【奈良市埋蔵文化財センターの発掘調査速報展】
奈良市の西大寺旧境内(西大寺南町)の土坑墓内から、鉄製の腰刀2本が中国産の青磁器と共に出土した。刀はいずれも平安時代後期の12世紀後半のもので、速報展「平氏隆盛の頃の腰刀と轡(くつわ)」(8月31日まで)で公開中。腰刀は合戦用の長い太刀とは異なり、武士が万能利器として常に腰に差していた短刀。2本とも錆びが目立つものの、なお装飾の模様がくっきりと残っている。
出土した腰刀は大小2本で、漆塗りの鞘に入っていたとみられる。大形の刃長は37.9cm、刃幅4.3cm。装飾は柄と鞘に3本の沈線を1つの単位として刻まれている(写真㊨)。小形の方は刃長18.4cm、刃幅2.8cm。柄の縁がU字形に丸く作られ、大形と同じ模様がわずかに残っていた。この2本の腰刀とそっくりのものが三重県で出土している。雲出島貫(くもづしまぬき)遺跡(津市)の木棺墓から見つかったもので、12世紀末から13世紀初頭に埋葬された伊勢平氏に関わる人物の埋葬品とみられている。この三重の遺跡でも同じような輸入磁器が納められていた。
奈良の土坑墓内から腰刀と共に見つかった中国製青磁は碗2個(写真㊧)と小皿3個。碗は龍泉窯系(浙江省)、小皿は同安窯系(福建省)の製品で、それぞれ飛雲文、櫛点描文という独特の文様があしらわれている。これらの輸入磁器は、平清盛が推進した日宋貿易で日本に大量にもたらされた。被葬者は不明だが、刀や輸入磁器が納められていたことから、この地に屋敷を構え耕作地を持つ地位にあった人物の可能性が高いという。
速報展では中世の馬具の轡(写真㊨)も展示中。轡は馬を制御するため馬にくわえさせる器具。これらは腰刀とは別の平城京の2カ所(法蓮町と杏町)の井戸から出土した。法蓮町のものは12世紀後半、杏町のものは11世紀後半のもの。平安時代後期の轡の出土例は少なく、極めて貴重という。2つを比べると、12世紀後半のものは作り方が簡略化されていることから、同センター担当者は量産化されたのではないかと推測している。