「高志之八俣遠呂智」と、オロチには名前がちゃんと付いています。この「高志<コシ>」とは一体何処にあったのでしょうかね。「傳」には出雲地方の地名だとしてありますが、私はそれを「吉備之国」ではないだろうかと思っているのです。何故、吉備が「コシ」かと云う由は屁理屈ですが説明も、敢て、付けることもできますが????
まあ、それはそうとして、この「オロチ」には「頭が八つ尾が八本」もある巨大な生き物です。しかも、杉や檜の大木まで生え茂っているのです。そのような巨大な山や谷を背負った「オロチ」が、どうやって移動できるのでしょうか。それも、毎年、たった娘一人を食べに八年間もです。そのようなことは到底不可能です。
それを説明できるのは、この出雲の国を、何処かの近隣の列強国が、毎年、毎年、大切に育てている娘を、一人一人食べ奪うかのように、侵略している姿を描いているのではと想像するよりほかに方法はありません。その侵略者が、当時日本の最強国であった「吉備の国」よりほかは考えられません。なお、これはこじつけですが???吉備には「高島<タカシマ>」と云う地名がありますから、まんざら「高志<コシ>」と縁がないようにも思われませんが????
まあ、こんな下らんことを考えていますと、更に、次のような話も頭を横切ります。それは吉備人の全くの独断と偏見ですが、このオロチを退治する時に使われたのが「酒」ですが、縄文弥生の時代には「酒は黍」からの通り、吉備地方が日本における主生産地です。出雲では作られてはいません。更に、後に「スサノヲ」は刀をその尾から取り出しますが、将に、「真金吹く吉備」と歌われた吉備地方からしか鉄剣は作られてはいません。このように考えて行きますと、「オロチ」は吉備人の総称ではなかったかと思うのですが?????????
これって、どこかおかしいぞ???????とお思いではありませんか???