心の色を探して

自分探しの日々 つまづいたり、奮起したり。
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2017年10月18日 | ほんのすこし
最近は朝から晴れ渡る空! という感じがなく、どんよりした空を見ている事が多くなっています。
昨日はそんな毎日の中でポッと現われた綺麗な空でした。
こういうときにフットワークが軽い方は外に出てあちこち行くのでしょうけど、わたしはグズグズしてばかり。部屋にいると東側の窓のレースのカーテンに光が当り、白い壁にそのままカーテンを映りだしています。
光が作るまがいもの、かな。影が案外綺麗に出ていたので思わずパチリ。

影の存在を部屋で感じるなんて。
ちょっと新鮮な気がしました。

そういえばわたしが自分の影について知ったのはいつだったのかしらね。
思い出しても全然浮かびません。
しばらく前に娘が息子(一歳)が壁に写る自分の影を見つけて「影の存在に気づいた!」とインスタグラムで報告していたことを思い出しました。彼は一歳で影の存在を知ったのです。
ならば私は?
ちっともわかりません。
影自体にも興味がなかったのかしら。

でも年と共に影の存在を知り、影と言う言葉に魅力を感じるようになります。そこにあったのは自分では分からない不可解なものへの不安でもあり、期待でもあり。
科学ではしっかり解決されていることでもそれを知ったうえでも影という存在がそこかしこにあるその妙にあやふやでふわふわした気分は、なんともいえず。数式や理論というものではきっぱり言えない、なんというか影と共にある自分という設定がミステリアスだと思える部分にどうしようもなく共感してしまうのです。

影という言葉がそう思わせるのかな。
影踏み遊びもありましたね。
夕暮れ、まだ日が落ちる前、長く伸びた影は自分よりずっと大人びていて、ずんずんと日が沈んでいくにつれ影が周りに同化していきます。
夜は影を飲み込んで夜になっていくんだなと思ったものです。
そうね、夜の深い闇の色は影を飲み込んだからなのかな。
そんなことも思ったりします。

影をたまたま見つけたりすると、そこに在るわたしは果たして本当の自分の自分なのかと疑ってみたくなります。