く~にゃん雑記帳

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<大町志津子さん> イタリアで活躍するオペラ衣装デザイナーが講演

2016年09月23日 | 音楽

【奈良・秋篠音楽堂で、「アルマーニの助言やレオ・ヌッチの励ましが支えに」】

 イタリアを拠点に活躍する国際的なオペラ衣装デザイナー、大町志津子さんの講演会が22日午後、奈良市西大寺の秋篠音楽堂で開かれた。奈良市国際交流協会イタリア部会、秋篠うたくらぶ研究会、奈良日伊協会の共催。「衣装美術デザイナーの仕事を通じて見るイタリアオペラの舞台裏」というタイトルで講演した大町さんは、四半世紀にわたるデザイナー歴を振り返りながら「全てに感謝。観客の感動する姿も大きな支えとなった」などと話した。

       

 大町さんは1954年岡山県生まれで、イタリア在住歴は30年以上に及ぶ。現在はローマ、ヴェネチアと岡山県美作市に在住。今でこそヨーロッパ在住唯一の日本人オペラ衣装デザイナーといわれる大町さんだが、社会との関わりは神戸の短大卒業後の臨床検査技師がスタートだった。だが「仕事に満足感がなく他の生き方があるのでは」と思い立つ。渡航の貯蓄ができたところでまずロンドンに留学、さらにイタリアに渡って国立ヴェネチア・アカデミア絵画部やミラノのファッション専門学校で研鑽を積んだ。卒業後、ヴェネチアのオペラ衣装製作アトリエで衣装作りの過程を目の当たりにしたのが大きな転機に。「この衣装の世界こそ自分が探し求めていたものだと確信した」。最初はデザイナーのアシスタントとして映画衣装の製作に携わったが、次第に舞台の総合芸術といわれるオペラへの関心が高まった。

 その間、ジョルジオ・アルマーニから「ファッションビジネスでは本当の意味での芸術性は追求できない。君はもっと違う分野に移ったほうがより才能を伸ばせ楽しいのではないか」というアドバイスももらっていた。だが、ヨーロッパ生まれのオペラの世界で日本人が確固とした地位を築くのはたやすいことではない。激しいバッシングにも多く直面したという。オペラ衣装デザイナーとしてのデビュー作はフェニーチェ劇場のヴェルディ「椿姫」。衣装美術デザイナーは「アートディレクターとプロデューサーの両方を兼ねた仕事」。自らは衣装を製作せず、数十人のスタッフを束ねて衣装などを具現化していく。大町さんはこのオペラに全てを賭け懸命に向き合った。裁断・縫製のスタッフは自分の負担でパリのオペラ座から呼び寄せたという。

 しかし他の多くのスタッフはなかなか言うことを素直に聞いてくれない。大町さんは四苦八苦していた。そのとき力強い助け舟が登場した。出演者の1人でイタリアオペラ界を代表するバリトン歌手レオ・ヌッチさんだ。舞台衣装を着て現れた彼は大勢のスタッフの前で「シズ、僕の体は君のものだから、好きなように作ればいいんだ」と話した。「みんなの前で私に対するリスペクト(尊敬の念)を示してくれたことで、回りの人たちの態度がその後ガラッと変わった。本当にありがたかった」と振り返る。

 「衣装美術デザイナーの大きなポイントは登場人物の心理状態をどう解釈し、衣装でどう表現するかということ」。そのためには3つの要件が欠かせないと指摘する。①服飾史、社会史、歴史の知識を含めた時代背景をしっかり理解できること②現実的に形にする製作作業を推進できること③クリエイティブなオリジナルなものを作る能力があること。プッチーニの「トゥーランドット」では日本の着物の美しさに着眼し、京都の古着店などで入手した150着分の着物と帯を活用した。また大町さんはほとんどのオペラ衣装を染色してもらっているという。「染色によって舞台に深みと人生の重みを表現できるから」。最新作は8月に手掛けたばかりのヴェルディの「リゴレット」。作った衣装はルネサンス時代のものなど約170着に上った。大町さんのテリトリーは衣装だけでなく出演者の頭から足元まで全身。大町さんは「時間とエネルギーを多く費やすのは、当時の髪型などディテールをきちっと押さえること」とも話していた。

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