660号の新幹線 六年 酒井 美千夫
六年がはじまって、一週間ぐらいたったとき、山崎君のつくえを見ると、ただしいというじがいっぱいかいていました。
ぼくが、「なに、これ」ときいたら、山崎君が、「新幹線のとおった数」といいました。ぼくが、「どこにとおってるん」ときくと、「まどからまっすぐみた所にみえるやん」と山崎君がいって、ぼくが、「なんや、あそこか」といいました。そして、ぼくが、山崎君に「まねすんで」といったら、山崎君が「いいで」といいました。
そして、二台くるのに4分ぐらいかかるから、はじめは、「くるのおそいな」とかいっていたけど、なれてくると、おもしろくなってきました。
「いま、山崎君何台」ときくと「まだ40台ぐらい」といって「おまえは」と山崎君がいうと、ぼくが、「まだ15台ぐらい」というと、山崎君が、「おそいのうおまえ」といいました。
ぼくは、まけたくなかったから、休み時間もきゅうしょく時間も見ることにしました。そしたら、山崎君にだんだんおいついてきました。ぼくが、山崎君に、「今、何台」ときくと、「120台」といいました。そして、ぼくが、「105台」というと、山崎君が「ほんまに」といいました。
一学期も二週間ぐらいたって、山崎君に、「今、何台」ときくと「180台ぐらい」といいました。ぼくが、「201台ぐらい」というと、「ぬいてるやん」といいました。そして、山崎君が、「もう200台いったで」というと、ぼくが、「おれ、250台」といいました。
二日たってきくと、山崎君が、「251台」といいました。ぼくが、「あまりみてへんな」といったら、山崎君が、「おまえは」といったので「325台」と、ぼくがいいました。
つぎの日の三時間目の休み時間に、山崎君が、「おれ、やめるわ」といったから、ぼくが、「なんで」ときくと、「おもしろくないやん」と山崎君がいいました。
「それじゃ、その新幹線の数、ちょうだいや」と、ぼくがいうと、山崎君が、「いいで、この291台あげるわ」といいました。
そして、べんきょう時間がはじまって、その時、ぼくは350台あったので、ぼくのと山崎君のをたしたら、641台になったので、「やったあ」といいました。そして、641台だったらはんぱだったから、660台にしようとしました。660台にするには、あと19台だけだからかんたんやなと思いました。その時間で660台いきました。
「やった」といって、さいごの1台をかこうとしたら、先生がいきなり、「けせ」といいました。そして、ぼくがけしていたら、いきなり、「休み時間にけせ」といいました。ぼくは、660台わすれないように、ノートやおどうぐばこやつくえに、すうじでかいといて、もう、新幹線をみないようにしました。――大澤昇『学級文集』より
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六年生になると、教室が四階になって、遠くを走る新幹線が見えるのです。最高学年になって、はりきってはいても、授業中ほっと息を抜きたくなることが誰にもあるものです。
こんな作文が教室で読まれると、静かな笑いが広がり、肩の力もぬけて、ゆったりとした雰囲気がうまれます。「けせ」と言われた先生に、この作文を読んでもらいたくて、楽しんで書く教師と生徒との関係がなんともあったかいです。
しかし、こんな心の寄り道ができにくい今日です。結果やできばえを求めて、効率よく大人の期待にこたえさせる「狂育」の中で、悲鳴をあげている子どもたちです。大人もまた今、寄り道やムダにみえることで心を遊ばせたいですね。
(とさ・いくこ 中泉尾小学校教育専門員・大阪大学講師)