【北西部分を復旧し、1年半後に展望施設を整備】
筒井順慶、豊臣秀長(秀吉の弟)ゆかりの郡山城(奈良県大和郡山市)で14、15の両日、天守台の石垣整備工事現地見学会が開かれた。築城から約400年、天守台の石垣は北西部分で変形が目立ち崩落の恐れもある。このため現在解体・復元中。来年2月までに復旧工事を終え、2017年春には天守台を展望施設として整備し市民に開放する予定だ。
天守台はこれまでの発掘調査で、石垣は高さが約8.5m、基底部の長さが23×25mの長方形だったことが分かった。大きな礎石23個も出土しており、5階建て相当の天守が立っていたとみられる。出土した瓦類の中には金箔が残る菊丸瓦の小片が含まれ、大坂城金箔瓦と同笵の軒丸瓦なども見つかった。
今回の復旧部分は北西の角部分を中心に立面積約95㎡。解体工事によって、石垣は表面の築石、その内側の裏込め石(栗石)、さらに内側の盛り土の三層から成ることが確認された。角の部分の構築は大きな直方体の石を使用し、長い面と短い面を交互に積み上げる算木積みという手法による。10月までに解体工事が終わり、今は石積み工事に着手した段階。見学会では希望する見学者に、裏込め石に様々な願いや思いを書いてもらうイベントも実施。それらの石は石垣背面の埋め戻し材として使われる。
郡山城の石垣には石仏などの石塔が転用石として使われていることで知られる。有名なのは天守台の石垣の下部に組み込まれた「逆さ地蔵」(上の写真㊧)。今回も解体に伴って石仏、五輪塔、宝篋印塔などが大量に見つかり、西側上部からは築石と築石の間を埋める間詰め石として使われていた石仏も出てきた(写真㊨)。「南無阿弥」と刻まれた石塔には「天文三年」(1534年)という年代も入っていた。
郡山城とともに転用石の大量使用で知られるのが明智光秀ゆかりの福知山城(京都府福知山市)。再建時の発掘調査で500個余りの石塔類が確認されている(下の写真)。反抗的な近隣の社寺を打ち壊して天守台の石垣に転用したといわれる。一方でこんな見方も。郡山城でも福知山城でも石塔類を多く使ったのは城のお守りとしての役割を期待してのこと――。ただお守りにしては極めて雑というか、ぞんざいな扱われ方をしているようにも思えるのだが……。