私の町吉備津

岡山市吉備津に住んでいます。何にやかにやと・・・

“綿津見神<ワタツミノカミ>”の宮殿に・・・

2019-01-25 09:57:50 | 日記
 火遠理命(山彦)は塩椎神の造った旡間勝間<マナカツマ>の小舟の乗って着いた所が

             “綿津見神之宮<ワタツミノカミノミヤ>”

 です。なお、この「綿津見神」というのは。あのイザナギ・イザナミ二柱が生んだ三十五柱の神の一人です。サクヤヒメの父「大山津見神」や天照大神とご兄妹です。念の為ですが、山彦が着いたこの海中の大宮殿は親せき筋にあたられる神様の宮殿なのです。
 
 「この舟が着いたら、御門の傍にある井戸の辺ある木に登って待っていなさい。その内にその神の娘が来ますのでそれまで待っておりなさい。」
 と、その翁は教えます。

 なお、井戸の傍に生えていた木の名前も分かっております。

             “湯津香木<ユツカツラ>”

 です。「香木」を古事記にはわざわざ“訓香木云加都良”と書いて読み方を示しております。 
       

この小舟に乗って・・・

2019-01-24 14:45:50 | 日記
 塩椎神は火遠理命に言います。
 「私が、此の小船を沖の方に押しやります。暫らくすると

             “味御路<ウマシミチ>”

 が有ります。その美味い海の道にそって乗って往くと

             “如魚鱗所造之宮室<イロコノゴト ツクレルミヤ>”

 があります。」

 魚鱗<イロコ>とは、「うろこ」のような荘厳な大きな宮殿やそれに付属している大小の門など沢山連ねて立っている様子を云います。なお、書紀には、それを

            “雉堞<タカガキ ヒメガキ>”
            “臺宇<タカドノ ウテナ>”

 と書き表しております。雉堞は「高い垣や低い垣」、臺宇は「大きな建物や小さな建物」という意味です。

 さて、御読みくださっているみなさんに尋ねます・・・。
 この古事記の「魚鱗}と、書紀の「雉堞・臺宇」のどちらの書き方が、我々読者にその建物の様子がよく分かるように書かれているでしょうか???         
           

塩椎神は「我為汝命作善議」と言います・・・

2019-01-23 10:09:12 | 日記
 「次の太子になっれる虚空津日高がどうしてそんなにお泣きになるのですか」
 と塩椎神が尋ねますと、「待ってました」とばかりに、その人が誰だか知っていたのかもしれませんが、すぐに、
 「兄の鉤を借りて漁をしていたのですが、その鉤を此の海でなくしてしまいました。その鉤を返すように兄から、頻りに、責められているのですが、どうしたらよいか分からにままに、ここで、泣いていたのですよ。」
 と、お答えにんられるのです。すると、どうでしょう、その人は、直に、言います。

        “我為汝命作善議"
<アレ ナガミコトノ ミタメニ ヨキコトバ カリ セム"

(「議」を<コトバカリセム>と宣長は読んでいます。「あなたの為になるよい事をしてさしあげましょう。」ぐらいの意味になります。)

 と、言ってから、直に、

         “旡間勝間之小船<マナシカツマノヲブネ>”

 を造るのです。
 “旡間<マナシ>勝間<カツマ>”ですが、広辞苑によると、この<マンシカツマ>は「無間勝間」で「密に編んで塗料をぬった、すきまのない竹籠」とあります。
 なお、「旡間」は、日本書紀には「無目」と書いてあり「目の無い竹籠で、竹を密に編んで木の汁の類で塗りふさいで作っ舟。一書に無目堅間とあり、堅間は今の竹籠なりとある。」
 と説明がしてあります。

ウミベタで泣く人は???

2019-01-22 09:28:37 | 日記
 塩椎神<シホツチノカミ>はウミベタで泣く人が誰だか知っていました。

       “虚空津日高<ソラツヒタカ>”

 と呼びかけていることから分かります。しかし、この「火遠理命」は、古事記には“亦名<マタノナ>”として

       “天津日高日子穂穂手見命<アマツヒダカヒコ ホホデミノミコト>”

 と出ていますが、此処ではどうして「虚空津」なのでしょうか???よく分かりません。そこで、またまたですが、宣長先生です。
 「古事記伝」によると、「天津日高」とは「天子」の事で、その時は、まだ泣いていた「火遠理命」は「天子」でもなく、また、「皇太子」でもないと言うことから、ただ、ニニギの皇子であるという意味で「天」と「地」の中間あたりにあるのが「虚空」ですから、それを使って此の時の火遠理命を「虚空津日高」と命名したのだそうです。

 でも、よく考えてみると、その後の世に、この人が「天子」になるのだと言う事を読者に予言させるためにわざわざ造った言葉ではないでしょうか・・・

 「よく考えたなあ」と感心が先に立ちます。太安万侶の苦労が推察できます。

        面白いですよね!!!!!!

塩椎神<シホツチノカミ>

2019-01-21 08:58:23 | 日記
 海邊<ウミベタ>を、泣きながら、どうしたらいいかと思ってさまよい歩いている火遠理命<ホヲリノミコト>です。そこで出逢ったのが

          “塩椎神<シホツノカミ>

 です。この神は、宣長によると、

  “一柱の神ノ名には非ず。凡そ物をよく知識(しれ)る人を云称にて・・・”

 と書いてあります。ちなみに、日本書紀にはこれを

          “塩土<シゴツチ>の老翁<ヲヂ>”
          “一<ヒトリノ>の長老<オキナ>”

 と記しております。
 このことから考えられることは、この人は神様ではなく、宣長が云うように、海の事をよく知っている<ウミベタ>(そこら辺り)の老人だったことが分かります。
 その海のことを何でも知っている老人は、海辺で泣き悲しんでいるその人が誰だか分かっていたのです。だから。即座に尋ねるのです。

           “泣患所由<ナキウレヒタマフ ユエハ>

 「どうしてそんなに嘆き悲しんでいるのですか???」。