大宜津比売神が、自分の尻から取り出した食物<オシモノ>を膳に並べて出すと、即座に、悪神「スサノヲ」は、「汚き物を」と、一刀の元に、問答無用とばかりに、切り殺してしまわれます。このあたりが、書紀にはない古事記の面白さです。それくらいな事で、どうして殺されなければならないのでしょうか。ただ、尻から取り出した食べ物を膳に据えただけですのに????しかし、これが、また、日本歴史上の大きな変革期に繋がっていく過程の一つになるのです。
所謂、この物語は縄文時代から弥生時代への転換期に起った出来事です。2500年くらい前の事ではないでしょうか。その辺りの事情は推察されている人も沢山いるのではないかと思われますが。この大宜津比売神の死体の
頭からは「蚕」が、
両眼から「稲種」、
両耳から「栗」、
鼻から「小豆」。
陰<ホト>から「麦」、
あの尻から「大豆」
が生まれます。なお、頭からだけは食べ物には関係のない「蚕」が、後は、「稲種」、「麦」にしても、総て人の体の目など窪んでいる場所から生まれております。しかし、この中、「口」からは何も生まれておりませんが、その理由は、口から生まれた物が、再び、口に入るのは少々おかしいから、わざと「口」からは何も生まれなかったように記述しているのではないでしょうか。
さて、この部分について、栗などの食べ物は、縄文時代には、人々の生活で食していたのは確かですが、「米」だけは弥生時代になって、大陸方面から日本に入ってきました。すると、「スサノヲ」は大陸から来た「弥生人」ということになりますか???????では、かの「大宜津比売神」は「縄文人」と云う事になります。すると、此処に「殺」とあるのは、歴史的必然で、新しく大陸方面から移住してきた者たちは、従来からその場所に住んでいた人達を、否応なしに殺してしまわないと生活権が得られなかったのです。よく言われることですが、縄文人と弥生人とはその人相など全く異なった人種であると言われています。新しく入ってきた弥生人が従前より住み着いていた縄文人を淘汰してしまったのです。その弥生人の迫害や殺人を回避するために、縄文人は北へ北へ追いやられてしまったのです。