昔の写真に映っていたお店を探してみる
このシリーズすごくいい。
YouTubeならではの映像だ。
こういうのがYouTubeの
本来の健全な動画投稿方法
だと感じる。
こちらも良い感じです。
古写真が撮られた“場所”を探してみる
お店探しのパート2の動画。
これ69年ではなく68年6.21の神田
カルチェラタン闘争じゃないかなぁ。
69年は1.18バリケード封鎖の東大
闘争支援神田カルチェラタンだ。
1968.6.21はブント社学同が牽引
したが、69年の時には中大明大
日大等のノンセクトの全共闘も
神田闘争に呼応した。
なぜこの投石群衆はノーヘルなの
か。
それは、「敷石を剥がせばそこは
解放区」に集う「大衆」だった
からだ。俗にいう見学連。
セクトの人間はメットを被り、
部隊行動をする。これは「一般
大衆」の若者たちだ。
服装からして1月とは考えにくい。
また、機動隊は防戦に徹している。
それは68年夏まで。
夏以降は徹底的な攻撃的「警備」
に転じた。学生に対抗し、ガス銃
を水平撃ちし、また捕らえた学生
を盾にして投石に曝した。
逮捕時には学生だろうと市民だろ
うと半殺しだ。
この方法は20年後の1980年代末期
までずっと続いた。
ただ、こうした「街頭戦」は70年
安保以降は消滅し、千葉県三里塚
の森林台地での局地戦に移った。
センチメンタルな昔風景
ばかりじゃないのよね。
現実の東京の歴史は。
これらを私はタイムリーに
見ていた。10年遅れの子ども
だったが。10年遅れの子ども
ではあったが、大学は70年代
を2年経験している。3年次から
が80年代だ。大学関連では筑波
大支援と首都圏各大学での熾烈
な勝共原理研との闘争があった。
産学協同粉砕路線と国内の帝国
主義的体制強化に抗する闘いと
して設定していた。
大学外では主たる肉弾戦の試合
会場は三里塚だった。
68年から69年の神田のこれが
なぜカルチェラタンというかと
いうと、パリの68年の五月革命
(ソルボンヌ大学ナンテール
分校からフランス全土に拡大
した反政府闘争)の激戦区が
パリのカルチェラタンだった
から。
東京でいうなら神田駿河台
神保町あたりの文教地区が
それに該当したので、フランス
に倣っての命名。大衆による
投石戦もフランスと一緒。
神田カルチェ・ラタン闘争
1969年1月18日
障害物よけ
そのままセンター寄りに直進しても
よかったのですが、瞬時に考える
ところがあってアウト側に杉皮を
よけました。
多分ですが、昨夜の台風で車に付着
した杉皮が対向車から落ちた物だと
判断しました。前方に障害物とその
正体を目視確認した段階で。
落ちている位置から、これも多分で
すが、この止まっている位置が路面
を転がり這った最後の停止位置か
と。
それゆえ、センター寄りによけると
路面に残存物がある可能性もあると
判断したゆえ、アウト側に走行ライン
を変更。
変更予定の走行ルートの路面状況
は目視で安全と判断しています。
走行中、障害物を現認してから
しばらく物体と周辺を注視観察し
て見極めようとしている気配が
動画に収められています。
そして方針を決めてから、片手
から両手でステアを保持して左
にルートを変えています。
ゆりやんレトリィバァ
昭和の日本の映画にでてくる
女優さんの喋り方
この技もすげえな、この人(笑)。
昭和といっても昭和末期では
なく、これは昭和45年以前
までの映画の中の女性ね。
「~なくってよ」とか、「~
なさったの?」とかの言葉を
よく女性は使っていた。
日活無国籍活劇映画でのお嬢様
や青春ドラマなどを観てみれば
当時の日本人の言葉遣いが判る。
そして男はいきがって「~だぜ」
を本当に使っていた。
末尾の「だわ」(関西弁のそれ
とは異なる)も女性は多用した。
私が高校の頃の1970年代でも、
つきあった彼女とかは「わたくし
はそれは知らなくってよ」とか
「あらやだ」はよく使っていた。
現在のように女性が男言葉を
使うことはあり得なかった。
使うのはいわゆるズベだけ(笑)。
女性は「~だよ」さえ使わな
かった。まだ手作りチョコと
マフラーが死滅していない時代
には。
ゆりやんのこの形態模写は
プロの技だ。
会場では時代を知らない人だ
らけなのかあまりウケてないが、
非常に完成度が高い。
その通りだった。
フランスはフランス人民が建設し
死んではケーキも食べられない。
死ぬ前に世の中が見えただろうか。
多分、否、だ。
ついての社会な危険性よりも、
目先の人体の危険に目が眩み、
喫煙排除の流れにほぼ全員が
乗った。
なのか、新作から時代が経つ程
音質が低下すると言われている。
味深い。
【射撃】元女子プロゴルファー射撃デビュー
いいね~。
元女子ゴルフ日本チャンピオンだ。
射撃でオリンピック選手になって
ほしい。
ただ、日本で射撃が流行ることはない
だろう。
理由はいろいろあるが、国家が銃規制
を「ある意図」をもってやっていると
いう事が一つ。日本は民主主義国家
ではないからだ。疑似民主主義の米国
の傀儡体制である。真の民主主義は
今のところ日本には存在していない。
そして、銃は「一部の勢力が独占する」
という図式が構築されている。
銃砲店のほとんどが国際勝共連合だ。
つまり統一協会(現教会→さらに改称)。
あの霊感商法のカルト宗教の政治組織
が勝共連合であり、学生組織は原理研
だ。
日本の保守右翼勢力と連携し、国内の
支配体制の一翼を担う。
徹底した反共主義であり、また統一
協会は正式名を世界基督教統一神霊
協会といい、現在は世界平和統一家庭
連合と名称を変更している。
新興宗教でありキリスト教ではない
のにキリスト教を名乗り、他のすべて
の宗教を壊滅させて自分らに統一させ
るというショッカーのような宗教だ。
そして、教団は教主や幹部と若い女性
に性交を強いる事で「血が浄化される」
とする教義だ。また霊感商法などで
詐欺により壺や書籍や衣料品などを
販売する。1壺5000万円とかで。
集団結婚式などで数百名の男女を
集めて不作為に指名して結婚させる。
人権などは一切無視する。それが
当該宗教団体の実態だ。
日本基督教団は統一協会をキリスト
教とは認めていない。
また統一協会勝共連合は、すべての
世界の言語を韓国語で統一させよう
としている。
その政治組織は、日本国内の銃砲店
をほぼすべて押さえている。
それらを通してしか日本国内では
銃は手に入らない。
要するに、反共右翼勢力に間接的
にであれ与しないと日本国内では
銃猟やスポーツ射撃はできないの
である。直接関与や接触は無くと
も統一協会勝共連合に遠回しで協
力しないとならない図式にある。
要は、現行体制に徹底的に従順で
ないと国内での射撃は不可能なの
だ。
これ、民主主義国のスポーツ精神
には反する。
当然、一般テレビなどでは放送
などはできない。
「銃は危険だから」とかではない。
そうした政治思想統制構造の
システムの中に日本の銃器管理
があるために、公共の電波で
射撃を放送することはできない
のだ。
麻生太郎は世界稀有の優秀な
クレー射撃選手だったが、彼の
ような「立ち位置」側の人間が
行なうのが日本での射撃なのだ。
誰でもできる訳ではない。
思想的に。
なお、銃猟とスポーツ射撃は
めちゃくちゃ金がかかる。
モータースポーツ程ではないに
せよ、本腰を入れると湯水の
ように資金が必要になる。
元華族の藤堂殿は射撃で家を
潰した。
射撃で大成しようとしたら、莫大
な金が必要となるのだ。
元来射撃が貴族の遊びだった事
を彷彿とさせるが、「庶民」は
スポーツとしての射撃活動を
継続させるのは経済的に非常に
困難であるという現実もある。
射撃は日本では普及しない。
また、国家は普及させようとは
思ってもいない。
国家体制としては、銃器はある
勢力に「独占」させておく必要
があるし、それを実行している。
それが現実だ。
ピストル射撃競技が日本では
警察官か自衛官しか選手が
いないのはなぜか。
日本のそういう体制を作った
米国とは大きく様相が異なる。
米国本国では、誰でも銃器に
親しめる。
スポーツとしてのシューティ
ングが米国では根付いている。
これは歴史性の違いによるが、
日本でも戦前までは誰でも
銃砲店で拳銃が購入できた。
しかし、敗戦後の戦勝国に
よる「新支配体制」により、
日本では銃器を今の麻薬の
ように扱うようになった。
日本人が手軽に銃器を所持
できないようにしたのは米国
だ。
だが、日本の支配者たちは
その米国の意向を巧みに利用
して銃器の「独占」を図って
きた戦後史があり、それは
成功している。
現在でも、疑似民主主義に
冒された人々は「銃=悪」
だなどという迷信を妄信
して銃を蛇蝎のように嫌う。
否「嫌わせられて」いる。
洗脳に気づかず。
銃器犯罪の有無がどうとかで
はない。
「銃を国民に持たせない」と
いう方向性で保守革新両陣営
が合流して、結果として米国
の傀儡体制たる疑似民主主義
体制を強固に構築しているの
が日本の構造なのだ。
誰でも自転車に乗るように
誰でも銃器に親しみ、正しく
使用し、スポーツとして射撃
やハンティングを行なう事を
させない体制が完備されてい
るのが日本なのである。
そうした構造体にあるので、
そこでは「スポーツの健全性」
は担保されない。
射撃という銃器を使用する
スポーツが日本においてはモー
タースポーツと大きく異なる
点がそこにある。
国の仕組みが大きく変わる事
なくして、日本国内で銃器を
使用するスポーツが一般化
する情況は絶対に到来しない。