【古い絵馬や歌本、踊り衣装、写真など約100点】
京都府立山城郷土資料館(ふるさとミュージアム山城)で企画展「踊る!南山城―おかげ踊り・花踊り・精霊踊り」が開かれている。南山城地域には室町時代に流行した風流踊(ふりゅうおどり)の流れを汲む花踊りや精霊踊り、江戸時代後期に流行したおかげ踊りが今に伝わる。本展は踊りを描いた絵馬や歌本など古い資料を通じて、人々が踊りに託した願いや踊ることの意味を探るのが狙い。8月30日まで。
『花踊り図絵馬』(上の写真㊧、部分)は約140年前の1872年(明治5年)に笠置町切山の八幡宮に氏子が奉納した絵馬。切山では雨乞いの願掛けで「ヒヤケ踊り」を奉納し、願いが叶うと花踊りを奉納した。絵馬には大勢の子どもたちが大太鼓をたたき、続いて団扇を持ったり花飾りを背負い腹部に締め太鼓を付けたりして踊る人たちを生き生きと描いている。この花踊りも1910年代後半で途絶えたという。
花踊りは南山城村田山・南大河原でも古くから行われていた。田山花踊がいつ始まったかははっきりしないが、1794年(寛政6年)の花踊歌本が伝えられていることから江戸中期には行われていたとみられる。その歌本も複製を展示中。大正時代になって途切れたが、約50年前の1963年に復活。今では田山花踊保存会が毎年11月3日に地元の諏訪神社に奉納している(上の写真㊨、企画展パンフレットから)。ただ以前の雨乞い祈願の願解き(がんほどき)の意味合いはなくなり、今では家内安全と五穀豊穣を祈願するものに。
おかげ踊りは伊勢神宮への集団参拝「おかげ参り」が流行する中で生まれた。1868年(明治元年)に木津川市加茂町岩舟の白山神社に奉納された『おかげ踊り図絵馬』(写真㊧)には多くの人々が輪になって整然と踊る様子が描かれている。おかげ踊りは一過性のブームだったが、この加茂町岩舟や井手町、城陽市、和束町では1960年代以降、地域住民の尽力によって踊りが復活し今に伝えられている。(写真㊨は城陽のおかげ踊り=企画展パンフレットから)