何処か知らない国の言葉だと思うかもしれませんが、これは岡山弁です。
「しりゃあせんじゃろうが」「こげえなことをしっとるんけえ」など「知る」と云う言葉を、岡山弁で、いまでも、日常の会話の中で使っているのですが、そんな言葉でメールを頂きました。
「おめえは しりゃあせんじゃろうが こげえなはなしも まだ あるんじゃけえな」
(貴方は知らないでしょうが、こんなお話も、まだ、吉備津にはあるのですが)
というお便りです。それをご紹介します。
『ジンムが、この吉備に到着されてから、その兵力を増強されるために、頻りに、この地方の各地を視察されたのだそうです。勿論、ジンムは馬車か何かの乗り物で視察さてたのです。ある時、ジンムは、車の外に、今までに聞いたことが無い不思議な音を耳にします。
「ガラガラ」
という音です。
不思議に思って車の外を見ると川に懸けてある橋を渡っています。しかし、その橋は、今まで目にしたことのない橋です。今まで体験した橋は総て土橋でしたが、この吉備では橋は何と石で出来ているではありませんか。その石橋を通るので車輪が石の上を通り「ガラガラ」と音を出していたのです。
「橋が石でか。これはこの土地の人達が豊かな生活している証拠だ。」
と思われて、大層よろこばれその橋を
「ガラガラ橋」
と命名したのだそうです。
その橋は今では残ってはいませんが、この地方に「橋向<ハシムカイ>」と云う地名が残っており、「ガラガラバシ」の向い側の有った所と云う事から、こんな地名になったのだと言い伝えられております。』
と。
これもジンムが着いた吉備が此の吉備津神社の辺りだという事を示す証拠となると、
「しりゃあせんじゃろうけえおしえてやらあ」
と、ご丁寧に知らせてくれたのです。
どうですか??こんな話も残されており、日本歴史の彩る吉備津の昔話です。
何故なら、吉備の国が無かったならジンムが橿原の宮で日本国を立てることは不可能だったと思われるからです。将に、吉備こそ日本国誕生にまつわる「日本のまほろば」です。
「しりゃあせんじゃろうが」「こげえなことをしっとるんけえ」など「知る」と云う言葉を、岡山弁で、いまでも、日常の会話の中で使っているのですが、そんな言葉でメールを頂きました。
「おめえは しりゃあせんじゃろうが こげえなはなしも まだ あるんじゃけえな」
(貴方は知らないでしょうが、こんなお話も、まだ、吉備津にはあるのですが)
というお便りです。それをご紹介します。
『ジンムが、この吉備に到着されてから、その兵力を増強されるために、頻りに、この地方の各地を視察されたのだそうです。勿論、ジンムは馬車か何かの乗り物で視察さてたのです。ある時、ジンムは、車の外に、今までに聞いたことが無い不思議な音を耳にします。
「ガラガラ」
という音です。
不思議に思って車の外を見ると川に懸けてある橋を渡っています。しかし、その橋は、今まで目にしたことのない橋です。今まで体験した橋は総て土橋でしたが、この吉備では橋は何と石で出来ているではありませんか。その石橋を通るので車輪が石の上を通り「ガラガラ」と音を出していたのです。
「橋が石でか。これはこの土地の人達が豊かな生活している証拠だ。」
と思われて、大層よろこばれその橋を
「ガラガラ橋」
と命名したのだそうです。
その橋は今では残ってはいませんが、この地方に「橋向<ハシムカイ>」と云う地名が残っており、「ガラガラバシ」の向い側の有った所と云う事から、こんな地名になったのだと言い伝えられております。』
と。
これもジンムが着いた吉備が此の吉備津神社の辺りだという事を示す証拠となると、
「しりゃあせんじゃろうけえおしえてやらあ」
と、ご丁寧に知らせてくれたのです。
どうですか??こんな話も残されており、日本歴史の彩る吉備津の昔話です。
何故なら、吉備の国が無かったならジンムが橿原の宮で日本国を立てることは不可能だったと思われるからです。将に、吉備こそ日本国誕生にまつわる「日本のまほろば」です。