いよいよ「神倭伊波禮毘古命」は「吉備之高島宮」に
“八年坐”
とあります。この「座」を<マシマシキ>と読ましております。この東征で安芸国や吉備国で、十五年間にもそこで何が行われたのかは、古事記では何も説明がありません。
それに対して日本書紀では、この安芸での滞在期間は70日と云う短期で、次の吉備にお移りになられ、その吉備での滞在期間は、筑紫や安芸と比べて大変長く
“積三年間<ミトセヲ ツムアイダ>”
と書かれております。そしてその滞在された宮が
“高島宮”
です。<タカシマ>です。この場所については古来色々と「あそこだ。いや違う此処だ」などと、「自分の所こそだ。」と主張する人が多いのですが、本来は、宣長先生の
“此ノ地さだかならず”
が一番いいのではないかと思われますが????これに付いて、明日にでも、もう少し詳しく・・・・・
“八年坐”
とあります。この「座」を<マシマシキ>と読ましております。この東征で安芸国や吉備国で、十五年間にもそこで何が行われたのかは、古事記では何も説明がありません。
それに対して日本書紀では、この安芸での滞在期間は70日と云う短期で、次の吉備にお移りになられ、その吉備での滞在期間は、筑紫や安芸と比べて大変長く
“積三年間<ミトセヲ ツムアイダ>”
と書かれております。そしてその滞在された宮が
“高島宮”
です。<タカシマ>です。この場所については古来色々と「あそこだ。いや違う此処だ」などと、「自分の所こそだ。」と主張する人が多いのですが、本来は、宣長先生の
“此ノ地さだかならず”
が一番いいのではないかと思われますが????これに付いて、明日にでも、もう少し詳しく・・・・・