心の色を探して

自分探しの日々 つまづいたり、奮起したり。
マウス画・絵及び文章の著作権は このブログ作者(けい)にあります。

もうひとり新しい孫が♪

2015年07月15日 | ほんのすこし
娘に子どもが生まれ すでに1歳と7カ月を過ぎましたが、今度は 息子に子どもが生まれました。
女の子です。5日に生まれました。立ち会うことはできませんでしたが、翌日 生まれたばかりの赤ちゃんに会ってくることができました。一緒に娘家族も行きましたが、娘の子が赤ちゃんを何度も見て「かあいい かあいい」を連発していたのが今も目に浮かんできます。
赤ちゃんは小さくて ほわほわとしていて・・・みんなこうだったんだなと改めて赤ちゃんの存在があるって素敵だなと思っています。赤ちゃんを見るみんなの顔が柔らかくなるのは 赤ちゃんの魔法みたいです。

これから暑くなっていく時期、あせもとかあれこれ大変なことも待ち受けているかと思うのですが、新米パパママ共に頑張ってくれることでしょう。息子がもうメロメロになっている様子がわかります(笑)
出生届を出してきたよ と、メールがありましたが、きっとどきどきしながら役所で提出したのでしょうね。父親の大事な役目、無事に果たしてきたよという思いなのでしょうね。

もっと大きくなってから また会いに行こうと思っています。今はゆっくり体を休めて 向こうのお母さんに沢山甘えて赤ちゃんの世話をしてほしいと伝えましたが、本当にこれからのことを考えると 夜中も何度も起きなくてはいけないし、おむつ交換やらお風呂やら 赤ちゃんと四六時中一緒にいてやるべきこと 心配することだらけだと想像しています。そして息子がそばでやるべきこともあるだろうと。
娘が出産後 娘のところに手伝いに行ったとき、だんなさんが思っていた以上に赤ちゃんの世話を買って出ていることに内心驚いたものです。今の方はお父さんも積極的に子育てに参加しているんだなぁと ある意味とっても羨ましいものを感じていました。息子も多分 子育てに積極的に取り組むパパになってくれるのではないかと思っています。

赤ちゃんが生まれるってすごいことです。周りの大人にしあわせを与えてくれているなと感じます。
そして その成長にハラハラどきどきしながら 発見や感動がいくつもあって、赤ちゃんが与えてくれる素晴らしいものは一体どれだけあるんだ?と思うほどです。

※※ちゃん この世に生まれてくれてありがとう。
たくさんの人に喜びを与えてくれてありがとう。
ばあばは もう少し頑張って生きなくてはね。だって 孫が二人もいるんだもの、病気なんかしていられないよね。

そんな気持ちにさせてくれる不思議な存在 それが孫なんだなぁって最近とくに思ってしまう私です♪



今日 決めるんですか?

2015年07月15日 | ほんのすこし
幼い子供が おもちゃを欲しがって泣いている。母親はその行動に 困り果てている。だが、最後まで買い与えることはしない。
なぜなら 欲しいものを得るために泣くことが常套手段だと思わせてしまうからだ。
そして その欲しいものが案外すぐにも飽きて捨てられることを経験から知っているからだ。
子どもは泣きわめくことで すべて手に入れることが出来ると勘違いしてしまうが、そういう勘違いがはなはだ人生にとっては排除すべきものだということを早めに身を持って知ることが大事だと 親は思う。
ただ 時には欲しいものも与えていいだろう。

勘違いしているのは 選ばれた人だ。選んだ人が大事なのに 自分が上に立っていると思ってしまう。これがそもそもの間違いで選挙で選ばれるとすぐ「先生」と呼ばれることにも嫌なものを感じる。
地元では 議員になると一段高い存在のように見られるのもまたどうかと思う。先日の友人との会食でもそのことが話題になった。友人曰く
「議員の給料を減らして 手弁当でやってもいいってくらいの人が議員になることにすればいいのよ。あんなに高い給料払うもんだから、絶対止めませんなんてことになる」
と憤慨。さらに
「なんで あんなに人数いるの?(地元の議員)もっと減らしてもいいでしょ」
と言う。そこから国会の話やらオリンピックの話やらに発展。女子だからといって侮るなかれ。今のご時世に物申す!ってな具合で(笑)

一体 何を言いたいのかというと。
最初に出した子どもと母親の関係が今の安全保障関連法案のように見えてくるということ。欲しいものはなんとしても手に入れる。手に入れることで満足するが、その後の運命(やがてその法案がどのような未来を呼び寄せるかなどと想像もつかない)にまでは自分の関知せぬことだと。
母親は子どもが無事成長することを願うのだが、その母親の態度いかんによっては子どもは増長した人間になりかねない。時にはそれが子どもの将来にとって良くない影響を与えるものだと判断すれば聞き入れることを良しとしない。
だが、母親自体が弱かったら?母親の意思があやふやだったり 無関心だったりしたら?子どもは野放し状態になるだろう。

今日が 未来を変える それも暗い未来を運んでくるものだとしたら、戦争で命を失ってきた数え切れない人たちの存在は一体なんだったのだろうと思う。国会を取り巻く数万人の人々の姿が先の戦争で叫ぶことができずにいた母親たちの姿のように思える。あの姿を見て なんとも思わないのだろうか。「法案を通す」ことに固執せず、もっと先のことを話し合うことが必要だと思うのだが。前提に「武力行使ありき」ではなく、未来は「平和である」と願うことが一番先にあるべきだと思う。マイナスの予想をするのではなく 理想の姿を強く思うことが、未来を導くはず。「平和な社会」である日本や世界を描くことが前提になくて どうして未来が明るいと言えるのだろう。