渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

東京

2021年09月18日 | open


東京ってさあ、夜に首都高走ると
よく判るけど、深夜までビルに灯り
が灯ってるでしょ?





なんでか分かります?


深夜まで東京のビル街の勤め人たち
は仕事してっからだよ。
ビジネスビル街の明かりは全部それ。
私も在京時代は朝9時から夜11時
でビルの中で執務していた。
人が寝てる間にも働いてるの。
日本経済を支えて来た灯火なんだよ、
この東京の明かりは。


焚火の夜を庭先で

2021年09月18日 | open


緊急事態宣言の中、広島の友人は家
キャンをソロで楽しんでる模様。
この梅酒はかなりウマいらしい。
今度買ってみよっと。



豆腐屋さん

2021年09月18日 | open

豆腐屋さんの笛 ラッパの音
とーふーtofu whistle
 昭和の懐かしいもの

1960年代末期まで、リヤカーを
引いた豆腐屋さんが市街地の街中
行商していた。
今でも、軽自動車での移動豆腐販売
行なわれている。
広島県内でも豆腐屋さんがくる。
 
だが!
三原市内に来る豆腐屋さんは40km/h
速度の道を40で走り、30km/hの旧道
30km/hで走り抜けて行く。
トーフーの音声はこの動画と全く同じ
なのだが、そのトーフーを聴いてから
外に出ても車を止められない。
この動画のお豆腐屋さんはゆっくり
だけど、三原市内の人はなぜかピュー
と行ってしまう。
多分だが、三原市内担当の人は、売り
上げ相当よくないのでは。
だって、買おうと思っても、来た事を
知る音声聴いてから外に出たら、もう
遥か彼方に過ぎ去ってるのだもの。
一度だけ、たまたま偶然に音声の前に
遠くに車両を見つけたから道で待って
いて買った事がある。
もっとチャリンコくらいに遅い速度
で住宅
街とか走ったほうがいいと
思うけどな
あ。
焼き芋屋さんの音声放送は面白い
よね。
「早く来ないと行っちゃうよ」とか
言うのが定番。
でも、これまた速度が速くてつかま
らない(笑)
焼き芋屋さんも一度だけ偶然住宅街
の中で止めて買う事ができた。
あれも偶然たまたま止められた。
お豆腐屋さんも焼き芋屋さんも、
相当お客さん逃がしていると思い
ますよ。
一方、移動販売車でもスーパーの
敷地内に不定期でやって来る焼き鳥
屋さんは、敷地内に停めて販売して
いる。
お客さん鈴なりの大繁盛だ。
実際、そこの焼き鳥めっちゃうまい
し。

昭和のお豆腐屋さん。


 

映画『光る海』(1963年)

2021年09月18日 | open

『光る海』(1963年/日活)
 
非常に面白い。
18才の吉永小百合が22才の大学卒業
生を演じている。
この映画は極めて知的な映画だ。
劇中交わされる俳優たちのセリフは、
当時の正しい日本語である。
そしてそれは、大学に通える環境に
あったインテリ層によって牽引され
ていた。
 
1963年当時の大学生たちは、とても
知的であり、かつ「戦後民主主義的」
であった。
この映画では、あと7年後に発生した
「ウーマンリブ」を先取りしたように
女子大学生たちは先進的で開明的で
り、かつ知的で活発だ。
男子とも同地平でよく言い合いする
のだが、すべて論理論理で互いに
応する。
そして、「知の平等」という立場で、
年上には敬意を示しつつも全く忖度
なく思った事を「私はこう思う」と
ズバリと言う。
 
これは、1963年卒業という事は、
1959年大学入学であり、60年安保
を2学年次に経験している世代
という
ミクロ的な面での背景が
ある。
マクロとしては、人が物を言えない
世の中が戦争への道を開いたという
戦後総体の日本人の自らの歴史
の反省がなされたのが戦後日本の
思潮の立脚点としてこの時期にあっ
た健全な時代背景の存在、という
のが指摘できる。現代のネト
ウヨの
ような埒もないものは、
発生も生存
えも許されない
厳な自戒がこの期の日本人
総体に
はあったのである。
そして、「知の担い手がかつて戦争
を止められなかった」という自己
括が日本人の中にあった時代
だった
のだ。
男女の掛け合いの言い合いの中で、
「あら、あなた案外保守的なのね」
という台詞もある。
保守=失敗して日本をダメにした
思潮、という図式が人々の中に生き
ていた戦後18年目が1963年だった。
学生たちは安保には負けたが、社会
を牽引するインテリゲンチャとして
自由・平等・平和の理念は、たとえ
直裁に社会運動に携わらなくとも
誰でも持っていたのがこの昭和30
年代という時代だったのである。
 
ただし、この時代、大学に進学でき
る人間は日本の人口の中でごく僅か
であり、女性の大学生などはさらに
ほんのひと握りの家庭の子女しか進
学できなかった。男女ともほとんど
大半が中卒であり、高校に進学
でき
ればまだよい程という社会
的国民教
育実態の成熟度だった
のだ。
そして、男子も女子も、高校もそう
だが、大学に進学できるのは、その
高額な学費と生活費を捻出できる経
済的に裕福な家庭の子しか進学は不
能だった。社会全体が。
ゆえに、現在のように名前を書けれ
ば入れるような大学というのは存在
せず、学士たちは一様にインテリで
あり、知性を身につけていた。
また、そのような知的社会活動
(産業分野、医療、学術、文化、
教育方面等々)を担える
人材と
して学問の真理探究の学究を
通じて高等教育と最高学府で
の教育
が為されていた。
 
この時代、日本人たちは極めて礼儀
正しい。
すぐに言い返したり言い合いになる
が、「それはおかしいのでは」と指
摘されると「やあ、これは失敬」と
すぐに潔く非を認める。それがこの
作品の台詞には充満している。
この映画作品を見ていて、かつての
日本の知力の代弁者たちは、自己の
を素直に認める潔さ、清さを
持っ
いた事を知ることができる。
もしかすると、知力というのは、非
を非として己が認める力を担保する
ものこそが知力なのではなかろうか
と、この作品を見ていて学び取る事
ができるのである。
本作は、極めて良作。
人間の知性の存立基盤は、時代など
関係なく、普遍性と不朽性を有して
いる事は論を俟たないからだ。

はあ?

2021年09月18日 | open








はああ?
「ストップ!!ひばりくん!」(古っ)
みたいな子っているんだねえ。





コロナ

2021年09月18日 | open


このビールも売れ行き激減したのだ
ろうか。
ライムを三日月形に切って、瓶の口
からスポン!とやって、学生の時に
よく飲んだ。
ストローハットにはこれだろ〜、み
たいな感じで。


映画『新選組始末記』(1963年)

2021年09月18日 | open


『新選組始末記』(1963年/大映)
監督:三隈研次
出演:市川雷蔵、城健三朗(若山富三郎)、
   天地茂、他
原作:子母澤寛

世にある新選組に関する小説は
相当な作品数を読んでいるし、
作品によって
は、保存用、普段
読み用等、同
作品で数点保有し
ている。

普段読み用は何度も読んでボロ
ボロで英語辞書のように真っ黒だ。
司馬遼太郎『新選組血風録』は
まさにそれ。司馬遼太郎は司馬
史観で作品を描くので史実とは
大きく
離れるが、彼の作品は小説
としての
文体とプロットが素晴ら
しく、
「文学作品」として極めて
秀逸だ。

間違いなく「日本文学」の雄だ。
とりわけ、『新選組血風録』に

収められた短編群の作品の文体と
世界観の表現手法が良い。
淡々と、切ない詩歌を詠むような

世界が『新選組血風録』では広が
る。藤沢周平の時代文学の前に
司馬遼太郎あり、だ。


世にある新選組関連の小説はかなり
読んでいるが(書棚を見たら気持ち
悪くなる位の作品の量がある)、
映画・ドラマ作品は私は全て
は観て
いない。

この映画作品はうかつにも昨夜
初めて観た。

原作とは設定を多少変えてあるが、
かなり良作だ。

若き日の山崎丞(すすむ)の葛藤
と士魂を描いている。
若山富三郎の近藤勇も素晴らしく、
また、天地茂の土方歳三などは
史書としても価値のある子母澤寛
の書に出て来る実像の土方そっくり
だ。山南さんが切腹の際に姿を
見せた土方に対して「出たな九尾
の狐!」と罵倒したという実話の
土方の実像を天地茂は冷酷な土方
像として演じ切っている。

結構よくできた映画作品で楽しめた。
近藤役の若山富三郎の脇差は二尺
三寸ほどの大刀を脇差としており、
これは史実を基にした演出だ
ろう。
池田屋事件で沖田総司が咳き込んで
吐血するシーンは無い。
1970年代初期に「新選組ファンタ
ジーブーム」が来てしまった。
まるで御花畑物語のような美化が
流行した。沖田総司を紅顔の美男子
のような虚像として勝手に妄想し
て虚構化することが女子をはじめ
男性の中にも流行した。
以降、それが現代までも続く。
「とうらぶ」のような虚構化が
すでに1970年代初期に新選組に
対して発生していた。
現実の沖田総司は、背が高くて
猫背ぎみで色は浅黒く、短気で
あり、ヒラメのような顔をして
いたとの目撃者の八木家の人の
証言がある。ただ、壬生の屯所
の近所の童には好かれていて、
大人なのによく童たちと遊んで
いたと伝わる。
道場に立つと師範としては極めて
短気で乱暴で、新選組隊士たち
は嫌がっていたと幹部が書き残し
ている。

本作は、生存者たちの証言を取材
して回った子母澤寛の小説を原作
としているだけあって、「ブラック
な新選組」の一面をはしょりながら
もよく描いている。
沖田総司は殺人者としての狡猾な

側面が描かれているし、土方歳三
なども美化せずに忠実に暗殺実行
者としての武士らしからぬ面を
史実に沿ってきちんと描いている。
「トシさま」「ソウジさま」(はあ

と)のような世迷言で虚構美化する
視点は一切存在しない。骨太な作
だ。
自分らで局長の芹沢を屯所内で
暗殺して
おきながら大々的な葬儀
を執り行い、
そこで涙まで流して
見せた近藤勇
の事を屯所を貸与し
ていた大家の
八木家の生存者は
「ようやりはり
ますわぁ」という
感じで伝えて
いたが、その場面の
描写も内実部分は克明に
本作品で
は描かれている。芹沢鴨は借金
取りに来た大商人の妾を屯所で
手籠めにして愛人としており、
それと同衾しているところを
深夜愛人と共に複数人から滅多
刺しにされた。刺されてなお、
巨漢の北辰一刀流免許皆伝の
芹沢は刀を取ろうとしたが、
さらにナマスのように斬られて
絶命している。
これは史実と合致する描写として
映画では描かれている。
それを土方たち暗殺実行者は、
「賊が押し入って局長が殺害
された」とした。
そこで純朴な青年山崎丞=市川
雷蔵は葛藤する。

本作、良作なり。
三隈研次監督の時代劇に外れ無し。



原作は子母澤寛である。
新選組ファンや幕末研究者は
必ず読んでいる書。
未読で新選組ファンや研究者
を名乗っていたらモグリだ。


テレビにかぶりつきのネコ

2021年09月18日 | open


テレビに猫が出てくるとテレビの
真ん前に行って眺め、モニターの
上や下や裏を探すうちのネコ。

栗の炊き込みごはん

2021年09月18日 | open


すげーうめえ!



映画『汚れた英雄』(1982年)

2021年09月18日 | open



永遠の名作、角川映画が放つ
内容の無い化粧品PV映画の
決定版、である『汚れた英雄』
(1982)の最大の見せ場は、
やはりここでしょう。

え?違う?
こりゃ失礼しやした。

これを見る為に映画館に6回
私は行った(違)。
横浜の綱島の映画館だけでも
3回。あとは都内。
まだビデオはデッキは高額すぎ
て普及してはいなかった。
普及し始めるのは1983年の春
あたりから。
そしてまた、ビデオソフト1本

が嘘みたいに高かった。

真面目な事言うと、この作品に
よって角川春樹は世界で初めて
ブルーに感光する特殊フィルム
を使った。
この映画作品の映像美たるや
歴史的なものがある。
「キタノブルー」などというのは
完全に二番煎じなのだ。
本当は「カドカワブルー」なの
である。