日本書紀によるとジンムが安芸の国から吉備の国に到着されたのは
“乙卯年春三月、甲寅朔己未”
とあります。この日が何時のことやら私には理解しがたいのですが、解説書によると「三月六日」だそうです。
そして「高島宮」にお住まいになられますが、その時のジンムの活躍に付いて、この地方に伝わる古くからある言い伝えとしてあるのですが、それをご紹介します。
「ジンム一行が安芸の国から吉備ノ津に到着され、先ず仮宮をお造りになりそこにお泊りになられたのです。その場所が現在の吉備津神社が建って辺りだと言い伝えられています。 このジンムが吉備での最初の日にお泊りになったその翌朝のことです。ジンムの寝所に六尺は優にある大きな猪が飛び込んできてジンムに襲い掛かります。咄嗟に、ジンムは傍に置いていた刀を抜くと一刀のもとにその猪の首を撃ち落とします。その大猪を家来に命令して、仮宮のある裏山に埋めさせます。
それで一件落着では済まなかったのです。どうしたことが、土地の中にその埋めさせた猪が腐敗したのでしょうか、ものすごい悪臭が辺り一面に漂い人々を悩まします。ジンムはそれを知り埋めた家臣に命令して、悪臭の漂う猪の死骸を他の処へ埋め直させます。そると悪臭も消え、平和な国になったということです。
それ以来、その大猪が住んでいた吉備の中山には獣は一匹も住まなかった」
と。
このような言い伝えも残っている吉備津です。と云う事は、「記紀」に見られる神武天皇が安芸の国から吉備の国に着かれてかから「高島宮」と建てられるのですが、その場所は、他のどこでもない、現在の吉備津神社の辺りだと考えられるのが普通だと思うのですが、どうでしょうか??????????????
“乙卯年春三月、甲寅朔己未”
とあります。この日が何時のことやら私には理解しがたいのですが、解説書によると「三月六日」だそうです。
そして「高島宮」にお住まいになられますが、その時のジンムの活躍に付いて、この地方に伝わる古くからある言い伝えとしてあるのですが、それをご紹介します。
「ジンム一行が安芸の国から吉備ノ津に到着され、先ず仮宮をお造りになりそこにお泊りになられたのです。その場所が現在の吉備津神社が建って辺りだと言い伝えられています。 このジンムが吉備での最初の日にお泊りになったその翌朝のことです。ジンムの寝所に六尺は優にある大きな猪が飛び込んできてジンムに襲い掛かります。咄嗟に、ジンムは傍に置いていた刀を抜くと一刀のもとにその猪の首を撃ち落とします。その大猪を家来に命令して、仮宮のある裏山に埋めさせます。
それで一件落着では済まなかったのです。どうしたことが、土地の中にその埋めさせた猪が腐敗したのでしょうか、ものすごい悪臭が辺り一面に漂い人々を悩まします。ジンムはそれを知り埋めた家臣に命令して、悪臭の漂う猪の死骸を他の処へ埋め直させます。そると悪臭も消え、平和な国になったということです。
それ以来、その大猪が住んでいた吉備の中山には獣は一匹も住まなかった」
と。
このような言い伝えも残っている吉備津です。と云う事は、「記紀」に見られる神武天皇が安芸の国から吉備の国に着かれてかから「高島宮」と建てられるのですが、その場所は、他のどこでもない、現在の吉備津神社の辺りだと考えられるのが普通だと思うのですが、どうでしょうか??????????????