富山の薬売りが窮地
配置販売従事者数が減少
昔は一般的だった配置家庭薬の業界が先細ってきているそうだ。
日経ビジネスの記事に、「富山の薬売り」、窮地という記事が掲載された。
配置販売従事者数で見れば2009年以降、減り続け、ここ3年ほどはより減少傾向が大きいそうだ。例えば「薬売り」の本場、富山でもピークの1961年には1万1000人以上いたのが、2013年には10分の1以下の1000人を切ったという。
話は飛ぶが、鹿児島と富山の薬売りは、江戸時代からビジネスの関係があった。
富山には、富山売薬薩摩組があり、蝦夷地や青森で買付けた「昆布」を遠路薩摩まで運び、その見返りとして琉球経路で輸入される「唐薬種」を入手するという好条件を得ていたと言う歴史がある。
長崎から輸入される唐薬種は幕府の強い統制下にあり、その種類や量も限られ、しかも大変高価だった。薩摩経由で豊富に輸入される薬種を安価で入手する方法は、富山売薬にとって地場の薬産業を支えるための重要な手段だったのだそうだ。
富山の薬売りの歴史は300年以上と古い、富山の薬売りの存在価値は、彼らが持つ、『懸場帳』なるものだそうだ。これは、『売薬さん』と呼ばれる販売員が記録した売薬明細や家族構成、健康状態などを記した顧客名簿のことだそうだが、売薬さんが引退時には、これは一般の会社の退職金と同等水準と言われるほど高価だそうだ。
又、驚くことに、この懸場帳が大手売薬企業が買い受けているということだ。定期的に家庭を訪問することで、 少子高齢化の時代、孤独死防止、病気の早期発見という面から、配置販売員の存在が注目を浴びているのであろう。
このような歴史やこれからのあり方を考えると、とても興味有る話である。
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