕が知る限り検察は市民の正当な行為を無理やり犯罪事件にでっち上げたとしか思えない。こんなことが許されたら警察や検察のやりたい放題は一層蔓延し、「法の支配」は有名無実となろう。今までも最高裁が冤罪を作ってきた例は枚挙にいとまがないが新しい一頁を付け加えたのではないか。

 最高裁を「人権の砦」に改革するにはどうしたら良いのか?

 ①人権感覚の豊かな裁判官を登用する。最高裁の裁判官は内閣が任命するのだから人権を重視する政党が政権を執ることが前提になる。米国では時の大統領の考えに左右され、保守派と人権派の数が常に話題になるようだ。連邦最高裁にある種の緊張感があるのではないか。事実上自民党の一党支配が続いてきた日本では色分けさえ話題になりようがなかった。

 ②最高裁裁判官の国民審査の制度改革。白紙投票を「信任」とする投票様式を改める。信任は「〇」不信任は「×」とする。国民審査を選挙と同じように重要な権利の行使の場と自覚できるようにすることが大事だ。

 民主党への政権交代でこのぐらいのことは進むかと期待したが‥。

 藤田さんの「被告人声明」を読んだ。悔しさと怒りを僕も共有する。

 

 

「板橋高校卒業式事件被告人声明」  
  2011年7月7日 板橋高校卒業式事件の 最高裁判決に接して 激しい怒りを覚える

 開式予定時刻10時の18分前、待ち時間の9時42分に 参加者の一人が 早く来場している人々に約30秒話して最後5秒ほど呼び掛けた
 これが何故に刑法の*威力業務妨害罪に該当するのか
 9時45分来賓入場予定の 3分前に到着した教頭・校長が 上告人を無理やり退場させた
 そのことに抗議しつつも諦めて 9時45分に会場を立ち去った行為が 何故に威力業務妨害罪に該当するのか
 主客は 転倒しているのではないか

 今日の最高裁は 司法権の独立の名に値しない 行政の府に堕してしまっている
 次々と都当局の悪政を 拙い言辞・マナー論等を弄して擁護し 憲法の思想・良心の自由と言う崇高な理念に思い至ることをしない
 アメリカの最高裁判事が修正憲法第1条の言論の自由を 断固として守り抜く宣告をしていることに比しても 日本の最高裁裁判官はあまりにも情けない


 憲法99条の裁判官の憲法尊重・擁護の義務を放擲している
 今や彼らは 政府の行政官僚であり、検察の従僕である
 日本に三権分立はない

 学校の卒業式に何の歌を歌うかなどは その学校にまかせればいいではないか
 ここ数カ月にわたる最高裁の君が代起立斉唱職務命令の*合憲宣告というキャンペーンは異様である
 私はこの異様さに大きな疑念を覚える
 彼らは 内心怯えを抱いているのではないか 
 それとも厚顔にも単に開き直っているのか

 言うまでもない
 日本列島の住民に多大な恐怖と長期にわたる病苦を招来し 農業・酪農・漁業その他の人びとの生活を奈落の底に突き落とし ふるさとを壊滅させた 福島第1原発の事故である
 この事故の真因、原子炉設置許可の最終的承認は*最高裁である
 最高裁裁判官こそが 原発のいい加減な耐震基準を容認した
 彼らが 原発事故を惹き起したのだ

 2005年 「もんじゅ」の判決で住民を逆転敗訴にしたのは最高裁である
 2009年4月23日 中越沖地震を一切考慮せずに 柏崎原発の原子炉設置許可を有効としたのは まさにこの最高裁第1小法廷であった
 この時の三人の裁判官は 今日も法廷に臆面もなく出てきた
 心あれば 3月11日以降の状況を見て 直ちに辞職すべきであろう
 無答責とは 恥ずべきことである

 刑事において 無実の者多くを監獄に幽閉し あるいは殺害してきたのも最高裁である
 犯罪と向き合う中で 最高裁裁判官は自らが犯罪者となった
 間違っていたことが公になっても 最高裁判事は誰ひとり謝罪しない

 刑事起訴で無罪となるのは 1万分の1である
 99.99%が有罪となる
 こんな異様なことがまかり通っていいものだろうか
 これは裁判ではない
 裁判官は検察の下請け処理機関となっている

 最高裁という建造物 まるで城塞・要塞のような建物は
 何と震度6強で崩壊の危険があると言う
 53基の原発と同じである
 直ちに更地にして 木造の優雅な建屋に作り替えるべきである
 当然のこととして それに合わせて 現下の裁判官はすべて放逐されねばならない
 全面的な 真の意味での司法改革なくして日本の未来はない
  出典●http://wind.ap.teacup.com/people/5473.html

関連する「川越だより」●http://blog.goo.ne.jp/keisukelap/e/2f7e6c1907c21bc9396330814f5a899d


「ふるさと」をもう一つの国歌に

2011-07-04 07:11:00 | こどもたち 学校 教育

 学校の卒業式や入学式で国歌「君が代」斉唱時に起立しなかった教員が懲戒処分を受け、退職後の再雇用も拒否され続けている。こんな人は教員としては不適格と言うわけだ。最高裁判所はこのところ、これらの行政処分は合憲適法だとの判決を相次いで下しこの問題に法的な決着を付けようとしている。

 7月7日には東京の板橋高校卒業式事件に最高裁の判決が言い渡されるという。こちらは同校の元教員が卒業式開会直前の待機時間中に保護者に向かって国歌強制の不当性を訴えたことが卒業式を妨害したとして「威力業務妨害罪」に問われた事件だ。学校内での言論に刑罰を与えてでも「君が代」強制に反対する声を押さえ込もうという当局の目論見が明白だ。最高裁では公開裁判が一度も開かれず判決日が指定されたところを見ると一二審の「有罪」判決が確定すると見られる。

 僕はこれは由々しき事態だと思う。国歌「君が代」をめぐる異論を刑罰を与えてまで封殺するとは独裁国家のやることではないのか。なぜ、そこまでやるのか。最高裁判所に聞いてみたいことだ。読者はどう思われるだろうか。7日の判決に注目していただきたい。

 最高裁は国歌斉唱は「儀礼」で思想・信条の自由を犯すものではないと強弁してきたが「君が代」に強い思想色、宗教色があることは否めない。天皇を神とする「国家神道」がこの国の国教とされていた時代の国歌なのだ。

 今は民主主義(国民主権主義)の時代だ。僕のように象徴である天皇の行為にたいして敬意を感じる者でも学校の卒業式で「君が代」を歌うことはできない。民主主義を打ち立て、守る市民の自覚と誇りを持てと励ます心に背くからである。

 僕は今の時代に「君が代」を国歌とすることに無理があると考えている。少なくともこの歌だけを国歌として子供たちに教えこんでいくのは道理にも合わない。

 歌には心がある。「思想」があるといってもよい。だからこそ歌うのだ。だから「国歌」だとひとつの歌を定めるのは難しい。それでも定める必要があるとすれば「ふるさと」かな、と僕は思い続けてきた。

 今回の震災被害のただ中で「ふるさと」を合唱する人々の姿がなんどもTVで紹介された。自然・父母(家族)・友達‥失って大切さがますます実感される「ふるさと」。

     「ふるさと」を合唱するひとびと●http://www.youtube.com/watch?v=klYt1htesMg

 故郷を思い出したくない人も少なくない。僕にもそういう人の思いはわかる。こういうふるさとをみんなで作ろうと考えたらどうだろう。

「君が代は 相撲のあとの それで良し」 僕の故郷のある学校の校長先生の作品だ。天皇賜杯を争う相撲の千秋楽は「君が代」でいいのかもしれない。

 国歌がひとつでなければならないという決まりはない。民主党政権に真面目に検討してもらいたい。「もう一つの国歌を作ろう」。

「君が代」が好きな人も拒否感がある人も「ふるさと」には異論が少ないのではないか。「国歌斉唱」の強制で学校の活動を萎縮させる愚はおしまいにしたいものだ。

  関連・川越だよりhttp://blog.goo.ne.jp/keisukelap/e/8154d37acc58ee93c9275ad9b8fba25f

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心に太陽を持て

2011-06-28 09:46:49 | こどもたち 学校 教育

心に太陽を持て

 心に太陽を持て。
 あらしが ふこうと、
 ふぶきが こようと、
 天には黒くも、
 地には争いが絶えなかろうと、
 いつも、心に太陽を持て。

 唇に歌を持て、
 軽く、ほがらかに。
 自分のつとめ、
 自分のくらしに、
 よしや苦労が絶えなかろうと、
 いつも、くちびるに歌を持て。

 苦しんでいる人、
 なやんでいる人には、
 こう、はげましてやろう。
 「勇気を失うな。
 くちびるに歌を持て。
 心に太陽を持て。」

 

  NHKの朝ドラ「おひさま」に「心に太陽を持て」が出てきました。遠い昔、目にし耳に聞いた詩です。小学校だったか、中学校だったか。

山本有三の詩とばかり思っていました。ドイツのツェザール・フライシュレンという人の詩を山本有三が訳したもので1935年に出版された

「日本少国民文庫」の同名の本の中で紹介されたようです。

 少年の頃に映画「路傍の石」を見たりして山本有三の名は記憶にありますが、この詩はすっかり忘れていたところをみるとそれほど感動を受けたわけではなさそうです。ドラマと同じように戦時下に青春期を送った先生方のどなたかが紹介してくれたのかな?僕が幼すぎて受け止められなかったのでしょうか。

 参考●http://www.iiclo.or.jp/100books/1868/htm/frame076.htm

 


中学校野球大会 初雁球場

2011-06-21 05:39:39 | こどもたち 学校 教育

6月20日(月)晴れ

 日差しが強い。すわ、サイクリング日和とばかり、新河岸川下りに出かける。出発点からすぐの初雁球場からアナウンスの声がするので寄ってみた。川越市の中学校の野球大会だという。山田中学対大東中学。

 早速観戦に切り替え。観客はほとんどいない。大会の看板もない。スコアボールドだけは動いているがしょっちゅう間違う。中学生が操作しているのだろうか。リードされていた山田中が追いつき5-5で延長戦へ。10回からいきなり満塁にしてゲームが始まった。中学野球にはこういうルールがあるのか。決着はすぐについた。6対8。大東の逆転勝ち。僕の気持ちはやや山田中寄りだった。同じ市内でもこちらは毎日の散歩道の途中にある学校だ。

 次は城北埼玉中(私学)対西川越中。試合中だが球場の探検を試みた。一塁側のスタンドの外野寄りには小さな森?がある。踏み跡をいくとブランコのようなものがあった。秘密の場所で遊ぶこどもが残したものか。外側崖下は三芳野神社。急傾斜の坂を滑り降りると外野の芝生席に出た。

 本塁から91mの一塁線の終着点、捕手ー投手の真後ろ(スコアボールド下)、三塁線の終着点‥。誰もいない外野席のあちこちから選手たちの動きを見た。肩入れをしているティームの試合だとこんなことはできないだろうが‥。

 内野席に行くと試合後の大東中学のこどもたちが観戦していた。4月までは小学生だった幼(おさな)顔が沢山見える。3年生とはえらい違いだ。揉まれながら自分を磨いて成長していくんだなと思った。

 中学校の野球大会の観戦ははじめてかな?新しい楽しみが出来たなあ。我が家のこどもたちの卒業した初雁中の試合はいつあるのか?

 昼食を食べた食堂の新聞にも夜になって調べたネットにもなんの情報もなかった。さて‥。

 川越初雁球場               


国旗国歌強制問題最高裁判決  宮川光治裁判官の少数意見を支持する

2011-06-07 06:58:20 | こどもたち 学校 教育

5月30日に続いて6日、国旗国歌の強制命令に関わる最高裁(第一小法廷)の判決があった。判決は「間接的制約」なるものを認めつつも、国歌斉唱は「慣例上の儀礼的な所作」にすぎず、教員なら従うのが当然であり、思想信条の自由を侵害するとは認められないという。

 「教員は国家の下僕に過ぎない、その分をわきまえよ」という居丈高な判決である。こんな文章を臆面もなく書ける連中が日本の司法を牛耳っているのだ。第一小法廷を構成するのは<裁判長裁判官 白木 勇  裁判官 宮川光治  裁判官 櫻井龍子  裁判官  金築誠志  裁判官 横田尤孝>であるという。

 判決の後半にある宮川光治裁判官の少数意見を読んでみた。原告らの訴えに真摯に向き合おうとする人間の臭いを感じた。多数派の裁判官とは明らかに違ってその職責を果たそうとする誠意を読み取ることができた。最高裁にもこういう人がいたのか。

 読者はどう思われるだろうか。一読をおすすめする。

 参考資料●http://miso.txt-nifty.com/shinsa/miyakawa.html

 

 宮川光治裁判官の少数意見

 

1 国旗に対する敬礼や国歌を斉唱する行為は,私もその一員であるところの多

くの人々にとっては心情から自然に,自発的に行う行為であり,式典における起立

斉唱は儀式におけるマナーでもあろう。しかし,そうではない人々が我が国には相

当数存在している。それらの人々は「日の丸」や「君が代」を軍国主義や戦前の天

皇制絶対主義のシンボルであるとみなし,平和主義や国民主権とは相容れないと考

えている。そうした思いはそれらの人々の心に深く在り,人格的アイデンティティ

をも形成し,思想及び良心として昇華されている。少数ではあっても,そうした人

々はともすれば忘れがちな歴史的・根源的問いを社会に投げかけているとみること

ができる。

 上告人らが起立斉唱行為を拒否する前提として有している考えについては原審の

適法に確定した事実関係の概要中において6点に要約されている。多数意見も,こ

の考えは,「『日の丸』や『君が代』が過去の我が国において果たした役割に関わ

る上告人ら自身の歴史観ないし世界観及びこれに由来する社会生活上ないし教育上

の信念等ということができる」としており,多数意見は上告人らが有している考え

が思想及び良心の内容となっていること,ないしこれらと関連するものであること

は承認しているものと思われる。

 上告人らが起立斉唱しないのは,式典において「日の丸」や「君が代」に関わる

自らの歴史観ないし世界観及び教育上の信念を表明しようとする意図からではない

であろう。その理由は,第1に,上告人らにとって「日の丸」に向かって起立し

「君が代」を斉唱する行為は,慣例上の儀礼的な所作ではなく,上告人ら自身の歴

史観ないし世界観等にとって譲れない一線を越える行動であり,上告人らの思想及

び良心の核心を動揺させるからであると思われる。第2に,これまで人権の尊重や

自主的に思考することの大切さを強調する教育実践を続けてきた教育者として,そ

の魂というべき教育上の信念を否定することになると考えたからであると思われ

る。そのように真摯なものであれば,本件各職務命令に服することなく起立せず斉

唱しないという行為は上告人らの思想及び良心の核心の表出であるとみることがで

き,少なくともこれと密接に関連しているとみることができる。

 上告人らは東京都立高等学校の教職員であるところ,教科教育として生徒に対し

国旗及び国歌について教育するということもあり得るであろう。その場合は,教師

としての専門的裁量の下で職務を適正に遂行しなければならない。しかし,それ以

上に生徒に対し直接に教育するという場を離れた場面においては(式典もその一つ

であるといえる。),自らの思想及び良心の核心に反する行為を求められるという

ことはないというべきである。なお,音楽教師が式典において「君が代」斉唱のピ

アノ伴奏を求められる場合に関しても同様に考えることができる。

 国旗及び国歌に関する法律の制定に関しては,国論は分かれていたが,政府の国

会答弁では,国旗及び国歌の指導に係る教員の職務上の責務について変更を加える

ものではないことが示されており,同法はそのように強制の契機を有しないものと

して成立したものといえるであろう。しかしながら,本件通達は,校長の職務命令

に従わない場合は服務上の責任を問うとして,都立高等学校の教職員に対し,式典

において指定された席で国旗に向かって起立し国歌を斉唱することを求めており,

その意図するところは,前記歴史観ないし世界観及び教育上の信念を有する教職員

を念頭に置き,その歴史観等に対する否定的評価を背景に,不利益処分をもってそ

の歴史観等に反する行為を強制しようとすることにあるとみることができる。本件

各職務命令はこうした本件通達に基づいている。

 本件各職務命令は,直接には,上告人らに対し前記歴史観ないし世界観及び教育

上の信念を持つことを禁止したり,これに反対する思想等を持つことを強制したり

するものではないので,一見明白に憲法19条に違反するとはいえない。しかしな

がら,上告人らの不起立不斉唱という外部的行動は上告人らの思想及び良心の核心

の表出であるか,少なくともこれと密接に関連している可能性があるので,これを

許容せず上告人らに起立斉唱行為を命ずる本件各職務命令は憲法審査の対象とな

る。そして,上告人らの行動が式典において前記歴史観等を積極的に表明する意図

を持ってなされたものでない限りは,その審査はいわゆる厳格な基準によって本件

事案の内容に即して具体的になされるべきであると思われる。本件は,原判決を破

棄し差し戻すことを相当とする。

 

 

 

 

 

2 上告人らの主張の中心は,起立斉唱行為を強制されることは上告人らの有す

る歴史観ないし世界観及び教育上の信念を否定することと結び付いており,上告人

らの思想及び良心を直接に侵害するものであるというにあると理解できるところ,

多数意見は,式典において国旗に向かって起立し国歌を斉唱する行為は慣例上の儀

礼的な所作としての性質を有するものであり,その性質の点から見て,上告人らの

有する歴史観ないし世界観それ自体を否定するものではないとしている。多数意見

は,式典における起立斉唱行為を,一般的,客観的な視点で,いわば多数者の視点

でそのようなものであると評価しているとみることができる。およそ精神的自由権

に関する問題を,一般人(多数者)の視点からのみ考えることは相当でないと思わ

れる。なお,多数意見が指摘するとおり式典において国旗の掲揚と国歌の斉唱が広

く行われていたことは周知の事実であるが,少数者の人権の問題であるという視点

からは,そのことは本件合憲性の判断にはいささかも関係しない。

 前記歴史観ないし世界観及び教育上の信念を有する者でも,その内面における深

さの程度は様々であろう。割り切って起立し斉唱する者もいるであろう。面従腹背

する者もいるであろう。起立はするが,声を出して斉唱しないという者もいよう

(なお,本件各職務命令では起立と斉唱は一体であり,これを分けて考える意味は

ない。不起立行為は視覚的に明瞭であるだけに,行為者にとっては内心の動揺は大

きいとみることもできる。他方,職務命令を発する側にとっても斉唱よりもむしろ

起立させることが重要であると考えているように思われる。)。しかし,思想及び

良心として深く根付き,人格的アイデンティティそのものとなっており,深刻に悩

んだ結果として,あるいは信念として,そのように行動することを潔しとしなかっ

た場合,そういった人達の心情や行動を一般的ではないからとして,過小評価する

ことは相当でないと思われる。

 

 3 本件では,上告人らが抱いている歴史観ないし世界観及び教育上の信念が真

摯なものであり,思想及び良心として昇華していると評価し得るものであるかにつ

いて,また,上告人らの不起立不斉唱行為が上告人らの思想及び良心の核心と少な

くとも密接に関連する真摯なものであるかについて(不利益処分を受容する覚悟で

の行動であることを考えるとおおむね疑問はないと思われるが),本件各職務命令

によって上告人らの内面において現実に生じた矛盾,葛藤,精神的苦痛等を踏ま

え,まず,審査が行われる必要がある。

 こうした真摯性に関する審査が肯定されれば,これを制約する本件各職務命令に

ついて,後述のとおりいわゆる厳格な基準によって本件事案の内容に即して具体的

に合憲性審査を行うこととなる。

 

 

 4 平成11年8月に公布,施行された国旗及び国歌に関する法律は僅か2条の

定義法にすぎないが,この制定に関しては,国論は分かれた。政府の国会答弁で

は,繰り返し,国旗の掲揚及び国歌の斉唱に関し義務付けを行うことは考えていな

いこと,学校行事の式典における不起立不斉唱の自由を否定するものではないこ

と,国旗及び国歌の指導に係る教員の職務上の責務について変更を加えるものでは

ないこと等が示されており,同法はそのように強制の契機を有しないものとして成

立したものといえるであろう。その限りにおいて,同法は,憲法と適合する。

 これより先,平成11年3月告示の高等学校学習指導要領は,「入学式や卒業式

などにおいては,その意義を踏まえ,国旗を掲揚するとともに,国歌を斉唱するよ

う指導するものとする。」と規定しているが,この規定を高等学校の教職員に対し

起立斉唱行為を職務命令として強制することの根拠とするのは無理であろう。そも

そも,学習指導要領は,教育の機会均等を確保し全国的に一定の水準を維持すると

いう目的のための大綱的基準であり,教師による創造的かつ弾力的な教育や地方ご

との特殊性を反映した個別化の余地が十分にあるものであって(最高裁昭和43年

(あ)第1614号同51年5月21日大法廷判決・刑集30巻5号615頁参

照),学習指導要領のこのような性格にも照らすと,上記根拠となるものではない

ことは明白であると思われる。

 国旗及び国歌に関する法律施行後,東京都立高等学校において,少なからぬ学校

の校長は内心の自由告知(内心の自由を保障し,起立斉唱するかしないかは各教職

員の判断に委ねられる旨の告知)を行い,式典は一部の教職員に不起立不斉唱行為

があったとしても支障なく進行していた。

 こうした事態を,本件通達は一変させた。本件通達が何を企図したものかに関し

ては記録中の東京都関連の各会議議事録等の証拠によれば歴然としているように思

われるが,原判決はこれを認定していない。しかし,原判決認定の事実によって

も,都教委は教職員に起立斉唱させるために職務命令についてその出し方を含め細

かな指示をしていること,内心の自由を説明しないことを求めていること,形から

入り形に心を入れればよい,形式的であっても立てば一歩前進だなどと説明してい

ること,不起立行為を把握するための方法等について入念な指導をしていること,

不起立行為等があった場合,速やかに東京都人事部に電話で連絡するとともに事故

報告書を提出することを求めていること等の事実が認められるのであり,卒業式等

にはそれぞれ職員を派遣し式の状況を監視していることや,その後の戒告処分の状

況をみると,本件通達は,式典の円滑な進行を図るという価値中立的な意図で発せ

られたものではなく,前記歴史観ないし世界観及び教育上の信念を有する教職員を

念頭に置き,その歴史観等に対する強い否定的評価を背景に,不利益処分をもって

その歴史観等に反する行為を強制することにあるとみることができると思われる。

本件通達は校長に対して発せられたものではあるが,本件各職務命令は本件通達に

基づいているのであり,上告人らが,本件各職務命令が上告人らの有する前記歴史

観ないし世界観及び教育上の信念に対し否定的評価をしているものと受け止めるの

は自然なことであると思われる。

 本件各職務命令の合憲性の判断に当たっては,本件通達やこれに基づく本件各職

務命令をめぐる諸事情を的確に把握することが不可欠であると考えられる。

 

 

 5 本件各職務命令の合憲性の判断に関しては,いわゆる厳格な基準により,本

件事案の内容に即して,具体的に,目的・手段・目的と手段との関係をそれぞれ審

査することとなる。目的は真にやむを得ない利益であるか,手段は必要最小限度の

制限であるか,関係は必要不可欠であるかということをみていくこととなる。結

局,具体的目的である「教育上の特に重要な節目となる儀式的行事」における「生

徒等への配慮を含め,教育上の行事にふさわしい秩序を確保して式典の円滑な進行

を図ること」が真にやむを得ない利益といい得るか,不起立不斉唱行為がその目的

にとって実質的害悪を引き起こす蓋然性が明白で,害悪が極めて重大であるか(式

典が妨害され,運営上重大な支障をもたらすか)を検討することになる。その上

で,本件各職務命令がそれを避けるために必要不可欠であるか,より制限的でない

他の選び得る手段が存在するか(受付を担当させる等,会場の外における役割を与

え,不起立不斉唱行為を回避させることができないか)を検討することとなろう。

 

 6 以上,原判決を破棄し,第1に前記3の真摯性,第2に前記5の本件各職務

命令の憲法適合性に関し,改めて検討させるため,本件を原審に差し戻すことを相

当とする。

 

  出典●判決全文http://www.courts.go.jp/hanrei/pdf/20110606165018.pdf


「君が代処分」に最高裁判決

2011-06-02 17:50:21 | こどもたち 学校 教育

5月30日に最高裁判所第二小法廷は卒業式において教職員に国歌斉唱を義務付けた職務命令と違反者に対する行政処分を合憲合法とする判決を言い渡した。最高裁には同様の事例がいくつも係属しているが他の裁判で異なった判決(違憲)が出ることは考えられず、司法当局の裁きは実質的には終わったというほかはない。

 もちろん、これでいいというわけではない。学校現場での締め付けはますます度を越すことになるかもしれない。大阪では条例を制定してまでして東京と同じことをやろうとしている。事柄は民主主義の基本に関わる問題であり、日本国家と国民の運命に深く関わる問題である。

 私たちのひとりひとりが自分の意見を持ち、それを表明していくことが何よりも大事だ。判決文といくつかの見解が紹介されているHPがある。読者はどんなふうに考えられるだろうか。

     ●君が代起立命令に合憲判決http://blogos.livedoor.com/theme/national_anthem/

この問題に対する僕の意見や体験は「川越だより」にも何度か書いてきた。直近のは。

     ●川越だより「都教委の処分は職権濫用」 原告が逆転勝訴

        http://blog.goo.ne.jp/keisukelap/e/b57c92cab11803c3398b39a02023b3eb

 「民主主義と人権」派は都知事選挙に候補者を立てることもできず、石原知事の圧勝を許した。処分を振りかざしてまでして無茶をしてきた都教委の実質的な親分は石原知事である。都民が石原知事を信任したという政治的状況下で最高裁に違憲判決を期待することは木に縁(よ)って魚を求めるようなものだ。

 憲法無視の発言と行動を繰り返す知事の4選をやすやすと許してしまうような状況を打開することなしに学校に民主主義と人権を確立することはできない。最高裁判所が政治的状況から離れて、「中立・公正」に判決するということが一度でもあっただろうか。学校に民主主義と人権を確立しようとする人々の思想や運動のあり方も問われていると僕は思う。

 

 最初に結論ありきの政治的判決を書いたためか、三人の裁判官が長々と「補足意見」を書いているのが印象に残った。この人たちに司法の一員という矜恃(きょうじ)があるのならここに書いているようなことにこそ踏み込んで判決を書くだろう。「法匪(ほうひ)」と言うしかない。

 

①(裁判長裁判官須 藤 正 彦 )

最も肝腎なことは,物理的,形式的に画一化さ

れた教育ではなく,熱意と意欲に満ちた教師により,しかも生徒の個性に応じて生

き生きとした教育がなされることであろう。本件職務命令のような不利益処分を伴

う強制が,教育現場を疑心暗鬼とさせ,無用な混乱を生じさせ,教育現場の活力を

殺ぎ萎縮させるというようなことであれば,かえって教育の生命が失われることに

もなりかねない。教育は,強制ではなく自由闊達に行われることが望ましいのであ

って,上記の契機を与えるための教育を行う場合においてもそのことは変わらない

であろう。その意味で,強制や不利益処分も可能な限り謙抑的であるべきである。

のみならず,卒業式などの儀式的行事において,「日の丸」,「君が代」の起立斉

唱の一律の強制がなされた場合に,思想及び良心の自由についての間接的制約等が

生ずることが予見されることからすると,たとえ,裁量の範囲内で違法にまでは至

らないとしても,思想及び良心の自由の重みに照らし,また,あるべき教育現場が

損なわれることがないようにするためにも,それに踏み切る前に,教育行政担当者

において,寛容の精神の下に可能な限りの工夫と慎重な配慮をすることが望まれる

ところである。

 

 

 

②(裁 判 官  千葉勝美)

 

一般に,国旗及び国歌は,国家を象徴するものとして,国際的礼譲の対象

とされ,また,式典等の場における儀礼の対象とされる。我が国では,以前は慣習

により,平成11年以降は法律により,「日の丸」を国旗と定め,「君が代」を国- 32 -

歌と定めている。入学式や卒業式のような学校の式典においては,当然のことなが

ら,国旗及び国歌がその意義にふさわしい儀礼をもって尊重されるのが望まれると

ころである。しかしながら,我が国においては,「日の丸」・「君が代」がそのよ

うな取扱いを受けることについて,歴史的な経緯等から様々な考えが存在するのが

現実である。

国旗及び国歌に対する姿勢は,個々人の思想信条に関連する微妙な領域の問題で

あって,国民が心から敬愛するものであってこそ,国旗及び国歌がその本来の意義

に沿うものとなるのである。そうすると,この問題についての最終解決としては,

国旗及び国歌が,強制的にではなく,自発的な敬愛の対象となるような環境を整え

ることが何よりも重要であるということを付言しておきたい。

  出典●判決文全文http://www.courts.go.jp/hanrei/pdf/20110530164923.pdf

 

 

 


旧池袋商業高校校舎解体

2011-04-16 10:04:30 | こどもたち 学校 教育

4月15日(金)晴れ 

 今年初めての都心サイクリングに挑戦。

 恵美ちゃん(池商OG)宅に預かってもらっている愛車・順子号に乗って10時頃出発。決まっている行き先は有明(江東区)の癌研と芝(港区)の移民政策研究所。思いのままに行ってみたらこんな結果になった。王子に戻ったのは6時過ぎだった。

 

北区王子(恵美ちゃん宅)~王子3丁目クリニック(林守行さんの絵)~石神井川(桜)~北区滝野川・旧池袋商業高校~白山通り・本郷通り

~文京区東大前・馥苑~本郷通り・外堀通り・晴海通り~江東区・癌研有明病院~お台場海浜公園~レインボウブリッジ~港区芝(移民政策

研究所)~第一京浜~虎ノ門(弁護士事務所)~桜田通り・内堀通り~千鳥が淵(桜)~靖国通り・春日通り~文京区大塚(茗渓会館)~白山

通り、明治通り~北区王子(恵美ちゃん宅)

 

覚え書き

 ①恵美ちゃんのお父さんの絵が行きつけのクリニックに飾られていた。「ブナ林」。北上山地にいって何ヶ月も帰らなかったことがあり、どこかの旅館に沢山の絵が展示されていると生前に言っていたという。さてその旅館はどこにあるのか?何時かまた、探索の旅に出なければなるまい。

 ②王子駅裏の音無公園の桜に見とれているうちに自転車が石神井川沿いの桜並木に入ってしまった。それならばと池袋商業高校の跡地がどうなったかを見に行く。

 後ろ側の校舎は完全に取り壊されて更地になっているが玄関があるグラウンド側の校舎は残っている。修復して新しい学校の校舎として利用されるという。体育館とプールも活用されるらしい。校庭の桜は昔のママだ。

 来年にはフランス人学校がここに開校する。僕が18年間働いた思い出深い学校の跡に。

 ●http://blogs.yahoo.co.jp/guntosi/60339512.html

 隣の紅葉中の建物も撤去されて更地になっている。滝野川中と統合されてここに紅葉・滝野川中の新校舎が出来るという。

 遠い昔、世話になった故・八木茂夫さんの家があった辺りは木造の古い家がまだ沢山残っていて昔とそうは変わっていない。

 ③レインボウブリッジ  自転車が通れるかどうか心配だったが運良く通ることが出来た。今月末まで、自転車通行の実験をしているという。もちろん走行することは出来ない。自転車の後ろの車輪に車輪付きの下駄のようなものを履かせて押していく。管理人さんが強風を心配してくれたが、30分ほどをかけて渡った。途中でコンビニ弁当で昼食。

 ④茗渓会館。大学の同級生の富田くんが働いているので寄ってみた。20日にやはり同級の田上くんを鹿児島に訪ねるので土産話を持って行きたかった。新聞部の同級の文三郎くんも働いていた。両君と久しぶりにだべっている内に日が落ちてしまった。

 僕らが学んだ?東京教育大学は廃校になって今はない。校舎もすべて取り壊された。同窓会(茗渓会)の事務局からは母校の跡地に新しい建物が建設されるのが見えた。筑波大学関連の新校舎。

 池商といい、教育大といい、僕を育ててくれた学校の校舎もついに消え去って、思い出のみが残こされた。

 ⑤石神井川も千鳥が淵も花はほとんど散ってしまったが、この時期の桜の梢の風情もいいものだなあ。

 ●千鳥ヶ淵の桜http://www.kanko-chiyoda.jp/tabid/1233/Default.aspx

 走っている最中は花粉症状はほとんどでなかったが夜になって鼻がムズムズ、目覚めてしまった。

 

 


「都教委の処分は職権濫用」 原告が逆転勝訴 

2011-03-11 07:05:24 | こどもたち 学校 教育

昨日、東京高裁が卒業式で君が代の強制に従わなかった教職員を懲戒処分にしたのは職権濫用で取り消せという判決を出しました。都教委の命令そのものは「合憲」とお墨付きを与えたのですから、「原告勝訴」と喜んでばかりはいられません。

 しかし、友人たちの良心に基づく、やむにやまれぬ行動を正当なものと認め、処分は不当と判決しました。これは原告たちの長年の闘いが独善的なものではなく、民主主義と人権の確立・擁護に寄与してきたことを裁判所も認めざるを得なかったことを示しています。

 学校を上意下達の権力機関に再編してしまった石原都政にこの判決が打撃を与えることが出来るかどうかは未知数です。教育委員会は上告し、その姿勢はますますかたくなになるかもしれません。

 石原知事は今日、四選出馬を表明すると伝えられています。石原路線を死守したいと頑張るつもりでしょう。

 これからが勝負時です。民主主義と人権の確立・擁護を目指す人々がイデオロギー的な偏向・呪縛から自らを解放し、より広範な市民の支持を獲得出来るかどうか。それがカギだと僕は思います。

 昨日は土肥隆一という人が醜態をさらし、石原支持勢力を大いに鼓舞しました。こんな人に権力を任せられないというのはごく自然なことです。

 「贖罪意識」に絡み取られ、歴史と現実をありのままにとらえられなくなった人の犯す取りかえしのつかない誤りです。左派の友人たちの多くに同質の弱点があります。

 都知事選挙を前にして、「民主主義と人権」を旗印とする市民派は石原知事に対抗できる候補を擁立できるでしょうか。

 

 東京「日の丸・君が代」処分取消訴訟(一次訴訟)原告団・弁護団

                 声 明


1 本日(3月10日)、東京高等裁判所第2民事部(大橋寛明裁判長)は、都立学校の教職員168名が卒業式等の国歌斉唱時に校長の職務命令に従って起立斉唱・ピアノ伴奏しなかったために懲戒処分(1名が減給、167名が戒告)されたことに対し、処分の取消しと国家賠償を求めた事件につき、教職員らの請求を棄却した第一審東京地方裁判所判決を取消し、懲戒処分を取消す逆転勝訴判決を言い渡した。

2 本件は、東京都教育委員会(都教委)が2003年10月23日付で全都立学校の校長らに通達を発し(10・23通達)、卒業式・入学式等において国歌斉唱時に教職員らに対し、指定された席で国旗に向かって起立し、国歌を斉唱すること、伴奏すること等を命じて、「日の丸・君が代」の起立斉唱強制を進める中で起きた事件である。
 都教委は、卒業式等の国歌斉唱時に起立斉唱またはピアノ伴奏せよという校長の職務命令に違反したとして、控訴人らを戒告・減給等の懲戒処分とした。

3 判決は、控訴人らの不起立行為等は、自己の個人的利益や快楽の実現を目的としたものでもなく、生徒に対し正しい教育を行いたいなどという歴史観ないし世界観又は信条及びこれに由来する社会生活上の信念等に基づく真摯な動機によるものであり、少なくとも控訴人らにとっては、やむにやまれぬ行動であったということができる、と判示した。


 さらに、「歴史的な理由から、現在でも『日の丸』・『君が代』について、控訴人らと同様の歴史観ないし世界観又は信条を有する者は、国民の中に少なからず存在しているとみられ、控訴人らの歴史観等が、独善的なものであるとはいえない。また、それらとのかかわりにおいて、国歌斉唱に際して起立する行動に抵抗を覚える者もいると考えられ、控訴人らも、1個人としてならば、起立を義務づけられることはないというべきであるから、控訴人らが起立する義務はないと考えたことにも、無理からぬところがある」と判示した。
 そして、控訴人らの行為によって卒業式等が混乱したという事実はなかったこと等も踏まえ、結論として、不起立行為などを理由として懲戒処分を科すことは、社会通念上著しく妥当を欠き、重きに失するとして、懲戒権の範囲を逸脱・濫用するものであるとして違法であるとし、控訴人らに対してなされた各懲戒処分を取り消した。
 一方で、10・23通達及び職務命令は、憲法19条及び20条に違反せず、改定前教育基本法10条の「不当な支配」にもあたらないと判断した。
 また、損害賠償請求については認めなかった。

4 私たちは、判決が、本件懲戒処分を裁量権逸脱として取り消したことを、高く評価する。
 一方で、「日の丸・君が代」を職務命令をもって強制することを憲法19条違反、改定前教育基本法10条違反と判断しなかったことについては、承服しがたい。

5 都教委は本件において下された司法判断を上告せずに受け入れ、すべての教職員に対する懲戒処分を撤回するとともに、直ちに10・23通達を撤回し、教育現場での「日の丸・君が代」の強制をやめるべきである
 この判決を機会に、教育現場での「日の丸・君が代」の強制に反対するわたしたちの訴えに対し、皆様のご支援をぜひともいただきたく、広く呼びかける次第である。

 2011年3月10日

東京「日の丸・君が代」処分取消訴訟(一次訴訟)原告団・弁護団
 
●「川越だより」より

「君が代」の強制と裁判」http://blog.goo.ne.jp/keisukelap/e/1c211a976ee886b2a0c06fdca1dd7c8e

 

 


コニヤンの「出発式へのメッセージ」

2011-03-03 12:23:03 | こどもたち 学校 教育

高知のコニヤンが働いている不登校の中学生が日々集う「教育研究所」でも3年生の<卒業>の日が近づいているようです。生徒たちの学籍はそれぞれ地域の
中学校にあるわけですからここで「卒業証書」をもらうわけではありません。だからか、「卒業式」とは言わず、「出発式」です。「出発」という言葉にはここに関わる
すべての大人たちの子どもたちに贈るメッセージが込められているのでしょう。
 コニヤンは自分が関わってきたすべての卒業生に毎年、毎年、「出発式のメッセージ」を贈っています。僕が知ったのは3年前のことです。高知にこんな教師が
いるのか、それも僕の高校の後輩に!驚くやら、嬉しいやらで、早速、同窓会名簿で本人確認を試みたものです。
 それ以来、僕の方は勝手に百年の知己のように思ってつきあってもらっています。こんな教師がいることを日本中の人に知ってもらいたいとも思います。
「出発式」は何年間、あるいは何ヶ月間のつきあいの総決算ですから、こういうメッセージがどういう営みの果てに生まれたかは想像力の世界です。コニヤンのブ
ログを読んでいると子どもたちとつきあう日々の営みがどんな風であるか、どのような人生の歩みの中で生み出されたか、想像する資料の宝庫に出会うことが出
来ます。
 勝手ながら今年の「出発式へのメッセージ」をそのブログから紹介します。本番は14日です。
 
「出発式へのメッセージ」
今年もいよいよ出発式の季節が近づいてきました。
今年度も子どもたちからたくさんの「人生の真実」を教えてもらいました。
そのことをここに綴りたいと思います。ああ有情。
 
 Aくんへ
2年半のつきあいだったよね。3年の3学期になってからの通所はすごかった。君の強い意思をいつも教えてもらったよ。みんなのなかに入って生き生きとやりよったもんね。大丈夫。これからの高校生活に期待しているからね。「自分の好きなことに没頭する」ということをいつも教えてくれてありがとう!
 Bくんへ
2年3ケ月のつきあいだったよね。通いはじめの頃からいうと、トライや駅伝とやり通し、ずいぶんと成長したね。自分の言葉をしっかりと持っていた。後輩にやさしく接したり、後輩にめんどうみのいい君の姿にいつも学んでいた。テニスも上達したね。
いつも「感性の鋭さ」を教えてくれてありがとう!
 Cくんへ
2年間のつきあいだったよね。(2年の時はK先生。直接担当になったのはこの1年間だったよね。)野球も上手くなったね。
あの文化祭の「意見発表」は感動したよ。
この2年間の成長ぶりはすごかったよね。
君のやさしさをいつも感じていたよ。
「誠実に生きる」ということをいつも教えてくれてありがとう!
 Dさんへ 
2年間のつきあいだったよね。
(2年の時はS先生、3年の時はМ先生とダブル担当だったね。)
トライの時もよく歩き通したよね。いつも控えめながらも自分の考えをしっかりと持っていた。家の手伝いもきちんとやっていたもんなあ。
「地道にマイペースで生きること」をいつも教えてくれてありがとう!
 Eくんへ
2年間のつきあいだったよね。
(2年の時はK先生、直接担当になったのはこの1年間だったよね。)
君の笑顔をいつも忘れない。これからもその笑顔を忘れず、自分からできることをやっていってほしい。野球も上手くなったね。
「自分のペースをつかむ大切さ」をいつも教えてくれてありがとう! 
 Fくんへ
2年のつきあいだったよね。あの文化祭のオリジナルダンスはすごかった。感動した。一度やると決めたらその通りに実行する君の強い意思をいつも教えてもらったよ。
「人間にはそれぞれの自分のペースがある」ということをいつも教えてくれてありがとう!
 Gくんへ
1年半のつきあいだったよね。
友達もたくさんできて、ずいぶんとたくましくなったもんね。
文化祭での「コント」は一生忘れないよ。私にとっても初めての「コント」だったからね。学習意欲もすごく出てきたよね。
料理や音楽、サイクリングなど君の多方面にわたる興味関心を生かす道は必ずあるからね。
肯定脳でいけよ。
「肯定脳の大切さ」をいつも教えてくれてありがとう!
 Hくんへ
1年1か月のつきあいだったよね。
よく生き方とか、いろいろなことを話したよね。君の笑顔がいつもステキだった。生活リズムを大切にしてこれからもがんばってほしい。
「ボチボチ力の大切さ」をいつも教えてくれてありがとう!
 Iくんへ
11ヶ月のつきあいだったよね。目標に向かってやりきったことはすばらしいよ。英語もどんどんやっていきよ。
高校での放送部での活躍に期待しているからね。
いつも「こつこつやる大切さ」を教えてくれてありがとう!
 Jくんへ
10ヶ月のつきあいだったよね。文化祭での空手の演武かっこよかったよ。すごく自立に向けて成長してきたなあと感じているよ。これからも空手を始め、いろいろとやってみたらいいよ。
いつも「前向きに明るく生き、しかもノーテンキである」と「感性を磨くこと」を教えてくれてありがとう!
おばあちゃんをこれからも大切にしろよ。
 Kくんへ
6ヵ月のつきあいだったよね。自分からの意思を強く感じた。
そして、心を開いてくると自分の行動が変われることを身をもって示してくれた。「自分の意思を貫く大切さ」をいつも教えてくれてありがとう!
 Lくんへ
 5ヶ月のつきあいだったよね。自転車で初めて学校に一緒に行った時の光景を今でも鮮明に覚えているよ。週に一回学校に行き始めた君が次第にたくましく成長していく姿が私にはすごくうれしかった。
「学校に行くことの意味」をいつも教えてくれてありがとう!
 Мさんへ
 中2の終わりから会っていたけど、本格的に話をしたのは3年生の最後の四ヶ月だったよね。自分を語れる「言葉」を持っている。演劇をやりたいという夢がある。どんどん自分のものを出していってほしい。
「自分の思いを語る大切さ」をいつも教えてくれてありがとう!
 Nくんへ 
1か月のつきあいだったよね。あまりゆっくり話せなかったけど、君のまっすぐな気持ちがいつも伝わってきたよ。「人を信頼するとは」ということをいつも教えてくれてありがとう!
【コニヤンからのメッセージ】
 今年は、3年生を14名担当した。
 
私も退職まで後4年となり、日々君たちと接している時間がすごく貴重に思えてきた。
 
オジサンの私がいつまでも心身ともに若くいられるのは、君たちから輝くような「感性」というエキスをもらっているからだといつも思っている。君たちとつきあって、いつも感性を磨かせてもらった。
 
そして、一人ひとりから人生を生きていくのにすごく大切なことを教えてもらったよ。こうして、出発する子どもたち一人ひとりにメッセージを書いていると、私は、一人ひとりの子どもたちからたくさんの『ココロのプレゼント』をしてもらっているのに気づく。
 
そしたら、私たちが、どんなことをみんなに贈ることができたのだろうか。
 
悩みを聴き、不安をなくして、安心できる居場所を提供し、そして、その中で共有しながら生きてきた、ただそれだけのことだったのかもしれないなあと・・・。ほんとうに『教育ってなんなんだ』とか、そんな大きすぎるメッセージはないなあと・・・。
  
毎日の小さな、小さな『営み』。その繰り返される日常の中で、私たちの営みがなされていること。そのことに、ふと気づいたとき、私は、いつも現実を前にして悩んでしまうのだ。
でも、そんな小さな営みの中で、私たちは、いつも君たちの中からダイヤモンドのような輝きを見つけることができた。それが、私たちにとっては、大切な宝物なんだよね。こんな小さな小さな営みが、実は、私たちにとっては、『生きがい』だったと思っている。
 
毎年の「出発生に贈る言葉」は、決まっている。
 
あのジェームズディーンの映画『エデンの東』に出てくるセリフ。
☆「人間は、他の動物とちがって星の数ほどある生き方の中から自分で選ぶことができるんだ」ということ。
☆☆自分の生き方を自分で決めるということ。このことを大切にして
これからも生きていってほしい。
★「今日も笑顔でボチボチです!」人生、ボチボチ力ですよ。これっすよ。それとね、やはり
★★「肯定脳で生きること」
これやね。グッドラック!!!ほんとにありがとう。    ああ有情。
                (文責:コニヤン/2011.2.27早朝・記)

 

出典●http://blogs.yahoo.co.jp/gogokoniyan/51851932.html

 

●川越だより「こにやん」http://blog.goo.ne.jp/keisukelap/d/20080327