【新生児~小学生、勝者に〝日の丸御幣〟を授与】
奈良県橿原市膳夫町(かしわてちょう)の三柱神社で15日「望月祭」が行われ、神事終了後、拝殿前に設えられた土俵で伝統行事の「子ども相撲」が奉納された。新生児から小学6年の男児まで約30人が参加し、勝者には大きな青竹の〝日の丸御幣〟が授けられた。その御幣は家宝として大切に保存されるそうだ。
三柱神社は天の香具山の東北に位置し、香具山小学校の西隣に隣接する。望月祭は別名「敬老祭」。かつて「敬老の日」が9月15日と決まっていた頃の名残からか、毎年15日に行われてきた。子ども相撲は子孫繁栄と健康祈念に加え地域住民の親睦を兼ねた行事。平日のこの日は〝主役〟の小学生の下校に合わせるため祭典も予定よりやや遅く午後3時半ごろにスタート。献餞、祝詞奏上など神事が進むうちに、子どもたちや母親たちが続々と集まってきた。午後4時すぎ、子どもたちは上半身裸に白いふんどしを着け拝殿前に整列、神妙な表情で神主さんからお祓いを受けた。
相撲の取組は年齢の若い順で、まず新生児から。母親たちから2人の行司役が受け取って土俵中央に進むや、新生児の1人が大声で泣き始めた。まさに火が付いたように。1年生など低学年同士の取組は仕草がなんとも愛らしい。それが高学年になると力強い熱戦続き。母親たちからも「行け!」と激しい応援が飛び交った。一回りすると、相手を代えてもう1度。あの新生児は土俵の外で行司役に抱かれるやいなや再び大泣きしていた。2回目の取組後、対戦相手が2人1組になってくじ引き。今度はくじの外れ組から始まって、最後は賞品の〝日の丸御幣〟大中小3つのうち小→中→大の順番で取組が行われた。最も大きな御幣が懸かる一戦に勝った男の子は、身長よりずっと大きくずしりと重い御幣を誇らしげに持ち上げていた。
三柱神社が鎮座する膳夫町の地名は、古代の天皇の食事を用意した料理人集団、膳夫氏の一族がこの一帯に住んでいたことに由来するという。三柱神社の参道脇には真言宗豊山派の寺院、保寿院(虚空蔵寺)が立つ。ここは聖徳太子の妃、膳夫姫(芹摘姫)が養母古勢女の菩提を弔うため建立した仁階堂(後の膳夫寺)跡といわれる。膳夫寺跡地からは白鳳時代の古瓦も出土した。膳夫寺の後を引き継いだのがこの保寿院。三柱神社の創建年代ははっきりしない。ただ本殿・拝殿が珍しく北向きに建てられており、すぐ北側に位置する保寿院の鎮守として創建されたとみられている。