三原城は永禄10年(1567)に築城が
これは四国愛媛県の伊予国の今治
城門は三原城のほうが規模が小さい
三原城の14の門は誰でも潜れるもの
機械遺産 1985年製の回転寿司コンベア装置
回転寿司自体は1970年代末期から
首都圏では登場していた。
1979年~1984年にかけて、私は
かなり回転寿司店に行った。
大きさはやや小さくなったが、
1皿の値段が40年前とほぼ変わら
ない現代の回転寿司は驚異だ。
1964年に開通した「夢の超特急」
の東海道新幹線は、当時最高時速
210km/hで、一般人が体験した
事のない超高速だった。
その速度は、サーキットでのレー
シングカーしか地上乗り物では
人間は体験していなかった。
1964年に初めて新幹線に乗ったが、
発車の時の衝撃が全く無い事に
驚いた。
そして、1965年、5歳の夏に、私は
初めて東京から新大阪まで新幹線で
一人旅をした。大阪府庁に勤務する
親戚の大叔父の家に夏休み滞在する
為だ。生れて初めての一人旅は生ま
れて初めて新幹線で、生まれて初め
て行く大阪だった。
回転寿司は大好きだ。
本物の江戸前の握り寿司ではない、
「刺身載せシャリ」であって握り
寿司ではないのだが、私は好きで
ある。江戸末期に世界で初めて
握り寿司が江戸に登場した時は
屋台の立ち食い寿司だが、その
ファーストフードの雰囲気が
あったのがかなり気に入った。
江戸時代みたいに、立ったまま
ちょちょいと食えたらいいのに
なぁ、とか思っていたら、1980
年代末期に東京に立ち食い握り
寿司店が登場して大ヒット。
それは現在でも勤め人たちに
人気を博している。(「魚可し
日本一」がうまい)
学生の頃はバイトの金が入った
ら回転寿司に仲間たちと行って
いた。
浅草あたりの本物の江戸前握り
店舗にも行ったが、自分の金で
行くようになって、「寿司屋
5000円の定理」の存在を知った。
一人だとどんなに食べても、大体
どこの寿司屋も5000円だったのだ。
だが、同じ物を食べても二人だと
割増しになっていた店が多かった。
たぶん寿司屋のお勘定はかなり
適当だったのだと思う。
回転寿司のベルトコンベアが機械
遺産として登録された。
なるほどなぁと初めて見た時に
感じたが、空港でも似たような
預け荷物のコンベアあったよね。