私の町吉備津

岡山市吉備津に住んでいます。何にやかにやと・・・

哭伊知流とは

2017-02-17 11:08:04 | 日記

 青山の木々を、海や川の水まで枯らしてしまうほど、ものすごい勢いで「須佐之男命」が泣きます。その様子を古事記には

                “哭伊知流<ナキイサチル>”

と書いてあります。「イサチル」とは「激しく泣叫ぶ」と云う古語だあそうです。そのように哭きながら須佐之男は答えます。

               “僕者欲罷妣国根之堅修国<ワタシハ ハハノクニ カタスクニニ マカラムトオモウ>”

 と。

 ここで、又、「ちょっと待って下さいよ」と、ちょこっと変んな事が思い付きます。そうですよね。「須佐之男命」が生まれたのはイザナギの鼻から滴り落ちる水からお生まれになったはずです。そうすると、母は「イザナギ」であって、「イザナミ」ではないはずですがどうでしょうか。それに付いても宣長は色々と詳しく説いておりますが、要するに、その生まれる元はと云えば「イザナミ」のいる黄泉に行ったから生まれたのですから、やっぱり母がイザナミだと苦しい言い訳風に説明しておりますが、面白い発想だとは思いませんか。どうでしょうかね????

 なお 「妣」は<ハハ>とよむのですが、「亡母」と云う意味があります。では、亡き父はと云いますと、これ又面白い字ですが、「考」だそうです。漢字ってとっても面白いですね。生まれて初めて知りました。念のために・・・・・・・・


「涅而不緇」????頼山陽の字を見ることができますよ。

2017-02-16 09:41:38 | 日記

   今朝も、またまた例の、「閑話」です。お暇ら見てくださいね!!!!!

 今日、高松公民館主催の「ふらっと探訪  吉備津の街探索」に参加します。その散策の一か所に向畑の千日墓地があります。その中の一つが「真野家墓地」です。真野竹堂の長男の墓石に

                  ”涅而不緇”

 という字が彫り込まれておりますが、その字を見ていただこうかと思っております。
 ご存じ論語に出てくる言葉です。『涅<デツ>すれど緇<クロ>まず』と読むのだそうです。「どのような環境のもとにいても、決して、その環境を受けても汚れてしまうことのない、まっすぐな生き方をする」という意味があるのです。

 これは、孔子の言葉ですが、これをかの「頼山陽」が撰して彫り込んだものです。その他、この墓地には「竹堂」の墓石に刻まれた「篠崎小竹」の字が、また、あの「管茶山」の字も見え、江戸末期の著名な書道家が、さながら一堂に会して饗宴しているが如くの字の展覧会を見るような気分にさせてくれます。一度お尋ねください。ご連絡があればご案内しますので・・・・・

      biryo@po12.oninet.ne.jp    まで。

 

 

 


須佐之男命の悪神たる所以は

2017-02-15 13:39:57 | 日記

 “奇<アヤ>しきかも、霊<クス>しきかも妙なるかも”とされた須佐之男神の数々の悪しき所行に付いて古事記に書かれておりますので、それを一つずつ取り上げて、どうでもいいのですのが、暇にまかせて紐解いていきますのでよろしく!!!!!!

 先ず最初ですが 天照大御神と月読命は「善神」ですから、当然、イザナギのご命令には素直に言われるままに“所知看<シロシメス>”従います。しかし、須佐之男神は悪神ですから、ご命令に従順に従う筈がありません。

                           ”命之国而<ヨサシタマエルクニヲ>”を“不所知<シラサズ>”

 です。最初、「あなたは“所知海原<ウナハラヲ サシラセ>”」とイザナミから仰せつかったのですが、命令に従わなかったのです<不所知>です。そして、小児が泣叫ぶようにものすごい勢いで哭泣するのでした。その様子を古事記ではつぎのように。此の書きぶりが、又、大変面白いと思われますのでついでの事に記しておきます。

                           ”八拳須至于心前”

です。何と読みましょうか???

                             <ヤツカヒゲ ムナサキニ イタルマデ>

と。「須」は鬚、「心前<ムナサキ>です。なお、「鬚」とは口の上に生える髭の事で、それが胸の辺りまで延びる間、泣き続けていたのです。しかも、その声の大きい事ってなかったのです。青々とした山の木々を泣き枯らし、海や川の水も干からびてしまうように泣きます。ものすごい大声だったのでしょうか。

 これも私の町吉備津地方の伝説ですが、あの温羅の首を吉備津彦命が打ちとった時、その声が近隣の人々を悩ましたと伝えられているのですが、その時の声と、この須佐之男命の声と、とどちらが大きかったのでしょうかね????


善神と悪神はいる世の中

2017-02-14 12:11:15 | 日記

  イザナギの鼻を禊された時生まれな神「建速須佐之男命]に対して言われます。

                      “汝命所知海原と矣<ナガミコトハ ウナハラヲ シラセト>

 と。こうして三柱の神は夫々の国を治めることになったのです。
 ここで宣長はこの三柱の神の御心に付いても説明しております。即ち、天照大御神と月読命は「善神キカミ>」で須佐之男命は「悪神<アシキカミ>」であると。その理由として次のように説明されております。

 『イザナミが火ノ神をお生みになるまでは総ての神は善神であったのですが、此の時、初めてこの世の中に「悪神」が出来たと。「火」は「世の中の大用<イミジキイサヲ>、大変便利な物にしてくれる良い物だが、反面、物を亡失<ホロ>ぼすこともある、大変、悪しき神でもあるのだ」

 昨今起きた新潟県糸魚川の大火災もそうです。扱いによっては「火」は人々の生活を目茶目茶にもする大変な悪神でもあるのですが、その「悪神」のいる黄泉の国にイザナギは行き、、全身に「悪神」が取り付いてお帰りになられます。その時以来「悪神」がこの世に現れ、「善神」と共存することになったのです。その「悪神」として生まれたのが
                             “建速須佐之男命”
 です。

 このような「善」と「悪」とが混然と同居している「世の中」について、宣長は次のように説明しております。

                   “奇<アヤ>しきかも、霊<クス>しきかも、妙<タヘ>なるかも、妙なるかも”

 そしてまた

                   “凡そ世間<ヨノナカ>古今<ヨヨノ>萬事<ヨロツコト>、此ノ理にもるることなし”

 と。


月読命には・・・

2017-02-13 09:05:50 | 日記

 イザナギの右目から生まれた「月読命」には

                   ”汝命者所知夜之食国矣<ナガミコトハ ヨルノオスクニヲ シラセト>”

 ただこれだけの記事しか古事記には書いてありません。
 この「夜之食国<ヨルノオスクニ>」ですが、「食」は<オス>」で、物を食べることです。では、「夜を食べる国」とは、一体、何を意味するのでしょうか。これについて宣長は次のように説明しております。

 ものを「見る」も「聞く」も「知る」も「食う」も、みな他物を身に受入るヽ意同じき故に、見スとも聞コシとも知ラスとも食スとも、相ヒ通はして云うこと多くして、君の御国を治めたもちますをも、知とも食とも聞看とも申すなり。これ君の御国治めたもちするは、物を見るが如く、聞くがh如く、知るが如く、食すが如く、御身に受け入れもつ意あればなり・・・・・・

 と、説明しています。これだけ丁寧な説明があると

         「なるほどそうか。よくわかりました」

 と、感嘆の声を上げたいような気分にさせられますよね!!!!!!!これも『名著です』と、今更のように感じられます。こんな師を持つ我が郷里の大国学者「藤井高尚]先生に対する尊敬の念も胸中に突如として浮き立つように感じられますが????

 なお、「月読」ですが、<ツクヨミ>ですが、「ヨミ」は「黄泉」に通じており夜を支配する神だと言うことが分かります。なお、この神は男神です