古事記には詳しく出ていないのですが、書紀にはその日まで副えて、一行がどのように大和ヘ入って行ったか、はっきりと書かれています。それを書いてみます。
そこに書かれている字を読んでも、それが何時であるか私には、皆目、見当の付かないのですが、次の様に記されております。
吉備の国を出発されたのが
“戊午年春二月。丁酉朔丁未”
「神武天皇即位前三年の二月十一日」です。そして、瀬戸内海を航行して、
“三月、丁卯朔丙子”
三月十日に「白肩の津」に着いていますき、今度は、そこから徒歩で
“夏四月、丙申朔申辰”
四月九日に、“瀧田<タキタ>”に向かったのですが、そん道は狭く険しいために人が通れるところではなかったので、引き返して“膽駒山<イコマヤマ>“を越えて
“中洲<ナカツクニ>”
に入ろうとされます。その間、 約60日です。
古事記には書かれていないジンム達の旅です。
そこに書かれている字を読んでも、それが何時であるか私には、皆目、見当の付かないのですが、次の様に記されております。
吉備の国を出発されたのが
“戊午年春二月。丁酉朔丁未”
「神武天皇即位前三年の二月十一日」です。そして、瀬戸内海を航行して、
“三月、丁卯朔丙子”
三月十日に「白肩の津」に着いていますき、今度は、そこから徒歩で
“夏四月、丙申朔申辰”
四月九日に、“瀧田<タキタ>”に向かったのですが、そん道は狭く険しいために人が通れるところではなかったので、引き返して“膽駒山<イコマヤマ>“を越えて
“中洲<ナカツクニ>”
に入ろうとされます。その間、 約60日です。
古事記には書かれていないジンム達の旅です。