渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

折り紙で小箱作り

2022年11月07日 | open



これいいな。
作り方マスターしよっと。
そして出来上がったのを折り畳んで

ぺったんこにして、それをキュー
ケースに入れておく、と。

ほら、玉撞き行くと、キューを組み
立てるでしょ?
その時困るのが、ジョイント・プロ
テクターの置き場所なのよ。
私は今はブレイクキューを使わない
けど、ブレイク、プレー、ジャンプ
の各キューを使うとなると、合計
6個のプロテクターがテーブルの上
でコロコロ転がったりしかねない。
シャフトとバット物を合わせていて

も3個の筒の置き場所に困る。
TADケースの時には開けた蓋に入れ
てたりするけど、それ以外のケース
でキューを持って行った時には、
ちょいとどうすっかな、みたいに
なる。

持ち運びできるレザーの折り畳み
小物入れも売られているけど、
折り紙ってのはなかなか良いかも。
外したジョイント・プロテクター
をテーブルの上に置いたこれに
入れておくようにする
わけ。

《折り紙の箱》丈夫でシンプル!簡単な『箱』折り方・作り方

《折り紙の箱》丈夫でシンプル!簡単な『箱』折り方・作り方

スタンダードな箱の折り方です。小物入れ、ゴミ箱などたくさんの用途に使えます。新聞紙やチラシを使うと大きなゴミ箱を作ることもできますよ。折り紙Japanは保育園・幼稚園...

折り紙JAPAN

 

 


ヤキトリ

2022年11月07日 | open



北九の玉撞仲間と焼き鳥ヤッキー
食いに行こうぜとなったのだが、
先週末は午後4時からの飲みと
なった為、ヤッキーではなく
昼1時から開いてるシースーの店
になった。
適当につまんでからヤッキー行く
かとなったのだが、途中あるって
て行きつけのバーに寄ってしまい、
そのままかなり飲んでからラスト
店への梯子となった。ヤッキーは
全て閉まっていたから。
結局、店を出たのが朝7時頃(笑)。
まだ店内に客が大勢残ってたけど、
皆さんよく飲むねえ~。
どういう訳かラスト店の客はやたら
九州の
人間ばかりだったけど。
ありゃ偶然とはいえ笑
えた。
店内で客同士が打ち解けてた。

いい感じ。
特に北九の人間とはなぜかしらね
どウマが合う。
これまで学生の時も仕事でもプラ
イベートでも、北九州の人間とは
すんなりと互いに打ち解ける。
これ不思議。たぶん、地方柄の
人的種族の問題だろう。東京もん
からすると、まるっきし合わない

お国柄とかあるから。
伝法なとこがスッと東京と北九は
波長が合うのかも。
グジグジと重箱の隅つつきみたい
な粘着野郎は東京も北九も大嫌い
だし。男も女もそんな奴ぁ相手に
されない。
スタンダードの違いかと思う。

焼き鳥にはビールが殊の外合うが

握り寿司にもビールは合うぜ。
あと、どちらも日本酒が合う。
しかも、冷酒でなく、ぬる燗ね。
だが、東京では「やきとり」と

称しているのに、実は焼き豚が
串で出て来る店が昔は一般的
だった。トリではなくトン。
カシラ、ナンコツ、ハツなんて
もろにそうね。
あれはホルモン焼きとごっちゃ
だったのかも知れないけどよく
知らない。学生時代あたりまで
はそれだった。
今、池袋東口駅前で、そうした
ながらの焼きトンを昭和の頃
のまま串焼きで
食わせてくれる
店がある。

店内勤め人でいつも大繁盛だ。

ここ最高。看板は「もつ焼」表示
に変わったようだ。コンプラ対応
か。20年前から月一の出張では

必ず寄っていた。学生の頃も何度
か行った事がある。高校の時は
池袋は西側北のロマンス通りが
毎度の打ち上げ
の場所だった。
パーティーの流れとかの。
大学の時は別な意味のパーティー。
今は法律と条令変わったからあれ

だけど、当時は高校生でも飲み
歩いた。東京都特別条令で、16才
以上は飲酒喫煙OKだったから(笑)。
第一、大学入って一年生は18才

なのに新歓コンパは必須だしさ。
これはまじなとこで。
飲みつけてない地方出身の奴らは
まず新歓で潰される。都内出身の
連中は平気な顔して生き残る。
高校では担任が自宅に生徒招いて

酒振る舞ってくれたり、外にも
一緒に飲みに行ってたんだから。
いや、ほんとの話。



東京のおでん

2022年11月07日 | open



大阪生まれ育ちの友人に「東京の
おでんってどんなの?」と訊かれ
た。
東京ラーメンのように麺が見えな
いような濃い汁の店は少ない。
よく西日本で「関東炊き」とか
「関東煮」と呼ばれる真っ黒な
汁のおでんは、あれは関東には
まず無い。関東てか東京には。

どちらかというと東京のおでんは
薄味だ。
そして、東京の連中はおでんが
大好きだ。
おそ松くんのチビ太がいつも
おでん持っていたように。
広く日常的に親しまれた庶民の
食べ物がおでん。
大阪のたこ焼き程に東京ではおでん

が多くの人に親しまれている。
外食のお店は安い手ごろな店から
高級店まである。
おでんで高級ってどうなの?とは
思うが、選びたい放題いろんな店
がある。

店ごとにすべて味が異なる。
東京三大食べ物は日本蕎麦、握り鮨、
おでん
かな。
東京のおでんがね、これがまた
うめ~のなんのって。

東京、おでんの名店15選

東京、おでんの名店15選

旨みの宝庫、おでん。ベースとなる出汁に、練り物から溶け出す魚介系の旨み、ダイコンをはじめとする野菜の優しい甘さ、場合によっては牛すじなどの動物性の旨みが合わさっ...

Time Out Tokyo

 

 


TADキュー

2022年11月07日 | open



こんなにTADがあるのを一挙に
見られたら、眼福至極だろうなぁ。

タッド/TAD #136 - ノダブロ
ビリヤード 通販 キューショップジャパン

キューケースだけで28万円オーバー
って、結構なお値段ですね(笑)。

【キューショップ限定モデル】ウィットン TAD キューケース WHI24 Black/Brown-ビリヤード 通販 キューショップジャパン

【キューショップ限定モデル】ウィットン TAD キューケース WHI24 Black/Brown-ビリヤード 通販 キューショップジャパン

キューショップジャパンオリジナルモデル アメリカを代表する高級カスタムキューケースのメーカーとして知られるウィットンケースの 新作です。 そしてこのケースには...

ビリヤード 通販 キューショップジャパン

 

凄腕キューケース職人のデニス・
スウィフト製作の私が愛用して
いるTADケースでさえ実勢価格
が13万円もしなかったのに。

タッドケース TAD-24 コゲ茶 本革

タッドケース TAD-24 コゲ茶 本革

タッドケース TAD-24 コゲ茶 本革

ビリヤードの専門店【ニューアート Billiards】

 


アメリカのコレクターによる
デニス・スウィフトの作品群。


私の古いジョー・ポーパーの
ブラ
ンドの1970年代時代の
キューケースも、多分
デニス・
スウィフトの作品だろ
う。
デニスは多くのメーカーの
ブラ
ンド販売のケースを実製作
して
いた。TADケースも何もTAD

コハラさんがケースを作るの
はない。ブランズウィック
ジョー・ポーパーもそう。
米国製革製キューケースの多く
は、腕
がよくて仕事が確実だっ
たデニス
が手掛けた。
 

にしてもTADはいいなぁ。
何とも言えない良さ。

 


私的秋の映画祭 『道頓堀川』(1982年松竹/深作欣二監督作品)

2022年11月07日 | open




『道頓堀川』(原作:宮本輝/
監督:深作欣二/1982年松竹)

主演:真田広之、佐藤浩市、
山崎努、松坂慶子、加賀まりこ他


またもや『道頓堀川』だ。
最高なのである。

原作は戦後間もない大阪が舞台
だが、1982年当時に現代劇と

して深作監督が撮った。
原作の小説の流れとはかなり異
なる演出描写となっている。

いわゆる宮本輝の『泥の河』、
『螢川』に連なる「川三部作」
の一つとしてこの作品がある。
ラストシーンの演出描写は原作
者宮本と深作監督の間でかなり
揉めたらしい。

ただ、DVD特典で製作者が対談
形式で解説しているように、

深作監督には彼独特の人生観と
しての映画人の「モラル」があ
る。

私は大いにこの作品の終わり
方はアリだと思う。

劇中で言われた通り、あのドブ
泥の道頓堀に住む人たちは、誰
もが心に風が吹いているのであ
る。それこそを描いた映画だ。

何度観たか数えきれない。
台詞はほぼすべてを覚えている。
ビリヤードのシーンで「なぜ
あんな撞き方を」などと突っ
込んだりしてはいけない。

加賀まりこが玉を撞くシーンで
は往年の若き古波蔵プロが吹き
替えをしている。かなりの美人
だった。

そして、これは多分、加賀まりこ
のスケジュールの関係で撮り直し
ができなかったからだろうと想像
できるが、遠くでうつむいた横
顔のシーンでは、そのまま古波蔵
プロが加賀まりこの役の吹き替
えのまま映っている。

本来は加賀まりこで撮影する
ところだったのだろう。アップ
のカットでは本人の映像を繋い
で、うまく編集で違和感がない
ようにしている。

この作品は撮影途中で「男の世
界」が続く中、松坂慶子がいわ
ゆる「うつ」になり、撮影続行
が不能になった。自分の演技の
居場所が解らなくなって、心の
病になったらしい。スタッフ等
がいろいろ働きかけて、ようや
く撮影が続行されたという。

そういえば、松坂慶子が演じる
「まち子」役の小料理屋の女将
が、武内(山崎努)と邦彦(真
田広之)が店に来た時にビール
で3人で乾杯をするシーンで映
像上のミスがあることに私は
気づいていた。

それは、ビールをグラスになみ
なみと注がれて3人で乾杯をす
るシーンにおいて、最初まち子
のグラスに注がれて乾杯までは
泡が立っているのだが、いざ次
の瞬間にまち子が飲もうとした
カットでは泡は完全に消滅して
いるのだ。

映像特典の解説によると、この
シーンでは「松坂がうつになり、
まったく盛り上がるシーンが
撮影できなくなった」と説明し
ていた。

たぶん、何度も撮り直しでOK
テイクが出ないまま、しかた
なしに撮影済みのカットを編集
で割りこませて繋いだのだろう。
ほんの0コンマ数秒でグラスの
泡が完全消滅するわけはないの
で、とても不自然な映像となっ
ている。


この映画にハマり、東京から
広島に赴任した1997年には、
大阪への出張の際には大阪
ミナミの道頓堀界隈を「聖地
巡礼」のように歩き回った。

だが、映画に出て来た撞球場
はひとつもなかった。

当時はビデオしか発売されて
おらず、DVD特典で語られた
撮影裏話を知らなかったからだ。

実はこの映画に出てくる室内
のシーンはすべてスタジオ
セットだったのだ。

道頓堀の戎橋わきにある物語
の重要な舞台である「リバー」
という喫茶店は、現実には
喫茶店オグラがあったが、劇中
に出てくる喫茶リバーから道
頓堀川ごしに見える対岸の喫
茶店やミスタードーナッツな
どもすべて少しミニチュアの
セット(遠近感を出すため)

を作って撮影されたのだとい
う。

ビリヤード場は劇中に何軒か
出てくるが、天王寺にしろ
千日前にしろ古びた玉屋の店
内などはどう見ても本物にし
か見えない出来栄えだった。
やられた。すっかり深作演出
に、してやられた。


一番ショックだったのは、
オープニングのシーンで出て
くる大黒橋に1998年に行った
時だった。

映画が撮影された1981~82年
時点では、この橋の上は小さ
な児童用遊園地となっていた。
ジャングルジムがあり、雲梯
があり、ブランコがあった。

美大生の邦彦は、夜明け前に
この大黒橋の上で道頓堀川の
絵を描いていて、逃げた飼い
犬の小太郎を追って来たまち
子と初めて出会うのだった。

その大黒橋に真っ先に訪れて
みたが、たった10数年間の間
にあまりの変わりように驚い
た。


映画『道頓堀川』(1982年)から


















邦彦はまち子からレモンをもらう。


そして、アルバイト先の喫茶店
リバーに向かう。


戎橋(ひっかけ橋)の向うに1982
年5月公開の『ザ・レイプ』の広
告看板がえる。実はこの映画で
裁判官および弁護士役を演じた
のは、この映画の公開4年後に私
が勤めた職場の弁護士たちだっ
た。被告人の弁護人役はうちの

所長だった。
所長の著書の『制裁的損害賠償
論』には学生の時にいささか
感銘を受けた。


この邦彦が歩いている1982年
時点の大阪道頓堀の戎橋も、
今は改築されてもう見る影も
ない。2000年頃にはよく路上
ミュージシャンがここでギター
を弾いていた。通称「ひっかけ
橋」。古くからナンパストリー
トだったからだそうだ。


戎橋横にある喫茶リバー。
これは看板のみ映画用に掛けて
いる。本当は洋食喫茶オグラ。



喫茶リバーの店内から見た戎橋。
これは実写だ。



だが、このシーンでは、店内も
セットで、道頓堀川の対岸の向
うの店もすべてセットなのであ
る。これにはしてやられた。
見抜けなかった。



2010年時の本物の風景


2010年時の道頓堀川。「リバー」が
あったという設定の場所は現在は
コンビニ店のあるビルになっている。
オグラビル。

(リバーと書きこんでみた)


映画の中で街頭ロケで出て来た
シーンは、この道頓堀界隈に限
っては私はすべて歩いて、場面
で使われた場所を確認した。

現実的に道頓堀界隈をいくら
彷徨してみても、聖地巡礼は
それほど成立しなかった。

それもそのはず、肝心の室内
シーンのほとんどが松竹スタ
ジオの中のセットで撮影され
ていたからだ。現実の道頓堀
や天王寺などに映画に出て来た
ビリヤード場などは1982年当
時にも存在しなかったのである。

散々歩き回った私はくたびれ
もうけ・・・かと思いきや、
道頓堀には実にレトロなビリ
ヤード場があった。

そこで私と同じTAD使いの知己
を得たたので、収穫はオンの字
だったのである。


今どき、マッチだぜ、マッチ。
渋い。
今はこの玉屋はもう存在しない。


映画『道頓堀川』は決してビリ
ヤード映画ではない。

ビリヤード映画として観ても
期待が外れるだけだ。

これは「深作作品」として観る
のが正解かと思う。

どうして世の中にこんなひどい
話があるのか、というような

物語になっている。涙も枯れ
果てるような悲しいお話が続く。

戦争に出兵して、仲間はどん
どん死んでいく。海を漂流し
ながらも次々に仲間が沈んで
行く。生き残って本土に帰っ
て来た自分の「生」に対する
忸怩たる思い。誰にも理解さ
れないその思い。

深作欣二監督が持つ「モラル」
という心の奥底に触れたい方は

ぜひどうぞ。
秀作です。

ちなみに現在の大黒橋は「綺麗」
になってしまっています。
子どもたちの遊び場は消されて
しましました。
(不明~2009年までの大黒橋)




2010年時には大黒橋はさらに
大改修が始まっていた。
風情あるレンガ造りさえ見る
影もない。階段も無くなった。


大黒橋の上から1982年。


同地点の2010年。


大黒橋北側へ走るまち子(1982年)。


同地点の2010年9月時点。

段差もなくなり車の通行には
便利にはなって行くのだろう
が、江戸時代の元和年間に架け
られたこの橋は、かつての昭和
の時代には歩道だった。橋の上
には児童用の小さな公園があり、
きっと多くの子どもたちもここ
で遊んだことだったろう。
今は本当に見る影もない。
せめて映画『道頓堀川』で、私
が邦彦と同じ大学生だった頃の
タイムリーな大阪の街並を偲ぶ
しかない。
しかし、日本の街の風景は戦後

に一度大きく変わり、そして
バブルで完全に変わり、さらに
バブルから四半世紀以上が経と
うとしている現在、三度目の大
変身を遂げようとしている。
1980年代といえども、「昭和」
の時代にはまだ戦前の面影が
街に残っていた。
国電お茶ノ水駅を下りて、神田
駿河台の学生街を歩くと、戦前
からの明治建築の大学校舎など
が建ち並んでいた。今はどこの
大学も宇宙局のような建物ばか
りになってしまった。かろうじ
て、東大の安田講堂や早稲田の
大隈講堂や明治学院等の私大群
の建物の一部等が古い時代の
風景を留めているに過ぎない。

運河の街大阪の橋。



映画『道頓堀川』の中で主人公
の邦彦が着ている服やブーツな
どは、本当にタイムリーに1981
年当時に私などの学生のスタイ
ルだった。
真田広之さんも佐藤浩市さんも
私と同学年でなんだか髪型まで
同じだし(笑

深作監督についてはウソのよう
なホントの体験をしたことがあ
る。

あれは1988年の秋。風の強い
寒い日だった。

私と職場の上司は、ある調査の
ために千葉県外房に車で赴いた。

仕事を早々に終え、九十九里
の海岸で海を見ながら男二人で
煙草をくゆらせながら一服休み
していた。ヤシのような並木が
ある海岸線の通りだ。

するとそこに一台の真っ赤な
スパイダーに乗った「あした
のジョー」風のキャスケット
帽を被った渋い男性が乗りつ
けた。

男性は車から颯爽と降りると、
堤防に立って海を眺めた。

そして、ほんの1分くらいで
立ち去って行った。

深作欣二監督その人だった。
私と上司は、「海の眺め方も
去り方も、なんだかカッコ
イイなぁ。まるで映画みたい
だよな(笑)」と同じ感想を
漏らしたのだった。
監督、独りでロケハンだった
のかも知れない。


深作監督が乗り付けたのは、
こんな感じの車だった。


握り鮨と握り寿司

2022年11月07日 | open
 




江戸前握りの定番であるこはだと
干瓢巻きが西日本には存在しない。
握りも刺身載せであり、ネタに
仕事をする握り鮨ではないのだが、
それはそれで握り寿司としてウマい。
ただ、コハダと海苔巻きが全く存在
ないというのは、かなり残念
なも
がある。
 
醤油に関しては、サラリ江戸前系
が最近では西日本エリアでも定番
になって来たので、それはありが
たい。
刺身醤油みたいなトロリ系は握り
には合わないと思うよ。
 
海苔巻きの干瓢の味付け方は店毎
に異なる。
それと巻きはかなり難しく、簡単
ではない。
江戸前握りの最後の締めは海苔巻
きで決まり。さらっとしていて、
いい感じ。

キューの性質

2022年11月07日 | open






キューには押し玉が楽なキューと

引き玉が楽なキューがある。
性質はそのどちらかにどのキュー
も寄っている。その寄りは微細
ではあるが。
上図のような手玉の出し方はよく
やるが、こうしたドローが簡単に
できるキューというものもある。

今回リペアしたキューはどちらか
というと類型的には押しが楽な
キューだ。上掲図のような引き
の出しもできるにはできるが、
楽勝でできるキューではない。
ほんの僅かの差なのだが。


このキューで動態能力をチェック
している時の押し玉。楽である。
というか、押せすぎ。
キューのテスト中の動画。 

このキューでも引きは自在に制御
することはできる。
任意の距離を引きで戻す等。

立てキューマッセショットによる
引き玉。上掲の下図の半テーブル
版という配置での立てキュージャ
ンプドロー。 

引き玉が楽なキューでの引き玉
動画。
的玉を入れながら手玉で
クラスタ(塊)
を狙って狙い通り
に割りに行ってるショット。
割った後が大切で、逆ヒネリを
加えて割ってから
手玉も計算通
りのエリアにワンクッションで
イングリッシュ流しで止めた。

キューは1995年製TAD。


BREAK and RUN OUT -2005- NINE BALL


地雷処理方法

2022年11月07日 | open



こちら

これ、望月三起也先生の名作劇画
『ワイルド7』の「緑の墓」
編で、
オヤブンが考え出した方法。
1970年頃に。

でも、結果はこれと同じになって
いた。
『ワイルド7』での地雷避け車両
製作は新左翼の学生たち。
緑の墓とは、広大な敷地内の平原
には地雷を無数に設置し、猛獣を
放している半官半民監獄。そこに
は赤軍派のリーダーも世間には秘
密裏に収監されていた。飛葉たち
に化けた国際テロ組織は、飛葉
より先にワイルドの衣装で偽装
して乗り込み、政治犯たちを救出
しようと企む。
それにより本物の飛葉やヘボピー
たちは囚人護送後にニセモノとし
て捕縛され収監されてしまう。
そこでは過酷な拷問が待っていた。
新左翼学生たちと外に残ったワイ
ルド7たちは協力してナチス監獄
のように人殺しを日常的に行なう
極悪監獄そのものを完全破壊壊滅
させる、というおはなし。
悪の監獄看取や所長たちは全員
ワイルド7に処刑される。
「過激派」リーダーたちは学生側
に奪還されるが、ワイルド7は感知
せず。


原曲のキー

2022年11月07日 | open


原曲のキーは結構高い。
中サビの海越えていったかい、
の「い」部分の音が私は今はギリ。
やはり声のピッチは昔より下がっ
てる。

こちらは原曲キーでまだうたえる。
ほな、いくでー、と。




音を楽しむ。
音に楽しむ。
それ音楽。


フルリフィニッシュ 四剣キュー(1980's)

2022年11月07日 | open
 

シャフトのニスさえ剥がされてい
なかったほぼ新古をここまで撞
込んだ。(シャフトの汚れ)

フォアとスリーブはフルリフィニッ
シュの塗り直し。糸巻き交換。
ハンドルは丁寧な下地処理で真っ
らにしてから極細レースヤーン
を巻いて、軽くラッカー塗り。




フルリフィニッシュと糸巻き交換
終えた四剣。
重さはバット426.5g、シャフト
123.5g、総重量550g=19.40oz。
よくぞ測ったようにこんなにピタリ
と自己最適重量にまとまったと思
う。
入手時はシャフトも極太で、バット
の塗りもかなり厚かった。
シャフトのテーパーは新たに時間
をかけて削っては寝かしを繰り返
して整えて行った。
私のTADのスペアシャフトと同じ
テーパーに。Aテーパー。
 

タップは自分で手作業で交換。
14mm→12.9mmに。
シャフトの木は赤木で非常に質が
良い。先角はフタ付き。

撞き味は頗る快調。

 
1900円ちょっきりのキュー。
これでボウラード250点出る(笑
キューは金額じゃないですね。
中身。これはアタリでした。