私の町吉備津

岡山市吉備津に住んでいます。何にやかにやと・・・

再び「戦闘と衝突」

2016-11-13 09:56:19 | 日記

 倭王「武」と新羅王「訥祇」との対立ですが、これがまさしく「衝突」であって、決して「戦闘」ではありません。新羅王が倭を無視したのですから。又、横道へ入りますが・・・・

 この「戦闘と衝突」について、先日も書いたのですが、今朝の「朝日歌壇」で、再び、この文字を見つけました。奥田氏の

             “戦闘と衝突と言うは易き事敗退を転進と言いしこの国”

 の歌です。この歌を読んで、次に、「山陽時評」の片山善博氏の

             “トップ選びは慎重に”

 という記事も読みました。どうして自分の都合のいいように言い訳ではない、ごまかしと言った方がいいような語句を用いて、各界のリーダーたちは、何事についても説明する事が出来るのでしょうかね。何と薄っぺらな「やからども」の集まりの世の中でしょうか、今日は????と言う思いが湧きあがってきます。

 この“慎重に”は、東京都の豊洲問題での片山氏の発言ですが、安倍氏が言うように「戦闘と衝突]ほどの相違はないにしても、この頃の世界情勢はと目を転じますと、それに似通ったようなことが各国の内外で起きているのではないでしょうか。この中で氏は最後に

       「有権者一人一人が真面目に向き合わなければならないとつくづく思う」

 と言う言葉で結論していますが、将に、それが将来の日本を決定づける最も大きな課題ではないでしょうか。
      
     「おい、おめえらあ もうちいたあ しゃんとせやにゃあ おえんでー」

 と声高々と言っておられるのじゃあないかと思っています。


ごだごだと御託を並べたようで

2016-11-12 13:40:39 | 日記

 ついつい書かなくてもいいような事を並べてしまい、結局、結末は如何になったのかお分かりいただけなかったのではと思いました。これまでの経緯を、簡単に書きますのでお許しください。

 倭王「允恭」の死を悼んで新羅から遣ってきた使いが天皇の妥女に手を付けたと云う噂を耳にした雄略は、「とんでもない奴じゃ」と、ばかりにその使いを尋問します。その結果、事実無根と云うことが分かるのですが、その使いが帰って新羅王にその話を伝えます、すると、新羅王は倭王のその措置にいたく立腹されて云います。

      「事実も確かめないで、一方的に詰問するなんて無礼だ。新羅をなんと心得ているのか。もう、そんな王がいる倭国とは絶交だ」

 とばかりに、国交を断絶し、

               “貢船の数を減らす”

 と「日韓古史断」には書かれている通り回数が減っていたのですが、更に、その時、たまたま新羅王が亡くなり、新国王誕生行事等で、対倭対策などに手が回らない時期と重なり、八年間も貢船が途絶えたのです。更に、その時、例の任那宰(書紀では任那の国司)の事件、吉備臣田狭の反逆事件とも起り、互いに国交が断絶します。
 そのような事情が其の当時には絡み合っていたのですが、それ書紀には簡単に

      “苞苴不入於今八年”

 と書かれたのです。なお、ここにある“苞苴<ホウショ>”とは贈り物の事です。一方的に新羅国を無視した倭国の外交では決してなかったのですが、このように記されているのです。


“新羅が倭王に貢物を奉らない事八年に及ぶ”

2016-11-11 10:24:57 | 日記

 それまで、倭と新羅とはお互いに幾度も百済や高句麗と係り合って戦いを交えていたのですが、両者の間には何らかの交流は有り、貢物もしていたのです。それが、雄略天皇になってからの新羅との関連は八年間も途絶えていたのです(日本書紀)。梨のつぶてて、何の音沙汰もありません。どうしてそのような関係になったかという原因についてはこの書紀には何も書いてありません。
     どうしてでしょうか?????その理由が知りたくありません。何処かにその理由がと思って、「日韓古史断」を、またまた、開けてみました。すると、そこに、

             ”甲午歳、本朝帝崩す。新羅王之を聞き悲駭し、貢使素服京に入り哀を挙ぐ”

 と書いて有ります。本朝帝とは雄略の父「允恭天皇」です。要するに倭国王「允恭」が死んだので新羅王は悲しんで哀悼の意を表すために使者<素服>を倭に派遣したというのですから、倭国・新羅国二国が仲たがいするなんてことは考えれません。しかし、次にまた、

      “時に或は訛伝す。貢使采女に奸せりと。大泊瀬皇子悉く使者を執へ、状を得て初めて之を宥す”

 と書かれてあります。
 どうでしょうか???「訛伝」とは<誤って伝わる事>です。弔問に来ていたその使者が、「采女」は天皇の食事のお世話をする女官です。其の女性を強姦したと云う噂が誤って天皇の伝わります。そこで、「大泊瀬皇子」後の雄略天皇ですが、早速、その使者を詰問し調べたのですが、結果は、事実無根であることが分かり、

             “初めて之を宥<ユルス>す”

  さて、これで一件落着な筈ですが、まだまだそんなにいっぺに解決される様な事件ではありません。其の当時の東アジアの情勢と絡み合いながら大変興味の湧く事件へと展開されるのです。トランプ氏より面白いかも???
 
 今まで、誰も此の事件について報告した人はいないと思いますので、私がそのお話をしてみたいと思います、ちょっとしたストーリーになりそうな話ですが、長くなりますので、例により、続きはまた明日から数回に分けて書いてみますので、

                  乞う。ご期待を!!!!!


トランプ氏USA大統領に!!?????

2016-11-10 09:43:00 | 日記

 昨日から大げさに言うと地球がひっくり返るような大騒動が起きています。「トランプ氏、アメリカ大統領に」と云うニュースが世界中を飛び回ったのです。ニューヨークは勿論、モスクワでも、パリでも、ロンドンでも、北京でも、日本でもです。これから世界はどのような方向に向かうのか、何か混沌とした時代になるのではと云う思いが世界中の共通の話題になったのです、一本のニュースが、民主主義の制度の中で起きた出来事の中で、これほどまでに全世界を驚かしたことは今まで見たことがないような大事件です。事前の報道を見ておりますと、「まさか」と、世界中の誰一人として予想だにしていなかったのではと思えるのですが・・・・・でも「結果」は「結果」です。

 「因果」と云う言葉がありますが、そこには何かの原因があって、初めて結果が生まれます。此の度の結果の原因は何かと???、各方面で論が展開されていますが、これから以後どうなるか、ただ我々はそれを「傍観」していくほかに道は有りません。ケセラセラの気分です。
 この選挙の結果が原因となって生まれるだろう、次なる結果は、さらに、その結果が原因になって生まれる次なる結果の予想はと、・・・そんな無限にも続くであろう「因果」と考えると、その周りにある幾多の複雑怪奇なる要素と絡み合いながら、サンキュウさんみたいに夜が眼むれなくなるのではないかと、これ又、心配をしているわけではないのですが、まことに、へんてこりんな気分にしてくれた此の度のニュースでした。

 まあ、こんなことを何となく考えながら雄略天皇の中国や朝鮮との外交対策を考えております。5世紀です。地球的規模の広がりはなかったしろ、そこには、何らかの今日的要素があったはずです???。今の安部さんの心境に似たものがあったのではなかろうかとも思えるのですが。今朝のニュースによると、早速、安部さんはニューヨークに飛んで行って、かのトランプ氏と合うと報道されております。雄略もこれと同じ外交をしているのです。歴史は繰り返されます。

       そこらへんの事はまた明日にでも


「高麗」と云う国名

2016-11-09 13:44:05 | 日記

 書紀にある雄略天皇の段に

             “新羅國背誕、苞苴不入於今八年”

 とあります。雄略天皇になって、新羅の国はそれまでの敢行を破棄して、8年間も貢物をしなかったのです。それを恐れて、

             “新羅王、乃知高麗僞守”       

             “遣精兵一百人守新羅”

 『新羅王は高麗国と好みを結んで、新羅ま守り為に兵士百人を派遣した』と書いてあります。
 
 しかし、当時、雄略天皇の時代には、此に見られる「高麗」は存在せず、高句麗王「璉」の時代です。「日韓古史断」によると、「璉」が、頻りに、新羅百済等の周りにある国々を攻め落としている時代でした。この「新羅王が高麗と好みを結んでいた」と書かれているのも、どうも怪しげな事ではないかと思われます。
 それまで「新羅」は、「宋書」などによっても、倭国のなんらかの力の影響は有ったのではないかと思われますが、その新羅からの貢物が8年間もなかったのです。どうしてでしうか???