【田坂友暁著、ベースボール・マガジン社発行】
日本競泳女子のバタフライの第一人者、星奈津美。200mバタフライでは日本選手権を7連覇、まさに敵なしだ。今夏のリオデジャネイロ五輪でもロンドンに続いて2大会連続銅メダルを獲得した。日本の女子競泳界で五輪2大会連続メダルはあの前畑秀子と中村礼子だけ。史上3人目の快挙だ。星は決勝後のインタビューで涙ぐみながら「最後はもう腕もかけなくなる、足も蹴れなくなるというぐらいまで初めて出し切れたと思うので、本当に悔いはない」と語った。メダルは完全燃焼の結果だった。
本書の初版発行日はリオ五輪開幕直前の2016年7月30日。200mバタフライ決勝が日本時間8月11日だったので、その僅か10日ほど前ということになる。8章構成。スイミングスクールに通い始めた2歳の頃から、リオ五輪直前の今年6月の大会ヨーロッパグランプリまで、二十数年の水泳人生を星自身のその時々の思いを盛り込みながら辿る。8つの章のタイトルは「出会い」に始まり「病魔」「くやしさ」「飛躍」「苦難」「転機」「責任感」と続き、最終章の「未来」で終わる。その軌跡はまさに「山あり谷あり」だった。
星は悔しさを飛躍のバネにしてきた。その悔しさは数知れない。中学時代の2度の4位、高校3年生で出場した北京五輪の準決勝敗退、100分の1秒差でメダルを逃した2010年上海世界水泳選手権での4位……。星はその結果を「神様が与えた試練なんだ、って考えるようにした」。そして迎えたロンドン五輪。銅メダルを獲得したものの、自己ベストに及ばない記録での結果に納得できなかった。2013年バルセロナ世界水泳選手権ではまたも4位。2年後の2015年夏、カザン(ロシア)世界水泳選手権でようやく悲願の金メダルに輝く。そしてリオ五輪の代表内定第1号に。五輪のちょうど1年前のこと。ところが、それがかえってプレッシャーに。長くモチベーションを保つのも容易ではなかった。
星にはもう一方で病魔との闘いも続いた。初めてバセドー病と診断されたのは高校1年生の冬。以来、定期的に検査を受けホルモン値を調整する薬を飲み続けた。だが、2014年夏、ホルモン値のバランスが崩れて病状が悪化。星は甲状腺全摘出を決断し、同年11月手術を受けた。最終目標のリオ五輪から逆算すると、ぎりぎりのタイミングだった。2015年シーズンからは平井伯昌コーチの指導を受け始め、練習環境も一変。さらに今年5月には腰痛も発症した。6月のヨーロッパグランプリの記録が振るわない中、平井コーチが胸の内をじっくり聞いてくれた。平井コーチは星の悩みや不安を聞いたうえで「リオ五輪までの残り2カ月は俺に任せろ」と言ってくれた。「それですごくホッとしたというか、結構前向きな気持ちになれた」という。
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そして迎えたリオ五輪。200mバタフライの星の記録は予選が2分07秒37、準決勝は全体の4位の2分06秒74。2012年の日本選手権で出したベストタイム2分04秒69(現日本記録)には遠く及ばない。星は準決勝まで「思うような動きが出せなくて、すごく不安な部分が出てしまった」と決勝後のインタビューで振り返った。決勝を迎えるまでに母真奈美さんをはじめ多くの人から応援メッセージをもらった星は「改めて自分がやるべきことはこの決勝の舞台でしっかり自分の力を出しきることだと思った」。決勝タイムは2分05秒20。前回のロンドン五輪後ではベストタイムだった。メダルの色はロンドンと同じだが、4年前に感じたような悔しさはもうない。表彰台の表情は実に晴れやかで充実感にあふれていた。決勝レースから10日後の8月21日。26歳の誕生日を迎えたその日、星は会社員の男性と結婚した。母親同士が親友という。男性は星がバセドー病手術で入院したとき連日通って力づけるなど星を支え続けてきたそうだ。