く~にゃん雑記帳

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<名古屋市東区「文化のみち」> 近代化への歩みを伝える歴史遺産群

2016年09月13日 | 旅・想い出写真館

【武家屋敷の風情を今にとどめる「町並み保存地区」】

 久しぶりに名古屋へ。名古屋城~徳川園の東西約3キロのエリアが「文化のみち」と名付けられて歴史的建造物の保存・修復や町並みの整備が進み、観光客が増えているという。そこで、その中央部に位置する「白壁・主税(ちから)・橦木(しゅもく)町並み保存地区」を訪ねた。名古屋は先の大戦で65回も空襲を受け、市街地の大半が焦土と化した。そんな中、名古屋城の東側に位置するこの地域は幸いにも焼け残ったそうだ。(下の写真は拠点施設の「文化のみち二葉館(名古屋市旧川上貞奴邸)」)

 同地区は築城に伴って造られた武家屋敷町で、江戸時代には約600坪の区割りで中級武士の屋敷が並んでいた。明治~大正時代になると、多くの貿易商や財界人が移り住む閑静な住宅街となり、キリスト教の教会や学校などもできた。国産初の自動織機を発明した豊田佐吉やその一族、「ノリタケ」の前身の森村組を創設した森村市左衛門らがここに邸宅を構えた。〝電力王〟と称された福沢桃介と〝日本の女優第一号〟といわれる川上貞奴が暮らした屋敷は中京財界のサロンになっていたという。

 

 まずはその川上貞奴が居住していた和洋折衷の建物を移築・復元した拠点施設「文化のみち二葉館」へ。1階の大広間(上の写真㊧)はカラフルなステンドグラスや赤レンガの暖炉などが設えられたしゃれた造りで、隣り部屋には貞奴の舞台衣装や愛用の品々などを展示、螺旋階段を上ると2階には郷土ゆかりの文学資料が展示されていた。次に向かったのは「文化のみち橦木館」(下の写真㊧)。この一帯はかつて輸出陶磁器の一大集積地だった。同館も陶磁器商として活躍した井元為三郎が大正末期~昭和初期に建てた邸宅で、洋館や和館、茶室が庭を囲むように配置されている。2階の飾り棚には「セトノベルティ」と呼ばれた陶磁器製の置物や装飾品がずらりと並べられていた。ここは様々な文化催事の開催場所にもなっているらしく、訪ねた日は「陶磁器の東海道五十三次展」の最終日だった。「カトリック主税町教会」(㊨)は名古屋最古の教会堂で、二葉館とともに登録文化財になっている。

 

 

 「文化のみち百花百草」(上の下段㊧)は大正時代に建てられた書院・茶室・土蔵を改修したもの。新築の多目的ホールを併設する。「旧豊田佐助邸」(同㊨)は豊田佐吉の弟佐助が大正時代に建てた。白いタイル貼りの洋館と広い間取りの和館で構成する。その隣の「旧春田鉄次郎邸」(下の写真㊧)も大正建築で、陶磁器貿易商として財を成した春田鉄次郎が建てた。保存地区内には名古屋城下に当時の位置のまま残る唯一の武家屋敷長屋門「主税町長屋門」もある。地区内には大きなマンションなども目立つ。ただ、それらの前面の道路沿いも往時の武家屋敷の風情を伝える白塀や板塀という所も多く、官民が一体となって修景整備に取り組んでいる様子が窺われた。(下の写真㊨は「ウエディング百花籠」)

 

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