百済から倭国へ派遣された 知識人や技術者・・・新羅も
↓↑
紫禁城
天帝が住んでいる
北極星を紫微星
北極星の周辺を回る星座の辺りを
「紫微垣=紫宮」
「天帝の命を受けた
皇帝(天子)」
の住居
「禁城(庶民が入るのを禁止された城)」
の熟語
「紫禁城」
世界の中心の領域
天帝に代って
地上を治める皇帝の住む宮殿
「天子は南面す」
北に皇帝の宮殿を設置
↓↑
女房詞でイワシ=醤油=むらさき=たまり
イワシ(鰯・鰮)
岩子・磐史・伊波氏・維和史・違和詞?
岩倉具視⇔磐余=神武天皇
が群集すると海面が紫になる
「鮎(あゆ)」
に勝るところから
「紫」は
「藍(あい)」
に勝るとかけた
↓↑
百済から倭国へ派遣された 知識人や技術者・・・新羅も
↓↑
乨=台+乚(イン・乙=オツ・イツ)・・・
ムクチな乙(きのと・おと)
シ
はじまる・はじめ・はじめる
始=兘=𠃭=𠙉・・・
「壹與・壱参歳」の「邪馬(靡)台(臺)国」
それ以降続く物事の最初
出だし
「始」=物事はまず~から始める
⇔始(オンナのムクチ)好(オンナの子)
~から始まる
↓↑
「紫陽花」と「胡瓜」・・・
紫=此+糸=むらさき
醤油(ショウユ)
=醤(ひしお)=肉醤(ししびしお)
=止+匕+幺+小
=ト+丄+匕+幺+ハ+亅
↓↑
女房詞でイワシ=醤油=むらさき=たまり
イワシ(鰯・鰮)
岩子・磐史・伊波氏・維和史・違和詞?
岩倉具視⇔磐余=神武天皇
が群集すると海面が紫になる
「鮎(あゆ)」
に勝るところから
「紫」は
「藍(あい)」
に勝るとかけた
↓↑
「紫禁城」かけた
天帝が住んでいる
北極星を紫微星
北極星の周辺を回る星座の辺りを
「紫微垣=紫宮」
「天帝の命を受けた
皇帝(天子)」
の住居
「禁城(庶民が入るのを禁止された城)」
の熟語
「紫禁城」
世界の中心の領域
天帝に代って
地上を治める皇帝の住む宮殿
「天子は南面す」
北に皇帝の宮殿を設置
↓↑
㗪=口+紫
口+此+糸
口+止+匕+幺+小
↓↑
䔝=艹+紫
艹+此+糸
艹+止+匕+幺+小
サイ
セ
↓↑
橴=木+紫
木+此+糸
木+止+匕+幺+小
↓↑
陽=阝+昜(日+万+〃)・・・易=日+勹+〃
花=艹+化=華
胡=古+月
瓜=爪+ム
↓↑
𤫱=句+瓜
コウ・ク
𤫱𤬏(コウロウ)
カラスウリ(烏瓜)
ウリ科カラスウリ属の草
カラスウリ属の一種
別名=「𦸈𧁾(カツロウ)=カラスウリ」
↓↑
虽=口+虫
スイ
いえども
雖=𨿽=𧈧
たとえ~であっても
~ではあるけれども
トカゲ(蜥蜴)に似た大形動物
↓↑
苟=艸+句=茍
コウ・ク
いやしくも
草名
かりそめに~する
間に合わせに~する
取り敢えず~する
苟且(コウショ)
一時しのぎ
その場限り
いい加減なさま
誠に・本当に
いやしくも
もしも~ならば
↓↑
茍=艸+句
キョク・コク
𦰶=𠷜
言葉を慎(つつし)む
↓↑
蚼=虫+句
コウ・ク・グ
𧊛=虫+后
蚼蟓(コウショウ)
玄蚼(ケンク)
オオアリ(大蟻)・大形のアリ(蟻)
別名「蚍蜉(ヒフ)・螞蟻(バギ)」
↓↑
袧=衣+句
コウ・ク
喪服の一種
↓↑
訽=言+句
コウ・ク
詬
面と向かって悪口を浴びせ掛ける
罵(ののし)る・辱(はずかし)める
奊訽・謑訽(ケイコウ)
節操がないさま
恥(はじ)
↓↑
㗪=口+紫
口+此+糸
口+止+匕+幺+小
↓↑
䔝=艹+紫
艹+此+糸
艹+止+匕+幺+小
サイ
セ
↓↑
橴=木+紫
木+此+糸
木+止+匕+幺+小
↓↑
花=華
異体字
华(簡体字)・蕐(異体字)・䅿
䓙・䔢・乖・咼・崋・桦・樺・歪
竵・花・蘤・譁・鷨・華
𠌶(本字)・𠫫(同字)・𡙛・𡙠
𡚅・𡸓・𡼀・𡼙・𡾀・𣓚・𦮴・𦰗
𦶎・𦹬・𦾓・𧅅・𫈐
↓↑
「艸+垂+于」・・・于(ウ・行く)・迂回
于=ものがつかえて丸くなること
それに花が垂れた様を表す
「垂」を加えたものが元形
丸い花をあらわす
「はな」の形象
「拝」の旁の形が元形
音は「花」からの仮借・・・
↓↑
乨=台+乙
シ
はじまる・はじめ・はじめる
始=兘=𠃭=𠙉
それ以降続く物事の最初
出だし
「始」=物事はまず~から始める
~から始まる
「初」=物事はまず初めに~する
~の初め
初めて
~の時に至ってやっと
柯=木+可=𣝺=木+哥+木
カ
斧(おの)などの柄・・・「丆・丅・T・丁」
・・・「ナ」・・・鉈(なた)
草木の茎や枝
石斧
縦斧は刃が柄と平行
柄と刃部が一直線に
横斧は刃と柄が直交
するように付けられている
縦斧(平行刃斧)を斧(オノ)
横斧(直交刃斧)を手斧(チョウナ)
と呼んでいる
鉞(マサカリ)は
大型の縦斧(平行刃斧)
↓↑
『日本書紀』
6世紀に
百済から倭国へ派遣された
知識人や技術者についての記録が多数
古代の日本の学術・文化に大きな影響
『日本書紀・応神紀』
「王仁(和邇吉師)」
日本に
『千字文』・『論語』を伝えた・・・
6世紀に軍事支援の代償として
派遣された五経博士についての記録
513年(継体天皇七年)
「段楊爾」
が派遣され
「漢高安茂」
「馬丁安」
「王柳貴」
らの五経博士らが交代で
百済から派遣され
倭王権に仕えた
彼らと共に
医、易、暦
の諸博士や
「曇慧」などの僧侶
律師、比丘尼、造仏工、造寺工
なども倭国へ贈られた
船氏の祖とする
「王辰爾」
は百済に出自するという説話が残る
「王仁」
『千字文』
が実際に編纂されたのは
応神朝よりもかなり後の時代で
その記録は伝説に過ぎない
・・・何時の伝説⇔「千字文」
日本列島における
初期の漢字の導入が
百済系を中心とした渡来人を経由
「白村江の戦い」後
多数の百済人が倭国へ亡命
百済王子
「豊璋」の弟
「善光(禅広)」
の子孫は倭国の朝廷から
「百済王(くだらのこにきし)」
の姓を賜り
日本の氏族としての
百済王氏が形成された
知識人・技術者として
倭王権に仕え
一定期間のみで
交代する派遣技術者ではなく
倭国にとって帰化人として
貴重な存在となった
↓↑
倭系
百済官僚
「百済本紀」
倭関係記事は
397年~428年
30年間に集中
その後7世紀まで言及がない
『隋書・東夷伝』
「百濟之先、出自高麗國
其人雜有新羅、高麗、倭等、亦有中國人」
↓↑
「倭系百済官僚」
倭人であるが
百済王権に仕えた人々を指す
5世紀後半
交易・外交・軍事
などを契機として
派遣された豪族らと
現地女性との間に生まれた
「韓子・韓腹」
と称される混血が多数存在
倭から派遣された使者が長期的に
任那・百済に居住
「上部徳率科野次酒
物部連奈率用歌多
紀臣奈率弥麻沙
倭系の氏
(科野氏、物部氏、紀氏等)
を持つ人物が
百済の官職(徳率、奈率)を
帯びていることによって判別」
↓↑
穂積押山
斯那奴阿比多
紀弥麻沙
物部麻奇牟(莫哥武とも)
斯那奴次酒(科野次酒)
物部用歌多
許勢哥麻
物部哥非
科野新羅
物部烏
日羅
↓↑
「穂積押山」
は
「委意斯移麻岐弥」
と呼ばれ
「既酒臣、印支弥、吉備臣、河内直」
は百済によって
使役され
倭系百済官僚であるとする説
「印支弥」
は倭系百済官僚であるとするならば
新羅に通じて
母国の百済を攻撃しようとしたことになるので
「印支弥」
は百済在住の倭人であり
百済の権力を後ろ盾として
倭王権に臣従して
『倭臣』となり
初期は百済に従い
後に倭の利益になるよう行動した」
とする説
↓↑
「前部施徳日佐分屋」
「河内部阿斯比多」
がいる
「日佐氏」は渡来系の氏族
「分屋」の頃には
未だ百済人であったのか
「日佐氏」は既に倭に渡来し
倭人として百済に渡っていたのかは不明
「阿斯比多」
は朝鮮から倭に派遣された人物
↓↑
倭系百済官僚
初期には県城以下の
地方官僚クラス(六品相当の奈率)
欽明期後半
倭系百済官僚の地位が上昇し
五部名を付す
都下に居住する官僚となった・・・
↓↑
『隋書・百済伝』
百済は多民族的国家
軍事・外交・行政には百済人だけでなく
中国系や倭人系の能力ある者たちも登用
↓↑
「日羅」が安閑期に派遣
彼の父の名前
「火葦北国造阿利斯登」
は、半島系の名前であり
父の代から活動
「斯那奴阿比多」
「日本阿比多」とも表記され
「斯那奴」は地名ではあるが
「科野直」
のような氏姓が成立する以前の表記
雄略期から継体期
百済に渡り官僚化した・・・
↓↑
全羅南道
栄山江流域に広く分布する
前方後円墳
墳形は
「長鼓墳」とも
↓↑
王号
『周書・百済伝』
王は
「於羅瑕」
を号し
民衆は
「鞬吉支」
と呼んでいた・・・
王妃は
「於陸」
と呼ばれていた
『釈日本紀』の秘訓では
↓↑
君 「キシ」
王 「コキシ」
大王「コニキシ」
という訓み
↓↑
「鞬吉支」=「コニキシ」に対応?
↓↑
『釈日本紀』秘訓
高句麗の王
「ヲリコケ」
夫人
「オリクク」
の訓み
「於羅瑕」
「於陸」
と関係・・・
↓↑
『三国史記』
始祖
「温祚王」
の時代から
左輔・右輔の官名が見られる
高句麗における最高官位と同名
高句麗では
新大王のときから
国相が最高官位となった
↓↑
佐平制
百済
第8代の
古尓王の27年(260年)
一品官の
六佐平(各種事務の担当長官)
15階の官
16階からなる官制が整備
実際に
佐平制の雛形が整ったのは
6世紀頃
第18代
「腆支王」の4年(407年)
六佐平の上に
上佐平の官位
上佐平は
軍事統帥権
国内行政権
を総括
「宰相」に相当
「左輔・右輔」にも相当
『日本書紀』には
大佐平
上佐平
中佐平
下佐平
も見え
上・中・下の佐平を総称して
「三佐平」
↓↑
『周書・百済伝』
百済の官位には
十六等級があり
佐平(左平)が最上位の一品
定員は5名
六品以上の冠には
銀製の花飾りがついていた
各官職の帯の色は
七品が紫
八品が皁
九品が赤
十品が青
十一品・十二品が黄
十三品以下は白
三品以下は定員がなかったこ
↓↑
官位
佐平(さへい)一品官
6種類に種別
内臣佐平(ナイシンサヘイ) =宣納(王命の伝達)
内頭佐平(ナイトウサヘイ) =庫蔵(財政)
内法佐平(ナイホウサヘイ) =礼儀(儀式)
衛士佐平(エイシサヘイ) =宿衛兵(王の禁軍・近衛兵)
朝廷佐平(チョウテイサヘイ)=刑獄(司法)
兵官佐平(ヘイカンサヘイ) =外兵馬(対外軍事)
達率(タツソツ) =二品官
恩率(オンソツ) =三品官
徳率(トクソツ) =四品官
扞率(カンソツ) =五品官
奈率(ナソツ) =六品官
将徳(ショウトク)=七品官
施徳(シトク) =八品官
固徳(コトク) =九品官
季徳(キトク) =十品官
対徳(タイトク) =十一品官
文督(ブントク) =十二品官
武督(ブトク) =十三品官
佐軍(サグン) =十四品官
振武(シンブ) =十五品官
克虞(コクグ) =十六品官
↓↑
官庁
内官
前内部
穀部
内掠部
外掠部
馬部
刀部
功徳部
薬部
木部
法部
後官部
↓↑
外官
司軍部
司徒部
司空部
司寇部
點口部
客部
外舎部
綢部
日官部
都市部
↓↑
文化
墓制
百済の位置(大韓民国内)
百済における墓制の特徴
規模が小さい
墳墓に記念的な外観を求めなかった
↓↑
朝鮮半島南部
三韓(馬韓・弁韓・辰韓)の地域
三国時代以前から
木棺を埋葬主体とする木棺墓
百済の初期の墓制も
馬韓以来の伝統
↓↑
馬韓地域
埋葬設備の周りに
口の字型
コの字型
に溝を張り巡らせた
周溝墓という形態が主流
↓↑
地下に埋葬を行った
土壙木棺墓
楽浪郡の影響で形成
木棺の周りに
木槨(棺を納めるための枠)
を組んだ木槨墓
葺石を持った円形の墳丘に
木棺を修める木棺封土墳(葺石封土墳)
石村洞古墳群には
多数の積石塚
石村洞3号墳は古墳群最大級の大きさ
↓↑
武寧王陵入口
熊津時代の墳墓
宋山里古墳群
武寧王陵
塼築墳(塼室墳)
塼と呼ばれる粘土を焼いた煉瓦によって構築
↓↑
百済の周縁部の墓
公州(熊津)
新鳳洞古墳群
4世紀から6世紀にかけて造営
土壙墓
竪穴式石室墓
横穴式石室墓等
伽耶地方と関係の深い土器などが発見
↓↑
公州
水村里古墳群で
木槨墓
竪穴式石室墓
横穴式石室墓
↓↑
全羅南道
甕棺墓が墓制の中心
↓↑
仏教
扶餘陵山里出土百濟金銅大香爐
百済の仏教公伝
『三国史記』『三国遺事』『海東高僧伝』
などの記述
枕流王元年(384年)
東晋から
胡僧の
「摩羅難陀」を迎えた
翌年には漢山に寺を創建
↓↑
百済最大規模
弥勒寺跡 石塔
熊津時代
武寧王陵の
華文装飾塼
仏教寺院跡
公州(熊津)付近に立地
527年
大通寺
百済最古の本格的な伽藍
日本の
四天王寺式伽藍配置と同様
南朝
梁の武帝のために
聖王の時代に建立
↓↑
泗沘時代
多数の仏教寺院が建立
『周書・百済伝』
「僧尼寺塔甚だ多し」
遷都直後から寺院建設が始まった
ほとんどが
大通寺と同じく
四天王寺式伽藍配置の寺院
講堂を持たない
扶蘇山西腹寺跡
仏塔を持たない
東南里寺跡など
7世紀
全羅北道の益山
帝釈寺
弥勒寺
が造営
泗沘の北西
金剛寺跡
烏含寺跡
瑞山
泰安の
摩崖仏のような石仏
ー↓↑ー--
↓↑ ↓↑