く~にゃん雑記帳

音楽やスポーツの感動、愉快なお話などを綴ります。旅や花の写真、お祭り、ピーターラビットの「く~にゃん物語」などもあるよ。

<祇園祭・曳き初め> 17日の本番を前に試し曳き

2023年07月13日 | 祭り

【児童や一般客も参加、長刀鉾は雷雨の中で!】

 京都の夏を彩る祇園祭は大阪の天神祭、東京の神田祭とともにわが国三大祭の一つといわれる。7月17日には前祭(さきまつり)の山鉾巡行が都大路で繰り広げられる。これを前に12日、四条通周辺で山鉾の曳き初めが行われた。昨年はまだ新型コロナの影響もあって一般客は展示中の鉾に乗ったり曳き初めに参加したりできなかった。だが今年は4年ぶりに本来の通常開催に。この日の曳き初めにも地元の小学生や一般客が大勢参加して綱を曳いていた。

 山鉾巡行には17日の前祭に23基、1週間後24日の後祭に11基が登場する。前祭で曳かれる長刀鉾や函谷鉾、月鉾、鶏鉾、菊水鉾などは10日の鉾建てで立ち上がったばかり。鉾は釘やネジを使わない“縄がらみ”という伝統技法で組み立てられている。重量5~12トン、鉾頭までの高さが約25m。曳き初めはその巨大な鉾がスムーズに動くかどうかを試すために行われる。

 12日午後1時半ごろ、地下鉄四条駅を上がると函谷鉾が立つ四条通の歩道には長蛇の列ができていた。曳き初めの参加希望者たちだ。山鉾の綱を曳くと厄除けになるという。しかも4年ぶりの解禁とあって、一般客が続々と詰め掛けては列の最後尾に並んでいた。

 函谷鉾の曳き初めは午後2時から。その10分ほど前から「コンチキチン」のお囃子が鳴り始めた。鉾の屋上には2人の屋根方。扇子を持った2人の音頭取の合図で、鉾は車輪を軋ませながら東へ動き始めた。全て本番さながら。四条烏丸の交差点に達すると、今後は西側に方向転換。四条通のその先には月鉾が立つ。約30分かけて元の町会所まで戻ってきた。

 それと前後して四条通と交差する室町通の南側から鶏鉾のお囃子が聞こえてきた。ここでは京都市立洛央小学校の児童や近くの池坊短大の学生たちが綱を持って参加していた。

 進行を指示する音頭取2人の表情も真剣そのもの。沿道も一足早く祇園祭の気分を味わおうと観客で溢れかえっていた。この鶏鉾の曳き初めも約30分にわたって繰り広げられた。

 続いて向かったのは3時半開始予定の長刀鉾。この鉾は“くじ取らず”で毎年前祭の先頭を進む。かつては大半の鉾で神の使いとして稚児が乗っていたが今では稚児人形に替わり、生稚児が乗るのはこの長刀鉾だけ。稚児は四条通に張られた注連縄を切って結界を解き、巡行の始まりを告げるという大役を担う。

 今年の稚児役は同志社小学校6年の瀧光翔(ひかる)君。その両側には禿(かむろ)と呼ばれる補佐役の2人。曳き初めは予定時刻通りに始まった。ここでも多くの小学生たちが参加していた。

 ところがまもなく夕方のように暗くなり土砂降りに。しかも東山に数回稲光もあって沿道からどよめきが起きていた。鉾頭の長刀に落雷でもしたら……。一瞬そんなことも頭をよぎった。

 そんなハプニングにもかかわらず、鉾はお囃子を奏でながら四条河原町の交差点方面へ。そして、また百貨店の大丸前を通り戻ってきた。そのころには雨もすっかり上がっていた。町会所前に到着すると、児童たちが綱を一斉に高く差し上げた。観客からは雨の中で頑張った子どもたちに温かい拍手が送られていた。ただ気になったのが長刀鉾の動き。何度も「ガクン」「ガッタン」と大きな音を出しては前後に揺れていた。「大丈夫?」と声を上げる女性もいた。

 背の高い鉾は重心を下げるため前後輪の内側を貫く“石持”を取り付け、鉾全体のバランスを取る。『祇園祭 都市人類学ことはじめ』(米山俊直著)によると、70年ほど前の1951年、月鉾が鉾建てのとき横倒しになった。石持の縄掛けが不十分だったのが原因らしい。一方で、月鉾がその前年、伝統だった女人禁制を解いたためバチが当たったという話が町中に流れたそうだ。

 祇園祭はその後も長く女人禁制が続き、女性が鉾に上がることも綱を触ることも禁じてきた。しかし今では曳き初めに男女を問わず参加できるように。さらに函谷鉾や後祭に登場する南観音山は他の山鉾に先駆けて女性の囃子方を乗せて巡行してきた。この日の曳き初めでも函谷鉾で前面中央に座って囃子方の中心にいた女性の姿が印象的だった。

 京都には「平成女鉾清音会(さやねかい)」という女性だけでつくる祇園囃子の組織がある。30年近く前から函谷鉾などのベテラン囃子方の指導のもと練習に励んできた。今年も祇園祭後半の7月29日、八坂神社舞殿でお囃子を奉納する予定だ。

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