渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

「巨人の星」の謎

2022年11月02日 | open
 


星一徹は一体どこの出身なのか。
一人称は「わし」であり、「〜
じゃ」をよく使う。
そして、「〜てくれんかのぅ」と
言う。
まさか広島出身?
だが、「ちょる」も使うので、広島
県ならば県北西部だ。山口、島根
県寄りの地域になる。
 
それよりも謎なのは伴宙太だ。
どこのもんなのか分からない言葉
を使っている。高校は都内のお坊
ちゃん学校の青雲だ。
だが、東京弁ではない言葉を使う。
巨人の星シリーズの謎。
 
ちなみに、左門豊作は熊本県育ち
だが、熊本県人によると違和感な
い言葉使いで声優さんは吹き替え
をしているらしい。

チョークの面出し

2022年11月02日 | open
 

(使用中のチョーク)
 
刃物は使う前に研ぎ上げておく。
その刃物を研ぐ砥石は、研ぐ前に
平面をビシッと出しておく。
砥石と同じで、ビリヤードのチョ
ークも使う前には面出しをしてお
く。
臼のように深い穴ポコチョークで
は、タップにまともな適正塗布が
できないからだ。

非常に宜しくないチョークの
状態。

アミューズメントやボウリング
場や温泉旅館などにこれが多い。
素人が使うとこのような状態に
してしまう。
最近ではれっきとしたビリヤー
ド場でも店員がなまけて手入れ
を行なわずにハウスチョーク
をこのような状態にしている店
が増えている。
これではタップの天辺しかチョ
ークを塗れず不適切。
また、深い臼により先角にも
チョークの線が外周につく。
チョークには研磨剤が入って
いるので、自分で自分のキュー
をプレー以外の不適切な事で
疵つけてしまう事になる。
チョークはタップの天辺だけで
なく、エッヂ部分にまでまんべん
なく塗るのが適切だ。
このような形状のチョークは✖。
 
使用後には二つのチョークをこすり
合わせて面一を出すのが効率的。
中央に微細な円形のえぐれを形作
るのが良い。新品状態のように。
これは、こすり整形していると、
自然と円形中央部が出来上がる。
手入れ大切。備えは万全に。



実写版「巨人の星」OP

2022年11月02日 | open


おっさん、なにしてまんねん。
ワロタがな(笑
雪中ランニングは飛雄馬はセー
ターでなくジャンパーだけどな。


こちらオリジナル。

ギターコピーでは、アニメ版OPの
「ドビシュ、コン、キン、ダッダッ
ダッダッ、ザーッ、ワー、ドンドン
ドン」まで音作りしている人がいて、
そちらもあまりのマニアぶりに笑っ
た。
ただ、ギターでのカバーの動画は
メロディラインが間違っている動画
も多い。
オリジナルをよく聴いて欲しい。

キュー・リペア 〜再塗装/ハカランダ60'sキュー〜

2022年11月02日 | open


ハカランダ=ブラジリアン・ローズ
ウッドのプール・キューのリフィ
ニッシュ完了。

このキュー、何が凄いって、本ハギ
の剣の部分からハンドル下キュー尻
のスリーブまでブラジリアンローズ
ウッドの突き通し一本物なのです。
リペアでバラしてみておどれーた。
今では、ほぼ100%できない構造。
ハカランダがふんだんにあった時代
の作。


ズタボロだった物を再生させた。
曲がり一切無し。驚異的。
シャフトは136.5グラムもあるが、
バットが軽すぎる為、全体重量は
私が調整して19.5オンスにセッテ
ィングした。ウエイトボルトを使
えない構造なので、真鍮パイプの
仕込みをした。MGCの357マグ
ナム用カートリッヂを(笑

不思議な事があり、異様に手玉
のトビが少ない。完全なる半世紀
以上前のソリッドシャフトである
のに。
これ、不思議。
そして、1950年代のキューも2本
持っているが、それも異様にトビ
少ない。
この理由については謎。
半世紀以上前のソリッドシャフト
は、手玉の横ズレのトビが少ない
のだ。
原因については、皆目見当がつか
ない。
なぜだ?

で、ですね。
50年代、60年代の人たちって、そ
ういうキューを使っていたんだなぁ、
と。
いつからだろう。
ビヨンビヨンのシャフトで、手玉
がズレズレになったのは。
一つの推察史料がある。
それは1968年のカリフォルニアの
オレンジカウンティの地元紙に掲
載されたTADコハラのキューにつ
いての記事だ。
それによると、軽く横叩きすると
他のキューはしなって振動がいつ
までも収まらないが、TADコハラ
のキューはピシャリとすぐに収ま
る、という旨の記事だ。
これは一つのキューの解析解明の
ヒントになるかも知れない。

なお、日本国内において、TAD
ユーザーは自分でシャフトを削り
過ぎて細くさせてしまい、玉トビ
やズレを大きくさせてTADを「難
しいキュー」にさせてしまってい
たという事実がある。
1980年代などはモロにそれだ。
だが、TADコハラのオリジナル
の正規シャフトはそんなにビヨン
ビヨンではない。振動収束が早く、
かつかなり切れるキューだ。
ビヨンビヨンの代表選手は1980
年代の一般販売用のメウチだ。
どれもがブンブン揺れて玉入れ
さえもが難しいキューだった。
それとリチャード・ブラック。
まともに手玉が走らないキュー。
そして、ショーンが86年以降の
物がかなりビヨンビヨンに変質
していた。

だが。
メウチについては、エワ・マタヤ
本人のキューを買わないかと友人
の全米選手を日本に招聘したオー
ガナイザーから持ちかけられた時
に試打してみた。
市販品とは全くの別物だった。
シャフトもバットもしっかりして
いて、玉ズレトビが非常に少ない。
物が違う、と誰でも分かる出来だ
った。見た目はマタヤが使用して
いたハワードモデルだ。見た目は
市販モデルと同じ。
だが、中身はワークスマシンのよ
うなキューだった。
実に良いと感じたがバットジョイ
ントカラー下に亀裂があったので
買わなかった。そこに溶剤を埋め
て巧みに加工すれば十分に今後も
使えるという事を知らなかったか
らだ。今なら即行で買ってる。
販売提示金額は、市販モデルより
も遥かに安い値段提示だった。
友人は私以外には売るつもりは
ないとの事で、しばらくはマタヤ
のキューをプライベートキューと
して赤坂の店で使っていた。

そして、ショーンだが、私の83年
製ボブ・ランデのショーンR21は
全く一つもビヨンビヨンではない。
トビは多少あるが、振動収束が
キューの中心に寄ってシュッと尻
に抜けるのを感知できる。私の
TADキューに非常に似ている。
そして、鬼切れキューなのだ。
打感も全てのキューの中で最高な
のだが、それはジナと同じ構造上
の秘密がランデのキューにある事
は私は突き止めている。

とにかく、大昔のキューは、1983
年より前の物は、シャフトが過度
削られていない限り、ソリッドの
無垢材シャフトであっても、玉の
トビが少ないのである。
そして、ビヨンビヨンではない。

やはり、ラッキー菱沼さんが何度
言うように材料の違いなのだろ
か。
それにしても、あまりにも違い過
ぎる。
どれくらい違うかというと、シュ
ークリームとおでん位違う。
まさに別物。

このキューでの玉撞き。
レール際の玉を逆ヒネリ押しで
手玉出ししているが、とても楽。
トビ具合がピーキーではないから
だ。


ビリヤード・キュー リペア

2022年11月02日 | open


糸巻き後の軽いニス塗り。
メウチのような完全コートでは
ありません。
あくまで毛羽立ち防止目的で、糸
落ち着かせる為の塗り。

フォアアーム塗装と同時進行。


軽く塗ってから更に半乾きの時を
狙ってまた塗ります。
完全クリアコート仕上げとは異な
るやり方。


塗り後には完全硬化の前にガラス
で押圧こすりで目を潰して行く。
その頃合いの見極めがキモ。
固まり過ぎてもダメだし、未乾燥
過ぎてもダメ。
こすりの時は力を入れてや速く
こすると摩擦熱で塗料が変化する
ので、ゆっくりと優しく押圧して
ガラスをスライドさせていく。

丁度良いサイド面を持ってるのが
これ(笑



サシガネ

2022年11月02日 | open


「サシガネ」である。指矩と書く。
寸表示。真鍮製。
私は日本刀の金具計測の時に使っ
ている。

計測器として重要な角には鋼鉄が
埋め込まれている。


七寸五分。尺貫法。
私が生まれる2年前に公的取引の
仕事では使用禁止となった。
見せしめで、まだメートル法では
なく尺貫法で計測していた大工さ
んが軒並み逮捕されたりした。

刀剣界も正式表示はメートル法で
表示しなければならない。
並列表記で何寸何分と記すのは
黙認されているが、1958年以前
の日本の表記のように寸尺分だけ
で業として取引すると摘発対象に
なる。
「百貫デブ」は消滅したのだ。

サシガネは目盛りで長さを測る
だけでなく、この精密な直角と
側面の直線が命。
それゆえ、ビリヤードキューの
タップ交換などでカッターの刃
の平部分を当てて平面確認をす
るなどというのは、計測の掟を
知らぬど素人計測であると断言
できるのである。
正しくは、カッターの刃を使って
観測する場合には、刃の背の部分
を垂直に当てて光の抜けの有無を
見る。
砥石を面磨りした時の面一かどう
の平面確認の時も、このように
して確認する。

測量機器は正しい使い方をして
初めて正確な数値や状態を観測
できる。
旋盤を使うキューメイキング動画
などでも、金属ノギスの先で木材
にへこみ疵を引いて毛引して目印
としている人もいるが、とんでも
ない間違いだ。
モノサシで釘を叩く事はしないよ
うに、計測器を鉄筆代わりにする
というのは、「やってはならない」
事なのである。
ある超有名な刀鍛冶が、L字のかね
じゃく(サシガネ)で刀身を計測して
そのサシガネを後ろに投げ捨てる
事をする動画を動画サイトで観た。
とんでもない事をすると感じた。
いや、感じたのではなく、それは
やってはならない事なのだ。
いくら有名だからと、仕事の基本、
基礎を蔑ろにする人なのだなぁと
感じた。
だから人の刀を自分の作だと偽って
カブトを斬ったとか言えるのかどう
かは私は与り知らない。
ただ、刀身鍛えの途中で大切な計測
器であるサシガネを空缶を後方に捨
てるようにほっぽり投げていたのは
事実だ。
どうかモノサシは大切に。
モノサシだけではなく、人が作った
物は大切に。

14.1ストレートプール全米選手権

2022年11月02日 | open


14.1ストレートプール世界大会の
様子。
決勝動画は8時間05分から。


なお、日本語では14-1と表記する
事が多いが、ストレートプールは
14+1なので14.1と欧米ではドット
で区切って正確に表記される。
14-1だとマイナス1と同じになり、
意味がまるで違って来るからだ。
そして、14.1はフォーティーン
ワン(14と1)であり、フォーティー
ワン(41)とは欧米では絶対に呼ば
ない。
日本では多くのプロまでもが数の
数え間違いで「フォーティーワン」
と呼ぶ。
日本の撞球人たちの英語の無知以
前の問題かと思う。数間違いなの
だから。
自覚して直したほうがいい。
俺様ルールは世界には通用しない。

〈BD〉ディミトリ・ジャンゴが初優勝! 『アメリカン14-1』。【動画あり】

〈BD〉ディミトリ・ジャンゴが初優勝! 『アメリカン14-1』。【動画あり】

↑ 決勝戦は8h05min頃からスタート バージニア州の名門ビリヤード場 『Q-Master Billiards』で行われていた、 14-1の国際イベント、 『アメリカン14-1』 (The American 14.1...

ビリヤードデイズ

 


デルリン

2022年11月02日 | open


デルリン®︎。
デュポン社が1950年代に開発した
構造樹脂で、タービンの軸受等に
使われる素材。
デルリン®︎登場以降多くのPOM樹
脂が化学メーカーから発表された。
ジュラコン®︎などもその一つだ。
セロテープやホッチキスのように
商品名がまるで素材名のように名
が一人歩きして普及してしまっ
が、正式には呼称はPOMだ。
ポリアセタール。
製造メーカーにより代表的な製品
は以下等がある。
・デュポン社デルリン(ホモポリマー)
・セラニーズ社セルコム、ホスタ
 フォーム
・ポリプラスチック社ジュラコン
  (コポリマー)
・三菱ガス化学ユピタール(コポリ
 マー)
・旭化成テナック(ホモポリマー、
 コポリマー)

日本の産業が凄いところは、こう
した重化学工業の分野で世界トップ
で世界産業を牽引する技術力を有
していた事だ。
重化学工業の20世紀の時代、後半
以降は日本は世界のトップ群にい
た。現在でも鉄道技術と橋を建造
する技術、トンネル掘削技術は
世界のトップにいる。
自動車産業でも日本は世界の頂点
に立っていたが、残念ながら自動
車産業の一分野である二輪産業に
おいては、ここ10年で完全にダメ
車しか日本人は作れなくなり、
今や1970年代初頭からの王者の
歴史が瓦解して、世界トップの座
から転がり落ちた。日本の二輪は
確実にダメバイクしか作れなくな
って来ている。
市販車開発の要である世界選手権
の競技大会では、日本製二輪では
全く勝てなくなった。
人間が乗ったら転ぶ二輪しか作れ
なくなったからだ。
理由は明白。
テストライダーという人的開発を
廃止して、ガチガチの固定脳で
コンピュータのデータのみで車
作りをしようとシフトしてから
ダメ車しか出来なくなった。
人間不在の開発が、人間の乗れな
い車作りをするようになったので
ある。
開発者本人が乗ってみればよい。
必ず転ぶから。

デルリン。
それは普及し始めた1960年代初期
には未来を感じさせる画期的な新
素材だった。POMは現在も小型歯
車や滑車等でもよく使われている。
トイガンにもなくてはならない素材
だ。
POMの中でも、デルリン®︎はとり
わけ透き通るような白さを見せる。
デルリン®︎にこだわる人は、この
透明感のある白色を求めている。


ジョージ・バラブシュカ

2022年11月02日 | open


ジョージ・バラブシュカ
(1912年12月7日-1975年12月5日)

バラブシュカ。
革命前のロシアに生まれ、アメリカ
合衆国に移住した。
死没地は合衆国ニューヨークのブル
ックリン。
彼がプールキューに革命をもたらし
た。
バラブシュカが作ったキューは、
キューのストラディバリウスと
れている。

特に晩年のキューは、まるで英国
のJ.P.S.のチームカラーような雰
囲気を持つ。


1960年台初期に普及し始めた工業
樹脂のデュポン社のデルリン®︎を
積極的に用いたのも彼だった。


この個体群のシャフトはオリジナル
ではなく、後代製作のスペアシャフ
トだろう。


バラブシュカは他とは全く違う突き
抜けた性能を持っていた。
その秘密は「古材」をベース使った
事にあった。
初期のバラブシュカが性能の良さで
話題になったのだが、いくら画期的
なキューであっても、撞いてみて実
が伴わない物では相手にされない。
特にアメリカはそうだ。
閉鎖的ではあるが、実力を示したら
掛け値なく称賛するのがアメリカ人
だ。これは民族や出身地の如何を問
わず。
バラブシュカは製作販売当初から
名だたるプーレーヤーたちが我も
と彼の作品を求めた。プレーアビリ
ティがダントツだったからだ。
ベースはブランズウィック社が作っ
たキューだ。それを切断して再構築
したのが彼のキューだった。
やがて、バートンスペインや他の
ビルダーからハギ部分(フォアアー
ム部分)のみ供給を受けるようにな
った。日本のアダム社の粕谷氏の
作ったハギも使用したという情報
もあるが、真相は未確認。都市伝説
の類かも知れない。

1986年に公開されたスコセッシ
監督の映画『ハスラー2』では、
トム・クルーズ演じる若きナイン
ボーラーのビンセントがポール・
ニューマン演じるエディからバラ
ブシュカを貰うシーンがある。
そしてバーで仲間に見せる。
「見ろ。バラブシュカだ」と。
すると玉撞き仲間は言う。
「バラブシュカ?どこで手に入れ
た。
価値を知ってるのか?
バラブシュカは10年前に死んで、
今は宝物だぞ」
と。
バラブシュカが亡くなったのは
1975年。
映画の撮影は1985年。
10年後の1985年で、すでにバラ
ブシュカは高額過ぎて入手できな
いキューになっていた。
高額だからというよりも、本物を
持っている人は滅多に売りには出
さないキューとなっていたのだった。
日本刀でいえば正真虎徹のような
もの。
そして、バラブシュカは日本刀の
虎徹と同じく、存命当時から贋物
が出回っていた。それも虎徹興里
と全く同じ。
バラブシュカの鑑定は専門家が
厳格に鑑識しないと流通しない。
今のヤフオクあたりで贋物虎徹が
出回るのと同じく、市場には偽物
が多く出回っていた。今もだ。
古材を用いて飛び抜けた性能を
持つ。それも虎徹と同じ手法だ
った。
キューのストラディバリウスと
世間で呼ばれるバラブシュカだが、
キューの虎徹と云ったほうが私に
はしっくり来る。

その後、今世紀初頭に日本のアダム
社がバラブシュカの遺族にロイヤリ
ティを支払って商標権を使用を認諾
され、コピーキューを作った。
完全なるアダム製で、デザインのみ
バラブシュカのオーソドックスな
デザインで作った物だ。尻のゴム
までバラブシュカが使った褐色の
ゴムを使った。

性能としては普通のアダムのキュー
だ。
だが、10数種類あったデザインは
バラブシュカの採ったデザインを
模倣して作られている。
残念ながらエンドのデルリン®︎は
再現されていない。
デルリン®︎でなくともジュラコン®︎
でもいいからPOMにしてほしかった
と思うが、POM素材は接着不能で
あるので、キューのトラブル回避
の為に接着可能な樹脂にしたのだ
ろう。
本物ならば、バリー・ザンボッティ
で現在600万円〜、父親のガスで
1000万円〜、バラブシュカになる
と1500万円〜といった市場相場と
なっているようだ。
バラブシュカのコピー品は10万円
前後。
実物と写し物の違いがそのまま価
格に反映されている。
廉価版のカスタムキューであるTAD
キューでさえ、手の込んだ作は現在
では100万円〜となっている。

私もアダム・バラブシュカ・コピー
モデルは持っている。
エンド樹脂はアダム製からPOMに
交換。

この個体で驚いたのは、新品時の
シャフトが異様に太かった事だ。
プレーできない程に太い。
自分で削って好きなテーパーにする
事を前提としていたのではなかろう
か。
私は私のオリジナル・データになる
ように削った。
最初は手作業で削り、面一整えは
日本玉台中国産業さんの工房で
旋盤を借りて回しながらやった。
そして、寝かしては均し整えを
り返して独自データのテーパー
もっていった。
撞き味極上。メインキューの一つ
となった。
ただ一つ、気に入らない事がある。
オリジナルもそうだろうが、バラ
ブシュカ、短い(笑
58インチちょい切りだ。

オリジナルの本物。
あるキューコレクターに見せても
らった。手に取らせてくれた。
実物バラブシュカを手にしたのは
この時が初めてだった。
細部を目視現認した。
とても勉強になった。
ブランズウィックのタイトリスト
コンバージョンの初期作品だ。






撞球環境

2022年11月02日 | open


ビリヤードは室内競技なので屋内
で行なわれる。
一般的なビリヤード場も大会の特設
会場も。
閉鎖空間であるので、時々軽い圧
迫感を感じる事がある。
しかし、外の風景が見えるだけで
それが違って感じるのだから不思
議なものだ。
撞球場から外の景色が見える店と
いうのは、とても心地が良かった
りする。


だが、そういう店は、ありそうで
あまり無い。


キャラバン

2022年11月02日 | open

Caravan ⎪Tommy Emmanuel & Joscho Stephan⎪LIVE

トミー・エマニュエルのギターは
相変わらず軽快だが、ここでは
ステファンのマカフェリが冴える。
いいね~。ジャンゴチック。



こちらもとってもいいす。

お聴きあれ。
If I Had You ⎮Tommy Emmanuel & Joscho Stephan



枯葉 ~ジョー・パス~

2022年11月02日 | open

Autumn Leaves - Joe Pass

ジャンゴ・ラインハルトとは別な
とこで、ジョー・パスはいいぜ。


枯葉

2022年11月02日 | open

AUTUMN LEAVES-jazz piano trio

どんな楽器でも楽器は良いと感じる
のだが、JAZZってのはベースがいい
よなぁ。
バンマスもベースマンの人が多かっ
たりするみたい。ジャズ屋さんは。


2005年の携帯動画の画質

2022年11月02日 | open

2005年の携帯動画の画質

現代、通信機器の発達は著しいが、
2005年時点の携帯電話での動画
撮影の画質は、まだこんなもの
だった。
ユーチューブのプラットホームが
確立されたのはこの年だった。
クリアな画素数を得るには、主と
してデジカメの動画機能や専用
カメラで撮影して、変換させて
動画プラットホームに乗せるの
が一般的だった。
スマートフォンがガラケーよりも
優れているのは、多機能に加えて、
モバイルとしての能力が飛躍的に
向上した事だった。
そのうち、物体として
モバイルを
保持せずに空間に映像
を映し出す
ことが可能な機器に
進化するだろう。
この動画は、携帯電話にカメラ

機能が搭載されて普及し始めた頃、
初めて
携帯電話(FOMA)で撮影
した
時の動画である。
まだVGAサイズの動画撮影が可能な
機種は世に登場
していない。
動画をメール送信できるようになっ

たのでさえこの前年だった。
この2005年を目途に、各社の開発
競争が熾烈になり、一気に携帯
モバイルの機能が向上していく。
携帯電話は私は1990年から使用し

ていたが、その日進月歩ならぬ
秒進分歩ぶりに驚く。
開発者は、多分ほとんどまともに
睡眠取れてない
のでは(笑)。



玉撞きは変化はしない。
流行り廃りには本質部分は左右
されない。
60年前のキューが充分に現代でも
通用するし、撞球の根幹に変化、
変節は無し。
正確にストロークしてキューを
正しく出して手玉を進行させる
だけだ。
流行り廃りを設えようとするのは、
それは撞球の真髄とは無縁の末葉
部分の別な思惑が形成する事象
のみだ。

撞球の根幹は一切時代に左右され
はしない。
ビリヤードは不朽性を具備している。