こぼし・・・建水(ケンスイ)・・・懸垂・県水・検水?
↓↑
tango・・・タンゴ=単語・丹後・端午・丹吾・丹呉
旦誤・担後・多夢語・・・?
アルゼンチン・タンゴ・・・「亜爾然丁(あるぜんちん)」
・・・有る撰(潜)枕の単語?
約130年前
南米アルゼンチンの首都
ブエノスアイレスの港町
・・・伯那斯愛列斯・舞埃城 ・倍諾愛勒
不宜諾塞利・捕諾愛利・普納塞利斯
布宜诺斯艾利斯・布宜諾斯艾利斯
ラ・ボカ地区で生まれた
↓↑
『上海リル』のアンサーソング
アンサーソング
既に存在する歌に対する返答として作られた歌
返歌
元となる歌とは
別の歌手・アーティストによるものが多い
自身で「続編」の意味で
アンサーソングを作る例も見られる
↓↑
タイトル・歌詞の内容・イントロの一部
1933年の
アメリカ映画
『フットライト・パレード』
の主題歌
『Shanghai Lil』
並びに同曲を
唄川幸子
川畑文子
ディック・ミネ
江戸川蘭子
らがそれぞれの訳詞で競作した
『上海リル』から借用
上海・・・申・・・
↓↑
上海帰りのリル 津村 謙
(1923年12月12日~1961年11月28日)
上海帰りのリル 津村 謙 (1951)
上海帰りのリル 春日八郎 (1951年・昭和26年)
上海帰りのリル 美空ひばり
上海帰りのリル 根津甚八
上海帰りのリル 田渕純
↓↑
こぼし
「こぼし」、「茶こぼし」茶道具の一つ
建水の別名
お点前で使った
湯や水を容器
水翻=水盤・スイバン=建水
「建」の意味は
「覆(こぼ・くつがえ)す」・・・靴返えす?
と言う意味
「水翻=みずこぼし・みずひるがえす」
「水覆=みずこぼし・みずくつがえす」
とも書き
「水下・骨吐(ほねはき)」とも
↓↑
雲南省
建水県
略称は雲、滇(テン)
省都は昆明市
省名は雲嶺(四川省との境の山地)
の南にあることに由来
↓↑
石林
イ族自治県
雲南省
昆明市に位置
雲貴高原中部に位置
市内の海抜は 1,891メートル
三方を山に囲まれ
南は
滇池と呼ばれる大湖に面する
滇池の西は西山森林公園
南東100kmに
石林という
カルスト地形の景勝地
前109年
漢により設置された
連然県を前身
唐代
621年(武徳四年)
安寧県と改称
後は南詔の版図に組み込まれ
中国側による記録が途絶えるが
元朝
1266年(至元三年)
安寧千戸として行政区画が再設置
1275年(至元十二年)
安寧州と改編
↓↑
安寧市(あんねいし)
雲南省
昆明市に位置
↓↑
安寧区(あんねい-く)
甘粛省
蘭州市に位置
・・・???・・・丁寧・安寧・・・
名前を見てワラッた・・・
「王・滬・寧」
「文化大革命の反省と政治体制改革」
30年前の論文
王 滬寧(オウ コネイ)
↓↑
建水(ケンスイ)・・・懸垂・県水・検水?
茶道具の一
茶碗を
清めたり温めたりしたときに使った湯や水を
捨てるために使うもの
「こぼし」
材質は陶器、磁器、曲物(木地物)
唐銅や砂張(サハリ)(金属器)
形状
筒型や桶型、壺型、碗型
湯を捨てやすいように
口は大きく開いている物がほとんど
「水をこぼす(こぼし入れる)器」
の意味から「こぼし」と呼ぶ
↓↑
ヤジロベエ(弥次郎兵衛、ヤジロベー)
↓↑
おきあがり「こぼし」
重心を利用した玩具
国、地域によっては
丸底人形
roly-poly toy
tilting doll
タンブラー
wobbly man
などと呼ばれる
↓↑
会津藩主
「蒲生氏郷」・・・「蒲生君平」の祖
画募得訓併?
画望 訓評?
が藩士に
・・・・・・・扈胞子?
を作らせ正月に
売らせたのがはじまり
↓↑
起き上がり小法師
(おきあがりこぼし
おきあがりこぼうし)
福島県会津地方に古くから伝わる
縁起物・郷土玩具の一
起姫(おき夢ひめ)ともいう
会津の人にとっては
「赤べこ」の次に馴染みのある郷土玩具
起き上がり小法師
だるま・おきあがりポロンちゃん
ロシアの ↓↑
неваляшка nevalyashka
(倒れないもの)
ванька-встанька van'ka-vstan'ka
(起き上がるイヴァン)
Playskool製の
Weeble
↓↑
甘肃(粛)省
中国北西部に位置する省
省都は蘭州市
↓↑
蘭州市(ランシュウし)
中国甘粛省の省都
雅名を金城
市域は海抜 1,600m
市内を
黄河が東西に流れる
市街地は
黄河に沿って20kmに渡って細長く延び
黄河には12の橋が架けられている
近隣の都市
約220km北西の武威
170km西の西寧
↓↑
民族
漢族・回族
ドンシャン族
ユグル族
サラール族
など
白い帽子を被った
イスラム系住民が多
↓↑
歴史
シルクロードの要衝
秦の
「昭王」時代
隴西郡の地となり
漢代に
「金城」郡が設置
「金城」が
「蘭州」の古名
隋代
582年
蘭州が設置
清代に
甘粛
布政使が駐在
元南満州鉄道の
日本人技術者
ソ連の援助
によって
宝鶏からの鉄道開通
↓↑
5世紀
倭国の
五王が
南朝
宋に使者を派遣
『宋書』倭国伝
王「讃・珍・済・興・武」
の「倭の五王」
↓↑
王武は
済 の子
興 の弟で、
「倭の五王」の最後の1人で
第21代
雄略天皇に比定・・・
墳墓陵
岡 ミサンザイ古墳
「ミサンザイ」は
「ミササギ(御陵)」の転訛
(現在、仲哀天皇陵)に比定
仲哀天皇は倭建(倭武)の父親・・・
「恵我 長 野 西 陵
(えがのながののにしのみささぎ
惠我 長 野 西 陵)」
墳形は
「前方後円形」
↓↑ ↓↑
倭 の 五王
讃(421~425年) ・・・讃岐・鸕野讃良
↓↑ ↓↑
珍(彌・ビ⇔禰・ネ)(438年)
珍(チン)=うづ=宇津(漩)の陳列?
珍=「高貴・尊厳・珍貴」なもの
「珎=王+尓」は異体字
玉+爾=璽
尓=爾=一+小+冂+丨+㸚
一+八+冂+爻+丨+爻
一+八+冂+爻+丨+㐅+乂
=爯=爫+冉
爫+冂+土
爫+冂+十+一
珎=王+𠂉+亅+ハ
王+尔(尓・爾)
王+丿+乛+亅+ハ
↓↑ ↓↑
倭 の 五王
寳(寶・宝・財)・靌
寶媛=皇極-斉明 女帝
和同開珎
↓↑
日本書紀(720)神代上
「吾、御寓(あめのしたしら)すべき
珍(ウヅ)の子(みこ)を
生まむと欲(おも)ふ。
(珍、此をば于図(うづ)・・・?
・・・右図・烏頭・渦・漩
うづ=宇受女・猿(猨・沙流)女
塡目(うづめ)?
と云ふ)」
↓↑
万葉集(8C後)六・九七三
「天皇(すめら)朕(われ)
宇頭(ウヅ)の御手もち・・・烏頭・烏帽子(えぼし)
かき撫でそ 労(ね)ぎ賜ふ」
↓↑
良寛歌(1835頃)
「いくそばくぞ
ウヅのみ手もて
おほみ神にぎりましけむ
ウヅのみ手もて」
↓↑
語誌
「う」=貴く見事な様を讃えた褒め言葉・・・?
「つ」=上代の格助詞
「ウツ木綿」などと慣用され
濁音化し
格助詞「の」を伴って
「ウヅの幣帛」など
連体修飾語として用いられた・・・?
接尾語「なふ」が付いて
活用語「うづなふ」がある
「うづ」と意味の近い上代のことばの
「厳(いつ)」・・・厳の雄叫(をたけび)
「瑞(みづ)」・・・瑞の御舎(みあらか)
などと使われるのに対し
「うづ」は
「御子(みこ)、御手(みて)」など
人やその身体部分を表わす語を
修飾するのに用いられる・・・
↓↑ ↓↑
珍(うづ)=王+㐱
王+人+彡
=珎=王+尓
王+尔
王+丿+乛+小
王+丿+乛+亅+ハ
↓↑ ↓↑
地名 音 羽 珍 事町
読み方 おとわ ちんじちょう
市区町 京都市山科区
↓↑
山海珍味(サンカイ チンミ)
山と海で採れた珍味な食べ物
非常に豪華な料理
↓↑
七珍万宝(シッチンマンポウ)
多種多様な宝物
仏教語で「七珍」は
「金、銀、瑠璃、シャコ
瑪瑙、玻璃、珊瑚」の七種
↓↑
珍味佳肴(チンミカコウ)
珍味なご馳走
佳肴=酒のおかず
「珍味嘉肴」
↓↑
珍問珍答(チンモンチントウ)
変な質問と変な答え
普通とは違う質問と
対する奇妙な答え
↓↑
「珍」を含む言葉・熟語
七珍(シチチン)
仏教で宝物とされる七種類のもの
七宝
↓↑
袖珍(シュウチン)
袖やポケットに入る程度の大きさ
↓↑
珍果(チンカ)
珍しい果物
珍しい菓子
↓↑
珍奇(チンキ)
珍しくて変わっているさま
↓↑
珍客(チンキャク・チンカク)
珍しい客
↓↑
α+㐱
診・疹・軫・袗・殄・畛・趁・參・跈
紾・翏・聄・眕・抮・昣・胗・曑・沴
鉁・駗・䂦・䝩・䪾・飻・轸・诊
↓↑
珍島(チンド・ちんとう)・・・ウヅのシマ?
朝鮮半島西南端付近
半島本土と近接して存在する島
幅約300mの鳴梁海峡沖
全羅南道珍島郡が管轄
済州島・巨済島に次いで3番目に大きな島
体島(チェド・體島=本島の意)
と呼ばれる
タイダル・アイランド(Tidal Island)
Tidal=潮汐の
TIdal Wave(タイダルウェーブ)=津波
珍島(うづしま・チントウ・珎島)?
と
茅島(かやしま・スキしま・すげしま・ボウトウ・蘆島)?
Tidal Island=潮汐の海面の高低変化の関係で
「島と陸地」がツナがる現象
陸繋砂州(トンボロ)の
成立過程の過渡的な状態に
満潮時には島に
干潮時には陸繋島となる現象
複数の島々を結ぶものは
「tombolo cluster」と呼ばれる
↓↑
「鳴梁海戦(メイリョウカイセン)」
鳴梁渡海戦
慶長二年(1597年10月26日)九月十六日
豊臣秀吉の
日本水軍と朝鮮水軍との間に起こった
「慶長の役」における海戦
↓↑
鳴梁渡=「珍島」と花源半島との間にある海峡
潮流が速く
大きな渦を巻いている航行難所の海峡
ー↓↑ーー↓↑ーー
倭 の 五王
済(443~451年)=氵+斉(斎)
済州島
斎王
斎國(姜斉・田斉)
↓↑ ↓↑
興(462年) 武(478年)
興福寺=藤原鎌足夫人、 ↓↑
鏡大王が山背に
夫の病気平癒を願い
山階寺
(やましなでら) ↓↑
を建立し
藤原京に移転して
厩坂寺
(うまやさかでら) ↓↑
さらに
平城京左京に移転し
創建 天智天皇八年(669年) ↓↑
開基 藤原不比等
↓↑ ↓↑
安康(穴穂) 雄略(大泊瀬幼武)
↓↑ ↓↑
国家安康=方広寺 大=一+人
「国家安康・君臣豊楽」 泊=氵+白
イチャモン 瀬=氵+束+頁
慶長十九年(1614年) 幼=幺+力
八月十八日に銘文に対して 武=一+弋+止
崇伝が住職を務める 太白施用伏
臨済宗の南禅寺 明けの明星を「啓明」
及びその下位に属する 宵 の明星を「長庚」
京都五山の7人の僧侶に
検証が命じられ
清韓が銘文に隠し題として
「国家安康」と
家康の諱を用いたことは
不敬とみなされ
更に
林羅山
より
呪詛と批難された
↓↑
武は
「使持節
都督
倭・百済・新羅・任那・加羅・秦韓・慕韓
七国諸軍事
安東大将軍
倭国王」と自称
↓↑
順帝
昇明二年(478年)
武は
宋に遣使して上表文を奉り
順帝は
武を
「使持節 都督
倭・新羅・任那・加羅・秦韓・慕韓
六国 諸軍事
安東大将軍
倭王」
に除す
↓↑
封國 偏遠
作 藩于外,自 昔祖禰,躬擐 甲冑
跋涉 山川,
不遑寧處。
↓↑
東征 毛人五十五國,
西服 眾夷六十六國,
渡
平 海北 九十五國,
王道融泰,廓土遐畿,
累葉朝宗,
不愆于歲。
↓↑
臣雖下愚,忝胤先緒,
驅率所統,歸崇天極,
道逕假授 百濟,
裝治船舫,而句驪無道,
圖欲見吞,掠抄邊隸,
虔劉不已,每致稽滯,
以失良風。
↓↑
雖曰進路,或通 或不。
↓↑
臣亡考濟實忿寇讎,
壅塞天路,控弦百萬,
義聲感激,方欲大舉,
奄喪父兄,使垂成之功,
不獲一簣。
↓↑
居在諒闇,不動兵甲,
是以偃息未捷。
↓↑
至今欲練甲治兵,申父兄之志,
義士虎賁,文武效功,白刃交前,
亦所不顧。
↓↑
若 以帝德覆載,摧此強敵,
克靖方難,
無替前功。
↓↑
竊 自假開府儀同三司,
其餘咸各假授,
以 勸忠節。
↓↑
『宋書』倭国伝 所引
倭王武 上表文
ーー↓↑ーーー
武・・・???・・・建・・・
1494年・・・癸丑・乙丑・丙申・・・2月26日(節入?)~甲寅年
2月11日(明応2年1月6日)?・・・・2月26日(節入?)~甲寅年
武田信虎、誕生・・・・・・・・・・・・・「甲斐の虎」⇔甲寅捻?
武田信玄(晴信・太郎・機山)・・・大永元年十一月三日
(1521年12月01日y) 辛巳・己亥・辛亥
寅卯空亡
(1521年12月11日g)
~
元亀四年四月十二日
(1573年5月13日y) 癸酉・丙辰・壬戌
大運 1563年07月(41歳) 甲午正財
(1573年5月23日g)
の父
↓↑
西暦1493年2月01日g癸丑・乙丑・壬申
西暦1493年1月23日y
↓↑
誕生
尾崎重歳、戦国時代の武将(~1572年)
蒲池鑑久、戦国時代の戦国大名(~1543年)
斎藤道三、戦国時代の戦国大名(~1556年)
徐階、明の政治家(~1574年)
ドミンゴ・デ・ソト、スペイン
の神学者、哲学者、法学者(~1560年)
武田元光、戦国時代の戦国大名
若狭武田氏の第6代当主(~1551年)
バッキアッカ
イタリアのルネサンス期の画家(~1557年)
↓↑
万里 小 路 栄 子・・・萬里=まり=真理
(までのこうじ えいし) 毬・鞠
明応三年(1494年)
~
大永二年十月十日(1522年11月8日)
室町時代の女性
後奈良天皇の後宮
正親町天皇の生母
父は参議右大弁、従三位
万里小路 賢房
院号
吉徳門院(きっとくもんいん)
↓↑
森 可行、戦国時代の武将(~1571年)
吉田孝頼、戦国時代の武将(~1563年)
↓↑
6月7日
スペインとポルトガルの間で
トルデシリャス条約が締結
クリストファー・コロンブス
ジャマイカを発見
11月9日
メディチ家が
フィレンツェから追放
↓↑
干支 甲寅 年・・・2月26日~甲寅年
日本 明応三年
皇紀2154年
明 弘治七年
李氏朝鮮 成宗二十五年
↓↑
ローマ教皇が両国を調停し
大西洋の
「子午線(meridian)」の
東側をポルトガル領
西側をスペイン 領
とする植民地分界線(教皇子午線)設定
↓↑
子午線に対して直交するのが
卯酉線(ボウユウセン)
↓↑
1884年以降
イギリス・ロンドン郊外の
旧グリニッジ天文台跡を通過する
グリニッジ子午線が
本初子午線
経度0度0分0秒と定義された
本初子午線
180度経線とともに大円を形成
この大円により
地球表面は2つの半球に分けられ
本初子午線の東の半球を東半球
西の半球を西半球
基準の子午線(経線)
英語の「meridian」は・・・「 マァリィディィアン(ヌ)
メリディアン」
明里出意編(案)?
子午線・経線
太陽の最高点
繁栄などの頂点、全盛期
針療法の「経絡」
「正午」を意味する
ラテン語の「meridies」に由来
↓↑
トルデシリャス条約
(ポルトガル語: Tratado de Tordesilhas,
スペイン 語: Tratado de Tordesillas)
↓↑
トルデシリャス
盗る照市理邪素(州)?
↓↑
1494年06月 07日 12時
甲寅・己巳・壬辰・丙午
↓↑
スペインとポルトガルの間で結ばれた条約
「新世界」における紛争を解決するため
教皇アレクサンデル6世
の承認によって
ヨーロッパ以外の新領土の分割条約
↓↑
大航海時代
スペイン・ポルトガルの
イベリア両国が定めた、世界分割条約
↓↑
スペイン語
デマルカシオン(demarcacion)
出丸 可視音?
↓↑
英語
デマルケイション (demarcation)
出丸 景 書 務?
↓↑
ポルトガル語
デマルカサン (demarcacao)
出円 加纂(簒)
ーーーーー
・・・?・・・
tango・・・タンゴ=単語・丹後・端午・丹吾・丹呉
旦誤・担後・多夢語・・・?
アルゼンチン・タンゴ・・・「亜爾然丁(あるぜんちん)」
・・・有る撰(潜)枕の単語?
約130年前
南米アルゼンチンの首都
ブエノスアイレスの港町
・・・伯那斯愛列斯・舞埃城 ・倍諾愛勒
不宜諾塞利・捕諾愛利・普納塞利斯
布宜诺斯艾利斯・布宜諾斯艾利斯
ラ・ボカ地区で生まれた
↓↑
『上海リル』のアンサーソング
アンサーソング
既に存在する歌に対する返答として作られた歌
返歌
元となる歌とは
別の歌手・アーティストによるものが多い
自身で「続編」の意味で
アンサーソングを作る例も見られる
↓↑
タイトル・歌詞の内容・イントロの一部
1933年の
アメリカ映画
『フットライト・パレード』
の主題歌
『Shanghai Lil』
並びに同曲を
唄川幸子
川畑文子
ディック・ミネ
江戸川蘭子
らがそれぞれの訳詞で競作した
『上海リル』から借用
上海・・・申・・・
↓↑
上海帰りのリル 津村 謙
(1923年12月12日~1961年11月28日)
上海帰りのリル 津村 謙 (1951)
上海帰りのリル 春日八郎 (1951年・昭和26年)
上海帰りのリル 美空ひばり
上海帰りのリル 根津甚八
上海帰りのリル 田渕純
↓↑
こぼし
「こぼし」、「茶こぼし」茶道具の一つ
建水の別名
お点前で使った
湯や水を容器
水翻=水盤・スイバン=建水
「建」の意味は
「覆(こぼ・くつがえ)す」・・・靴返えす?
と言う意味
「水翻=みずこぼし・みずひるがえす」
「水覆=みずこぼし・みずくつがえす」
とも書き
「水下・骨吐(ほねはき)」とも
↓↑
雲南省
建水県
略称は雲、滇(テン)
省都は昆明市
省名は雲嶺(四川省との境の山地)
の南にあることに由来
↓↑
石林
イ族自治県
雲南省
昆明市に位置
雲貴高原中部に位置
市内の海抜は 1,891メートル
三方を山に囲まれ
南は
滇池と呼ばれる大湖に面する
滇池の西は西山森林公園
南東100kmに
石林という
カルスト地形の景勝地
前109年
漢により設置された
連然県を前身
唐代
621年(武徳四年)
安寧県と改称
後は南詔の版図に組み込まれ
中国側による記録が途絶えるが
元朝
1266年(至元三年)
安寧千戸として行政区画が再設置
1275年(至元十二年)
安寧州と改編
↓↑
安寧市(あんねいし)
雲南省
昆明市に位置
↓↑
安寧区(あんねい-く)
甘粛省
蘭州市に位置
・・・???・・・丁寧・安寧・・・
名前を見てワラッた・・・
「王・滬・寧」
「文化大革命の反省と政治体制改革」
30年前の論文
王 滬寧(オウ コネイ)
↓↑
建水(ケンスイ)・・・懸垂・県水・検水?
茶道具の一
茶碗を
清めたり温めたりしたときに使った湯や水を
捨てるために使うもの
「こぼし」
材質は陶器、磁器、曲物(木地物)
唐銅や砂張(サハリ)(金属器)
形状
筒型や桶型、壺型、碗型
湯を捨てやすいように
口は大きく開いている物がほとんど
「水をこぼす(こぼし入れる)器」
の意味から「こぼし」と呼ぶ
↓↑
ヤジロベエ(弥次郎兵衛、ヤジロベー)
↓↑
おきあがり「こぼし」
重心を利用した玩具
国、地域によっては
丸底人形
roly-poly toy
tilting doll
タンブラー
wobbly man
などと呼ばれる
↓↑
会津藩主
「蒲生氏郷」・・・「蒲生君平」の祖
画募得訓併?
画望 訓評?
が藩士に
・・・・・・・扈胞子?
を作らせ正月に
売らせたのがはじまり
↓↑
起き上がり小法師
(おきあがりこぼし
おきあがりこぼうし)
福島県会津地方に古くから伝わる
縁起物・郷土玩具の一
起姫(おき夢ひめ)ともいう
会津の人にとっては
「赤べこ」の次に馴染みのある郷土玩具
起き上がり小法師
だるま・おきあがりポロンちゃん
ロシアの ↓↑
неваляшка nevalyashka
(倒れないもの)
ванька-встанька van'ka-vstan'ka
(起き上がるイヴァン)
Playskool製の
Weeble
↓↑
甘肃(粛)省
中国北西部に位置する省
省都は蘭州市
↓↑
蘭州市(ランシュウし)
中国甘粛省の省都
雅名を金城
市域は海抜 1,600m
市内を
黄河が東西に流れる
市街地は
黄河に沿って20kmに渡って細長く延び
黄河には12の橋が架けられている
近隣の都市
約220km北西の武威
170km西の西寧
↓↑
民族
漢族・回族
ドンシャン族
ユグル族
サラール族
など
白い帽子を被った
イスラム系住民が多
↓↑
歴史
シルクロードの要衝
秦の
「昭王」時代
隴西郡の地となり
漢代に
「金城」郡が設置
「金城」が
「蘭州」の古名
隋代
582年
蘭州が設置
清代に
甘粛
布政使が駐在
元南満州鉄道の
日本人技術者
ソ連の援助
によって
宝鶏からの鉄道開通
↓↑
5世紀
倭国の
五王が
南朝
宋に使者を派遣
『宋書』倭国伝
王「讃・珍・済・興・武」
の「倭の五王」
↓↑
王武は
済 の子
興 の弟で、
「倭の五王」の最後の1人で
第21代
雄略天皇に比定・・・
墳墓陵
岡 ミサンザイ古墳
「ミサンザイ」は
「ミササギ(御陵)」の転訛
(現在、仲哀天皇陵)に比定
仲哀天皇は倭建(倭武)の父親・・・
「恵我 長 野 西 陵
(えがのながののにしのみささぎ
惠我 長 野 西 陵)」
墳形は
「前方後円形」
↓↑ ↓↑
倭 の 五王
讃(421~425年) ・・・讃岐・鸕野讃良
↓↑ ↓↑
珍(彌・ビ⇔禰・ネ)(438年)
珍(チン)=うづ=宇津(漩)の陳列?
珍=「高貴・尊厳・珍貴」なもの
「珎=王+尓」は異体字
玉+爾=璽
尓=爾=一+小+冂+丨+㸚
一+八+冂+爻+丨+爻
一+八+冂+爻+丨+㐅+乂
=爯=爫+冉
爫+冂+土
爫+冂+十+一
珎=王+𠂉+亅+ハ
王+尔(尓・爾)
王+丿+乛+亅+ハ
↓↑ ↓↑
倭 の 五王
寳(寶・宝・財)・靌
寶媛=皇極-斉明 女帝
和同開珎
↓↑
日本書紀(720)神代上
「吾、御寓(あめのしたしら)すべき
珍(ウヅ)の子(みこ)を
生まむと欲(おも)ふ。
(珍、此をば于図(うづ)・・・?
・・・右図・烏頭・渦・漩
うづ=宇受女・猿(猨・沙流)女
塡目(うづめ)?
と云ふ)」
↓↑
万葉集(8C後)六・九七三
「天皇(すめら)朕(われ)
宇頭(ウヅ)の御手もち・・・烏頭・烏帽子(えぼし)
かき撫でそ 労(ね)ぎ賜ふ」
↓↑
良寛歌(1835頃)
「いくそばくぞ
ウヅのみ手もて
おほみ神にぎりましけむ
ウヅのみ手もて」
↓↑
語誌
「う」=貴く見事な様を讃えた褒め言葉・・・?
「つ」=上代の格助詞
「ウツ木綿」などと慣用され
濁音化し
格助詞「の」を伴って
「ウヅの幣帛」など
連体修飾語として用いられた・・・?
接尾語「なふ」が付いて
活用語「うづなふ」がある
「うづ」と意味の近い上代のことばの
「厳(いつ)」・・・厳の雄叫(をたけび)
「瑞(みづ)」・・・瑞の御舎(みあらか)
などと使われるのに対し
「うづ」は
「御子(みこ)、御手(みて)」など
人やその身体部分を表わす語を
修飾するのに用いられる・・・
↓↑ ↓↑
珍(うづ)=王+㐱
王+人+彡
=珎=王+尓
王+尔
王+丿+乛+小
王+丿+乛+亅+ハ
↓↑ ↓↑
地名 音 羽 珍 事町
読み方 おとわ ちんじちょう
市区町 京都市山科区
↓↑
山海珍味(サンカイ チンミ)
山と海で採れた珍味な食べ物
非常に豪華な料理
↓↑
七珍万宝(シッチンマンポウ)
多種多様な宝物
仏教語で「七珍」は
「金、銀、瑠璃、シャコ
瑪瑙、玻璃、珊瑚」の七種
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珍味佳肴(チンミカコウ)
珍味なご馳走
佳肴=酒のおかず
「珍味嘉肴」
↓↑
珍問珍答(チンモンチントウ)
変な質問と変な答え
普通とは違う質問と
対する奇妙な答え
↓↑
「珍」を含む言葉・熟語
七珍(シチチン)
仏教で宝物とされる七種類のもの
七宝
↓↑
袖珍(シュウチン)
袖やポケットに入る程度の大きさ
↓↑
珍果(チンカ)
珍しい果物
珍しい菓子
↓↑
珍奇(チンキ)
珍しくて変わっているさま
↓↑
珍客(チンキャク・チンカク)
珍しい客
↓↑
α+㐱
診・疹・軫・袗・殄・畛・趁・參・跈
紾・翏・聄・眕・抮・昣・胗・曑・沴
鉁・駗・䂦・䝩・䪾・飻・轸・诊
↓↑
珍島(チンド・ちんとう)・・・ウヅのシマ?
朝鮮半島西南端付近
半島本土と近接して存在する島
幅約300mの鳴梁海峡沖
全羅南道珍島郡が管轄
済州島・巨済島に次いで3番目に大きな島
体島(チェド・體島=本島の意)
と呼ばれる
タイダル・アイランド(Tidal Island)
Tidal=潮汐の
TIdal Wave(タイダルウェーブ)=津波
珍島(うづしま・チントウ・珎島)?
と
茅島(かやしま・スキしま・すげしま・ボウトウ・蘆島)?
Tidal Island=潮汐の海面の高低変化の関係で
「島と陸地」がツナがる現象
陸繋砂州(トンボロ)の
成立過程の過渡的な状態に
満潮時には島に
干潮時には陸繋島となる現象
複数の島々を結ぶものは
「tombolo cluster」と呼ばれる
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「鳴梁海戦(メイリョウカイセン)」
鳴梁渡海戦
慶長二年(1597年10月26日)九月十六日
豊臣秀吉の
日本水軍と朝鮮水軍との間に起こった
「慶長の役」における海戦
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鳴梁渡=「珍島」と花源半島との間にある海峡
潮流が速く
大きな渦を巻いている航行難所の海峡
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倭 の 五王
済(443~451年)=氵+斉(斎)
済州島
斎王
斎國(姜斉・田斉)
↓↑ ↓↑
興(462年) 武(478年)
興福寺=藤原鎌足夫人、 ↓↑
鏡大王が山背に
夫の病気平癒を願い
山階寺
(やましなでら) ↓↑
を建立し
藤原京に移転して
厩坂寺
(うまやさかでら) ↓↑
さらに
平城京左京に移転し
創建 天智天皇八年(669年) ↓↑
開基 藤原不比等
↓↑ ↓↑
安康(穴穂) 雄略(大泊瀬幼武)
↓↑ ↓↑
国家安康=方広寺 大=一+人
「国家安康・君臣豊楽」 泊=氵+白
イチャモン 瀬=氵+束+頁
慶長十九年(1614年) 幼=幺+力
八月十八日に銘文に対して 武=一+弋+止
崇伝が住職を務める 太白施用伏
臨済宗の南禅寺 明けの明星を「啓明」
及びその下位に属する 宵 の明星を「長庚」
京都五山の7人の僧侶に
検証が命じられ
清韓が銘文に隠し題として
「国家安康」と
家康の諱を用いたことは
不敬とみなされ
更に
林羅山
より
呪詛と批難された
↓↑
武は
「使持節
都督
倭・百済・新羅・任那・加羅・秦韓・慕韓
七国諸軍事
安東大将軍
倭国王」と自称
↓↑
順帝
昇明二年(478年)
武は
宋に遣使して上表文を奉り
順帝は
武を
「使持節 都督
倭・新羅・任那・加羅・秦韓・慕韓
六国 諸軍事
安東大将軍
倭王」
に除す
↓↑
封國 偏遠
作 藩于外,自 昔祖禰,躬擐 甲冑
跋涉 山川,
不遑寧處。
↓↑
東征 毛人五十五國,
西服 眾夷六十六國,
渡
平 海北 九十五國,
王道融泰,廓土遐畿,
累葉朝宗,
不愆于歲。
↓↑
臣雖下愚,忝胤先緒,
驅率所統,歸崇天極,
道逕假授 百濟,
裝治船舫,而句驪無道,
圖欲見吞,掠抄邊隸,
虔劉不已,每致稽滯,
以失良風。
↓↑
雖曰進路,或通 或不。
↓↑
臣亡考濟實忿寇讎,
壅塞天路,控弦百萬,
義聲感激,方欲大舉,
奄喪父兄,使垂成之功,
不獲一簣。
↓↑
居在諒闇,不動兵甲,
是以偃息未捷。
↓↑
至今欲練甲治兵,申父兄之志,
義士虎賁,文武效功,白刃交前,
亦所不顧。
↓↑
若 以帝德覆載,摧此強敵,
克靖方難,
無替前功。
↓↑
竊 自假開府儀同三司,
其餘咸各假授,
以 勸忠節。
↓↑
『宋書』倭国伝 所引
倭王武 上表文
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武・・・???・・・建・・・
1494年・・・癸丑・乙丑・丙申・・・2月26日(節入?)~甲寅年
2月11日(明応2年1月6日)?・・・・2月26日(節入?)~甲寅年
武田信虎、誕生・・・・・・・・・・・・・「甲斐の虎」⇔甲寅捻?
武田信玄(晴信・太郎・機山)・・・大永元年十一月三日
(1521年12月01日y) 辛巳・己亥・辛亥
寅卯空亡
(1521年12月11日g)
~
元亀四年四月十二日
(1573年5月13日y) 癸酉・丙辰・壬戌
大運 1563年07月(41歳) 甲午正財
(1573年5月23日g)
の父
↓↑
西暦1493年2月01日g癸丑・乙丑・壬申
西暦1493年1月23日y
↓↑
誕生
尾崎重歳、戦国時代の武将(~1572年)
蒲池鑑久、戦国時代の戦国大名(~1543年)
斎藤道三、戦国時代の戦国大名(~1556年)
徐階、明の政治家(~1574年)
ドミンゴ・デ・ソト、スペイン
の神学者、哲学者、法学者(~1560年)
武田元光、戦国時代の戦国大名
若狭武田氏の第6代当主(~1551年)
バッキアッカ
イタリアのルネサンス期の画家(~1557年)
↓↑
万里 小 路 栄 子・・・萬里=まり=真理
(までのこうじ えいし) 毬・鞠
明応三年(1494年)
~
大永二年十月十日(1522年11月8日)
室町時代の女性
後奈良天皇の後宮
正親町天皇の生母
父は参議右大弁、従三位
万里小路 賢房
院号
吉徳門院(きっとくもんいん)
↓↑
森 可行、戦国時代の武将(~1571年)
吉田孝頼、戦国時代の武将(~1563年)
↓↑
6月7日
スペインとポルトガルの間で
トルデシリャス条約が締結
クリストファー・コロンブス
ジャマイカを発見
11月9日
メディチ家が
フィレンツェから追放
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干支 甲寅 年・・・2月26日~甲寅年
日本 明応三年
皇紀2154年
明 弘治七年
李氏朝鮮 成宗二十五年
↓↑
ローマ教皇が両国を調停し
大西洋の
「子午線(meridian)」の
東側をポルトガル領
西側をスペイン 領
とする植民地分界線(教皇子午線)設定
↓↑
子午線に対して直交するのが
卯酉線(ボウユウセン)
↓↑
1884年以降
イギリス・ロンドン郊外の
旧グリニッジ天文台跡を通過する
グリニッジ子午線が
本初子午線
経度0度0分0秒と定義された
本初子午線
180度経線とともに大円を形成
この大円により
地球表面は2つの半球に分けられ
本初子午線の東の半球を東半球
西の半球を西半球
基準の子午線(経線)
英語の「meridian」は・・・「 マァリィディィアン(ヌ)
メリディアン」
明里出意編(案)?
子午線・経線
太陽の最高点
繁栄などの頂点、全盛期
針療法の「経絡」
「正午」を意味する
ラテン語の「meridies」に由来
↓↑
トルデシリャス条約
(ポルトガル語: Tratado de Tordesilhas,
スペイン 語: Tratado de Tordesillas)
↓↑
トルデシリャス
盗る照市理邪素(州)?
↓↑
1494年06月 07日 12時
甲寅・己巳・壬辰・丙午
↓↑
スペインとポルトガルの間で結ばれた条約
「新世界」における紛争を解決するため
教皇アレクサンデル6世
の承認によって
ヨーロッパ以外の新領土の分割条約
↓↑
大航海時代
スペイン・ポルトガルの
イベリア両国が定めた、世界分割条約
↓↑
スペイン語
デマルカシオン(demarcacion)
出丸 可視音?
↓↑
英語
デマルケイション (demarcation)
出丸 景 書 務?
↓↑
ポルトガル語
デマルカサン (demarcacao)
出円 加纂(簒)
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