心の色を探して

自分探しの日々 つまづいたり、奮起したり。
マウス画・絵及び文章の著作権は このブログ作者(けい)にあります。

5900

2021年01月18日 | ほんのすこし
備忘録

2021/01/18 開設から5900日。
あと100日で6000日かあ。

まだまだとか、継続できるかな、とか。あれこれ思ったことも更新しないままズルズルときたことも。
全部ひっくるめて、退会しなければ(放ったらかしでも)黙っていてもここまでくるということかあ(笑)

でも、放ったらかしでもないか。
たまには更新してきたし。

今は母との二人暮らしで、結構時間があるようでないようで。
最近はパソコンを廊下から食堂のテーブルの上に持ってきたから、開く時間が出来た。というのもお正月に母が具合が悪くなって以来、母は居間のソファに座って食事をするようになったので、食堂のテーブルでは食事をしていないから「お前、ぱそこんとやらをここに持ってくれば?」と言われ、ハッとして、それもそうだなと。
寒い廊下に置いておくと寒くて電源を入れることが出来ないし、食堂のテーブルだったら母がどうしているかをつぶさに観察できる。デスクトップは幅もとるし、テーブルの上におくと残りのスペースがあまり無い。でも、母に言わせればお茶道具を置いて使うだけだからと。確かに、母の指摘に全然パソコンの移動を考えていなかったわたしは納得。

やっぱりわたしより母の方が柔軟な頭をしているようだ。どうもわたしはカチコチの頭で、昔からね、こうして近くにアイデア豊富な母がいるということは頼もしい。
パソコンの電源も入れやすくなったし、ここも5900日目になったし、もっと充実した内容にしたいものだけど、まあそれは期待できないなあ(笑)
母との淡々とした時間、楽しんで6000日に向かいましょう♪

もういいかい

2021年01月17日 | 朝のことば&つぶやき
※※※

もういいかい

まあだだよ

もう見つけちゃった

でも

見つけていないことにしよ

もういいかい

まあだだよ

何度でも
続けていたいから

※※※

羽を持った天使のような君
君の笑顔を見ているだけで
その日一日が輝いてみえた

ボクは青い空と緑の中で
君と遊んだ時間を夢想する
幼くて
それがどんな意味を持つのかなんて
考えることすらなかった
ただただ
一緒にいるだけで
一日というものがこんなにあっけなく
通り過ぎていくのかと

夢の中に出て来てくれないかと
目を閉じてまぶたの向こうを探る

思い出は宝箱のようなもの
鍵がないと開けられない
鍵はいったいどこに置いてきたのか

君の笑顔が今はすっかり薄れてしまい
森の奥に潜んでしまったようだ

※※※

温めようとしたら

2021年01月16日 | ほんのすこし
昨年、解体工事が済み、今度は砂利を敷く作業が入り、その頃にはずいぶん寒くなっていました。
工事の方々に午後三時には飲み物とお菓子の差し入れをしていたのですが、暑い盛りのときは、冷たいものを冷蔵庫に冷やしていて、それを出せば良かったのです。でも寒くなって、手も冷たくなってきていたので、何か温かいものをと考えました。

冷たい飲み物として買っていたこのペットボトルの珈琲をそのまま温かくするにはどうしたらいいのかなと。
大きなお鍋にお湯を沸かしてそれに入れてみることにしました。

そのまま数分入れておき、さて、持っていきましょうかと・・・
あれれ。
ペットボトルの底が飛び出しているじゃありませんか。

変な形になってしまっています。
これじゃあ出せません。
仕方がないので冷たい飲み物をその日は出しました。
この変な形の珈琲は、その後しばらくしてから冷蔵庫に入れて(でも底が飛び出ているので自立できません)冷やしてわたしが飲みました。味は変わりなかったですが、温めてはいけない容器だったのですね。

よくコンビニとかでレジ横に保温庫みたいな場所にペットボトルのお茶や珈琲があるので、お湯に入れても大丈夫だろうなと単純に考えたのでした。
ひとつ勉強させてもらいました♪

ロール白菜

2021年01月16日 | ほんのすこし
12月の28日放送の『上沼恵美子のおしゃべりクッキング』は年末パーティ特集。
これまで放送してきた中から二品ずつを紹介していました。後半に出ていたのが「でっかいロール白菜」でした。短い時間の放送でしたが、とてもわかりやすく、食材も凝ったものがなく、これならあるもので作れそうだねと話していました。

フライパンで出来てしまうというところが簡単で便利。

白菜はレンジでチン。
中身は豚挽肉とベーコン、パン粉や溶き卵、パルメザンチーズが入ります。

レンジで8分チンした白菜をフライパンに内側を下にして円形に並べていきます。並べ終わったら小麦粉を振って、そこに出来た丸い空間に中身の具を平らに敷いて。その上にフライパンの縁から下がっていた白菜を中心に向かって重ねていきます。
重ねあがるとドームの形になります。フライパンは大きいと大変なので、小ぶりなのがあったので、ちょうど良かったです。

ブイヨンを、といってもわたしの場合は市販の固形ブイヨンを溶いておいたものを使いましたが。150ml。
ふたをして15分煮込みます。番組のレシピを参照。

面倒なところが何もなく、とても簡単にできて、とりわけするのも綺麗にできるので、お勧めです。スープもかけてぺろっと食べました。
上沼恵美子のおしゃべりクッキングは徹子の部屋の後ですので、母と一緒に必ずといっていいほど見ています。そして料理の参考にさせてもらっています。なんといってもずぼらな私には簡単にできるものが一番なのです。

形が面白いロール白菜、お勧めです♪

お雑煮だけは作りました

2021年01月14日 | ほんのすこし
31日から元旦にかけてもう何もできない状態でしたが、そんな中でもなんとかお雑煮だけは作ろうと思っていました。
鶏の出汁ではなく、鰹節と昆布の出汁で。
大根、ニンジン(型抜きしてみました)、絹さや、油揚、椎茸、茶碗蒸しで余った食材のエビも入りました。
最後に柚子を。
柚子ってほんの少し入れただけで香りが立ちますね。

「お雑煮が出来たよ」ってベッドに行ったら、食欲も何もなかった母が「食べたい」って。でも、ほんの少し口に運んだだけでした。冷たい桃の缶詰の方が口に合ったみたいです。まだ熱が高く、目も見えない感じでしたから仕方ありませんね。

型抜きを探したら、梅や桜がどこにも見当たらず(引越であちこちに台所用品が混在、わたしの物と母の物がどこにどうあるのか未だにわからない・・・)引き出しの奥から星マークの型抜きが出てきたので、まあこれでもいいかと(笑)
お年寄り二人の生活に星は無いだろうなあと自嘲気味に型抜きに力を込めて切りました。

さっぱりとした今年のお雑煮でした。

昨日あたりから少しずつ食欲が出てきた母。大好きな「しんこもち」や「おはぎ」を買い物のついでに買ってきて、とリクエストするまでになりました。
しんこもち、お昼御飯に食べる! といって張り切ってテーブルに乗せて、
「これ、今日は食べたいだけ食べる!」と宣言。
その様子がおかしくて、内心、全部なんて無理無理! って思いながら見てました。
「いくら食べてもおなかいっぱいにならないんだよ」と半分まで食べて、最後まで食べそうでしたが、さすがに無理だと思ったのか
「残しておくから、後で絶対食べるからとっておいて」と言われました。
決して「後はお前が食べていいよ」とは言いませんでした(笑)

わたしはしんこもちを食べたいとは思っていなかったので、それはそれでいいのですが。食べ過ぎなんじゃないの?
ま、今まで食べたくても体が受け付けなかったみたいだから、これくらいは良しとしましょうか。

母さん、来年は一緒に沢山お雑煮食べようね~ おぉっと、来年の話をすると鬼が笑うっていうからね~気をつけなくちゃ。


年明けに思った

2021年01月14日 | ほんのすこし
今年はゆっくりとしたお正月を迎えて、じっくりと今後のことなど考えようか、などと思っていたのですが。なんとも大変な年末年始を過ごしてしまったわけで、ようやく少し精神的にも落ち着いたことでもあり、滅多に無い機会なので、お題を考えてみようかと。

抱負って、いつから考えなくなったかなあって。
なんだかいつも流されて過ごしてしまった感のあるお正月でした。しかも、抱負という言葉を思い出しもしなかった。
でも、今朝方ソファに寝ていて、ふと頭によぎったのが「今年は何かしたいなあ」でした。で、その「何か」ってなんだろうって妄想を(笑)
少し前に母は二回目のトイレタイムを取りましたし、また少し寝るんだろうなと。朝ご飯の準備はまだまだ急がなくてもいいだろう。そんなことを思い、ソファに委ねた体をちょっぴり伸ばし、両手を頭の後ろにやり、大きく深呼吸。

広くとった居間の空気は深呼吸した体に入ってくるけど、決して新鮮ではない。冷たい雪国の窓を開けて朝早くから新鮮な空気を入れようなどという冒険は試みない方がいいのだ。もっと外気温が高くなってから、外の空気を入れるのがいい。だから、深呼吸はしても空気の味は(味なんてないけど)昨日と変わらないね。
まあ変わらない空気なんだけど、それでも深呼吸することでどこか体の細胞が嬉しがっているようにも思える。
朝を迎えたってこと、それを体が喜んでいるんだよ、きっと。

って、全然「抱負」のお題に近づいていない。
その深呼吸の後、頭に浮かんだのが「歌を作る」という言葉だ。
去年、ウクレレを習っているときに何度か思ったこと。でも一つも出来ないし、やってもみなかった。
だけど、作詞作曲というと大それた感じになるけど、もう少し簡単にできないかなあって。記譜ができればいいんだけど、わたしには難しい。ただ、思いついた歌を録音しておくということは出来るかもしれない。
前は運転中に思いついた歌を即興で歌っていたこともあったけど、今はあまり運転することもなくなったから、そのスタイルはだめだな。

今年はなんとか一曲でも作ってみたい。どんなジャンルの歌なのかはわからないけど、なんでもいい。作るきっかけが出来れば。
ほとばしるような言葉とかメロディとか、そんな情熱的なものは今のところ湧いてこないけど、淡々とでもいいから、一つ形にできればなあと思ってる。

よし、今年はこれだね。
ここに書いたことで自分を鼓舞することができる。
出来なくてもいい。「やってみる」ことが大事だ。完成することが目的ではなく、作ろうとあれこれ模索し、悩んでいる自分がいるってことが大事だ。
自分のために過ごす時間があると思えること、それが大事だ。

もう一つは、暖かくなったら、母を連れてドライブに行くこと。
去年は病院だけで終わった。でも、今年は母の体調を見ながら近場を回ってみよう。歩けない場所は無理だから、そこに行くまでの車窓を眺める楽しみを味わってもらってもいい。

そうそう、『トム・ベンジャーは鞄なり~一人語り~』を今年は完成しよう。
遅々として進まないけど、第一作、第二作(中途半端)と続いて、今は第三作目かな。シリーズとして書いていきたい。自分のための自分だけのものなんだけどね。

今年も母と仲良く、楽しく、人生は楽しもうと思えば楽しくなる、らしい(笑)


穏やかすぎて怖くなる

2021年01月13日 | ほんのすこし
病院の休憩場所から見た玄関上の屋根は白い雪がこんもりと。
青い空が覗いていて、雲が横に伸びていた。

天気がいいと、こんな屋根に降り積もった雪も日の光に輝きを見せる。室内で見ているぶんには、雪も綺麗だなとか思ってしまうが、努々だまされるでないぞ。
雪が綺麗だなどと、今年はどこかへ吹っ飛んでしまうくらいの積雪が続く。特に県南は多すぎて事故も多い。ニュースを見る度に、同じ県内でもこんなに違うのかと思う。それほど積雪量が違いすぎるのだ。それでも前年の冬に比べたら雪は多い。我が家はわたしひとりで片付けないといけないので、風邪を引いたりどこか痛くなったりすると、雪かきが出来なくなる。冬の間は体を壊さないように気をつけることも大事だ。
そういう雪かき・雪寄せ・雪投げを昨日からほとんどやっていない。
天気が良すぎて、怖いくらい。

あまり天気がいいと話すと、天気がぐずるから、こっそり話さなくてはいけない。
母と顔を見合わせてこっそり。
「どうしたんだろうね~。こんなに穏やかだと怖くなるね~」

怖いほどに思える青い空が眩しい昨日 今日の空なのでした。
ここに書くと、もしかしたら明日からまた荒れるかもしれない・・・

あっちゃー、な日々でした

2021年01月13日 | ほんのすこし
ずっとずっと更新できずにいました。

昨年はコロナ禍で、年末の買い物も長持ちするものは早めに買っておこうと数日前から混雑する日を予想して買っていたり。おかげでパントリーからはみ出していましたよ、食材が。
そして本当の年末は買い物をせずに済まそうと考えていました。さらには家族が帰省できないだろうと予測し、これまたのんびり母とふたりで過ごすために少なめのおせちを早割で予約していました。

なんとなくお客さまが来ないって、気持ちに焦りがない感じです。でもまだ11月の初めは弟の子供が帰省するかもしれないと母が孫の電話で聞いていたので、31日には何かを用意しておかなくては、と思ったりしていました。あれこれネットで注文して冷凍庫は案外埋まっていきました。

そんな感じで食べ物には困らないよね? って思っていました。のんきなもんです。まさか、あんなことが待ち受けていようとは・・・

※※※

31日はいつも吸い物と茶碗蒸しだけは手作り。吸い物にも使えるように鶏で出汁を多めに取っておきます。元旦のお雑煮にも使えます。
今年はマイブームの親鳥で出汁を取りました。前は鶏のガラで取っていたのですが、最近は面倒?なのか親鳥です。
あ、こんな悠長なことを書こうと思っていたわけではありませんでした。ほんとに「あっちゃー」な日々がすでに始まっていたことに全然気づいていませんでした。
28日頃から、母が尿の出方に疑問を抱き何度もトイレに行くようになりました。「もしかしたら膀胱炎になったかもしれない」と言うので、以前、急な発熱で急性腎盂炎にかかり入院したことを思い出しました。でもその時とは症状が全然違うので、安心していました。
「水分を沢山とってばい菌を出そう」と二人で少し笑い合ってもいたのです。
そのときまではちゃんと一階に母が、わたしは二階の自分の部屋で寝ていても大丈夫でした。夜中に何度かトイレに起きている母の様子はわたしがぐっすり眠り込んでいない限り、ドアの音で気がつきます。ベッドに戻った頃に確認のため降りていくのが常でした。

ところが。
30日の朝、その日はあろうことかすぐに階下に降りていかず、テレビをつけてニュースを見ていました。早く起きていっても母がゆっくり寝るように静かにしようと思ったのです。御飯が炊きあがる頃におもむろに起きていくと・・・なんだかベッドの下に白っぽいものが見えます。
一瞬、何がなんだかわかりませんでした。そばに行くと、母が横たわっていて
「母さん! どうしたの!」と大きな声を上げました。
「お前を呼ぼうとしたけど、携帯も見たらないし・・・」
「いつベッドから落ちたの」
「わからない。熱が上がってぼうっとして・・・」
一体何時からそうしていたのか、本人もわからず、ただ起き上がれないので尿はそのまま出してしまったのだと。確かに周りが濡れているし、体も濡れている。すぐにお風呂を沸かし、ようやく床から起き上がらせ連れていきました。
お風呂に浸かると少し気持ちが良くなったのか、ベッドに入るとそのまま寝入りました。

でも、その日からずっと熱が上がったり下がったり。咳も喉も変化はなく熱だけが。最初は風邪なのかと思ったのですが、だんだんこの様子は前に高熱になった腎盂炎のときに似ていると。
ただ、年末で病院はお休みだろうし、ベッドから起こして車に乗せるのは至難の業。
もう腹をくくって、とにかく水分を欲しがるので、水分を与えて下着を何度も取り替えて熱を下げることに徹底しました。食欲はもちろん無いのですが、薬を飲まなくてはいけないと思い(別の病気の)おかゆを少しでも食べてもらいました。最初は寝たままの状態で二日ほどわたしが口に入れてあげていました。
トイレに立っていくのが大変なので、オムツと尿パッドをつけさせて極力トイレには立たせませんでした。汗を取ることや食事の用意、考えていた年末の光景はみじんもありません。

頼んでいたおせちが31日に到着。
だけど母は食べられず。「桃の缶詰が食べたいなぁ」とつぶやいたので、31日の午前9時、コンビニに行ってみました。期待のものは無く、そこから少し歩いてドラッグストアに。欲しかった缶詰も薬もありました。スーパーに行かなかったのは31日は買い物客でごった返すだろうと思ったからです。ドラッグストアで正解でした。
それでも何かは食べてほしくて、茶碗蒸しと吸い物は準備しました。夜、茶碗蒸しはベッドで喜んで食べてくれました。
お正月はお雑煮を作って出しました。お餅が大好きな母、少しは食べてくれるだろうと。でも期待に反してそんなに食べてくれません。相変わらず水分をほしがり、冷たい桃を食べたがりました。汗は何度も拭き下着を取り替えるので、部屋は洗濯物だらけ。

それでも年末年始は病院が休みなので、落ち着くまで我慢していました。連れて行くのは無理だと。そして以前から予約があったのが5日。それまでに悪化するようなら4日には、と思っていました。
でも、だんだん熱の上がり下がりがすくなくなり、4日には平熱の時間が多くなりました。水分を沢山沢山摂ってもらい、トイレにも付き添いました(その頃はトイレに立てるようになりました)

この分だと明日(5日)には病院行けそうだなと行く準備を。でも油断はできないので、当日の朝、熱が上がっていたら電話しようと。
幸い、熱も上がらず本人もなんとか着替えもし、車に乗れるようになりました。

通常の診察でしたので、採血があります。採血がすんなり済み、結果待ち。
1時間ほどで先生の前へ。先生が「調子はどうなの?」と聞くので母が「(今日は)調子がいいです」と答えると、大きな声で「ほんとなの!」と。一瞬ふたりともビックリして先生を見ました。
「ほんとに調子いいの? 数値が30倍も上がってるよ!」わたしが説明しました。
年末年始熱があったこと、母が膀胱が悪いようだったと言ったこと。

抗生物質を出してくれました。尿の検査もしました。

先生が驚いたくらいの数値。ふたりは熱も下がったし病院にも来れたので安心していたのですが、そうじゃなかった。
でもお薬が出たのでなんだかホッとしました。一週間、飲み続け、昨日、再度病院へ。結果は良好。先生も嬉しそうでした。でも様子を見るから量を減らしてあと5日服用すること、ですって。

すっかり熱は下がっていて、調子も戻りつつあるのですが、年末年始に衰えた体力はなかなか回復しません。ずっと母のそばにいて夜はベッドのそばのソファで寝て、食事に気を遣っていたら、おせちなんてどう食べたか、忘れてしまいました!
今年のお正月ほど「あっちゃー」な日々はありませんでしたよ。まだ予断は許さないので、しばらくはソファで眠る生活が続きそうです。
それにしても・・・ベッドから落ちていたのを発見したときの驚きといったら・・・あんなことは二度と起きてほしくないと思いました。これまでよりも更に注意深く見ていなくては、ね。
で、ごめんね、母さん。すぐに助けてあげられなくて。何度も心の中で謝っていた年末年始でした。

※※※