川越だより

妻と二人あちこちに出かけであった自然や人々のこと。日々の生活の中で嬉しかったこと・感じたこと。

休養日

2013-04-12 15:05:34 | 父・家族・自分
4月12日(金)はれ

昨日はガン研有明病院でCT検査がありました。洪さんの所に預けてあった順子号を半年ぶりに乗り回しました。
疲れが出たのか今日は一日中、ベッドの中です。
ベッドから見える世界です。


隣の駐車場との境に刑務所のような高い壁があります。コリンゴの木はまっすぐに中空に伸びて二階の屋根に届くほどです。
お連れ合いを亡くした愛子さんに電話して励ましました。いつだったか癌研有明病院で偶然であって夫君の闘病を知りました。まさかの訃報に驚きました。愛子さん頑張れ!

闘いのときが来た

2013-04-11 08:05:54 | 韓国・北朝鮮

4月10日(水)晴

久しぶりの我が家です。コリンゴがはなざかり。

 写真: 我が家ではコリンゴの花盛り

午後、飯能の病院に義母を見舞いました。順調な恢復で顔の表情も豊かになってきました。


 

先日の新聞記事です。遅まきながら紹介します。

大沼校長は遠い昔、僕の生徒だった人です。

教員や校長は何をしなければならないか、どういうことができるか。

一つの見本を見せてくれました。

理屈をこねまわすこととは無縁な人です。

姉弟はこういう人に出会うことができてラッキーだったと思います。

「ふたつの国がいい関係になる」ためには独裁との不退転の闘いが不可欠です。

僕は何をしなければならないのか、どういうことができるか。

気力だけは充実してきたように感じます。


 

 


「朝日新聞」2013年(平成25年)4月4日(木) 


転校生は北朝鮮から

高層マンションが立ち並ぶ東京都江東区。4年前の冬、区立豊洲北小学校にやせ
細った姉と弟が仲間入りした。始業式の日、校長は全校児童を前にこう紹介した。
「北朝鮮から来た転校生です」


学校、生活物資募り支援

5年生に入った朴さんと3年生の朴くん(仮名)。北朝鮮で生まれ育ち、国の将来
に失望した母親(42)に連れられて国境を越え、日本にたどりついた。父親は事
情があって、いまも北朝鮮にいる。
日本での身寄りは、先に脱北していた祖母(69)だけ。日本語もほとんどできず、
着の身着のままだった。関係者の依頼で当時の大沼謙一校長(62)が、学校を挙
げての支援を引き受けた。大沼校長のつてでアパートを借りた。教職員や保護者
から、不要になった服や電気製品が集まった。

朴さんの担任は、川辺章絵教諭(41)。教科書にぴっしりと読み仮名を振り、予
習をしてくる姿に驚いた。
なぜそんなに一生懸命なの、と尋ねると、朴さんは言った。「勉強する時間があ
るのはうれしい。それに日本にはなんでもある」
北朝鮮の地方では、電力不足で夜すぐに暗くなる。鉛筆もノートも粗悪だった。
「北朝鮮から来たと言うと、特別な目で見られ、プライドが傷つくことがあった。
勉強で負けたくない気持ちもありました」と、朴さんは振り返る。

弟の朴くんが5年生だった秋、悔し泣きして家に帰ったことがある。友達に「な
んだよ、北朝鮮のくせに生意気だ」と言われた。この年も担任だった川辺教諭は、
授業時間をつぶし、全員を厳しく諭した。
「私たちが友達になるときに、どこの国の人だからって選ぶかな?悪いイメージ
の国だからといって、それで人を判断するのは間違っているよ」
 級友の心ない言葉は次第に病んだ。
朴くんはたくさんの仲間をつくり、そして卒業していった。

法律を学び、同胞救いたい

姉弟は中学では、「韓国から来た」ということで通すことにした。迷ったけれど、
北朝鮮のことをいちいち説明するのはわずらわしい、と考えたからだ。

朴さんはこの春、都立高校に進む。将来は法律を学び、北朝鮮の人たちの支援に
かかわるのが夢。中2になる朴くんは部活に明け暮れる日々だ。2人とも社会人
になったら、正直に名乗るつもりという。

拉致問題、核保有、「戦時状況突入」。母国のニュースが流れない日はない。
2人は時々、昔見た北朝鮮のアニメや映画をインターネットで探し、懐かしむ。

4年前、姉弟を受け入れた大沼校長は「大人になるころには、二つの国がいい関
係になっているかもしれない。両国の懸け橋になれるような国際人に育ってほし
い」と話している。(石橋英昭)


日本の脱北者
 北朝鮮から中国に脱出した人のうち、かつて帰還事業で北朝鮮に渡った在日朝
鮮人や日本人配偶者、その子孫らについて、日本政府は受け入れている。199
0年代後半から増え、現在は200人ほど。2006年にできた北朝鮮人権侵害
対処法は保護や支援策を政府に求めているが、日本到着後の生活の世話はNGOや親
族に委ねられているのが現状。日朝両国の赤十字による帰還事業では、59~8
4年に9万3千人余が渡った。



旅の終わり

2013-04-10 06:06:52 | 出会いの旅
4月9日(火)晴
ナリちゃんの中学校卒業式の日に東京港を出航した長い旅路も今日でおわりです。今日はナリちゃんの高校入学式の日です。先日、新聞で法学部に進む抱負があると紹介されていました。楽しく充実した高校生活を送って欲しいものです。

勝沼ぶどう郷駅近くの旧いトンネルが遊歩道になっています。

ちょっとだけ歩いてみました。隣のトンネルを通過する列車の轟音が響きます。不思議な世界です。

駅からの眺め。南アルプスの山々が見えます。


塩山の町のはずれで桃の花の美しい景色に出会いました。もうすっかりあきらめていた景観です。


雁坂トンネルを通って川越に3時には到着。雁坂峠は冬景色、奥秩父の村々は満開の桜の歓迎です。
21泊22日の旅を無事に終えることが出来ました。感謝あるのみです。

富士山三昧

2013-04-09 05:26:25 | 出会いの旅
4月8日(月)晴
浜松から新東名高速道路に乗る。思ったよりトンネルが少なく快適な走行。
新富士Ic付近。

西富士道路。朝霧高原。


山梨県の笛吹川フルーツ公園。甲府盆地の桃の花は終わっていて残念だがハナモモ りんごなどは花盛り。
ここからも富士山が見える。


りんご


スモモ


3時には勝沼の民宿 川口園。長かった旅の最後の宿。魚料理に辟易しかけていたのでワインの宿の味は格別だ。

よかったね、一周年

2013-04-08 05:35:27 | 父・家族・自分
4月7日(日)曇雨晴

嵐は鎮まったので鳥羽からフェリーで伊良湖岬に渡ることにした。

鳥羽港の向こうに九鬼嘉隆の居城跡が見える。


伊良湖水道に怪しげな船が現れた。九鬼水軍の日本丸か。


思ったより穏やかな航海で気分は爽快。浜名湖畔の舞阪で娘夫婦と昼食を共にすることにした。
ちょうど結婚一周年の日にあたる。
「友だちにめぐまれていることを確認した一年でもあった」という。
5月にアイルランドへ新婚旅行にいく。二人を出会わせた歌手の故国だ。

午後は村上くん夫妻を急襲した。

村上くんは大学の後輩で今は芸術大学の先生。予告なしの訪問だが喜んでくれた?
いまは版画の修行中らしい。制作中の版木を見せてくれた。「夫婦相和し」というが本当に素敵な感じがするお二人である。この辺りに縁ができて会えるようになったのはとても嬉しい。

静岡県森林公園の森の家に泊まった。

鳥羽 九鬼嘉隆の供養塔

2013-04-07 05:40:34 | 出会いの旅
4月6日(土)曇のち暴風雨

民宿の女将さんが本をプレゼントしてくれた。【志摩の古謡】。
民宿べートシャロームのある和具は海女の里。女性たちの労働がどんなに厳しかったか。女将は最近亡くなった海女さんの人生を語ってくれた。
朝鮮の済州島にまで行ったという。聞かせてくれた海女たちの悲しい唄を紹介したいといって本をくれたのである。

的矢神社に参詣したあと、鳥羽市の歴史文化ガイドセンターを訪ねた。
ちょうど「九鬼嘉隆展」が開かれていた。風雨の中ガイドさんが近くの寺に案内して、嘉隆の供養塔をみせてくれた。

九鬼水軍の跡をたどる志摩の旅の終わりにふさわしい半日になった。

早めに相差パシフィックホテルに入って嵐の海の景観を楽しんだ。

九鬼水軍発祥の地 波切

2013-04-06 07:27:18 | 出会いの旅
4月5日(金)晴
浜島港。カツオ船。

船乗りだったおじいさん三人組に出会った。80歳、仲良く散歩中。往時の盛況は夢まぼろし、か。

アオサノリの洗浄と圧縮。


九鬼嘉隆の城跡からの眺め 大王崎

九鬼氏ゆかりの仙遊寺


波切(なぎり)港 ここを拠点に志摩の覇者になったのか。



紀伊長島

2013-04-05 06:38:53 | 出会いの旅
4月4日(木)晴

紀伊長島の街を歩いた。

90歳になる小川欣也さんが町の盛衰を語ってくれました。

「海と山の幸に恵まれ、映画館が4軒もあった。悪運に恵まれ長生きしたが、悪友の一人もいなくなった。」

仏光寺の津波流死塔

ここもたびたび津波にやられた。

長島港


南島大橋から

懐の深い入江が続く。

紀州から志摩へ。早めに浜島の宿に着いた。英虞湾の入口。


熊野海岸

2013-04-04 07:14:53 | 出会いの旅
3月3日(水)晴
鬼ヶ城。海蝕と風海蝕による岩の芸術。





二度目だが感動新た。

新鹿(あたしか) の植地さん

徳司神社の遷宮工事中。40年ぶりという。過疎の進行で資金難のため。

子宝の宮


九鬼港


九鬼湾口


九鬼神社階段

海金剛

2013-04-03 08:24:02 | 出会いの旅
4月3日(水)
朝から晴れ渡りました。熊野権現の加護か。

今日からは九鬼水軍の活躍の舞台を訪ねる旅です。

4月2日(火)曇雨
大島にわたって見残した海金剛へ。

何とケマルアタチェルク像が。


トルコの軍艦が遭難したのが縁で和歌山はトルコと友好関係を結んでいるという。


太地 クジラ浜公園
キャッチャーボートの手前に「刃刺(はざし)」の像が見える。

梶取崎 太地


こんな素晴らしい「アコウ」樫野崎(大島)

ここは串本向いは大島

2013-04-02 06:54:11 | 出会いの旅
4月1日(月)晴

南紀の海岸は明るくのびやか。気持ちが格別。
すさみの童謡の園。ウキウキする気分。
ハマダイコン

串本の橋杭岩(はしくいいわ)。聞きしに勝る景観。穂谷さんが教えてくれたウドン屋もなかなか。


大島のサギのコロニー

宿から見える今の景観。曇り空です。

旧友(級友)新友

2013-04-01 06:50:43 | 友人たち
3月31日(日)曇
宿近くの恵康病院に鄭秀男さんを訪ねました。中学の同級生で30年近く僕らの社会運動を支援してくれました。
重態の患者さんがおられて病院に泊まり込みです。土曜も日曜もありません。地域医療の聖者に近づくのかとおもいます。

四国の友人たちに会う旅が終わりました。ありがたきかな、ともがき。

徳島港から南海フェリーで和歌山にわたりました。
主治医の従兄弟にあたる穂谷さんが夕食会に連れて行ってくれました。先年は京都まで出迎えて京見物をさせてくれた方です。
「川越だより」の取り結んでくれた縁ですがこれってスゴイですよね。
「民間救急」で世界中で活躍中です。人生の話を心ゆくまで聞かせてもらいました。

(紀州の旅が始まります。おかげで体調もまずまず。)