私の町吉備津

岡山市吉備津に住んでいます。何にやかにやと・・・

この歌を、何故、今ジンムは???

2019-07-20 09:01:41 | 日記
 鴫罠を仕掛けるた網に鯨とかソバの実やサカキの実がなどど、何か訳の分からないようなジンムの歌ですが、この歌全体をどう解釈すればいいのでしょうかね。何を言いたかったのでしょうか??それを表しているのが最後に歌った

             “此者嘲咲者也”

 です。<コハ アザワラウゾ>、嘲り笑うのです。

 何を嘲り笑うのでしょうかでしょうか????
 歌の前後の関係からすれば、愚かしく小ざかしい兄宇迦斯の釈略を告げてくれた弟宇迦斯とその軍を打ち破ったジンムの兵士の素晴らしさを歌い讃え、自分達の将来の展望の明るさを歌ったのではないでしょうか。
 <コナミ>、即ち、「前妻」をジンムに仕えた昔からの兵士に、また、<ウハナリ>「後妻」を弟宇迦斯に例えて、それらの人々に大いに沢山の褒美を与えて、これからも大いにジンムに尽くしてくれるように願いを込めて歌ったのではないでしょうか??

 そして、「これはほんのお酒に酔って口先から飛び出した戯言だよ」と最後に詠みあげて参加者全員にじゃれて歌ったのではないでしょうか。よほどジンムハはうれしかったのでしょう

 そんな風に読めるのですが????それにしても鯨は何でしょうかね。宣長先生は戦いが終わって弟宇迦斯が鯨をジンムの陣地に届けたのだとしていますがどうでしょうかね???
 もしかして、鯨とは兄宇迦斯の事ではにでしょうか????

 更に、これも何を意味しているのか分かりませんが、ジンムの歌の最後が

         “故其弟宇迦斯<カレ ソノ オトウカシ>”

 です。これって何だ?? 
 最初からその末尾の語まで一言一句難解な歌ですよね。皆さんならどう読まれますか???


  ああ!!!難しかった。これでやれやれ・・・明日からは見やすいぞ・・・・  

“畳々志夜胡志夜”を・・・・・

2019-07-19 12:59:31 | 日記
 宣長先生の考えを頂戴しながら私めの勝手な解釈をします。

        <エ~ シヤコシヤ>

 「畳々」に[音引]と説明が有りますので「え~」読むのですが、「そんなこたあ~どうでも まあ え~」の「え~」で。次の「シヤコシヤ」ですが、この「シャ」は「しゃらくせえ。どうにでもなれえ」という焼けのやんぱち的な気分になった時にでる相手をやや嘲けり侮った時に出る咄嗟のことばではないでしょうか。
 解釈にも何も全然なってないのですが、これだけやっと私的な解釈を付けましたが、後は続きません。だって

      “伊碁能布曾阿阿志夜胡志夜”

 です。<イゴノフソ ア~ シヤコシヤ>です。
 <イゴノフソ>。これも、理屈も何もあったものではいのですが、私流の解釈を書いてみます。
 
 広辞苑によると、この<イゴノフ>には「休む」「休憩」の意味があり、この言葉も「、ちょっと待った。そんなことはどうでもよい。」という、やや相手を貶すやけっぱちな意味に捉えて、「あ~あ、もう、どうなたのかわからん。兎に角、兄宇迦斯がいなくなってよかった、これから、更に、大和を目指して、沢山の難敵に出合うか知れないが、それらを打ち倒して、私がこの瑞穂の国の天皇になるぞ」
 と、雄たけびの宣言をした歌ではないでしょうか???????


    乞う!!!!ご批評を・・・・・

「疊々」????

2019-07-18 06:24:08 | 日記
         "疊々”
 
 ジンムが高らかに歌った歌の中にある言葉です。何のことがさっぱりです。宣長先生も矢張りそうらしいのです。「疊々」何と読むのでしょうか<ジュウジュウ>????
 それに付いても、宣長先生は、誰かが「疊」を「盈」と誤って写したのではないかと推測されて、「延々<エエ>」と読まれたのだそうです。今では、この説に殆どの古事記研究者が従っているようです。
 ちなみに、<エエ>を広辞苑で引くと、漢字はなく、ひらかなで「ええ」と出ており

    『驚きあるいは悲しんだ時などの感動をあらわす語』
    『応諾または応答する時に発する語』

 と説明してあります。
 そこで、また、「よくぞ」と、宣長先生に敬意を表し、その研究の造詣の深さに改めて感心すること仕切りですが、それだけではありません。次には又又・・・

        “志夜胡志夜<シヤコシヤ>”

 です。
 何でしょうかね。この歌も???宣長も、度々、書いております。
            「此言甚心得難し」
 と。
 更に、次も
     
        “伊碁能衣曾<イゴノフゾ>”・・・

 とあり、難解な言葉の連続です。私には、到底、理解できないのでは思い、読むのをよそうかとも・・・・・

       "志夜胡志夜、伊碁能衣曾”

  あなたならどうします????

“宇波那理賀・・・・・・・”

2019-07-17 10:08:09 | 日記
 <コナミ>の次に出てくる名前が

         “宇波那理賀<ウハナリガ>那許波佐婆<ナコハサバ>”

 です。これも後に<ナコハサバ>がありますから、<コナミ>が「前妻」ですから、<ウハナリ>は「後妻」です。古い和名です。ジンムが獲った<イサナ>を下さいと云ったので

      “伊知佐加紀微能<イチサカキミノ>意富祁久袁<オホケクヲ>”

 「サカキ」の実の様なに沢山ある鯨の肉<イサナ>を

      “許紀陀斐恵泥<コキダヒエネ>

 「幾重にも細かく切って」です。
 なお、「コナミ」には“許紀志斐恵泥<コキシヒエネ>で、「志」すが、「ウハナリ」は「陀」ですが、この二つがどう違うのか分かりません。宣長先生もこの言葉には随分とお困りだったとのことです。

“立知曾婆”

2019-07-15 06:31:15 | 日記
 立知曾婆<タチソバ>について宣長は

   “八枛棱<ヤソハ>か、又八十葉ノ木か、何れならむ詳ならず。また枕冊子に木はと    云る中に、そばの木・・・・、”

 と書いていますが、その枕草子をちょっと紐解いてみました。第三十七段に

 “花の木ならぬは
   楓
   桂
   五葉
   たそばの木。品なき心ちすれど、花の木ども散りはてて、おしなべて緑になりたるな  かに、時も分かず濃き紅葉の、艶めきて、思いもかけぬ青葉の中よりさし出たる、めづ  らし。
   檀・・・・・”

 とあります。此の木ではいだろうかというのですが???

 たそばの木の実は

          
 
 ですが、古事記に書かれているジンムの歌ですが、もう一度、書いてみますと

       “多知曾婆能微能 那祁久袁 許紀志斐恵泥”
       <タチソバノミノ ナケクヲ コキシヒエネ>

 「たそばの木の実のように、長く切って置いてあるクジラの肉をいかほどにも多く切って。」で、「それを与えよ。」です。