【飛鳥京跡苑池を中心に庭園の変遷や特徴を紹介】
奈良県立橿原考古学研究所付属博物館(橿原市)で秋季特別展「宮廷苑池の誕生」が始まった。明日香村の「飛鳥京跡苑池」(国の史跡・名勝)発見から約23年。国内初の本格的な宮廷庭園といわれるこの遺跡は昨年までの15次にわたる発掘調査で全容がほぼ明らかになった。今展では同苑池と他の県内の遺跡の発掘成果を踏まえながら、宮廷庭園の成り立ちや変化、特徴などを詳しく紹介している。会期は10月8日~12月4日。(写真は飛鳥京跡苑池=2021年12月の現地説明会で)
飛鳥京跡苑池は1999年に飛鳥川右岸の河岸段丘で見つかった。その場所は7世紀に天皇の宮殿かあった飛鳥宮内郭跡のすぐ北西。遺跡の範囲は東西100m、南北280mに及び、南北2つの池と渡堤、水路、掘立柱の建物跡などから成る。南池からは噴水のような巨大な石造物と水を溜める石槽(写真㊦=同博物館入り口に常設展示)が出土した。苑池は斉明天皇の時代に造営が始まり、7世紀後半の天武天皇のときに改修されていたことも分かった。
特別展はプロローグ+3部で構成する。プロローグのタイトルは「宮廷苑池の源流を古墳時代の水のまつりにみる」。5世紀の南紀寺遺跡、阪原阪戸遺跡などを、出土した土器や石製品などとともに紹介する。飛鳥京跡苑池の北池からは祭祀場だったとみられる湧き水を流す石組みの流水施設が出土しているが、これらの遺跡からも“湧水点祭祀場”が見つかっている。(写真は飛鳥京跡苑池北池、中央上部が湧水部分=2020年11月の現地説明会で)
第1部は「飛鳥時代の宮廷苑池~モノクロームの世界」。ここでは飛鳥京跡苑池をはじめ7世紀の飛鳥時代の石神遺跡、上之宮遺跡、島庄遺跡などの出土品を展示している。飛鳥時代の苑池の共通点は①直線を基調とする幾何学的な平面形②池の護岸は石貼り・石積み③大型石造物がある④池の中に小島が浮かぶ⑤湧水点がある――など。ただ「大型の石造物や石積みの池は壮観だが、華やかなイメージとは違う世界が展開していた」。(下の写真は飛鳥京跡苑池からの出土品)
第1部の関連史料としてただ1点、8世紀の奈良時代のものが単独で展示されている。MIHO MUSEUM(滋賀県甲賀市信楽町)所蔵の「伎楽面迦楼羅(かるら)」(写真㊦)。鳥を神格化したもので、頭頂に鶏冠(とさか)がありくちばしが突き出す。飛鳥京跡苑池からは「川原寺」と書かれた墨書土器や木簡などとともに木製の面も出土している。南池には舞台状の木造施設があったとみられ、橿考研ではこの木面を用いて舞台で伎楽が演じられた可能性もあると推測する。
会場中央には橿考研が復元した酒船石遺跡の巨大な亀形石槽と小判形石槽のレプリカも展示中。現物は明日香村岡の酒船石がある小高い丘を下りた所で2000年に発見された。亀の頭部分が小判形の石槽からの取水口になっており、甲羅に水を溜めて尻尾部分から流れ出す。斉明天皇の時代に造られ何らかの祭祀に用いられたとみられている。
第2部のタイトルは「奈良時代の宮廷苑池~カラフルな世界」。ここで紹介しているのは平城宮の東院庭園や宮西南隅苑池、長屋王邸・藤原麻呂邸、宮跡庭園、法華寺阿弥陀浄土院など。これらの苑池をもとに飛鳥時代との主な相違点として、①池の形状が直線から曲線基調に変化②岸辺は石積み護岸から洲浜状へ③大型石造物から景石の配置へ――などを挙げている。(下の写真は平城京左京二条二坊十二坪から出土した施釉瓦)
奈良時代の苑池からは色鮮やかな三彩瓦や陶器、華麗な金属装飾品や遊具などが出土しているのも特徴。池のほとりには施釉瓦葺き建物が設けられ、そこでは雅楽や詩歌、相撲などの観賞・観戦、饗宴などが華やかに催されたとみられる。まさに飛鳥時代の「モノクロームな世界」が奈良時代には「カラフルな世界」へ大きく変化したわけだ。橿考研ではその背景を「遣唐使の本格化などで中国・唐との直接的な影響があったからではないか」と分析する。第3部では「東アジアの宮廷苑池」として7世紀の新羅と8~9世紀の渤海の庭園を紹介している。