私の町吉備津

岡山市吉備津に住んでいます。何にやかにやと・・・

“海邊”と我が町「向畑」を比べてみると?????

2019-01-20 09:40:51 | 日記
 さてまたまた。・・・
 「あんたは、またまたと何回書いたら済むんじゃ。」
 と、お叱りは覚悟していますが、それくらい、何回も、同じ言葉を使わなくてはならないような難解の語句がこの古事記を読んでいると続出します。

 「火遠理命」は兄「火照命」から
 「私が貸してやった鉤をどうしても返しなさい。他の鉤ではだめだ。」それを古事記には

             “云猶欲得其正本鉤”

 と。日本書紀には

             “非我故鉤。雖多不取。”

 と書いて、さらに追い打ちをかけるよう“益復急責<マスマス セメハタル>と、その時の兄海彦の様子まで詳しく説明してあります。

 その結果、弟「火遠理命」は為す術もなく

              “泣患居海邊”

 するのです。これを宣長は
            <ウミベタニ ナキ ウレヒイマス>
 と読んでおります。
 海邊を、わざわざ書紀の記述“海畔<ウミベタ>”から取って、<ウミベタ>と読んだと説明があります。
 この<ヘタ>とは畔「ハタ」で、「そこらへん」を意味する言葉で、私の住む所は向畑<ムカイバタ>で「吉備津神社の向かい側の辺り」という意味で付けられた字名で、太古の昔から栄えていた町であることを証明しております。

         

兄「火照命」の怒りは??

2019-01-19 10:42:19 | 日記
 弟「火遠理命」が大切に持っていた「十拳剱」を鋳直して作った500個の鉤も、兄は受け取りません。仕方ありません。更に千本物鉤を作って渡しますが、受け取りません。相当怒っていたものと考えられますが、古事記には、その兄が怒ったとも何ともも書かれてはいません。ただ

               “不受<トラズ>”

 の2字で持ってその心情を描き出しております。
 では、「書紀」にはと見てみますと、「一書に曰く」として

         “兄忿之曰<アニ イカリテ イハク>”
 
 また、同じく「一書に曰く」として

         “兄怒不受<アニ イカリテ ウケズ>”

 とあり、火照命が大層怒ったことが記されております。
 ここらあたりの「紀記」の表記の仕方にも、大変興味深く読んでおりますが、古事記にある「不受」の方が、その時の火照命の心情をより深く読者を引き立てるのではないかと思いますが???

強乞徴<アナガチニ コヒ ハタリキ>する兄に・・・

2019-01-18 09:34:52 | 日記
 弟君「火遠理命<ホヲリノミコト>」は

       ”破御佩之十拳剱<ミハカシノ トツカツルギヲ ヤブリテ>”

 持っていた十挙剱を「破<ウアブリテ>」打ち壊してです。宣長は「銷鑠<ケス>」だと説明があります。辞書によりますと、「銷」は「とける」で、「鑠」は「金属を溶かす」という意味があるのだそうです。

 要するに、持っていた刀を溶かして鉤<ツリバリ>を五百本も作って借りた鉤の代償として手渡します。

  此処で又横道へそれます。火遠理命が五百もの鉤を作った「十拳剱」というのは「古事記」には何回も出てきます。が、御存じでしょうか???
 まず初出は、「イザナギ」がその子「迦具土神」の頸を切った剱です。次は、そのイザナギがイザナミの黄泉の国から逃げ出る時に黄泉の軍勢を切り倒した時に使った剱です。また、アマテラスが宇気比<ウケヒ>をする時に使ったスサノヲの「剱」もそうですし、そのスサノヲが大蛇退治をする時に使った剱もそうです。それと、このヤマヒコが持っていた剱です。
 その他、字は違いますが、「十掬剱<トツカツルギ>」という、読み方は全く同じの「剱」も古事記には出ております。
 このように考えると、最初にイザナギが持っていた「十拳剱」とヤマヒコが持っていた「十拳剱」は字は同じなのですが、どうも同一のものではないように思われます。だって、スサノヲが持っていた剱はアマテラスによって

        “打折三段而<ミキダニ ウチオリテ>”

 とあるように、この時、三つに折られ、「剣」として使い物にはならなくなってしまっているはずですから。無くなっていたのだろうと思われます。

“今各謂返佐知之時”

2019-01-17 09:51:09 | 日記
   <イマハ オノオノ サチ カエサムト イフトキニ>

 と読んでおります。夫々の使った「佐知」道具をです。元通りに返そうと謂うのです。すると、火遠理命が言います。

             “遂失海”

「兄さん。兄さん。あなたから借りていた釣り針で、海にいる魚を釣ろうとしたのですが、結局、一匹も釣り上げる事ができませんでした。その上、悪いことにお借りしていた鉤まで海の中に失ってしまったのです。

 と。
 でも、兄は

             “強乞徴”
              <アナガチニ コヒ ハタリキ>

 します。
 この「徴」について、宣長は“波多理伎<ハタリキ>と訓べし”としてあり、広辞苑には「はたる」は「徴る。債る」で、その意味は「徴収する」とあり、その例として、神代紀上に
   「科(おお)するに千座置戸を以てして遂に促(せ)め徴(はた)る」
 と。

 要するに、執拗に、どうしても貸した「鉤を返せ」と謂うのです。でも手元に「鉤」はありませんどうすれば・・・・

己佐知佐知<オノガサチサチ>

2019-01-16 09:50:42 | 日記
 なれない漁師の仕事をして、あげくの果てには、弟「山佐知毘古<ママサチヒト>」は兄の鉤(釣り針)さへ海の中でなくしてしまいます。そうこうしている時、兄「火照命」は弟「火遠理命」に自分の交換した鉤を返して欲しいと言います。

         “乞其鉤曰<ソノハリヲ コイテ イハク>”

         “山佐知毋己佐知佐知。海佐知毋己佐知佐知”
      <ヤマサチモ オノガサチサチ。ウミサチモ オノガサチサチ>”

 と。
 さて、これをどう解釈したらいいと思われますか????
 ある人は、これを火照命が火遠理命に呼びかけた歌だとしておりますか、どうでしょうか。むしろ、これは兄が弟に呼びかけた言葉ではないかと思うのですが・・・・

 「どうだ。やっぱり山で使う道具は道具だけの事があるだろう、また、海で使う道具は道具だ。それぞれの役目があり、それを夫々に上手に使ってこそ、その道具の使命が道具として生きるのだ。使い慣れた者がそれを使ってこそ道具の命が生きるのだ。」

 と言うぐらいの意味になるのではと、私は解釈しています。
 また、「佐知佐知」と繰り返しているのは、それくらい「佐知」即ち、「大切な道具だ」と言うことを強調している事を表すために使った文法上の古代の表現方法かと思いますが???