渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

増える物

2023年04月11日 | open


友人も私もそうだが、撞球人で
キューを1本しか持っていない
人というのを私は知らない。
これ、日本刀の世界も同じで、
日本刀が好きな人たちで、刀は
一口(ひとふり)しか持っていな
いという人はまずいない。
刀が一刀だけしかないというの
は、日本刀を使うスポーツ武道
の人に多い。
日本刀など愛でてはおらず、
単なる用具としてしか観ていな
い層。
なので、日本刀(刀身)そのもの
についてもいつまで経っても無
知であるし、拵や金具等につい
ても全く無知蒙昧のままだ。
興味のない事は学び深めようと
はしないのだろう。刀などは用
具としているから。それを使う
試合での勝ち負けがやってる事
の主目的となっているから。
そして、そうした意識なので、
日本刀(真剣)を極めてぞんざい
に扱う。
一体、何をやっているのだろう
と思う。
日本の伝統文化を守って残し伝
えようともしない。
ひどいのになると刀を跨いだり
するのもいる。剣の武道をやっ
ていて。刀をモグラ叩きの用具
のハンマー程度に思っているの
だろう。
武家文化の良質面(躾や作法等)
を尊重しないからそうなる。
咥え煙草で刀を振り回してSNS
で配信してドヤってる馬鹿もい
る。論外。

一方、撞球は武道でも武術でも
ない西欧スポーツではあるが、
かつて80年代頃までのビリヤー
ド場はあたかも剣術道場のよう
な感があった。
非常に礼儀を重んじる。
厳格な長幼の序は無いが、集う
者たちは互いに相手に敬意を以
て接する。
壁には技量ごとに並べられた名
札が掛かっていた。
まるで本当に柔道剣道・古流剣
術の道場のようだった。
玉筋が隠れたりまぐれヒットを
したら相手に「失礼」と口に出
して必ず言う。
現代のように帽子を被ったまま
指導者面するような失礼虜外の
無礼者などは一人たりとも存在
を許されないのが撞球場だった。

そして、撞球人はキューを何本
も所有していた。
これは、刀と同じで、自然と増
えていくようだ。
それは、ブレイクキュー、ジャン
プキュー、プレーキューという
三種必携というものとは違って、
別なキューを「趣味的」に買い
求めて手元に置くのだ。
この心理、私もよく解る。
まさに日本刀がそうだからだ。
大刀一刀と脇差で武士は一腰の
セットなので、武士は必ず大刀
の他に脇差を所有していたが、
それとは別に刀剣を買い求める。
江戸期よりも現代のほうがその
傾向は強い。一刀のみの所持者
の層は、ほぼ用具意識のスポー
ツ武道の人間と層が重なる。
日本刀になど興味は無いので刀
を厳選して買い求める事さえも
無い。
だが、その道の本筋の人々は
キューも刀も殊更に大切にする。

撞球と剣の道は、使い手の差料
ひとつとっても位相として似通
った面が存在している。





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