どうして「古事記」のアマテラスをこんない追いかけてきたのか、そのきっかけは何だったのかさへ忘れてしまいそうに長くなりました、ここで、「再び吉備の美女」と思ったのですが、折角、天石屋からアマテラスがお出ましになり、世の中が明るくなったのですから、その事後処理を「モリトモ」「カケイ」とおっしゃる人もおられるのじゃないかと思いますので、「そりゃあアベエ。もうスガ氏かんがえなきゃあ」と言う人もおられるようですが、敢て、書いてみますのでよろしく!!!!!!
世の中が明るくなったのを古事記では
“自得照明<オノズカラ テリアカリキ>”
と書いてありますが、近頃の国会などの議論を見ておりますと、
「どうして、そんなすぐできそうなことが事が“照明”にならないのか」
と、不思議に思われますが???????