月刊 きのこ人

【ゲッカン・キノコビト】キノコ栽培しながらキノコ撮影を趣味とする、きのこ人のキノコな日常

『千と千尋の神隠し』

2012-07-06 23:59:59 | キノコ本
『千と千尋の神隠し』 宮崎 駿

おなじみスタジオジブリのアニメーション映画。『風の谷のナウシカ』の紹介の記事で、「人間と人ならざる者、自然と文明、大人と子供、生と死、そういった対立するものを結び付けるというのが、宮崎駿の一貫した方向性のような気がする」と書いたけれども、『千と千尋』もそういったメッセージが色濃くあれわれた作品だ。

ただ、『ナウシカ』や『もののけ姫』が自然と文明というはっきりとした対立軸の中で紡ぎだされる物語なのに対して、この作品は少々色合いが異なる。話の中で、千尋は家族とともに、やおよろずの神々の住まう世界に迷いこんでしまうのだけれど、ここでは神と人間は、対立するものではない。千尋たち人間は、よそ者か、せいぜい邪魔者という扱いである。

わかりやすい対立軸がないのにこの話がおもしろいのは、ここで登場する三人の主要キャラクターが、それぞれ宙ぶらりんの立場で、それぞれに欠落を抱える、中途半端な存在(トリックスター)として描かれているからである。
中途半端というのは普通、悪い意味と取られることが多いが、必ずしもそうではない。ここでは、宙ぶらりんな身の上であるがために、人間か神かとか、客側か使用人側かとか、湯婆婆側か銭婆婆側かとか、そういうワクを越えて混乱を招いたり、和をもたらしたりする力を発揮している。
そういう力を持つ三人が、それぞれ欠落を埋めるために奮闘、あるいは迷走することで、物語はきちんとした説得力を持ってスリリングに展開していく。

さてその三人というのが、以下。

千尋……どこにでもいる普通の子供だが、話のはじめでは、やや消極的で無気力な子供として描かれている。異界に迷い込んでから、両親が豚になってしまい、途方に暮れるが、湯屋で無心に働き、ハクをはじめとした周囲の者たちと絆を深めることで、積極的に行動するようになっていく。千尋は異界で両親を失っているが、彼女にほんとうに欠落しているのは、生きる力、ないし、生命そのもの。

ハク……なにかと千尋をたすける少年。魔法の力を授かるため、湯婆婆(ゆばーば)に仕えている。もとは川の神なのだが、婆に名前を奪われ、自分がもともと何であったかを完全に忘れてしまっている。彼は力もあり自立したしっかり者であるが、神でもなく人間でもない、浮いた存在として、孤独にさいなまれているようにも見える。力を欲しがって自分を見失ってしまっている姿は仕事に追われる現代人と重ね合わせていいのかもしれない。欠落しているものは、記憶と、それに基づくアイデンティティ。

カオナシ……たぶん神だと思うのだが、正体不明。宙ぶらりん、からっぽの権化。表情がなく、自分の声をもたない。千尋に恋でもしたのか、たびたびつきまとうが、思うように相手にされず、自我だけが肥大化して最終的に暴走することになる。コミュニケーション不全で人との関係性が築けない点で、「キレやすい若者」「引きこもり」を思い起こすが、それは社会全体の風潮そのものでもある。欠落しているものは、他人との関係性と、それに基づくアイデンティティ。

彼らは最終的にそれぞれの欠落を取り戻し、自分の場所へ帰っていく。特に千尋はさまざまな境界を越えて働き、異界全体に和をもたらした上、両親も取り戻して元の世界に戻るという活躍ぶり。胸がすく思いだ。

敵味方というわかりやすい構図をつかわずに、一件落着の大団円まで持っていった構成と、そのまとまりの良さは、ジブリでも屈指の名作だと思う。個人的には一番をつけたい。一貫したテーマとして「体を使って働け、心の入った言葉を送れ、人と触れあうことで絆をつくれ」と、まあそんなメッセージを感じた。共感するところだ。


ちなみに、この異界の道具立てがまた中途半端というか境界線上というか(個人的にキノコ的と呼ぶ)そういったカオス風味の造形がしてあって、この作品の大きな魅力となっている。


川、ないし海……本作品を通じて表わされる水のイメージを代表する。三途の川のように生死を隔てるものだが、同時に胎内の羊水にも通じる。宮崎作品はいずれも水の表現が巧み。

湯屋……同じく水のイメージ。老若男女、貴賎も善悪も問わない、全員すっぽんぽんは、正しく世界最強のボーダレス空間と言えよう。エロスのイメージも含み、これまたキノコ的。

釜……古来から釜は神聖視されていたそうで、呪術的空間として存在していた。火と水が共存する。灰にもまた呪術的な意味合いがある。余談だが、オール電化で家庭から火を奪うことは、現代人を生命の根源から遠ざけることにつながると思う。

街……和洋中・新旧ごちゃ混ぜになった、カオスなエキゾチック空間。懐かしくて、しかも新しいにおいがする。

龍……動物でもなく妖怪でもない、空をゆき水をゆく、洋の東西を問わず神聖視される架空の獣。余談だが、白い龍は『ネバーエンディングストーリー』の「ファルコン」を思い起こさせる。これもまたキノコ的良作だと思う。

沼……陸と水の境目。

電車……キノコ作家・宮沢賢治『銀河鉄道の夜』を想起させる。一方通行、下車が死に通じるという列車だが、寂しさ・怖さとともに郷愁を感じる。

両親が豚……いや、これはあんまり関係ないけど。現生に染まり過ぎて神々と交感できなくなった大人は家畜レベルということか。神と食べ物を共にすることで生き物として純粋になれた、さらに神々に食べられることで神に近づける、といううがった見方もできる。


まさしくキノコ的意匠が盛りだくさん。おなか一杯。