く~にゃん雑記帳

音楽やスポーツの感動、愉快なお話などを綴ります。旅や花の写真、お祭り、ピーターラビットの「く~にゃん物語」などもあるよ。

<イザベラ・バード> 旅行記完訳の金坂清則氏、〝ツイン・タイム・トラベル〟提唱

2013年04月29日 | メモ

【京都地名研究会で講演、過去の翻訳本の誤りを正す!】

 明治時代の初め、北海道や東北、関西などを訪ね「Unbeaten Tracks in Japan(日本奥地紀行)」を著した英国の女性旅行家イザベラ・バード(1831~1904年)。そのバード研究の第一人者、京都大学名誉教授で地理学者の金坂清則氏が「完訳 日本奥地紀行」全4巻の完結を踏まえ、28日、龍谷大学大宮学舎で開かれた京都地名研究会で講演した(写真㊨)。タイトルは「イザベラ・バードが記した日本の地名―旅行記の翻訳に求められるべきことに関わって」。

     

 バードは病弱で医師に勧められて各地を旅行、その旅は22歳から70歳までほぼ半世紀にわたり、南米と南極を除く全大陸にまたがった。英国の王立地理学協会最初の女性特別会員でもある。金坂氏(京都地名研究会副会長)がバード研究を始めたのは1989年。バードの旅の足跡をたどりながら写真を撮影し、2004年から内外で写真展「イザベラ・バードの旅の世界」を開いてきた。2010年には京都と奈良で開催、現在も東京大学駒場博物館で開いている(6月30日まで)。

 金坂氏はバードの旅行記研究を踏まえて〝ツイン・タイム・トラベル〟を提唱する。「過去の旅行記に描かれた旅の時空と自らの旅の時空を主体的に重ね合わせる」という新しい旅の形だ。そして旅行記を読むということは「その基となった旅を読み、旅する人を読み、旅した場所・地域を読み、時代を読むこと」であり、翻訳家は「異文化の媒介者でなければならない」と強調する。

 〝ツイン・タイム・トラベル〟を実践するには旅行記が正確に翻訳されていることが前提になる。では過去に出版されてきたバード旅行記の翻訳本はどうか。金坂氏は今回の完訳全4巻の執筆に当たり既存の訳本は参考にしなかった。だが翻訳後、過去の訳本を見て間違いの多さに怒りさえ感じたという。講演でも「批判のための批判ではない」と重ねて前置きしながら、多くの間違いや問題点を指摘した。

 その一部を列挙すると(→は金坂氏の翻訳)――。睡蓮→ジュンサイ、キャベツ→葉ボタン、ズボン(女性の服装)→モンペ、帽子→菅笠、青い着物に翼に似た青白い外衣を着た男性(大津祭で)→裃(かみしも)、長い白いネクタイ(同)→日本手ぬぐい、植物の根の粉でつくったもち→コンニャク、大根を加えた主食→たくわん、軒下を通れる散歩道→雁木(がんぎ)、ハエスハ・ハエスホラ→エッサ・ホラサ

 西本願寺を訪ねたくだりでは「対になった社殿」といった訳もあったという。えっ、お寺なのに社殿? バードは京都で同志社創立者の新島襄・八重夫妻とも面会しているが、新島八重の母、山本さくをある訳本は「おかみ」や「滞在先の夫人」と翻訳し、同志社女学校のことを「二条山屋敷」「二条さん屋敷」と訳していた。秋田県北部の町「森岳」(もりおか=当時の読み)が「盛岡」になるなど地名の間違いも目立った。

 金坂氏は「地名は旅行記にとって極めて重要。既往の翻訳では現地を旅することに耐えられないのではないか。ケアレスミスなら仕方ないが、既往の訳書の問題点は根本的なものと考えざるをえない」と厳しく指摘する。「外国人が記した自国(日本)に関する極めて貴重な書物を訳し、日本人に正確に知らせる責務があるという自覚が欠落していたのではないか。バードは日本の真の姿を見聞し考え、感じたことを鮮やかに記述する希有な能力の持ち主だった。その旅行記は現在の日本を考えるうえでも示唆的である」。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする