ブーちゃんピカタ。
なんだか滅法うまい。
自家製マカロニサラダ。
クィステブォーノ!
マカロニでバキューン!だ。
野菜は三食必須。
湯通し豆苗がめっちゃうま。
日本が誇るカツブシに丸大豆醤油
をちろりと垂らす。これ激ウマ。
鰹節は「勝つ武士」に通じるとして
武家は殊更に好んだ。
なんだかんだいって、二本差しの
種族は験担ぎの駄洒落好きだ。
常に「即、死ぬ」ことに躊躇なき潔
き種族として生まれた時から育
てられて来た。
しかし、やはり精神的な重圧は
あったのだと思う。
だからだろう、やたらと江戸期の武
士は生き死にのゲンを担いだ。
戦国期のようにそこらに死が日常的
に転がっているのではない太平の世
にあってなお、「すぐ死ぬ」ことを
本道とされた種族が武士だった。
それゆえに、武士は人のみにく
い心根と死臭のする腐敗心を蛇蝎
のように忌み嫌った。
そこにはある種の高潔さと清涼
さがあった事は確かだ。
絶対にその境地は武士は曲げない。
それが武士の矜持だった。
武士の心、今世にあって、たれか知る
らむ。
カツブシに武士の心を見る。
酢の物。
こりゃまたうまくできてるよ、かー
ちゃーん。(喧嘩屋茨城右近風)
そして、とどめは幕末江戸剣術道場
では定番の「メリケン刺身」だ。
「ふたきれ」ではないのはご愛嬌。
この「メリケン刺身」の言い回しを
知っている人は案外少ないかも知れ
ない。
うちの道場でも、稽古後に道場の板
の間に車座になって、このメリケン
刺身をツマミにしてよく仲間たち
と酒を一献酌み交わしていた。
その場では無礼講で、席次の上下は
なく、皆が同じ地平で互いの剣術観
を胸襟を開いて語りあった。
また、それを赦す師匠の懐の深さ
があった。
見猿聞か猿言わ猿を師匠は完全否定
していた。それが黒田武士の血脈に
ある師匠の素顔だった。
黒田家の家老の流れだ。
人は言う。
黒田に武士あり、と。
それが百数十年後にも死んではいな
かった。
それは1990年代の平成の御世の事
だが、実に良い時代、まことに良い
道場、実に良質な人士が集う場だっ
た。
そこでは忌憚なき意見が交わされた。
熱い。とにかく熱い。
だが而して、いずれの士も度を弁え、
人を愚弄する下劣さとは全く無縁
だ。
幕末剣術道場の梁山泊のような刀差
しが集まる場もこんな感じだった
のだろうなあと、ふと思ったり
した。
そして、師匠はその輪の中に入り、
いつもニコニコと笑っていた。
私は、五歳にして私を毎日正座させ
論語の素読を私に躾けた我が実父
よりも、剣の師匠に「父」を見た。
たくあんを見るたびに、師匠の
道場のあの空気を思い出す。
その車座の面々の何人かは鬼籍に
入った。
それがしも、いずれそちらに参る。
待たれよ。