【全国的にも珍しい円形の「見送り」】
戸畑祇園といえば「提灯山笠」といわれるように、夜のピラミッド姿が有名。だが、昼間の幟山笠にも見どころが多い。競演会が行われる28日の正午、飛幡八幡宮に「中原」を除く大・小6基の山笠や子どもの飾り山笠などが集合するため、そこで豪華な飾り物をじっくり観賞することができる。
現存する山笠台を飾る幕類で最も古いのは慶応元年(1865年)製作の「天籟寺」大山笠の切幕。その他の大山笠幕類の大半も明治初期から中期にかけて製作された。上の2枚の写真のように、緋ラシャの布地に勇壮な武者絵などが金糸銀糸で刺繍されている。分厚く立体的な刺繍が特徴だ。また西大山笠の真ちゅう製擬宝珠には文政12年(1829年)の刻銘があり、これも福岡県の重要有形文化財に指定されている。数年前、幕類を京都の業者へ洗い張りに出したところ、費用が1基当たり約500万円もかかったそうだ。
山笠の後ろに付ける幕の一種、見送りは直径が約1.5mの円形。竹を格子状に編み、中央部を盛り上がらせて和紙を重ね張りし、その上に刺繍幕を取り付けたもの。円形の見送りは全国的にみても極めて珍しい。その図柄は東大山笠が「天翔る金鷲」(下の写真㊧)、天籟寺大山笠は「牡丹に唐獅子」(同㊨)、西大山笠は「鳳凰」、中原大山笠は「天に咆哮(ほうこう)する虎」。幟山笠の正面は直径70cmほどの「前花」4個が飾られる。白い菊花を表し、上部に葉と蕾をあしらっている。
【終戦直後、幕類などが海外流出のピンチに!】
これらの幕類などが海外流出のピンチに陥った時があった。古老の話によると、祭りが中断していた戦時中から終戦直後にかけ、幕や幟などの飾り物は旧戸畑市役所に保管していた。駐留軍高官がそれを見つけ、お土産として米国に持ち帰る計画が発覚。これに対し、関係者が「山笠は地域の宝で日本の伝統芸術」と必死に説得し、急きょ担ぎ手を集め祭りを見てもらった結果、思いとどまってくれた。ただ、その際「なんで青い目の前で担がないといけないのか」と反発する人もいて、MPに連行されるなど、ひと悶着あったそうだ。
幟山笠は祭り中日の28日午後1時「神移し」の儀式を終えた後、「お汐井汲み」のため、お神輿に続いて飛幡八幡宮を出発、JR戸畑駅前の中本町商店街を突き抜けて洞海湾の若戸大橋たもとを目指す。その時の神社の坂道を下る「大下り」(下の写真㊧)は見どころの一つ。大小の幟山笠は坂道を厳かなお囃子に合わせ静かに下っていく。が、神域を出るやいなや、お囃子の調子は豪快な「おおたろう囃子」に一変、山笠はそれに合わせて速度を増し上下に弾むように担がれていく。最終日29日の夜遅くに行われる「天籟寺」提灯山笠の「大上り」も見ごたえたっぷり。地元の菅原神社までの長い坂を「ア、ヨッサ、ヨッサ」の掛け声に合わせ、一度も止まることなく駆け上がっていく。祭り最終盤のハイライトだ。
【1カ月後には女性だけで担ぐ〝女提灯山笠〟の運行も】
戸畑祇園大山笠は女人禁制の祭りだが、戸畑には女性だけで担ぐ「女山笠」もある。中心街の中本町商店街のおかみさんたちが中心になり、地域活性化の一環として14年前にスタートした「ヨイトサまつり」のメーン行事。山笠は戸畑工業高校の建築科の生徒たちに頼んで製作してもらった。本物の提灯山笠に比べると小ぶりだが、それでも高さは7m、重さは1トンもある。夜になると10段200個余りの提灯に灯がともる。
担ぎ手の中心は商店街の若手の女性や戸畑市立高校(旧戸畑商業高校)の女子生徒たち。ただし開催時期は毎年、戸畑祇園のほぼ1カ月後。運行する場所も商店街の中とその周辺だけに限られている。「女山笠」には男衆たちの反対意見も根強く、紆余曲折の末、そんな条件付きでようやく認めてもらえた、という経緯がある。今年の「ヨイトサまつり」は1カ月後の8月25日に開催の予定だ。