渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

キュータップの交換

2022年11月15日 | open



タップ交換した。


よく替えるねぇ、って、別な
キューのシャフト先です。

マサイの槍。

ヒロスエさん

2022年11月15日 | open


40才過ぎの広末さん。
今もお美しい。

小学生の頃から可愛い。

「あたし結構人気あったんだよ」
と息子さんに言うと、「自分で
言うなよ、イタいから」と言われ
たと取材で語っていた。
息子さんはあの90年代のヒロスエ
ブームを知らないからだろう。
この人、第二の小百合ちゃんにな
るなと思ってたら、奇行で変な事
になっちゃった(笑
中学のクレアラシルのCMの時な
どは「うわ!原石来たー」と思っ
ただよな。
でも、奇行では先人女優たちのツ
ワモノが大勢いらしたので、大し
た事ではない。
今も良い女優さんかと思います。

ただ、吉永小百合がそうであるよ
うに、悪人役は演じられないだろ
う。
映画『バブルへGO!!』(2007)は
かなり面白かった。


謎のビリヤード用語

2022年11月15日 | open


ビリヤード界には謎の単語が多く
ある。
その最大の謎が、キュー先にある
革のパーツの呼び方。
この革部品の発明は収監中のフラ
ンス軍人が発明したとされている。
これより先に木の棒の先に石灰
パウダーを塗る事が発案されて、
それはマジックパウダーの名称で
爆発的ヒット商品となった。
そのすぐ後にこのキュー先の革の
部品が考案された。
この革部品に滑り止めパウダーを
着けたら、しっかりとキュー先が
手玉に食いついて、手玉を曲芸の
ように押したり引いたりひねった
りする事が可能となり、マッセと
いうショットも発明された。
このキュー先は車が登場した頃に
発明されたが、ゴムタイヤから発
想を得たのではなかろうか。どう
やってグリップさせるか、という
事で。
このパーツは英語でtipと呼ばれる
ようになった。
野球のファールチップのtipだ。
発音はティップ。

明治以降、日本は極限的加速的に
西欧化が進み、ビリヤードが欧米
から入って来た。
日本へのビリヤードの渡来は江戸
期初期には入って来ていたが、
プレーをするのは西洋人のみだ
った。まだアメリカ合衆国さえも
存在しない頃。
明治以降は、日本は世界有数の
撞球王国となった。
種目の性質が日本人には合って
いたのだろう。
そして、キュー先の革部分の事は
「タップ」と日本では呼ばれた。
タップとは、英語ではコンコンと
叩くという意味だ。タップダンス
のタップ。
ティップである名称の名詞がいつ
の間にか日本ではタップという動
詞で表現されるようになった。
語感は似ているが全く別な単語だ。

なぜ日本ではタップと呼ぶように
なったのだろう。
この事は解明されていない。
ビリヤード用語の最大の謎。

「空コ」「玉コ」という単語は、
クッションの事を原音に近いコッ
ションと日本では呼んでいた為
というのは分かっている。
空コッションを略してカラコと
呼ぶのである。
「リボイス」は行って戻る玉の動
きのリバースを原音読みした言い
方だ。
だが、どうしても「タップ」だけ
は語源が判明していない。
なぜだ?!
なぜ、ティップとかチップとか呼
ずに日本だけタップなのか。
斯界有識者による解明を俟つ。




大森一樹監督逝去

2022年11月15日 | open


また一人、映画界から人物が去った。
謹んでご冥福をお祈りします。



城下町の特徴

2022年11月15日 | open









城下町の特徴。
それは、道をクランク状にして
ある箇所が必ずある事。
これは軍事上の目的から。
城下町は町自体が軍事都市なので。
江戸期から城の町はシティ。
そして、軍事拠点、基地の土地。




旧山陽道(西国海道) 〜備後国三原〜

2022年11月15日 | open


戦国時代末期に登場した三原城
下、城内の道。旧山陽道である。
古代山陽道は山の中で別な道。
この道は主として江戸時代の山
陽道であり、大名行列が通った
道になる。通り沿いの両側は
江戸時代から全て商家が繋がる
長屋造りの建物が続いていた。
今も一部残存している。
この信号の先のどんつきが三原
城本丸天守台北側。濠に囲まれ
ている。
この信号の交差点が甲山別れと
いう場所で、この信号から手前
が西町という職人街。江戸期に
は鍛冶屋が数十軒あった。通称
下町。また、「かじ新町」とも
呼ばれた。後年、梶新町と宛字に
なった。
この道をまっすぐ行ってから右に
折れて濠沿いに酉御門を入った地
が江戸期正式名西之築出(にしの
つきだし)。
通称は御作事場。明治以降は御作
という地名になった。
長崎出島のような海につき出した
埋め立て地だった。城内。

カイルン

2022年11月15日 | open
 












台湾生まれのポケット台を使った
キャロムビリヤード。
しかも、本物のキャロムの四ツ球
競技よりも難しい。
 
1980年代、東京の玉仲間とは練習
と遊びを兼ねてポケットボールと
台で四ツ玉を撞いたりもした。
ただし、カイルンのように複雑な
ルールではなく、どれに当てても
1点という計算方法。
上手い人は、本物と同じように
レールナースのセリー玉を作って
ずっと台の周りを回って撞き抜い
たりしていた。
持ち点は50点のショート戦。
昔の店キャロムと同じく、相手が
声に出してカウントする。
「ひとつ!ふたーつ。みっつ・・・
ふたじゅうなな」という具合に。
大昔、女店員さんのカウントさん
がやったようなカウントは、1970
年代中期以降は対戦相手がコール
するようになった。
私が本格的にビリヤードを始めた
1980年代もそう。
はっきりとした大きな声でコール
する。
そうでないといけない。
玉撞きをする人間に、ボソボソ
小声で物を言ったり、グジグジ
陰口を物の陰に隠れて言うような
人間はいなかった。
そんな輩は入って来れない。
はっきりと、きっぱりと、きっか
りと、正々堂々と公明正大に物を
言う。
その一つの象徴がカウントコール
だった。
 
カウントコールの一例。

毎週25人ほど殺して、年間で
1200人ほど毎年殺害。
江戸の人口を一気に減少させた人
のカウントコールね。