私の町吉備津

岡山市吉備津に住んでいます。何にやかにやと・・・

ジンムの歌の続きを・・・・

2019-07-14 09:43:26 | 日記
 さらに、ジンムは次の歌も歌っております。少々長い難解な歌が、これも兄宇迦斯を貶すように続きます。

       “古那美賀 那許波佐婆<コナミガ コワサバ>
        多知曾婆能微能 <タチソバノミノ>
        那祁久袁<ナケクヲ>
        許紀志斐恵泥<コキシヒエネ>”

 これをどう読めばいいのでしょうかね????「さっぱりわからず」です。又もや宣長先生のお出ましです。彼無くしては古事記は開けられませんね。
 先生曰く;

       古い妻が魚<ナ>を乞うと(クジラがほしいと云ったら)
       たちそば(枕草子にある「そばの木」ではないか??と)の実のような
       長く切った鯨の肉を
       細かく切って幾らでも与えよ。
       

 この解釈にも、現代の多くの訳者は、その宣長説をとらないで
 「前の妻が獲物がほしいと云ったなら立ちソバのような実のない所をそぎ取って、ちょっぴり与えればいい」
 としておりますがどうでしょうかね???

  

  

"馬鹿にして茶化して貶(けな)せば票になり”

2019-07-13 10:35:56 | 日記
    "馬鹿にして茶化して貶(けな)せば票になり”

 今朝の「朝日川柳」に投稿された歌です。誰とは言ってはないのですが、誠にお恥ずかしい現代の世相を見事なばかりに詠んだ、「うまい。」と、心から賛同できる政治歌ですよね。
 さて、累々と昨日書いたジンムの歌も、この歌と同じよう部類に属しはしないでしょうか。鴫と鯨を混同して歌に詠むなんて、

   “馬鹿にして茶化して貶(けな)せば心晴れ”

 になって、兄宇迦斯を相当卑下して???つい歌が口から飛びだしてきたのではないでしょうか???
 おっと!!!これは云い過ぎでしょうか????
 ジンムは、「天照大神」が、当時の日本国(葦原水穂国)を正道の道筋へと導くために高天原から特別に派遣した神様から生まれたエリートの中のエリートだったのですから、相手を卑下して貶したりは、誰かさんのように、決して、しないと思いますが・・・・・

 と、頻りに思うのですが、古事記にあるジンムの歌を読むと、どうしても、ジンムも誰かさんと同じように、所詮は、3代目ですから、葦原国の芥がそれだけ身に付いてきていたのではないでしょうか????
 そうすると、今日の川柳にある誰かさん(歌の解説者は「某党首」と)も神様ではない、平々凡々たるごく普通の人ですから、世間の芥につかりきってしまって、そんなことは平気で、しゃあしゃあと、誰はばかることなく堂々と出来るのは当たり前ですよね!!!!それを取り巻く人々もそれを応援するが如くに、なんだかんだと物議を醸していますよね。

 これも、二千六百年も前のジンム以来の日本の伝統の為せる業ではないでしょうかね???

 

      
      “馬鹿にして茶化して貶(けな)せば票になり”

 「ちょうど時間になりました!!!!!」以上。


       

“久治良<クジラ>”ですが・・・

2019-07-12 09:22:58 | 日記
  小高い丘の上に張り巡らされた鴫網に海にいる「クジラ」が掛かるとは何でしょうか。

 その答えが見つからなくて、現代の訳者が
 これを『鷹だ』としているのです。私もそれが正解ではないかと思ったのですがどうでしょうか???
 それに対して宣長先生は次の様な説明をしています。
 
 “久治良佐夜流<クジラサヤワル>は鯨障<クジラサハル>にて、鴫羂<シギワナ>へ鯨
  の罹れると云うなり。”

 と書いて、
 「小ざかしい小さな謀りごと(鴫羂)を計画したのですが、それが思わぬ鯨の様な大きな大軍に見舞われて見事に破られてしまった愚か者よ。」
 と歌ったのだと説明があります。
 では、何故、「鴫」と相容れないような「鯨」が詠まれたかというと、「弟宇迦斯」が出した大饗<オオミアヘ>の中に鴫と鯨の料理が入っていたために、実際にはあり得ない様な内容の歌を詠んだのだと説明してありますが、どうでしょうかね???それにしても面白い解釈だとはお思いになられませんか。

宇陀の多加紀<タカキ>に・・・

2019-07-11 17:42:11 | 日記
 <タカキ>とは「高城」だそうです。この「城」ですが、一般にいう「お城」ではなく、「小高い丘」ぐらいな場所です。
 
 ジンムは高らかに歌います。

 「宇陀にある小高い丘にシギを捕ろうとして罠を仕掛けて、じっと待っていたのですが

      “志藝波佐夜良受<シギハ サヤラズ>”

 鴫はいっこうに掛かってくれません。そして、その次の言葉が、また、難解な大問題を起す原因になるのです。

       “伊須久波斯<イスクハシ>久治良佐夜流<クジラサヤル>”

 とあります。<イスクワシ>とは何でしょう。辞書によると「鯨に掛かる枕詞」(一説によると鷹の意も」)とあります。そこで、また、宣長先生です。彼は、これを

 “鯨を「イサナ」と言って、万葉に勇魚<イサナ>と書り・・・”

 そして、「イスクシ」を「イス」と「クワシ」に分け、「イス」は「イサ」で、「クハシ」は「イサ」の美称だとし「クジラ」を引き出すための言葉だとして、次の“クジラサヤル>”に重きを置いているのですす。
 でも、多くの現代の訳者は『鷹』を取り上げている人が多いのですが???
 だって、小高い丘に仕掛けた“志藝和麻那”に“佐夜良受”で、クジラがどうして書かるのでしょうか、道理的には『鷹』の方が正しいのではないかと思いますが???

 では、次の“久治良<クジラ>”は何でしょうかね???大問題です!!!!! 

 ジンムの口から歌が・・・・・

2019-07-10 12:14:17 | 日記
 弟宇迦斯<オトウガシ>は「大饗<オホミアエ>」をジンムに奉っただけではありません。その兵士にまでにも食べ物を与えて歓迎したのです。それを見たジンムの歓びは如何ばかりだったでしょうか。
 つい先日、トランプが来日した時の安倍さんのあのものすごい「おもてなし」様たら何かその根底が見すかされ、ちょっと滑稽ささえに感じられたのですが、このジンムを迎えた「弟宇迦斯」の歓待の仕方はそれ以上だったのではないかと思われますが???一兵卒までも

   “悉賜其御軍<コトゴトクニ ソノミイクサビトドモニ タマイキ>”

 悉くその恩恵に浴したのです。
 この時の食べ物ですが、「古事記」には何を出したのかは書いてはありませんが、日本書紀には、

          “大設牛酒、以労饗皇師焉”

 と書いてあります。
 「大きに牛酒<シシザケ>を設<マ>けて、皇師<ミイクサ>を労<ネ>ぎ饗<ミアヘ>しき」
 と読みます。
 酒と牛ですが、我が国では、当時、牛の肉を食べる習慣は無いのだそうですから、この「牛」とは何でしょうか??それを解く鍵は、その次にある
   “天皇以其酒穴、班賜軍卒”
 「天皇その酒と穴<シシ>とを軍卒<イクサ>に班<アカ>ち賜ひ」
 です。
 「穴<シシ>」ですから、推測の域を出ませんが、今日われわれは一般にいう「しし」とは「猪の肉」を言いますが、それで饗応したのではないでしょうか、どうでしょうかね??
 
 これは、又、よそ事ですが、先日の、日本では安倍がかの「トランプ」を大もてなしをして歓待したのですが、その時のトランプの喜びは、いくばくかりだったのかは分からないのですが、まさか喜びの歌は歌わなかったのでしょうが、鼻歌ぐらいは歌ったのではないでしょうか????
 しかし、ジンムは、トランプと違って、その歓待ぶりが余りにも嬉しかったのでしょうか、高らかに歓びの歌を歌うのです。

 その御歌をご紹介します。
 
   “宇陀能 多加紀爾 志藝和那波留
    和賀麻都夜 志藝波 佐夜良受・・・・・”
 
 とです。
   <ウダノ タカキニ シギワナハル ワガマツヤ シギハ サヤラズ>