昨年のクリスマスイブ。
いつものお店に集まり、それぞれが持ち寄ったプレゼントを交換しました。そのとき写した画像です。照明を落とした店内で わたしの作った雪だるまサンタと赤い実がぎっしり入ったキャンドルが並べられました。不思議と渋い赤二つといった感じに見えて クリスマスらしい雰囲気になった気がしました。
プレゼントって悩みます。
相手がどんなものを望んでいるのかを考えて選ぶわけですが、そのときに脳裏に浮かぶのは 相手のプレゼントを開けたときのリアクションでしょう。こんなリアクションをしてくれるんじゃないかという想像を抱くので、それが現実とずれがあると落胆したり 鼻高々になったり。
人によっては感情を表に出すことが苦手な方もいます。特にこういったプレゼントをもらったときの反応を見せるのが苦手と言う方 結構いるように思います。また いただいたプレゼントをその場で開いてみるという行為をせずに後で見るという方も。あげた方は やはりその場で開いて開けたときの反応を見たいし、どんな言葉が返ってくるのか知りたいという気持ちもあります。以前のわたしは後で開けることが多かったのですが、わたしの友人たちはその場で開けることが多いです。そして彼女たちの誰もがいただいた内容いかんにかかわらず 喜びを最大限に表してくれます。それを見ると 自分が今までやってきた(後で見るという)行為は 改めなくちゃいけないなぁと思っています。
わたしはなぜ後で見ていたのでしょう。
そこにあるのは いただいたプレゼントをひとりでゆっくり開けるそのしみじみとした瞬間が好きだったからです。でも それは多分相手の気持ちを深く考えずにいたということの裏返しだったのかもしれません。義理であげるプレゼントでない限り 相手のことを考えた気持ちが入っているプレゼントです。それを選んだときの気持ちをくみ取る余裕がもらう私のほうになかったのかなとも思います。
目の前で開けてみるというスマートさを身につけたいと思います。「開けてみて」と促される前に 喜んで「わぁ なんだろう」とリボンに手をかける仕草が うまく出来る人になりたいなと。
「後で開いてね」と言われない限り。
プレゼントで思うことはもう一つあります。
手づくりのものをプレゼントするという行為。もしかして自己満足の極みがこれかなと思うこともあります。相手が自分が作ったものを身につけてくれる あるいは部屋に飾ってくれる・・・でもいただいた本人にとってはあまり気に食わないものだったとき、手づくりのものを処分するのはココロ苦しい。特に大きなものの場合は 困る。それでも手づくりは世界に一つしかないもの。
わたしもずっと前、クリスマスプレゼントにシルクの毛糸でマフラーを編んでプレゼントしたことがありました。軽くて暖かくて・・・いいだろうなと思ったのです。編んでいる間は なんだかいい気分でした。これを受け取った相手が身につけているところを想像しては少し浮き浮きしていました。ぎりぎり間に合ったプレゼント完成。相手に会う機会がなかったので 置いてきました。
その数週間後 相手の家に行く機会がありましたが、長いテーブルの上に無造作に袋から引き出されたままのマフラーの姿を見たとき 自分の愚かさに気が付きました。
今さらこんなことをして・・・そういう言葉が目の前に投げ出されている気がしました。
さっさとマフラーを片付けて帰ってきました。
プレゼントって自分が思う気持ちと相手の思う気持ちに格段の差があったとき、嬉しさの度合いが全然違う気がします。どんなものでももらえたら嬉しいと思う相手は 好意を持っている場合だし、こんなものもらってもなぁと思うのは どうでもいい相手 そう思えます。いずれにしてもプレゼントを何にしようかと悩む時間が楽しいものでもあると思える そんな相手がほしいものです。さしずめわたしだったら、これから先は孫が喜ぶものは何かって考えることが楽しい時間なのでしょうね♪
いつものお店に集まり、それぞれが持ち寄ったプレゼントを交換しました。そのとき写した画像です。照明を落とした店内で わたしの作った雪だるまサンタと赤い実がぎっしり入ったキャンドルが並べられました。不思議と渋い赤二つといった感じに見えて クリスマスらしい雰囲気になった気がしました。
プレゼントって悩みます。
相手がどんなものを望んでいるのかを考えて選ぶわけですが、そのときに脳裏に浮かぶのは 相手のプレゼントを開けたときのリアクションでしょう。こんなリアクションをしてくれるんじゃないかという想像を抱くので、それが現実とずれがあると落胆したり 鼻高々になったり。
人によっては感情を表に出すことが苦手な方もいます。特にこういったプレゼントをもらったときの反応を見せるのが苦手と言う方 結構いるように思います。また いただいたプレゼントをその場で開いてみるという行為をせずに後で見るという方も。あげた方は やはりその場で開いて開けたときの反応を見たいし、どんな言葉が返ってくるのか知りたいという気持ちもあります。以前のわたしは後で開けることが多かったのですが、わたしの友人たちはその場で開けることが多いです。そして彼女たちの誰もがいただいた内容いかんにかかわらず 喜びを最大限に表してくれます。それを見ると 自分が今までやってきた(後で見るという)行為は 改めなくちゃいけないなぁと思っています。
わたしはなぜ後で見ていたのでしょう。
そこにあるのは いただいたプレゼントをひとりでゆっくり開けるそのしみじみとした瞬間が好きだったからです。でも それは多分相手の気持ちを深く考えずにいたということの裏返しだったのかもしれません。義理であげるプレゼントでない限り 相手のことを考えた気持ちが入っているプレゼントです。それを選んだときの気持ちをくみ取る余裕がもらう私のほうになかったのかなとも思います。
目の前で開けてみるというスマートさを身につけたいと思います。「開けてみて」と促される前に 喜んで「わぁ なんだろう」とリボンに手をかける仕草が うまく出来る人になりたいなと。
「後で開いてね」と言われない限り。
プレゼントで思うことはもう一つあります。
手づくりのものをプレゼントするという行為。もしかして自己満足の極みがこれかなと思うこともあります。相手が自分が作ったものを身につけてくれる あるいは部屋に飾ってくれる・・・でもいただいた本人にとってはあまり気に食わないものだったとき、手づくりのものを処分するのはココロ苦しい。特に大きなものの場合は 困る。それでも手づくりは世界に一つしかないもの。
わたしもずっと前、クリスマスプレゼントにシルクの毛糸でマフラーを編んでプレゼントしたことがありました。軽くて暖かくて・・・いいだろうなと思ったのです。編んでいる間は なんだかいい気分でした。これを受け取った相手が身につけているところを想像しては少し浮き浮きしていました。ぎりぎり間に合ったプレゼント完成。相手に会う機会がなかったので 置いてきました。
その数週間後 相手の家に行く機会がありましたが、長いテーブルの上に無造作に袋から引き出されたままのマフラーの姿を見たとき 自分の愚かさに気が付きました。
今さらこんなことをして・・・そういう言葉が目の前に投げ出されている気がしました。
さっさとマフラーを片付けて帰ってきました。
プレゼントって自分が思う気持ちと相手の思う気持ちに格段の差があったとき、嬉しさの度合いが全然違う気がします。どんなものでももらえたら嬉しいと思う相手は 好意を持っている場合だし、こんなものもらってもなぁと思うのは どうでもいい相手 そう思えます。いずれにしてもプレゼントを何にしようかと悩む時間が楽しいものでもあると思える そんな相手がほしいものです。さしずめわたしだったら、これから先は孫が喜ぶものは何かって考えることが楽しい時間なのでしょうね♪