・・・ここ2、3日、姿を見せなかった「ハエ(蝿=虫+甲+甩)」さんが出てきて遊んでくれている。どっか行っちまったのかなぁ~、どこかに隠れているのかなぁ~・・・家の中のアッチ、コッチを捜して、最後にはオォ~ィッ、出てきてぉくれョゥォ~、である・・・ワラちゃうけれど、ボクは「彼女(?)」の消息を心配している。雪が積もって温度も零度以下だし、彼女、来年への越冬は無理カモって・・・今日は纏わりついて遊んでくれている。ダレかのお使いなのかな、なぁ~んて。人間の魂魄が離脱して動物や虫に憑依してやってクルってコトがあるらしいけれど、ボクはキミが人間の魂魄の憑依なんかじゃなくてもィイんだ・・・「病原体媒介虫」ですか・・・モチロン、キミは「衛生害虫」なんかジャァない・・・
「銀蝿」でも「金蝿」でもないけれど、「家蝿」って「家族」?・・・やっぱ、蝿やその他の虫には「輪廻」で「転生」したくないなッ・・・「モモエグリイエバエ」って、「桃(腿・股・百々)抉り家蝿」?・・・桃恵、栗畏、重葉得・・・
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ハエ(蠅・蝿)=ハエ目(双翅目:そうしもく)
ハエ亜目(短角亜目)
環縫短角群(かんぽうたんかくぐん)
ハエ下目(Muscomorpha)属
の総称
日本だけで60ほどの科
属する3,000種近い種が存在
「ハエ(蝿・蠅)」と名のつくもののうち
「アシナガ(足長、脚長、肢長)ハエ科
オドリ(踊)バエ科」
などは「アブ(虻)」の仲間
「アブ(虻)」は
・・・「阿武」は「則天武后」
「煬(あぶ・ヨウ)」は「煬帝(隋王)」
「安武=あぶ=阿倍・焙」
「阿武隈山地」は
宮城県南部から
福島県東部を通り
茨城県北東部へ続く
紡錘形の高原状山地」
通常「ハエ(蝿・蠅)」とは別の
「直縫短角群」
「アブ(虻)」と名のつくもののうち
「ハナ(花)アブ科
アタマ(頭)アブ科」
などは「ハエ(蝿・蠅)」の仲間
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「ハエイロネ」・・・「蠅伊呂泥(はえいろね)=蝿伊呂杼(はえいろど)」って、「百襲姫=倭迹迹日百襲姫命」の母親で、
「意富夜麻登玖邇阿礼比売(おおやまとくにあれひめの)命(古事記)=大海姫命(おおあまひめみこと・勘注系図?)」、
「倭国香媛(やまとのくにかひめ)、
マタの名を
蠅伊呂泥(はえいろね
絚某姉(糸瓦・はえ某姉・日本書紀)」で、
「七代孝霊天皇の
妃となって、
娘
倭途途日百襲媛(やまとととひももそひめ)」
を生んだ女性である・・・
その娘の
「倭途途日百襲媛」は「三輪山の大物主(大物主大神)」との結婚譚があるが、神の正体は「小さな黒蛇=ペニス?・櫛笥の中に小蛇の姿)」で、「百襲媛」にバレて・・・箸(竹者)墓・・・伝説・・・
「母母曽毘売(百襲姫)」
「活玉依比売」が三輪山の神の居所を毛玉の糸でツキとめたって、ギリシャ神話の「ミノタウロス(巨牛頭の怪物)」のラビリンス(迷路)からの脱出の剽窃?・・・「美濃(みの)の蛇有留守(たうろす)or 美濃多雨露州」って「斎藤道三(利政・蝮・まむし)」だろうッ・・・
「倭迹速神浅茅原目妙姫(やまととはやかんあさじはらまくわしひめ)=百襲姫と同一」
↓↑
「然更求爲大后之美人時、大久米命曰、
此間有媛女、是謂神御子、其所以謂神御子者、
三嶋湟咋之女、
↓↑・・・湟=氵+皇=川の名・湟水
濠・堀・城の周囲のほり
三島溝杭姫=玉櫛媛(たまくしひめ)
日本書紀で事代主神の妃
古事記で大物主の妃
神武天皇の皇后である
媛蹈鞴五十鈴媛命の母
別名は
溝咋姫神・三島溝杭姫
三嶋溝樴姫・溝咋玉櫛媛・活玉依姫
↓↑ 勢夜陀多良比売とも
名
勢夜陀多良比賣、
其容姿麗美故、
美和之大物主神
見感而、
其美人
爲
大便之時、・・・「うんこ」?
↓↑ いきむ(りきむ)声「うん」に
接尾語「こ」が付いた?
「阿吽(あうん)」の「吽(うん)」
中国仏教で
大小便を「吽」
大小便の溜まり場を
「吽置(ウンチ)」と云うらしい
「ばば」?・・・江戸時代の幼児語?
猫糞(ねこばば→場場・場張)?
「猫好き婆さんが人から借りたものを
返そうとしなかったという
江戸時代の婆さんに由来」?
婆ァさんのヤルことが「汚い」って?
バッチィ=汚いモノ
ばば=大便
↓↑ ちい=小便
「御虎子=おまる」→「放(ほう)まる」?
「御丸」の形態からだろう
塒を巻く(とぐろをまく)
蛇が渦巻状に巻いて蟠(わだかま)る
とぐろ=塒=蜷局
「ウンコの」
「便」の原義は
「順調、好都合、スラスラ」?
排便が可ってコト
便利ってコト
友好、都の合理性・・・?
「便=すなわち・(助字)
そうすると
~するとすぐに
つまり~である」
詰まり、便秘、でアル?
「便=イ+更(一曳・一由乂)
「糞=米+異(田共)」
「屎=尸+米」
「大便(ダイベン・糞)」って
何時頃からのコトバなんだか?
「スカトロジー(Scatology)」?
↓↑ 「猫糞 (ねこばば)」?
化丹塗矢
自其爲
大便之溝流下、
突其美人之富登、
爾其美人驚而立走
伊須須岐伎、
乃將來其矢置於床邊、
忽成麗壯夫、
即娶其美人生子、
名謂
富登多多良伊須須岐比賣命、
多田良=たたら=踏鞴・蹈鞴・鞴(ふいご)
亦名謂
比賣多多良伊須氣余理比賣、
一寸木・委好(鋤・鉏・耜・犂・耒)
故是以謂神御子也」
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「斌(ヒン)=文(亠乂)+武(止一弋・ト丄一弋)
=うるわしい・あきらか・たけ
ヒン・フン
外見の美しさと
内面の実質が調和しているさま」・・・
文武天皇
(683~707)
第四十二代天皇(在位697~707)
名は珂瑠(かる)
大宝律令を制定
天武・持統天皇の孫
草壁皇子の第一皇子
母は
↓↑
元明天皇
(第四十三代天皇
在位慶雲四年七月十七日
(707年8月18日)
~
和銅八年九月二日
(715年10月3日)
名は阿閇皇女(あへのひめみこ )
阿部皇女
草壁皇子の正妃
文武天皇と元正天皇の母
藤原京から平城京へ遷都
「風土記」編纂の詔勅
「古事記の完成」
「和同開珎の鋳造」
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