【常栄寺には雪舟庭、瑠璃光寺にも肖像画や天の橋立図など】
室町時代の画僧雪舟(1420~1506?)。備中(岡山県)生まれの雪舟は若くして僧籍に入り、京都・相国寺で修行の傍ら絵画を周文に学んだ。その後、当時「西の京」と称された山口に移り、守護大名大内氏の庇護の下で創作活動に励んだ。没年や亡くなった場所には諸説あるものの、永正3年(1506年)、創作の拠点だった「雲谷庵」で没したと伝わる。
雲谷庵跡(上の写真)は山口市天花(てんげ)という優雅な響きを持つ地域の外れにあった。雪舟最高傑作の国宝『四季山水図』(縦約40cm、長さ約16m)もここで描かれたといわれる。雲谷庵を少し下った国道9号の歩行者用地下道に『四季山水図』を模したタイル絵が貼られていた(下の写真㊨)。原画は防府市の毛利博物館が所蔵する。
雲谷庵は大内氏滅亡後、荒廃していたが、約130年前、大内時代の古材を集めて再建された。庵が立つ小高い場所からは西側の木々の間に国宝瑠璃光寺五重塔の上半分が見えた。瑠璃光寺の資料館には雪舟筆と伝わる作品などが多く展示されている。同寺開山から3世までの肖像画3幅や『天の橋立図』、ケヤキの大盆に仏画を描いた『雪舟盆』……。雪舟に私淑した雪村筆の『龍虎の画双幅』もそれらの横に並ぶ。
瑠璃光寺から東へ徒歩40分ばかりの常栄寺には雪舟庭がある。大内氏29代大内政弘が雪舟に命じて造らせた池泉回遊式庭園。北側に枯れ滝、中央に心字池があり、その周囲に大小の庭石を配す。禅味あふれる日本庭園の代表作として国の史跡・名勝に指定されている。池の中ではちょうど睡蓮の白い花がいくつも咲いていた。庭を望む本堂の入り口で出迎えてくれたのは伝雪舟ともいわれる『群馬図』(下段㊧)。本堂内には雪舟の画風を受け継いだ「雲谷派」といわれる画家たちの手による屏風絵も飾られていた。
雪舟庭とは反対側の本堂南側には昭和を代表する作庭家・重森三玲が築庭した「南溟庭(なんめいてい)」がある(写真下段㊨)。重森は常栄寺20世安田天山師からこう依頼されたという。「雪舟より良い庭を造られては困る……上手に下手な庭を造ってもらいたい」。築庭は約50年前の1968年、重森72歳のときだった。雪舟は大内氏の遣明船で中国に渡り3年後に帰国した。この石庭は雪舟が往復した大海原をイメージしたといわれる。