うちの刀剣探究苑には新陰流
の剣士がいる。
MCメンバーでもある。
酒を飲みながらの剣術談話が
とても面白い。
刀友、走友でもあるが、剣の
術について専門的なところか
らの互いの意見交換がとてつ
もなく面白い。
かつては私の師匠の神奈川の
道場では、稽古後に道場で、
「メリケン刺身」(※)をつまみ
ながら車座になって門人たち
が師匠を交えて酒を酌み交わ
しながら剣術談義に耽ってい
た。
それが、幕末の江戸の道場の
ようでとても面白かった。
そして、忌憚のない意見交換
をする事は、とても貴重な時
間だった。
剣の道の修行においては、そ
うした同友との切り込んだ懇
談が極めて大切かと思う。
「拙者はこう考えるが貴殿は
如何か」というような。
同僚に対しては「貴様はどう
思う?」という感じで。
そうした、術技見解の交流な
き道場稽古、剣友関係は、何
を得ようとしているのか憚り
ながらそれがしは不明にて
御座候。
私は土佐英信流、新陰流、二
天一流、柔術古伝天眞流を学
んだが、いずれも術技懇親談
話が常にあった。(家伝一刀
流については座学でしか学ん
でいない。理由は伯父の代で
失伝)
決められたカタチを体操のよ
うに覚える、覚えさせる物な
どは非常に浅く、つまらない。
足の指の全指全て、手の指の
全指全て、体心から体幹すべ
て、所作の全てに剣と体の
術の要諦と深淵についての
考察なき接触などは、それは
術の深化でも研鑽でも修行
でも何でもない。ただの健
康体操だ。
そんなものは武士には必要
無い。無意味だ。
剣の神髄を求める人士たち
との懇話を含めた談義は非
常に面白く、そして実があ
る。
たとえそれは「メリケン刺
身」をつまみながらの談義
にあってもだ。
そしてそれなるは、刀剣談
義においても然り。
過日、刀友と剣士の娘御ま
で交えての一泊越しでの刀
剣談義は、実に実り深きも
のだった。
士の至福とはこれ哉と思い
し次第にて御座候。
※
メリケン刺身とは幕末に
チーズを食する外国人を観
た武士が、チーズを知らぬ
ゆえ見た目が似ている沢庵
を欧米人のチーズに見立て
て酒の肴にして俗称した事
による。主として討幕派も
佐幕派も称したが、いずれ
も元来はどちらも攘夷論者
だった点からすると、面白
い食文化への当時の若者の
感覚現象として現出してい
る。鬼畜米英を謳いながら
旧日本陸軍や海軍の上級幹
部が舶来のウイスキーを嗜
んだのにも似ている。
食と酒は思想性を超える物
として存在する証左かも知
れない。
けだし、食と酒は人類の真
の平和への架け橋となるの
では、と。